2015年12月25日 20時08分
豊原(ユジノサハリンスク)を出た列車がもう少しで真岡(ホルムスク)という地点。
バスの走る道路からは少し離れた場所でかつての豊真線はループ線を使い高度を稼いでいました。
昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にその写真が載っていました。
2008年撮影のループ線。1994年にこの路線のトンネルが崩落し、一時は復旧を目指したこともあったようですが、そもそもロシアの鉄道規格の車両が通れないこともあって結局廃線となりました。しかし時にはホルムスクからループ区間の入り口まではこうした貸切列車が運転されたこともあるとのことで、この写真はその貴重な証となっています。
参考までにこのまま列車が奥に進むとトンネルに入り、ぐるりと坂を上りつつ一周して橋を渡りユジノサハリンスク(豊原)に向かうことになります。
この写真は「樺太の鉄道旅行案内」にあった豊原から18.3哩(マイル)、約29.5キロの距離にあった瀧ノ澤駅。豊真線の最高地点で標高1330呎(フィート)=約405メートルの地にありました。
昭和14年の路線図(再掲)で瀧ノ澤駅の場所を見るとそこは「奥鈴谷」の隣の駅。
実はバスに乗っている時に私が感じたこのルートの最高地点は昨日UPした海が見え始めた辺りでした。道路を走っていたからということもありますが、どうやら人間と言うか私の感覚が如何に当てにならないかということを証明してしまいました。
それにしてもこんな凄い山越えに挑む鉄道を明治の人が作ったのには驚嘆させられます。また豊真線の山岳区間はサハリンでも豪雪地帯として知られているそうですから、返す返すもただ単に「先人の努力」という一言で終わらせるわけにはいかないと思っています。