2015年10月06日 20時24分
結局、手段はともかく9月3日(木)の朝、無事に稚内に着いたからこそこのブログが書けるわけですが、さてこの先どうなることやら…。旅の醍醐味はやっぱりトラブルか?いやいやそんな事はありません。
ところでサハリン(樺太)に渡るにつき「船(航路)」を選んだのには理由があります。それは「船で海外に行ってみたかった」のではありません。
まずは稚内観光の目玉の一つ「稚内港北防波堤ドーム」。
そしてそこには「稚泊航路記念碑」があります。
かつて樺太の南半分が日本だった頃、稚内と樺太の大泊(現コルサコフ)の間は鉄道連絡船で結ばれ、その航路は地名から「稚泊航路」もしくは「稚泊連絡船」と呼ばれていました。
※以後「稚泊航路」と表記します。
稚内駅の北にあって堂々たる姿を今に伝える「稚内港北防波堤ドーム」。そこは正に連絡船の着く桟橋であり、また国鉄稚内桟橋駅があって列車が横付けされ、冬場の極寒の強風を避けて乗下船できる構造となっていたそうです。
(このドーム、冬場は犬の散歩と市民のジョギングの場所として親しまれていると聞いています)
稚内駅の駅前に今も線路の跡がありますが、それは決して駅頭のオブジェではなく、行き止まりの駅では無かったかつての稚内駅構内から先に線路があったことによります。
昭和49年(1974年)2月の稚内市の俯瞰。
左上にドームがあり、この写真では右端近くに稚内駅があります。
ドームのあたりをトリミングにすると貨車が見えます。この辺りから線路は上方向に曲がり稚内桟橋駅へと繋がっていました。埋め立てによりドームの右側は大部分が陸地になっておりかつての姿を想像しにくいのが残念です。またそこにあった駅舎も昭和49年時点で既に取り壊されていました。
こちらは平成27年9月3日の稚内港国際旅客ターミナル。
そのデザインは北防波堤ドームをイメージしている感あり。
さて前述の稚泊航路の後継ともいうべき航路が実はあるのです。いや現時点では「あった」という過去形ですね。その航路(サハリン航路)はこの9月18日、コルサコフから稚内に向かう便を最後に、17年間の運航を終えました。赤字続きだったということでしたからやむを得ないというところでしょう。
ただ10月に入って、稚内市が第三セクターを設立して来年度以降の運行を目指しているとの報道があり、今後に若干は希望を繋げられるかもしれませんがまだまだ予断を許さない状況です。
『日本最北端の都市稚内から宗谷海峡を北へ159Km。そこは、大自然と歴史にふれる異国の島サハリン。』
ハートランドフェリーのHPにあった航路紹介ですが、今回のサハリン鉄旅は「連絡船時代に思いを馳せる最後のチャンスになるかも知れない」と、そんな理由から出かけることにしたのです。