2016年01月05日 19時07分
チェーホフ駅に14:50、予想通り定時着。
乗客たちは三々五々散っていきます。駅の中を通り抜けていくのはどうも普通のことのようです。
青色の駅舎。そう言えばホルムスク北駅の駅舎も同じ色です。
駅前では駅名の由来ともなっているチェーホフが迎えてくれます。ロシア国内で「サハリン」が知られるようになったのはチェーホフがこの島を旅して書いた「サハリン島」からということで、サハリンでのチェーホフの存在は別格と言っても過言ではありません。でも足を踏み入れていない地にその名が残ったのは何故でしょう?
昭和3年発行の「樺太の鉄道旅行案内」にあった野田の町。折り返しの列車が15:04発とそれほどの時間がなかったため、街中に出ていないので分かりませんが、日本家屋がロシア風に建て替わった姿を勝手にイメージして今にトレースしていました。
「旅行案内」の「主要旅館」によれば近くに温泉旅館も含め3軒の名前が出ていますので野田の地がそこそこの規模だったことが推察されます。それより野田駅の右隣にある登富津「荷客扱所」ってどんな存在だったのでしょう?こちらが気になります。