2016年01月21日 20時14分
過日、若い鉄ちゃん(20代~30代前半)達と話をしていた時に「昭和の鉄道」の話題になりましたが、当人達曰く「興味がありません」とのこと。考えてみれば自分たちにリアリティーの無い話をされてもどう対応していいか分からないでしょうね。
もっとも3~40年前の自分も興味があったのは「今、走っている蒸気機関車、客車、気動車、電車」であり、創始期から昭和30年代までの鉄道については全くノーマークでした。最近でこそ例えば中京テレビが11月に移転する旧笹島駅の歴史や名古屋市電の歴史を調べたりしていますが、そうしたことをするようになったのはまだここ数年のこと。ということでこの「私的昭和の鉄道」シリーズは私と比較的近い世代か、もしくは上の世代には懐かしさと共に見ていただけそうですが、若い方には今一かもしれません。でもまあお付き合い下さい。恐らく皆さん方が今見ている情景も2~30年後には思い出の情景となり、私と同じように懐かしむ時代が来るでしょう。
さて今日は昭和55年(1980年)7月12日の日立電鉄。「常北」太田を8:26の電車に乗り、鮎川9:08着で完乗しました。
この前日、私は大垣夜行に乗り東京~上野~水戸と普通列車を乗り継ぎ、国鉄「常陸」太田駅には8:09(定刻は8:04)に到着。大垣夜行は東京駅4:40着で上野発の始発に乗り継げることから乗りつぶしの旅では何度もお世話になりました。
常北太田駅での1枚。多分、モハ1000形。
モハ13形は私にとってのThis is 日立電鉄。
駅構内には何だかワクワクする電車が一杯いました。
国鉄との接続駅、大甕(おおみか)駅。
今日立電鉄を紐解きながら「昭和」のノスタルジーに浸っています。