2015年12月11日 20時41分

サハリン(樺太)鉄道旅(61)もう一周。

16:00発の列車で最後の撮り鉄。

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森の深さが違う!と言ったら大袈裟かも知れませんが、野趣豊かな公園ではなく、明らかに自然という括り(くくり)の中を走る鉄道です。

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別にここで書かなくても良いのですが、線路の状況は抜群です。コンクリート枕木でしかも枕木の間隔も狭く、まるで本線並みです。機関車の新しさが難点ですが、時間があれば更なる撮影ポイントを探す楽しみはありそうです。

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鉄道歴史博物館提供の一枚。

2011年1月17日の撮影で、その頃にここにやってきたのでしょう。

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子供鉄道を後にして「サハリン州立郷土博物館」へ。

中の撮影が有料の為、私は写真撮影をしませんでしたが展示物は興味深いものが多く、先住民族の暮らしや日本人の足跡なども見ることが出来ます。

時間に余裕があるかたはゆっくりと、また無い方もささっと見ることをお勧めします。

因みにこの建物は日本時代のものです。

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ユジノサハリンスク市内には日本時代の建物は幾つか残っており、こちらもその一つ。樺太守備隊司令官公邸で、この趣(おもむき)は一見の価値ありです。

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終戦70年の垂れ幕。今年が2015年であるのは紛れもない事実であり、大小の差こそあれ町の至る所でこのデザインのポスター類を見ました。

2015年12月10日 20時38分

サハリン(樺太)鉄道旅(60)子供鉄道乗車中。

15:30発に乗車。

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この子供鉄道。運転に関する全ての仕事を子供たち(小学生位の子共達が中心???)で行っていることで知られています。もっとも列車の運転そのものは子供運転士さんが運転室に入っているものの実際には大人の方が運転されています。

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車内の座席は観光用と言うより普通の旅客列車の感じ。一応4人掛けのボックスシートで、随分広い印象を受けますが、大人4人で座るのは困難というより多分無理。ただ日本の762ミリゲージの車両に比べれば広いことは間違いなさそうです。

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この列車の車掌さん。高校生くらいかな?と思ったものの中学生かも知れません。2人は車内ではこの鉄道の説明もしており、右側の女性は流暢な英語での案内を担当していました。その英語での案内ですが、私たちのような明らかな外国人が乗った時だけなのかそれともその時のために毎回やっているかまでは確かめられませんでした。ただサハリンの地元客中心と思われる公園で、こうしたサービスをやっていること自体が私にとっては驚きで、勿論教育的な観点はあるにせよ最近日本でよく聞かれる「インバウンド(外国人観光客誘致)」という掛け声の威勢の良さより、ここの英語案内の方が(ネットでの)口コミ効果が期待できそうな気もしています。

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15:43の定時着。

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2015年12月09日 20時36分

サハリン(樺太)鉄道旅(59)撮り鉄。

15:00発の列車で撮り鉄。

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池越しは定番かな?

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次の撮影ポイントに移動中、こどもの顔にペイントしている女性を発見。男の子のお母さんにも撮影許可を撮ってパチリ。こんな日常の写真を撮るのは好きです。

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遊歩道の片隅を走ってくる列車。

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『旧客』っぽいのが1番後ろに1両繋がれているのでそれ狙い。コルゲートを目立たせたかったのですが、そんな半端な理由では納得の一枚と行くはずもない。が、自転車の子供が列車の通過を待っているのが何だか楽しげなので今日の一枚に加えてみました。

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停車中ではありますが鉄道歴史博物館でも見た連結器。やはり気になる。

2015年12月08日 20時33分

サハリン(樺太)鉄道旅(58)子供鉄道のダイヤ。

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日が照れば結構暑い。アイスクリームを歩きながら食べる。行儀悪し。美味しい。

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子供鉄道に到達。750ミリゲージ。

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この鉄道も子供たちに人気のアトラクション。

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「子供鉄道」という名前に惑わされるなかれ。ちゃんとダイヤもあります。途中の駅で3分停車。2.2キロの距離を13分で走ります。

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機関車も本格スタイルであり、市街地と郊外を結び現役の鉄道といっても通じそうです。

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こちらが路線の地図。一方通行で、森の中を走るというのはよく分かります。

2015年12月07日 20時22分

サハリン(樺太)鉄道旅(57)子供鉄道へGO。

平成27年9月6日(日)の昼下がり。

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町のシンボル。ロシア正教の教会。中にも入りましたが多くの信者が熱心に祈りを捧げていました。私たちはその静けさを破らないようそっとその場を立ち去りました。

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教会の近くで見つけたピクトグラム。禁煙・飲酒禁止・ペット禁止は分かるのですがどう見ても遊泳禁止(らしき)マークは不思議?一体どこで泳ぐ?

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この日の午後のイベントは1つだけ。市街地の東部にあるガガーリン公園にある「子供鉄道」に乗る事。

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さて公園内は日曜日だけあり族連れで賑わっていました。プールの中で小さなボートに乗る遊具。日本にも同様のものはあるのでしょうか?

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子どもが小さかった頃を思い出している私。

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ジェットコースターは、距離こそ短いものの一回にそこを何周もしており、大人気アトラクションでした。こうした施設ですが冬場はどうなっているのでしょうね?

それにしても日本のむくつけき男4人組がこの場に似合わない事甚だしい(はなはだしい)。それは紛れもない事実。

2015年12月06日 20時02分

サハリン(樺太)鉄道旅(56)ユジノサハリンスク到着。

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ユジノサハリンスク郊外にある空港に着陸する飛行機。サハリンに船で来たので忘れていましたが、日本から飛行機でも来ることが出来ます。ただこの飛行機の会社名やどこから来たのかは分かりません。

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D51が見えればそこはユジノサハリンスク駅。もう見慣れた風景です。

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11:34の定時着。すっかりお馴染みになった感のあるこの気動車。このコルサコフへの路線の再開に合わせて使われなくなっていた車両を何両か整備したという話しも聞きました。従来使っていた気動車や以前UPしたディーゼル機関車が牽く客車だけでは追いつかなくなったのでしょうか?

もっとも機関車牽引では終点で機回しが必要となるため、気動車による運行は現実的な選択と言えます。

知れば知るほど更に知りたくなるサハリンの鉄道。日本で得られる情報が少ないのでかえって興味を持ってしまいます。

2015年12月05日 20時00分

サハリン(樺太)鉄道旅(55)シティーモール駅。

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車内で記念写真。いい思い出です。もっともこの写真の前に少しおどけた表情をしていたのですが、白川さんに(大人なのだからと)たしなめられごくごく真っ当な表情をすることにしました。(^-^;)

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それにしてもサハリンの車窓は絶景が続く。ただこのユジノサハリンスク~コルサコフ間は鉄道の方が圧倒的に景色が良いです。サハリン到着時にコルサコフから車でユジノサハリンスクに向かっているのですがその落差には驚くばかりです。

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まるで絵画。今回撮影した写真の中でもお気に入りの一枚です。

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車内で出会った親子連れ。カメラを構えて車内外を撮影している我らにお母さんが子供達の写真を撮って欲しいと話しかけてきました。

男の子は素直に笑顔ですが、女の子は恥ずかしそう。撮影後に液晶画面をお母さんに見せたら喜んでくれてこちらも笑顔。

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その家族が降り立った「Ситти Молл」=City Mall」=「シティーモール」駅には11:22着。乗客の殆どがここで下車。

シティーモールはサハリン初のショッピングモールとのことでその規模は日本の巨大ショッピングモール並みとは実際に行かれた方の感想。どんなお店が入っているのしょうか?夕方この駅からコルサコフ方面に向かう列車の出発時間は18:41。

皆さんきっと楽しい時間を過ごすのでしょう。

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で車内はガラガラに。

2015年12月04日 20時58分

サハリン(樺太)鉄道旅(54)コルサコフ駅。

さて平成の世に戻ります。

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10:27発のユジノサハリンスク行き。このブログで2日離れただけで随分懐かしい感じです。

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それにしても踏切と列車の停車位置が近すぎる。警報機付きだったら大変なことになりそうです。それはさておき踏切の表示が蒸気機関車なのはやはり「鉄道」をイメージしやすいからでしょうか?

また「STOP」はロシア語表記では「СТОП」になるようなのですが、この英語表記の理由は不明です。

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「2КМ ПKЗ」発ユジノサハリンスク行きの車内。

日曜日ダイヤでは1日2往復の運行があるだけなのですが利用者は結構います。

※私達が乗っているのは『始発』です。もう一往復は夕方に設定がありました。

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頑丈そうなコルサコフ駅。

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駅というよりどこかの信号所に停車し、さながら路面からそのまま乗り込んでいるが如くです。

2015年12月03日 20時54分

サハリン(樺太)鉄道旅(53)豊原駅(昭和3年発行「樺太の鉄道旅行案内」から)。

今日は「豊原駅」。今のユジノサハリンスク駅です。

豊原駅正面

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にあった「豊原駅」(現ユジノサハリンスク)。樺太の中心地だけあり、堂々たる雰囲気を持っています。

豊原駅ホーム

その頃の豊原駅プラットホーム。ひょっとすると私達が夜行列車に乗り、そして降りたのはその時代をそのまま伝えているホーム…とか考えるとそれだけでワクワクします。

樺太庁鉄道

樺太庁鉄道旅客列車。8620のナンバーが見えますが、鉄道省8620形ではあるものの所謂8620形のトップナンバーではなく樺太庁鉄道のトップナンバーだそうです。理由は不明とのこと。そして2等車の車内。

樺太庁鉄道事務所

樺太庁鉄道事務所。

名古屋で言えば日本国有鉄道名古屋鉄道管理局の局舎でしょうか?もっともこの写真の撮影時はまだ国鉄になる前ですので表現が難しいですね。

サハリンの由来/アイヌ語由来

さて「樺太の鉄道旅行案内」には『サハリン』の名前の由来が書いてありました。それによりますとこの地の先住民族/アイヌの方達が「サハリン、モジリ」=「平原にして波の起伏するが如き状態の国」と呼んでいたからだそうです。諸説あるサハリンの地名の由来ですが、こうした発見が出来たのはサハリンに出かけたからですね。

Южно-Сахалинск-жд-вокз

最後にロシアになってからの豊原駅/ユジノサハリンスク駅。樺太時代の駅舎はいつまで使われたのでしょう?

2015年12月02日 20時51分

サハリン(樺太)鉄道旅(52)稚泊航路と大泊港駅。

ここで樺太の日本時代の鉄道史を見てみましょう。参考資料は特定非営利活動法人名古屋レール・アーカイブス所蔵のものとサハリン鉄道歴史博物館から提供されたものです。なお内容については私自身が樺太/サハリンの鉄道史を研究しているわけではないので資料類から読み取れたレベルです。その点は予めご承知おきください。

大正11年路線図

大正11年の「ポケット汽車 汽船旅行案内」の路線図。東海岸と西海岸に鉄道が通っていますが東西を結ぶ路線はまだありません。大泊(コルサコフ)は東の鉄道の起点となっています。

樺太路線図

一方、「時間表」昭和14年(1039年)12月号。大泊の下に「大泊港」の名があり、かつ汽船が連絡しているのが分かります。これが鉄道連絡線「稚泊航路」で、私達が今回なぞってきた航路です。

樺太の時刻 トリミング

上部に「稚内桟橋・大泊港間(連絡線)」の欄があり、そこには稚内桟橋を8:50に出て大泊港に午後4:50に着く「1便」が掲載されています。210キロを8時間かけていたことがわかります。今回の“稚泊航路”が稚内発9:00、コルサコフ着が日本時間の14:30で所要時間5時間半の航路ですから現代の船はやはり早いですね。因みに樺太時代の大泊港の桟橋は私達が乗ってきた「アインス宗谷」が到着した桟橋です。

亞庭丸

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」に掲載されていた稚泊航路「亞庭丸」3200トンの写真。なお昭和14年の時間表には3391.43トンとありますがその違いはよく分かりません。この亞庭丸は貨客船で、貨物も積んでいましたが、私たちが「連絡線」でイメージしがちな青函連絡船や宇高連絡線の様な『貨車』の航送はしていませんでした。

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一方、サハリン鉄道歴史博物館から提供された亞庭丸の写真。氷が海に浮かんでいるのが季節を感じさせます。

なおこの亞庭丸は砕氷能力があったということです。

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こちらは大泊港駅。鉄道の線路があり、船から列車にそのまま乗れたことがこれで分かります。なお写っているのはこの航路に就航していた「亞庭丸」「宗谷丸」のどちらかの特定は出来ていません。

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大泊市街軌道。「大泊」駅を中心に走っていたということですが、私にはこれ以上の情報がありません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!