2015年12月31日 23時15分

名鉄の電気機関車。

名鉄の電気機関車が好きです。ということで今年はいろいろと動きがあったこの話題で締めくくります。

デキ600-1

デキ600が今年の7月に終焉を迎えました。さてどこでお別れをするかが思案の為所(しどころ)でしたが、私は新名古屋(今回は敢えてこう書きます)という場所を選んでみました。

デキ600-3

大江駅で最後の旅路に向けて4両がパンタを挙げて勢揃い。奥から601~602~603~604と綺麗な並びで名鉄の担当者の細やかな心遣いが嬉しく感じられました。

デキ400

デキ400も昭和の私鉄の電気機関車らしさがプンプンしており好ましい存在です。

EL-2

一方、世代交代で登場したEL120形。ミュージックホーンが付いているので高評価。この撮影時に初めて聞きましたが、「これが名鉄だ!」と主張しているようでした。

最後に名鉄資料館からお借りした3枚のイラスト。それでは良い年をお迎え下さい。

デキ300

デキ400

デキ600

2015年12月30日 20時23分

サハリン(樺太)鉄道旅(70)入港~接岸。

定期的に運航日が決まっているわけではなく、運ぶ貨車があれば出航すると聞いていたこの連絡船。

出会えればラッキーというまるでドクターイエローのような存在。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1108

岸壁に近づいてきました。

沖合にこの船がいることに最初に気付いたのが丁度12:00頃で、これからの私達の予定に全く影響しない時間での入港。本当に私達の今回の旅は運が良い。まして車をチャーターできずに路線バスで来たから出会えたこの瞬間です。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1114

間もなく接岸。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1124

これで接岸。撮影を始めて僅か10分の出来事で、多分このブログを呼んでいる方も「えっ!たった10分」と驚いてもらえると思っています。

DSC07830_鉄道歴史博物館

参考までにこの船に積まれるのはロシアのブロードゲージ1520ミリの貨車。

鉄道歴史博物館提供の写真でその様子が垣間見られますが、以前日本からサハリンへの「鉄道愛好家」向けツアーが何度か実施された際、ここの見学も組み込まれていたそうです。

で、陸揚げされた貨車はここホルムスクで1067ミリの台車に履き替え、サハリン各地に散っていきます。

逆にサハリン各地から戻ってきた貨車は逆の手順で1520ミリの台車に履き替えてロシア本土に戻っていきます。日本では消えてしまった鉄道車両の航送を、日本から一番近くでやっているここロシア。船のダイヤが決まっているのなら乗ってみたいものですね。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1125

海を臨む公園の向こうに船がいる風景。素敵です。

2015年12月29日 20時21分

サハリン(樺太)鉄道旅(69)鉄道連絡線が到着。

さて、ここホルムスク(真岡)から北の町チェーホフ(野田)にこれから乗り鉄するのですが、私達は列車の始発となる「ホルムスク南駅」ではなく「ホルムスク北駅」(Холмск-Северный)から乗ることにしました。

理由は下記のようなこと。

1)帰りのバスの乗車券の購入。

指定席なので一瞬の躊躇はあったものの列車が遅れる事は無かろうと買ったのですが、結果論としてこれは良い判断でした。

2)昼ご飯の買出し

ホルムスクの南駅と北駅の間にバスターミナルがあり、そのエリアが町の中心であっていろいろなお店が並んでいるのですが、鉄道駅の近くには一切お店がありません。(これは断言できます)

そのためスーパーで買出しを終えた私達は、南駅か北駅を目指す必要があり、ということもあって北駅を目指すことにしました。

3)列車に乗るまで時間があった。

ホルムスクに着いたのが10:25。列車が出るのは北駅で13:30。

4)市内の風景を撮影できるポイントを探しながら歩いていた。

などなどです。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1094

移動の途中で見かけた鳩たち。何故かこの屋根だけにぎっしり。不思議。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1096

港の見える公園があり、そこで海を見たら一艘の船がこちらにお尻を向けている。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1095

えっ?ひょっとするとと言う話しになり、しばし様子を見ることに。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1099

すると船尾が大きく口を開け始めた。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1101

中にはタンク車がいる!

間違いない!!これはロシア本土のワニノ(Ванино)とホルムスクを結んでいる鉄道連絡線だ!

2015年12月28日 20時17分

サハリン(樺太)鉄道旅(68)旧真岡駅。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1077

さて旧真岡駅があった場所。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1086

今はホルムスク南駅(Холмск-кЮжный)となっています。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1089

このコンクリートの塊が真岡駅の基礎の痕跡といわれていますが、ほぼ同じ場所にあるのに「ホルムスク」ではなく「ホルムスク南駅」を名乗っているのは何故でしょう?

жд вокзал ст.Маока (Холмск) до 1945г_鉄道歴史博物館

サハリン鉄道歴史博物館からご提供いただいた「真岡駅」。キャプションに「Maoka」とあったので、日本時代の写真と思われます。

真岡埠頭

日本時代の真岡には大きな港があり、当時の写真も「樺太の鉄道旅行案内」に残されています。

真岡節踊

「樺太の鉄道旅行案内」にあった「真岡節踊」の写真。真岡節という歌があり、それに合わせての踊りもあったということでしょうが、往時の真岡の町の発展振りがこの1枚の写真からうかがい知ることが出来ると思います。

2015年12月27日 20時14分

サハリン(樺太)鉄道旅(67)入れ替え風景が絶景!

ホルムスクで今回私達が乗り、撮影した路線名については、ロシアになってからの正式な線名調べきれずとりあえず「樺太庁鉄道西海岸線」と仮にさせて頂きます。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1065

その旧真岡駅があったホルムスク南駅(Холмск-кЮжный)の南側で線路を越える道路橋から撮影。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1070

海際の側線で入れ換え作業をしているのを発見。入替機が貨物を引き出していく。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1072

後ろの有蓋車(日本風に言えばワム?)を切り離し、タンク車(日本風に言えばタキ?)を更に引き上げて行く。それにしてもこの風景の中での作業にすっかり魅せられています。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1078

戻ってきました。時間にして数分の出来事でしたが、その全てが私の中ではスローモーションで動いていました。

2015年12月26日 20時12分

サハリン(樺太)鉄道旅(66)ホルムスク(真岡)に到着。

ホルムスク(真岡)に到着。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1032

出迎えてくれたのは踏切。体が反応してシャッターを押しました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1033

バスターミナルに着いたのは10:25。ユジノサハリンスクから1時間45分の旅でした。まずはホッと一安心。本当はこの日、車をチャーターして、西海岸の鉄路を1日乗り鉄、撮り鉄するつもりだったのですが、その手配を頼んだユジノサハリンスクの旅行社からたまたまこの日は予約が多く、車の手配が出来ないとの回答があり、またホテルでも同様の手配を聞いてみたものの残念!ということになり路線バスの旅になりました。

その結果、撮り鉄は出来なくなりましたが、その代わり乗り鉄を1日楽しむことにしたものです。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1036

バスターミナルから南に向かい、しばし撮影。丁度貨物の入れ替え作業中。

機関車は明らかに「日本」ではないのですが、線路の幅が1067ミリと日本と同じなので、何故か親近感が湧いてきます。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1042

鉄道員が線路を歩く。ただそれだけのことですが、何故か印象に残ります。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1045

私がここを訪れるまでに持っていたサハリンの鉄道のイメージである「列車本数も限られているので大した事は期待できないだろう」はどんどん崩れていきました。

活気がある!と言うのは言いすぎでしょうが、それでも生きている鉄道を身近に感じていました。

2015年12月25日 20時08分

サハリン(樺太)鉄道旅(65)豊真線のループ線。

豊原(ユジノサハリンスク)を出た列車がもう少しで真岡(ホルムスク)という地点。

バスの走る道路からは少し離れた場所でかつての豊真線はループ線を使い高度を稼いでいました。

豊眞線ループ スキャン

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にその写真が載っていました。

DSC04230_鉄道歴史博物館

2008年撮影のループ線。1994年にこの路線のトンネルが崩落し、一時は復旧を目指したこともあったようですが、そもそもロシアの鉄道規格の車両が通れないこともあって結局廃線となりました。しかし時にはホルムスクからループ区間の入り口まではこうした貸切列車が運転されたこともあるとのことで、この写真はその貴重な証となっています。

参考までにこのまま列車が奥に進むとトンネルに入り、ぐるりと坂を上りつつ一周して橋を渡りユジノサハリンスク(豊原)に向かうことになります。

豊眞線瀧ノ澤

この写真は「樺太の鉄道旅行案内」にあった豊原から18.3哩(マイル)、約29.5キロの距離にあった瀧ノ澤駅。豊真線の最高地点で標高1330呎(フィート)=約405メートルの地にありました。

鉄道路線図トリミング

昭和14年の路線図(再掲)で瀧ノ澤駅の場所を見るとそこは「奥鈴谷」の隣の駅。

実はバスに乗っている時に私が感じたこのルートの最高地点は昨日UPした海が見え始めた辺りでした。道路を走っていたからということもありますが、どうやら人間と言うか私の感覚が如何に当てにならないかということを証明してしまいました。

それにしてもこんな凄い山越えに挑む鉄道を明治の人が作ったのには驚嘆させられます。また豊真線の山岳区間はサハリンでも豪雪地帯として知られているそうですから、返す返すもただ単に「先人の努力」という一言で終わらせるわけにはいかないと思っています。

2015年12月24日 16時31分

ドクターイエローを新社屋の塔屋からキャッチ!

何歳になっても嬉しいクリスマスプレゼント。きっとこれが私へのプレゼント。

本日、ドクターイエローが西へ下っていきました。ということで笹島で建設中の新社屋の塔屋に上がり狙ってみました。

11階建ての建屋の屋上でエレベーターを降りて階段を上る事、10分弱。途中で休憩を取りつつはあはあぜいぜい。やっぱり歳ですね。

ドクターイエロー1

今日の撮影の本当の狙いは、この写真で手前に大型クレーンが見て取れますが、これは現在中京テレビ新社屋の北側で建設中の「グローバルゲート」。年が明けると建設が更に進み、名古屋駅側の視界が無くなりそうだというのは何となくお分かりいただけると思いますが、そうなる前に記録としての撮影を続けています。天候の加減とか、風が強いと伊吹おろしが直撃のため塔屋での撮影は危険を伴う可能性があり、なかなかタイミングが合わなかったのですが今日はバッチリでした。

ドクターイエロー2

13;25。ドクターイエローが登場。

ドクターイエロー3

何かいいことがありそう。

ドクターイエロー4

こうして撮影するのもきっと今日が最後ですね。名古屋の街にこれほどの高層ビル群が登場するとは時代が平成になった後でも夢にも思っていませんでした。

ドクターイエロー5

名古屋駅を出発したドクターイエローを撮影していたら名古屋車両所に向かう列車とクロス。

ドクターイエロー6横たわる大蛇の向こうに米粒程度のドクターイエロー。何とか分かるかな?

2015年12月23日 20時05分

サハリン(樺太)鉄道旅(64)豊真線廃線跡、そして海が見えた。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1011

バスは小型の観光バスといった感じ。座席指定というのは成程納得のシートですが少々狭い。1時間に1本程度の本数のある都市間バスであり、2時間ほどかかると聞いていたのでてっきり「大型バス」という思い込みがありました。まあまあそれも旅の醍醐味。サハリンの長距離バスに初挑戦ということでテンション少しUP気味。それにしてもバスも定時で出発。時間通りでことが進むサハリン時間に慣れて来ていました。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1023

バスに乗って約1時間10分。突然目の前に豊真線の廃線跡である鉄橋が出現。これにはビックリ。まだ残っているとは思ってもみませんでした。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1025

周りは高原風景。地図で見るとかつて鉄道のあった場所と、このバスが走る道路はほとんど平行しておらず、山越えのために鉄道が物凄く大回りしているような感じでしたが真相や如何に。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1027

バスに乗って1時間25分の10:05頃。バスが峠を越えたかと思ってから暫くの後、突然海が見えてきました。山の窪んだ所にホルムスクの町もちらと見え、今からそこまで駆け下ります。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1029

あまりの雄大な景観に圧倒されつつ、それが鉄道にとっては並大抵ではない峠越えだったことを感じさせるに十分でした。

2015年12月22日 20時26分

サハリン(樺太)鉄道旅(63)ホルムスク(真岡)への道。

またまた今日からサハリン(樺太)鉄道旅を再開です。よろしければ画面右側の「カテゴリー」~「海外の鉄道」~「一般的な鉄道」をご覧頂ければバックナンバーを確認できます。もっともプユマ号の話しがサンドウィッチされています。

サハリン(樺太)の旅も残すところあと2日になった9月7日月曜日。この日はサハリン西海岸の鉄道の乗り鉄DAY。ということで西海岸の中心都市ホルムスク(Холмск)をまずは目指します。

かつてユジノサハリンスク(豊原)とホルムスク(真岡)との間には日本時代に作られた旧豊真線(南部横断線)がありましたが、今はそれぞれの末端部(ユジノサハリンスク側はこのシリーズの(22)~でUPした路線)を残して廃線となっており、今回はバスで向かいます。

2015_09_02~08 サハリン紀行_989

時間は朝の7時27分。町の象徴ともいえるレーニン像。朝日を浴びてすっくと立っています。

2015_09_02~08 サハリン紀行_993

ユジノサハリンスク駅。駅正面には「ВОКЗАЛ」の文字。因みにバクザールとは「駅」という意味で、何ともストレートなことよ。

もしも市内で道に迷ったら『「バクザール」と聞けばここに戻れるので、この言葉は覚えてください』というのが今回の旅のリーダー・白川さんの教えでした。勿論順守。使う事はありませんでしたが。

その「バグザール」の両隣には時計があり、左側がサハリン時間、右側がモスクワ時間で、この2つの時計の存在こそいま私たちがロシアにいる証となっています。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1004

鉄道駅の前にあるバスターミナル。ここから郊外へのバスが出発します。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1007

7:00-19:00。これがここの窓口の開いている時間のようでした。

DSC_1185

私達が乗るのは8:40発のホルムスク(Холмск/真岡)行き。左側が往路のバス乗車券で右側は復路のバス乗車券。復路はホルムスクのバスターミナルで買いましたが、注目なのは指定席であること。辞書ソフトでは「Место」=「場所」「席」と出てきたので間違いないと思います。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1008

516系統のバスが来ました。えっ?小さい。本当にこのバスで良いの?座席指定だよね???

※真岡の読み方…樺太の真岡は「まおか」と読みます。栃木県に「もおか」市があるので紛らわしいですね。因みにパソコンの変換では「まおか」と打っても「真岡」は出てきません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!