2015年11月24日 20時11分
鉄橋からノグリキの町を遠望。ロシア正教の教会が見えます。ノグリキからこの鉄道に乗った人はこの風景を見てこの町に別れを告げ、そしてオハからの乗客はノグリキに着いたことを実感したのでしょう。名古屋で言えば新幹線から見える名古屋城ならぬ清須城のような存在でしょうか?
と書きつつ、この鉄道ってどれ位の本数の列車が走り、貨物鉄道とは言っても客車もあったのですからそれって誰が乗っていたのでしょう?木曽森林鉄道の様に地元の方を乗せていたのでしょうか?
トゥイミ川にかかるこの橋ですが、左側にこんな杭が放置されていました。さてここからは同行の白川さんの推理です。
『かつてはこの杭の場所にトゥイミ川橋梁があったのですが、それを老朽化等の理由から架け替えることとなり、その際に将来の改軌(恐らく1067ミリだと思われる)に備えた橋を新設。』
というもの。
確かにこの橋はナローゲージサイズではなく、1067ミリゲージ用なら理解できますし、ひょっとしたらロシアのブロードゲージ(1520ミリ)の車両だって通れそうです。
ということで橋を渡りきり今回の旅の最北端に到達。
時間は15:33でした。
その場で記念撮影。札幌から来た女性に撮って貰いました。それにしてもその方、廃線跡巡りなんてどうだろうかというこちらの心配はどこ吹く風。結構楽しまれていたようですがこんなに歩くとは思っていなかったのでは?
そもそもこの日がノグリキの祭の日でなかったら郷土博物館は開いていた訳で、そうしたらそこでの出会いはあったにしても一緒に廃線跡巡りはしなかったかも知れず、そういう展開になっていればこの記念写真は無かった訳です。この1枚は偶然の積み重ねが生んだ正に奇跡だと私は今も思っています。