不動産会社が作った鉄道、しかも新交通システムということで昭和52年(1977年)11月2日に開業した山万/ユーカリが丘線。
※この風景で画面を横断している線状の建造物がユーカリが丘線です。
最初に乗ったのは開業から暫く経った昭和58年(1983年)1月23日(昨日UPした半蔵門線の半蔵門駅までを乗った日の翌日)で、京成電車との接続駅であるユーカリが丘から中学校間でした。(今日UPした写真は全てその時のものです)
その後、昭和58年9月22日に全線開業し、残りの中学校~公園間は同年12月18日に乗っています。(この時の写真は発掘できず)
実はこのユーカリが丘線に、一寸した因縁というか思い出がその後に出来るとは乗った頃にも思いもよりませんでした。
今を去ること16年前となる平成12年(2000年)8月26日に日本テレビ系列で放送された『スーパースペシャル2000 ズームイン!!史上初商店街ドミノ対決!!』がそれ。
三重県四日市市の諏訪町商店街(近鉄四日市駅前の商店街)と千葉県佐倉市ユーカリが丘の商店街が対抗でドミノ倒しに挑戦したのですが、その四日市側の責任者が私で、四日市側では広大なアーケード街を中心に縦横無尽にドミノが走ることになりました。一方ユーカリが丘側はこのユーカリが丘線の「走る」車内でドミノ倒しを行うというトンでもない設定。そもそも動く車両の中でドミノを倒していく(恐らく世界初!?)という発想自体が普通はありえません。
で、その放送上はまあいわゆる巨大&長大ドミノ倒しで楽しんでいただけたと自負していますが、問題はその収録時。四日市側、ユーカリが丘側とも準備が進んでいざ収録開始という直前、千葉県佐倉市では突然の落雷と豪雨。そのためそれが収まるのを待つため収録開始時間を大幅に遅らせることになったのです。
小さな子供達も参加していることから、体調管理面もあって早くスタートさせたいと思いつつ開始時間は日がどっぷり暮れた時間となりました。
結局まあ収録はギリギリで始まり大成功となり、そして両現場とも事故も無く終えることが出来ました。
余談ですが、この時のドミノがきっかけになり24時間テレビ「愛は地球を救う」の中京テレビのローカル企画である「ドミノ倒し」が翌年から始まり、その担当プロデューサーを3年間しました。
これが私のユーカリが丘線の思い出です。
(おまけ)
16年前のドミノ倒しの中継では、四日市だけで無人の小型カメラを含め大小50台以上のカメラを使っています。その映像をコントロールしたのが「モンスター」の愛称で親しまれていた当時、日本最大級の中継車。その中継車の中で作業が出来ただけでもいい経験となりました。