2016年01月26日 22時52分

私的昭和の鉄道/関東(7)営団地下鉄半蔵門線。

乗りつぶしをしていて一番つまらない部類と言ったらおこられそうですが、それが外の風景が楽しめない地下鉄。

とりあえず開業している路線の初乗りはともかく、地下鉄にはその後の新線開業というハードルが待ち受けています。

しかも全線一気にドーンとかそこまでいかなくても長い距離が開業をいうことではなく、少しずつ路線を延ばしていくこともままあったりします。時にポチポチと開業を重ねる地下鉄に都度乗ることはある種の修行とさえ思えます。だったら乗らなければ良いじゃんとか言われそうですが、そこはそれタイトルホルダーとしてはそうはいきません。

営団地下鉄~東京メトロの半蔵門線もその例に漏れません。

1)昭和53年(1978年)8月1日…渋谷~青山一丁目

2)昭和54年(1979年)9月21日…青山一丁目~永田町

3)昭和57年(1982年)12月9日…永田町~半蔵門

4)平成元年(1989年)1月26日…半蔵門~三越前

5)平成2年(1990年)11月28日…三越前~水天宮前

6)平成15年(2003年)3月19日…水天宮前~押上

最初に半蔵門線の乗車記録を付けたのは昭和55年(1980年)4月13日。そして昭和58年(1983年)1月22日に半蔵門までの延伸区間を乗りました。

1983_01_22半蔵門線

これは19時頃の半蔵門駅の様子。

1983_01_22半蔵門線2

信じ難い閑散振り。

1983_01_22半蔵門線3

決してどこかのローカル線の終点ではなく、大都会東京です。地下鉄はネットワークの中に組み込まれないとその機能を発揮し得ないという典型的な光景となっています。もっとも閑散としていたのは半蔵門辺りだけで渋谷から先で直通する田園都市線が激混みだったのは言うまでもありません。これも私にとっては懐かしい昭和の光景です。

2016年01月26日 20時40分

私的昭和の鉄道/関東(6)こどもの国線と都電。

秩父鉄道~東武熊谷線のお次(昭和55年7月14日)はこども国協会こどもの国線/長津田~こどもの国間を乗車。当時も東急の支線のようでしたというより、そのものだったのですが、今は名実ともに東急こどもの国線となっています。

1980_07_14こどもの国

長津田を8:44に出てこども国に8:49到着。当時は5分の乗車で、今は通勤路線化されて途中駅もあり6~7分の乗車になっていますが、変われば変わるものです。

1980頃の都電

こちらは1980年頃の都電。「頃」としたのには理由があります。単純に撮影日の記録が残っていないからですが、「乗り」に行っていれば当然、記録があるはずなのですが、どうやらそうでは無さそうです。でも東京出張のついでとも思えず「謎」です。

1980頃の都電2

ということでこの時は「乗り」ではなく「撮り」に出かけているようですが、それにしてもしょぼいものしか無く、まあ時代のスケッチということでUPしてみた次第です。。

1980頃の都電3

サンシャインシティを背景に一枚。

1980頃の都電4

場所が全く不明。

1980頃の都電5

これは間違いなく大塚駅。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!