2015年10月21日 19時53分

サハリン(樺太)鉄道旅(19)絶景!アンドレイ館長渾身の鉄道写真Ⅰ。

サハリンの鉄道を知り尽くしたアンドレイ館長撮影の渾身の鉄道写真。撮影日順ではないのはご容赦下さい。

またこうして私のブログでの紹介を快諾された館長さんにはただただ感謝です。

DSC01465_鉄道歴史博物館

2007年6月21日撮影。

日付から季節感と景色の関係が分かります。

撮影地は恐らく西海岸の路線と思われますが、断崖絶壁とはこういうところをさす言葉だと実感しています。

SONY DSC

2008年8月13日撮影。

DSC08846._鉄道歴史博物館

2005年1月28日撮影。

DSC01832_鉄道歴史博物館

2005年11月15日撮影。

DSC07737_鉄道歴史博物館

2006年9月2日撮影。風景&13両の客車から、東海岸をサハリンからノグリキへ向かう列車と思われますが確証はありません。

ст.Ноглики-пас.перрон_鉄道歴史博物館

2005年3月30日撮影。

撮り鉄の方が見たら撮影に出かけたくなる風景・光景ばかりではないでしょうか?

ではこれらの写真は行けば撮影出来るものでしょうか?ひょっとしたら出来るかもしれませんが、現実的には極めて「困難」ではないかと私は思っています。

まずどこに行けばどんな風景に出会えるかを知るのは、撮り鉄情報が出てこないロシアにあっては相当に難しい作業と言えます。また衛星写真等で見当を付けたとしても、そのポイントに辿り着く道があるのか無いのか?というハードルも待ち受けています。

一方で本数は少ないながら旅客列車の運転時刻はサハリン州鉄道のHPや現地で知ることができますが、DHタイプの重厚な機関車が牽く貨物列車のダイヤは公表されていません。

言わずもがなですが、これらの写真はサハリンの鉄路の全てを知り尽くしている館長さんだから撮影できたものであり、この写真を最初に見た時の感動をこの場に及んで旨く表現できない自分を歯痒く感じています。

2015年10月20日 19時51分

サハリン(樺太)鉄道旅(18)D-51-4牽引の観光列車。

ユジノサハリンスク駅構内で保存されているD-51-4号機。

かつては観光列車としてD51牽引の列車が運転されていました。それに乗る日本からのツアーもあったと聞いていますが、私は残念ながら行く事は出来ませんでした。今日は鉄道歴史博物館のアンドレイ館長撮影の写真で振り返ります。

DSC00123_鉄道歴史博物館

2005年5月5日撮影。ロシアのブロードゲージの客車の台車を1067ミリに履き替えているとのことで客車が一回り大きいのが印象的です。

DSC04711_鉄道歴史博物館

2006年5月6日撮影。ユジノサハリンスク駅。

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同じく2006年5月6日撮影。館長さんに撮影地までお聞きする余裕が私に無かったのが残念です。

DSC03958_鉄道歴史博物館

最後は2004年6月16日撮影の廃車体。アンドレイ館長はこうした悲しい記録もちゃんと撮っておられました。

2015年10月19日 20時48分

サハリン(樺太)鉄道旅(17)館長さんと固い握手。

 

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ところで展示室の入り口には横に描かれたサハリンの鉄道地図があります。

2015_09_02~08 サハリン紀行_301

その地図では日本の稚内と橋で結ばれています。

2015_09_02~08 サハリン紀行_304

またサハリンの西海岸にはロシア本土と結ぶ海底トンネルがあります。

壮大な夢物語といえばそれまででしょうが、その地図がここサハリンの鉄道歴史博物館の入り口に掲げられているという事は、島であるサハリンの「切なる願い」がそこにあり、日本の4つの島が鉄路で繋がっていることとも無縁ではなかろうと思いました。

こうしておよそ3時間弱も博物館に滞在し、楽しい時間を過ごしました。そして最後に館長さんから思いがけない申し出あり。

実は博物館で過ごした最後の30分ほどは館長さん自身が撮影したりスキャンした画像データを見せてもらいながら、サハリンの鉄話で盛り上がっていました。そしてその画像データの一部をコピーしても良いとのお言葉。また「サハリンの鉄道の歴史、サハリンの鉄道の今を紹介する」ことを条件に、私のこのブログでの使用もOKとの言葉を頂きました。もっともその使用方法の責任の重さについてはヒシヒシと感じています。

※明日からその一部を紹介します。「提供:鉄道歴史博物館」の文字が入れてあります。

※帰国時の船内で館長さんと親交のある方と知り合ったのですが、「彼(館長さん)はサハリンの鉄道を本当に愛している」「あなた方(同行者全員)の(サハリンの)鉄道への愛情が本物だと伝わったのでしょう」とされており、今回の旅はやはり同行の方に恵まれたと思った瞬間でした。

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別れ際に館長さんと固い握手。

奇跡の出会いが生んだ正に奇跡のひと時であり、かつ至福のひと時でした。

さてここを確実に見学する方法ですが、事前に館長さんに電話するようになっているようで、入館方法と電話番号は展示室の入り口にロシア語で書いてありました。で、間違いないと思います。ただロシア語で電話と言うハードルをどう越えるかが最大の難関とも言えます。

もっとも運がよければ私達のように展示場で出会えるかも知れないませんが…。

2015年10月18日 20時44分

サハリン(樺太)鉄道旅(16)鉄道歴史博物館の展示室。

本シリーズ(12)でUPしたD51の丁度裏手に当たる位置に鉄道歴史博物館の展示室がありました。

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車両展示場で出会った館長さんが案内してくれたのですが、そうでなければ行きつけなかったかも?そんな場所でありかつ建物であり、しかも展示室はこの2階にあります。

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中には樺太~サハリンの鉄道の歴史を語る写真や鉄道用具が所狭しと並べられており、あらかじめ「樺太」の鉄道の歴史を少しで良いので学んでいくとロシア語の案内の内容が分からなくてもある程度は理解できます。

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用具の類も何となく用途が分かります。

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館内の写真は個別に紹介はしませんがまあ雰囲気ということでご容赦を。

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なおこれらの展示については館長さんからずーっと説明を聞きながら周っており、元鉄道員だから詳しいのではなく、本当に鉄道愛に満ち溢れた方だと感じました。

さて私達はロシア語の説明が分かったのでしょうか?実のところさっぱり。でも歴史の話をしている時に年号は手で数字を示したりして、それと写真等を紐付ければそこは何となく通じるものがあります。またこちらが日本語でこれは何?とか聞くとそれはそれで返事があり、その内容も何となく分かったりして、いやっ正しいかどうかは別にして気持ちが大切だと!言い切ることが日露友好なのです。

以心伝心。

2015年10月17日 20時41分

サハリン(樺太)鉄道旅(15)鉄道歴史博物館/ナローの雄。

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サハリン北部のノグリキ~オハの間に2006年まで全長で233キロのナロー(750ミリゲージ)の鉄道がありました。

※オハ─ノグリキ狭軌鉄道線(Узкоколейная железная дорога Оха—ноглики)をロシア語のHPを検索し、翻訳ソフトで表示された内容を参照しています。

ここに展示されているナローの車両はそこで活躍してもので、ナローゆえのその大きさからかとてもそんな長距離を走っていたとは思えません。

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博物館の車両展示場の入り口にいて私達を出迎えてくれたナローの蒸気機関車と記念写真。

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日本のものでないことはわかりますが、それはさておき私が気になったのは連結器です。

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リンク式といえば確かにその部類に入るのかもしれませんが、真ん中にバッファー(?)があって両サイドで車両を繋ぐタイプは初めて見ました。

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ところで蒸気機関車の後ろにはシールド工法でのトンネル掘削で使われる巨大なコンクリートの壁面。ロシアのブロードサイズのトンネル工事の際に実際に使っていたものを移設したそうです。2つの大きさのギャップが面白かったです。

2015年10月16日 20時19分

サハリン(樺太)鉄道旅(14)鉄道歴史博物館/除雪車。

雪国という場所柄でしょうか除雪車が多数展示されています。

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ロータリー式除雪車。完璧とも言える保存状況。これは日本の国鉄タイプで日本統治時代の生き残りでしょうか?

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一方、ジョルダン車(広幅除雪車)ですが、小樽鉄道博物館にいるジョルダン車より一回りほど大きく感じ、ロシアのブロードゲージ(1520ミリ)用の車両の台車を履き替えて使っていていたのではと思えるほどの迫力あり。(本当にそうかも知れませんが確かめていません)

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いい面構えをしています。

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一方、線路の上の部分はまるでササラ電車風。竹製ならぬ鉄製ブラシが力強い。

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ウイングのアームもまるでボディービルダーの筋肉ムキムキの腕の如し。

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クレーン車も一味違います。この他にも工事、保線用車両がいろいろいて日本の同様の博物館とは趣が異なります。しかも一両ごとに特色があり私は萌えまくり。

時間がいくらあっても足りない~などとこの時点で思っていましたが、まだまだこれは序の口でした。

2015年10月15日 20時17分

サハリン(樺太)鉄道旅(13)鉄道歴史博物館の館長さんとの奇跡の出会い。

ガイドブックにも載っているサハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)。

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午前11時半過ぎですが開いている気配がない。

しょうがないので外から中を撮影していました。

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そうこうしていた11時45分頃、そこに鍵を持った男性と団体の方達が到着。

鍵を開けた男性はロシア語で私達に呼びかけ、何はともあれ手招きされたので、一緒に中に入ることにしました。その男性はあとで分かったのですが実はこの博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長。

ここで出会ったのも奇跡ですが、館長さんとは更なる思いもかけぬ展開が待っていましたがその話はまた後日。

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さて展示物の中から何点か私の気になった車両を紹介。

まずはキハ58495。

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昭和39年の新潟鉄工所の銘板とJR東日本の銘板が眩しい。

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1993年にサハリンに渡り2000年まで活躍したそうですが、電化路線の無いサハリンにあって「架線注意」も残っていて正に往時そのままの姿を残しています。

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矢印の上に『58495』の文字が残っており、この角度からの見た目が一番良く分かったかと思ったのですが、この写真ではパッとは分からないですね。

2015年10月14日 20時14分

サハリン(樺太)鉄道旅(12)駅前の静態保存機、D51-22。

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一夜が明けた駅とホテル。駅は大きくはありませんが、正面が総ガラス張りの洒落たデザインが素敵です。

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以前、ユーラシアホテルのレストランだった場所は24時間営業のハンバーガーショップとなっており、そこで朝食。お手軽なセットメニューで済ませました。

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おっ、駅の前をボンネットバスが駆けていく。懐かしい。とは言っても7月25に奈良交通のバスに乗ったばかりですが、そのバスよりも一回り小さく、乗ってみたい…と思っては見たものの、その後このタイプのバスが街中を走るのを見かけませんでした。

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ユジノサハリンスク駅からほんの数分歩いたところにD51-22が静態保存されています。 かつて日本で走ったD51の同型機で、戦前ではなく戦後、日本から輸出されたものです。

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D51-22の「D」はロシア語のキリル文字ではなくアルファベットなのですが、これがどんな理由で採用されているかは私には分かっていません。

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どこからどう見てもD51。サハリンで活躍した蒸気機関車がこうして綺麗に保存されているのは何よりで、市民の方達の愛情を感じました。

2015年10月13日 20時01分

サハリン(樺太)鉄道旅(11)ユジノサハリンスク駅の転車台。

ここで今回の旅の主な行程を紹介。

【9月2日(水)】

*名古屋⇒稚内移動

【9月3日(木)】

*稚内到着

*稚内⇒コルサコフ…稚泊航路乗船

【9月4日(金)】

*鉄道歴史博物館見学

*ユジノサハリンスク近郊列車に乗車

*ユジノサハリンスク⇒ノグリキ移動(夜行列車)

【9月5日(土)】

*ノグリキ到着

*ノグリキ市内観光

*ナローの廃線跡巡り

*ノグリキ⇒ユジノサハリンスク移動(夜行列車)

【9月6日(日)】

*ユジノサハリンスク到着

*ユジノサハリンスク~コルサコフ間の列車の旅

【9月7日(月)】

*ユジノサハリンスク⇒ホルムスク移動(路線バス)

*サハリン西海岸の列車の旅

*ホルムスク⇒ユジノサハリンスク移動(路線バス)

【9月8日(火)】

*コルサコフ⇒稚内……稚泊航路乗船

*稚内⇒新千歳⇒名古屋移動

ということで平成27年9月4日(金)の朝です。

この日からの夜行列車2連泊という難行苦行(あくまでもこの時点での私の感想です)に備え、いつもの鉄旅なら朝早く動き出すところ、ホテルの部屋でのんびりと過ごしていました。

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朝8:30、定時では8:32着の2列車(ノグリキ発ユジノサハリンスク行き)がホームに滑り込んできました。予定通りであれば私達が6日(日)に乗って戻って来るはずの列車です。夜行列車の到着をホテルの部屋から見るという小さな幸せが心地よい。

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朝の機関区。機関車の排気ガスで揺らぐ風景に活気を感じます。

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入替機が客車を牽くという日常。

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そして私の部屋の正面に転車台発見!ちらっとしか見えなかったのが残念でしたが、それを取り囲むように扇形車庫もあったはずですから全盛期が如何ほどだったか興味があります。

2015年10月12日 20時57分

サハリン(樺太)鉄道旅(10)ユジノサハリンスク駅と晩御飯。

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夜の帳(とばり)が下り、ユジノサハリンスク駅舎内にも灯りが入ります。それにしても明るい!

サハリンではないもののソ連時代の鉄道駅(空港もでしたが)のほの暗さを知る者としてはこれだけでも十分に時代の流れを感じていました。

もっとも明るいのは駅だけではなく街中も同じ。そりゃ名古屋とは比べるべくもありませんが、それはともかくとして日が暮れても子供達は外で遊んでいるし、一人歩きの女性もいたりして治安の良さの洗礼を受けている気がしました。

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こちらは駅ナカの売店。キヨスクよりは大きくコンビニよりは小さいと言った感じで、飲料や食品を中心に様々なものを売っており、水等の飲料やピロシキとかを買ったりしていました。

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カプセルトイの販売機。中に何が入っているかは分かりませんでしたが、今こうして書いていて「買ってみれば良かった」とか思っています。

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サハリン最初の食事はホテルから15分ほど歩いたレストラン。ビールを注文しようとしたらロシア産は置いていないとのこと。ということで日本のビールで乾杯と相成りました。

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ロシアといえばボルシチ。お約束の一品です。サハリン滞在中に何度もボルシチを頂きましたが、それぞれの店で味に特徴があったりして流石ロシアの代表的料理の一つだけあります。

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ところでこの店には英語のメニューがあり、それを見てビーフステーキを頼んだら…、とどのつまり超荒挽きハンバーグ(ステーキ)。

でも一口味わえば確かにビーフのステーキ。肉の食感はがっつりありましたが所変われば品変わるということなのでしょう。お店の名誉のために一言付け加えますが、値段も手頃で味はGOODでした。そうそうっ、ポテトも美味しかった。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!