2016年01月05日 19時07分

サハリン(樺太)鉄道旅(74)チェーホフ(野田)駅にて。

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チェーホフ駅に14:50、予想通り定時着。

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乗客たちは三々五々散っていきます。駅の中を通り抜けていくのはどうも普通のことのようです。

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青色の駅舎。そう言えばホルムスク北駅の駅舎も同じ色です。

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駅前では駅名の由来ともなっているチェーホフが迎えてくれます。ロシア国内で「サハリン」が知られるようになったのはチェーホフがこの島を旅して書いた「サハリン島」からということで、サハリンでのチェーホフの存在は別格と言っても過言ではありません。でも足を踏み入れていない地にその名が残ったのは何故でしょう?

野田町

昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にあった野田の町。折り返しの列車が15:04発とそれほどの時間がなかったため、街中に出ていないので分かりませんが、日本家屋がロシア風に建て替わった姿を勝手にイメージして今にトレースしていました。

野田駅

「旅行案内」の「主要旅館」によれば近くに温泉旅館も含め3軒の名前が出ていますので野田の地がそこそこの規模だったことが推察されます。それより野田駅の右隣にある登富津「荷客扱所」ってどんな存在だったのでしょう?こちらが気になります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!