100年以上前に廃線となった鉄道の遺構がこれほど残っているとは!という“衝撃”の事実がここからスタートです。
草木に覆われた鹿瀬山(かせやま)橋台。
花崗岩の石積みの橋台で、水路が通っていることによる湿気からでしょうか苔むした石が何とも良い風情を醸し出しています。下に写っている石橋を歩くこともでき、そこから上を見上げれば橋があるわけではないものの100年以上前にここを駆け抜けた汽車に思いを馳せる事ができます。
さて更に移動して次の目的地に到着。因みにこの場所でも皆さん撮影しています。
一直線に伸びた一見農道。ここは大仏鉄道の廃線跡とのこと。それを右手に見つつ通り過ぎます。
「大仏鉄道遺構巡り」の案内看板に従って歩いて行きます。気分はハイキングですね。というか実は「大仏鉄道ハイキングコース」として整備されている場所を私たちは歩いています。
木津川市(きづがわし)誕生を記念して作られた駅東公園動輪モニュメント。
しかし大仏鉄道遺構巡りとしてはその動輪の足元に置かれているレールとレンガに注目です。開業時から昭和37年(1962年)までここにあった加茂機関庫転車台跡から発見されたもので、大仏鉄道開業時のモノであろうことから夢と浪漫が広がります。
さて遺構巡りの最初の2つのイベントが終われば加茂駅前でボンネットバスの撮影会。近代的な駅舎とマンションを背景に一枚。
今時の大型バスではとても通れない道をバスは走り、次の目的地を目指します。
緑の中でバスを下車。バスを駐車できる場所への回送も我々にとっては格好の撮影ポイントです。
(余談)
このツアーの参加者の中心は「ボンネットバス」愛好家の方たちです。勿論「鉄ちゃん」兼「バスマニア」の方もおられます。私自身、このツアーが『懐かしのボンネットバスの旅!』であることが参加の動機になっていることは間違いありません。
ところで「大仏鉄道」とはそういった名前の鉄道会社があったということではありません。今回頂いた資料によれば官設鉄道の東海道本線(後に国鉄~JR)に対抗して作られた名古屋~大阪間を結ぶ私鉄/関西(かんせい)鉄道の一部で、関西鉄道の歴史は書籍、ネット等で調べられますのでここでは割愛しますが、要は加茂駅と奈良市内を結ぶ『本線』として明治31年(1898年)に開業したものの『本線』の経路変更に伴い明治40年(1907年)に廃止された区間が「大仏鉄道」という愛称で親しまれているものです。今から100年以上前に、しかもたった9年間の命だったことから“幻の”といわれる大仏鉄道ですが、知る人ぞ知る存在であったその鉄道の遺構を観光名所として現在、奈良市・木津川市で整備しつつあります。
※開業時は加茂駅~大仏駅。翌年に大仏駅~奈良駅間が延長された。
その大仏鉄道の東の起点「加茂駅」に残る油庫(ランプ小屋)。
建物財産票には「明治30」の文字があります。大仏鉄道の開業前の年ですが、その当時に建てられたものなのでしょう。
今回はJR西日本の担当者の方が立ち会うことで特別に油庫の中も見せていただきました。
レンガ組みの美しさに驚かされます。
油庫への出入り口はレンガがアーチ上に組まれています。実用オンリーの倉庫になぜこのような美しい装飾が施されているのかは分かりませんが、その技術力は分かります。
※一番上の油庫の外観写真は、JR大和路線の電車内から撮影しています。
ところで『大仏鉄道』なんて知らないよ!という方が殆どではないかと思いますが、詳しくはまた明日にでも書きます。しばしお待ち下さい。まあ『大仏』だから何か奈良に関係していそうという事は分かると信じています。
近鉄奈良駅~~~。それにしても暑い。というより熱い!の方がピッタリする気分。
いよいよボンネットバスの到着。ほぼ1年ぶりの再会です。(嬉)
「懐かしのボンネットバスの旅!/幻の大仏鉄道遺構巡り」でまず向かったのがJR大和路線加茂駅。早速大仏鉄道の遺構…とはならずまずはバスの撮影。
方向幕の「大仏鉄道遺構巡り」もいい味を出しています。それより屋根についている3連砲弾型ライトがかっこ良すぎ!
今回のツアー参加者に配布されたパンフレットと大仏鉄道保存会のメンバーの方が今回の参加者向けに用意してくれた資料。
今回は大仏鉄道保存会会長の難波さんが案内役として乗車されており、各ポイントで詳しい話を聞くことができました。
こちらがツアーの参加証と特製うちわ。いろいろなところでうちわをもらうことは良くあるのですがあまり私は使いません。しかしこの日ばかりは大活躍でした。
平成27年7月25日(土)の“鉄活”は奈良交通のツアー「懐かしのボンネットバスの旅!/幻の大仏鉄道遺構巡り」への参加でした。
※奈良交通のボンネットバスの旅は昨年の9月28日に「ボンネットバスで行くさよなら五新鉄道」に参加しており今回で2度目です。
ツアーは近鉄奈良駅を9:20発なのでそれに間に合うべく名古屋7:29の「のぞみ99号」に乗車し、京都着8:02。京都8:15発の賢島特急に乗車しました。
今回は新幹線~近鉄のルートを取りましたが、これがJR関西本線利用ですと名古屋発5:40、奈良着8:53なので名古屋発の電車に間に合わない。新幹線~JR奈良線とすればこれは時間的には十分OKなのですが、今回選択したパターンよりは早起きの必要があり、最終的に無精者に相応しい道を選びました。
「せんとくん」が改札前でお出迎え。「あぁっ、これから奈良に行くのだ」という気分は確かに盛り上がります。
大和西大寺に8:43到着。左の電車が私の乗ってきた賢島行きです。大和西大寺の奈良方の風景。何度見ても、そしてどれだけの時間ここにいても飽きる事はありません。(と言っても30分位がいいとこかな…)
近鉄奈良駅が近くなり地下に突入。残念ですが私は地上線時代の奈良線を知りません。
近鉄奈良駅に到着。まずはお約束の写真なのですが、隣のホームに…。
隣のホームに停車していたのは近鉄奈良線100周年記念の5800系デボ1形塗装色車両(ヒストリートレイン)。でもこの写真を撮影するのがやっと。出発時刻が直ぐにきたため先頭車まで辿り着けず、狭い地下ホームゆえ数両の編成写真も撮れませんでした。
それよりもこんな出会いは想定外!ついているといえばその通りなのですが、、、。
松本駅。
昭和52年に現役を引退した松本駅表札。今も“現役”ですが、足を止める人も少なくちょっと寂しい。
313系もJR東管内で見ると結構新鮮。中央線の電車は松本までの直通も多いので珍しくはないのですが…。
松本17:48着の特急あずさ21号。
E257系もその内になくなってしまうかと思えば、撮影しづらい時間帯ではあるもののシャッターを押してしまいました。
17:51発の特急(ワイドビュー)しなの 22号到着。何故かこの日(と言っても6月14日のことなので今更感満載ですが…)、この電車の普通車指定席だけが早くから(と言ってもその週の火曜日ですが)満席となっており、危ないと思った私はJR東日本のえきねっとでグリーン車を予約していました。
えきねっとは「しなの」のようなJR東日本~JR東海の直通列車でも、座席表での個別予約は出来ないもののとりあえず“予約”は出来ます。「リゾートビューふるさと」同様、上田駅で発券しましたが、乗ってみればグリーン車も予想通り塩尻で満席。JR東日本管内を走る列車の予約をする際、みどりの窓口に行く時間が無い時はもっぱらこれを使っています。
※私が乗った「しなの」の次の「しなの」も、松本駅の案内では普通車は満席となっていました。
晩御飯はコンビニ弁当。でも「おやき」で信州を演出してみました。
かくして充実の2日間を無事終えることが出来ました。
大糸線はかつて幹線並みに特急・急行が走る大いなる観光路線でした。それだけに交換駅も多くありますが、今は行き違うのは各駅停車ばかり。
読めそうで読めない「一日市場(ひといちば)」駅は17:02頃に通過。
松本盆地。松本駅を一直線に目指します。
犀川(さいがわ)を渡ればもう少しで松本駅です。
長野行き特急(ワイドビュー)しなの 17号とすれ違い。
いよいよ松本駅に入線です。
17:15着ということで約1時間の短い旅でしたが、結構満足度の高いひと時でした。贅沢を言えばこのまま姨捨の絶景も楽しみたいところですが、そろそろ帰らねば翌日の仕事に差し障ります。若い時ならともかくこの歳になると十分な休養が無いと仕事に取り組むことが出来ません。まあそれもありますが趣味は無理をしてまでするものではないと今は悟っています。