2016年01月31日 20時39分

私的昭和の鉄道/関東(12)千葉都市モノレール。

1)昭和63年(1988年)3月28日、スポーツセンター~千城台間開業

2)平成3年(1991年)6月12日、千葉~スポーツセンター間開業

3)平成7年(1995年)8月1日、千葉みなと~千葉間開業

4)平成11年(1999年)3月24日、千葉~県庁前間開業

1988_04_27千葉モノレール

ギリギリ昭和の時代に1次開業した千葉都市モノレール。昭和63年4月27日に乗っています。写真はその日の千城台駅。

1988_04_27千葉モノレール2

こちらはスポーツセンター駅。

1988_04_27千葉モノレール3

スポーツセンター駅外観。

02890007

ここのモノレールは窓から眺める景色が今も印象に残っていて、高いところから街並みを見下ろすのはなかなか気持ちが良いものです。気のせいかも知れませんが景色を楽しむなら跨座式より懸垂式モノレールの方が楽しいと思っています。

2016年01月30日 20時38分

私的昭和の鉄道/関東(11)西武山口線。

昭和60年(1985年)9月28日、西武山口線に乗っています。

1985_09_28山口線

西武遊園地発10:51、西武球場前着10:58。

案内軌条式鉄道として開通したのがこの年の4月25日で、これが初乗車となりました。

1985_09_28山口線2

ただこの線が本当に初乗車かと言えばそんなことはなく、実は学生時代に蒸気機関車牽引時代のこの線に乗っており、この時は案内軌条式鉄道としての初乗車。

蒸気機関車時代は恐らく同級生達と遊びにでも出かけたついでに乗ったのでしょうが写真が発掘できません。どこかで見た記憶があるものの…。

1985_09_28山口線3

どうみても雨降りのこの日。いつでも来れそうでなかなか来られないのがこのエリアの乗り鉄。次の機会に送るという選択肢は私には無かったようです。

2016年01月29日 20時54分

私的昭和の鉄道/関東(10)都営地下鉄新宿線。

1)昭和53年(1978年)12月21日、岩本町~東大島間開業

2)昭和55年(1980年)3月16日、新宿~岩本町間開業

3)昭和58年(1983年)12月23日、東大島~船堀間開業

4)昭和61年(1986年)月14日、船堀~篠崎開業間開業

5)平成元年(1989年)3月19日、篠崎~本八幡間開業

1983_12_30都営新宿線2

昭和58年12月30日の船堀駅。私には珍しく開業直後に乗っています。昭和55年8月23日に一旦、日本全国の国鉄・私鉄(地下鉄・路面電車を含む、ケーブルカーを除く)を完乗した後もタイトル保持に努めていたのですが、昨今とは異なり当時はまだ新規路線の開業が相次いでおり、忙しい日々を送っていました。

1983_12_30都営新宿線

船堀駅のホームには開業記念の飾りもあり「どうせ乗るなら開業のタイミングが楽しい」とか思いつつもそれが実現した路線は少ないのが現実です。まあ休みの都合とかもあったりします。

乗りつぶしノートにはこの区間が単独で書いてあるので出張時の仕事終わりだったような気がしています。もっとも今ならそんな年末に寄り道せずにとっとと家に帰れよ!とかなりそうです。

2016年01月28日 20時14分

私的昭和の鉄道/関東(9)営団地下鉄有楽町線。

1)昭和49年(1974年)10月30日、池袋~銀座一丁目間開業。

2)昭和55年(1980年)3月27日、銀座一丁目~新富町間開業。

3)昭和58年(1983年)6月24日、営団成増(現・地下鉄成増)~池袋間開業。

4)昭和58年(1983年)10月1日、西武有楽町線小竹向原~新桜台間開業

※西武池袋線練馬駅には平成6年(1994年)開業

5)昭和62年(1987年)8月25日、和光市~営団成増(現・地下鉄成増)開業

6)昭和63年(1988年)6月8日、新富町~新木場間開業

以上が営団地下鉄有楽町線の成立ち。

1983_07_01有楽町線

写真は営団成増まで開通したのに伴い乗った時のモノ。昭和58年7月1日の乗車で、ご覧の通り池袋から成増を目指します。

1983_07_01有楽町線2

どうやら営団成増行きに乗るのに1本待ったようです。

1983_07_01有楽町線3

営団成増駅っていつから地下鉄成増に名前が変わったのだったっけ?名古屋の私にはこんなことでもないと東京の事情にどんどん疎くなっていく。そうそう、つい最近池袋駅で副都心線から西武線に乗り換えるのに案内看板を見ながら歩いていてすっかり時間がかかったのを思い出した。

1983_07_01有楽町線4

開業一週間後の営団成増駅には開業記念の看板がまだあった。でも池袋から成増に行くのはやはり東武東上線だよね!と思っていたのは事実。

1983_12_18有楽町線

昭和58年(1983年)の12月18日の西武有楽町線新桜台駅の出入り口。西武池袋線江古田駅も近いのですが、そこに向かう商店街の入り口に新桜台駅があったのに今更ながら気付きました。

1983_12_18有楽町線3

新桜台駅のホーム。まだまだ閑散としています。

2016年01月27日 20時05分

私的昭和の鉄道/関東(8)山万/ユーカリが丘線。

不動産会社が作った鉄道、しかも新交通システムということで昭和52年(1977年)11月2日に開業した山万/ユーカリが丘線。

1983_01_23山万

※この風景で画面を横断している線状の建造物がユーカリが丘線です。

最初に乗ったのは開業から暫く経った昭和58年(1983年)1月23日(昨日UPした半蔵門線の半蔵門駅までを乗った日の翌日)で、京成電車との接続駅であるユーカリが丘から中学校間でした。(今日UPした写真は全てその時のものです)

1983_01_23山万2

その後、昭和58年9月22日に全線開業し、残りの中学校~公園間は同年12月18日に乗っています。(この時の写真は発掘できず)

1983_01_23山万3

実はこのユーカリが丘線に、一寸した因縁というか思い出がその後に出来るとは乗った頃にも思いもよりませんでした。

今を去ること16年前となる平成12年(2000年)8月26日に日本テレビ系列で放送された『スーパースペシャル2000 ズームイン!!史上初商店街ドミノ対決!!』がそれ。

三重県四日市市の諏訪町商店街(近鉄四日市駅前の商店街)と千葉県佐倉市ユーカリが丘の商店街が対抗でドミノ倒しに挑戦したのですが、その四日市側の責任者が私で、四日市側では広大なアーケード街を中心に縦横無尽にドミノが走ることになりました。一方ユーカリが丘側はこのユーカリが丘線の「走る」車内でドミノ倒しを行うというトンでもない設定。そもそも動く車両の中でドミノを倒していく(恐らく世界初!?)という発想自体が普通はありえません。

で、その放送上はまあいわゆる巨大&長大ドミノ倒しで楽しんでいただけたと自負していますが、問題はその収録時。四日市側、ユーカリが丘側とも準備が進んでいざ収録開始という直前、千葉県佐倉市では突然の落雷と豪雨。そのためそれが収まるのを待つため収録開始時間を大幅に遅らせることになったのです。

小さな子供達も参加していることから、体調管理面もあって早くスタートさせたいと思いつつ開始時間は日がどっぷり暮れた時間となりました。

結局まあ収録はギリギリで始まり大成功となり、そして両現場とも事故も無く終えることが出来ました。

余談ですが、この時のドミノがきっかけになり24時間テレビ「愛は地球を救う」の中京テレビのローカル企画である「ドミノ倒し」が翌年から始まり、その担当プロデューサーを3年間しました。

これが私のユーカリが丘線の思い出です。

(おまけ)

16年前のドミノ倒しの中継では、四日市だけで無人の小型カメラを含め大小50台以上のカメラを使っています。その映像をコントロールしたのが「モンスター」の愛称で親しまれていた当時、日本最大級の中継車。その中継車の中で作業が出来ただけでもいい経験となりました。

2016年01月26日 22時52分

私的昭和の鉄道/関東(7)営団地下鉄半蔵門線。

乗りつぶしをしていて一番つまらない部類と言ったらおこられそうですが、それが外の風景が楽しめない地下鉄。

とりあえず開業している路線の初乗りはともかく、地下鉄にはその後の新線開業というハードルが待ち受けています。

しかも全線一気にドーンとかそこまでいかなくても長い距離が開業をいうことではなく、少しずつ路線を延ばしていくこともままあったりします。時にポチポチと開業を重ねる地下鉄に都度乗ることはある種の修行とさえ思えます。だったら乗らなければ良いじゃんとか言われそうですが、そこはそれタイトルホルダーとしてはそうはいきません。

営団地下鉄~東京メトロの半蔵門線もその例に漏れません。

1)昭和53年(1978年)8月1日…渋谷~青山一丁目

2)昭和54年(1979年)9月21日…青山一丁目~永田町

3)昭和57年(1982年)12月9日…永田町~半蔵門

4)平成元年(1989年)1月26日…半蔵門~三越前

5)平成2年(1990年)11月28日…三越前~水天宮前

6)平成15年(2003年)3月19日…水天宮前~押上

最初に半蔵門線の乗車記録を付けたのは昭和55年(1980年)4月13日。そして昭和58年(1983年)1月22日に半蔵門までの延伸区間を乗りました。

1983_01_22半蔵門線

これは19時頃の半蔵門駅の様子。

1983_01_22半蔵門線2

信じ難い閑散振り。

1983_01_22半蔵門線3

決してどこかのローカル線の終点ではなく、大都会東京です。地下鉄はネットワークの中に組み込まれないとその機能を発揮し得ないという典型的な光景となっています。もっとも閑散としていたのは半蔵門辺りだけで渋谷から先で直通する田園都市線が激混みだったのは言うまでもありません。これも私にとっては懐かしい昭和の光景です。

2016年01月26日 20時40分

私的昭和の鉄道/関東(6)こどもの国線と都電。

秩父鉄道~東武熊谷線のお次(昭和55年7月14日)はこども国協会こどもの国線/長津田~こどもの国間を乗車。当時も東急の支線のようでしたというより、そのものだったのですが、今は名実ともに東急こどもの国線となっています。

1980_07_14こどもの国

長津田を8:44に出てこども国に8:49到着。当時は5分の乗車で、今は通勤路線化されて途中駅もあり6~7分の乗車になっていますが、変われば変わるものです。

1980頃の都電

こちらは1980年頃の都電。「頃」としたのには理由があります。単純に撮影日の記録が残っていないからですが、「乗り」に行っていれば当然、記録があるはずなのですが、どうやらそうでは無さそうです。でも東京出張のついでとも思えず「謎」です。

1980頃の都電2

ということでこの時は「乗り」ではなく「撮り」に出かけているようですが、それにしてもしょぼいものしか無く、まあ時代のスケッチということでUPしてみた次第です。。

1980頃の都電3

サンシャインシティを背景に一枚。

1980頃の都電4

場所が全く不明。

1980頃の都電5

これは間違いなく大塚駅。

2016年01月25日 11時38分

私的昭和の鉄道/関東(5)秩父鉄道~東武熊谷線。

秩父鉄道の終点、三峰口駅。昭和55年(1980年)7月13日に到達しています。

西武池袋~西武秩父~秩父鉄道/お花畑~三峰口のルートで12:28着。

1980_07_13秩父鉄道

広い広い構内。

1980_07_13秩父鉄道2

熊谷駅では秩父鉄道と東武熊谷線(地元では妻沼線で通っていたはず…どうなのでしょうか?)がお見合い。

1980_07_13東武・妻沼線

妻沼駅は如何にもローカルの終点駅。

1980_07_13東武・妻沼線2

計画通り東武小泉線と繋がり、もう一方で東松山に繋がっていれば熊谷線はどうなっていた?など夢想、妄想。もっともそうなっていればこの時点でとっくに繋がっているはずで乗りつぶしのルートも変わったはず。

2016年01月24日 20時34分

私的昭和の鉄道/関東(4)総武流山電鉄。

現在の流鉄株式会社。2008年(平成10年)までは総武流山電鉄を名乗っていました。

1980_07_12総武流山鉄道5

この鉄道は常磐線「馬橋駅」と千葉県流山市の中心「流山駅」を結ぶ5.7キロの私鉄で、私が訪れたのは昭和55年(1980年)7月12日でした。

1980_07_12総武流山鉄道

総武流山電鉄の写真は今日UPしている5枚が全て。まずはクハ50形。後ろにモハ100形がいるはずの2連。当時の国鉄常磐線は乗車率200%越えの超混雑路線として知られており、にも関わらず旧式の電車が顔を出すこの駅は、一見別世界という感さえありました。

1980_07_12総武流山鉄道2

流山駅の側線に停車中の「銀河号」。首都圏新都市鉄道株式会社(つくばエクスプレス/TX)開通前は3両編成も走る路線で、乗客も多かったはず。というより朝夕の混雑は、小規模な鉄道としてはなかなかのものだった記憶です。

1980_07_12総武流山鉄道3

「流馬号」も3両編成。今は全編成にそれぞれの愛称がついていますが、全国的に見れば間違いなく少数派。名鉄のパノラマカーの様な一つの形式まるごとの愛称はあるとは思うものの、この鉄道は少数派というよりここだけなのかなあ?

1980_07_12総武流山鉄道4

くどいと言われそうですが、『昭和』な電車から見た『昭和』な点景。一度乗り直しに行こうかな。

2016年01月23日 20時31分

私的昭和の鉄道/関東(3)鹿島鉄道(関東鉄道鉾田線)。

そもそも私的には「関東鉄道鉾田線」だよね!ということでしたが、結局乗りに行けたのは1979年(昭和54年)に鹿島鉄道となった後でした。

1980年(昭和55年)7月12日。石岡を12:52に出る気動車に乗り鉾田着は13:43。

1980_07_12関東鉄道鉾田線

そのまま4分後に出る折り返し列車に乗車しています。

短いながらも1線2面とも言えるホーム配置が今思うと不思議な感じです。

1980_07_12関東鉄道鉾田線2

石岡駅。国鉄との乗換駅。今改めてこの写真を見ると、当時のローカル私鉄の典型的な乗換駅という感じがします。流れる空気がゆったりしていると思うのは私だけではないでしょう。のんびり。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!