2016年01月22日 13時23分

スギテツ大音楽会 ~TOUR 2016・みんなでブラボー!~

2月10日に、スギテツさんのニューアルバム「スギテツブラボー!」(キングレコード)が発売されます。クラシックの名曲に奇想天外なアレンジがされているということでまだ聞いていない私は楽しみにしているのですが、その発売に合わせて聴くだけでなく観て、さらに今回は“共演”もできるステージが全国で開催されます。

スギテツ1

ということで、今日の中京テレビ「クレママ」(10:25~、生放送)にスギテツさんが生出演。3月18日(金)に名古屋市芸術創造センターで行われる『スギテツ大音楽会 ~TOUR 2016・みんなでブラボー!~』の情報をブラボー!に伝えてくれました。今回のコンサートの大きな楽しみとなる“共演曲”は「線路はつづくよどこまでも」。早速スタジオでも篠山輝信(あきのぶ)さん、松岡陽子アナと共演。篠山さんは「楽しい!」と大喜び。皆さん、当日は楽器を持って芸創センターに集合!

イベントHPでは動画と楽譜もUPしています。お楽しみに。

スギテツ2

スギテツ3

松岡アナの出発進行にもブラボー!

2016年01月21日 20時14分

私的昭和の鉄道/関東(2)日立電鉄。

過日、若い鉄ちゃん(20代~30代前半)達と話をしていた時に「昭和の鉄道」の話題になりましたが、当人達曰く「興味がありません」とのこと。考えてみれば自分たちにリアリティーの無い話をされてもどう対応していいか分からないでしょうね。

もっとも3~40年前の自分も興味があったのは「今、走っている蒸気機関車、客車、気動車、電車」であり、創始期から昭和30年代までの鉄道については全くノーマークでした。最近でこそ例えば中京テレビが11月に移転する旧笹島駅の歴史や名古屋市電の歴史を調べたりしていますが、そうしたことをするようになったのはまだここ数年のこと。ということでこの「私的昭和の鉄道」シリーズは私と比較的近い世代か、もしくは上の世代には懐かしさと共に見ていただけそうですが、若い方には今一かもしれません。でもまあお付き合い下さい。恐らく皆さん方が今見ている情景も2~30年後には思い出の情景となり、私と同じように懐かしむ時代が来るでしょう。

さて今日は昭和55年(1980年)7月12日の日立電鉄。「常北」太田を8:26の電車に乗り、鮎川9:08着で完乗しました。

この前日、私は大垣夜行に乗り東京~上野~水戸と普通列車を乗り継ぎ、国鉄「常陸」太田駅には8:09(定刻は8:04)に到着。大垣夜行は東京駅4:40着で上野発の始発に乗り継げることから乗りつぶしの旅では何度もお世話になりました。

1980_07_12日立電鉄

常北太田駅での1枚。多分、モハ1000形。

1980_07_12日立電鉄3

モハ13形は私にとってのThis is 日立電鉄。

1980_07_12日立電鉄4

駅構内には何だかワクワクする電車が一杯いました。

1980_07_12日立電鉄5

国鉄との接続駅、大甕(おおみか)駅。

今日立電鉄を紐解きながら「昭和」のノスタルジーに浸っています。

2016年01月20日 20時10分

私的昭和の鉄道/関東(1)小湊鉄道。

昨年(2015年)4月26日以来の「私的昭和の鉄道」再開です。今回は関東編。

1979年(昭和54年)1月14日から16日までの3日間、房総半島&千葉県の鉄道に乗っていました。

1979_01_14小湊鉄道

まずは小湊鉄道。名古屋を朝出て何故か東京で数時間を過ごし(ただ記憶が蘇らないだけです)、東京駅14:58発の木更津行きに乗車。五井に15:59に到着。この写真は平成28年撮影です!としても通用しそうですね。

1979_01_14小湊鉄道3

上総中野まで走る列車はそれほど多くは無く、16:46発に乗車。

1979_01_14小湊鉄道2

この列車は上総中野に17:57着と定時だったのは良いのですが、昼間の景色の見える列車で移動したいという思いから駅周辺にあった旅館を探したもののよもやの満室。

寸分の余地もないということで泣く泣くそのまま19:03発の国鉄木原線774Dに乗車。何せ真冬なので駅寝などできるはずもなく、まあ根性が無いだけですが、それはともかく真っ暗な大原駅前で取りあえず宿が見つかりそこに転がり込みました。

本当なら朝の風景を楽しみつつ乗りたかったのですが…。

それにしても乗りつぶしをしていた時に、駅前旅館が満室で泊まれなかったのはこれ1回だけだった様な気がします。

2016年01月19日 20時50分

鉄道落語「えすえる」「おじいちゃんのトロッコ」。

DSC_1426『「鉄」の世界 梅團治・しん吉二人会』が正式なタイトル。

チラシの前にあるのは梅團治さんが撮影された今年の鉄道写真カレンダーで、撮り鉄と知られている方だけに渾身の作品が詰まっています。すいません!これは買ったのではなく、公演の最後の抽選会で当てたものです。

DSC_1421会場の天満天神繁昌亭は地下鉄南森町駅から直ぐの場所。南森町はかつて讀賣テレビがあった場所で、取材で2週間ほど過ごしたこともありここの商店街のどこかの居酒屋さんにほぼ毎日通うほどだったと思うものの、30年ぶりに歩いたこの地の記憶は全く無し。トホホ。

DSC_1425

公演終了後に記念写真。しん吉さん、ありがとうございました。

さてこの日の高座は3部構成となっており、前半が「趣味の演芸」と銘打った古典落語。一体何十年ぶりかに聞いたかが思い出せないほどすっかり忘れていた世界にどっぷり浸りました。

後半がこの日のメインとも言える「本気の鉄」と題した新作の鉄道落語。梅團治さんのお題は「えすえる」、そしてしん吉さんのお題は「おじいちゃんのトロッコ」。具体的な内容に触れる訳にいきませんが、会場のお客さんのほぼ全員が鉄系という本来の落語の会ではとてもアゲインストな環境ですが、この日ばかりは「鉄ならでは」の笑い声が会場にこだましていました。

落語の後には「本気のスライドショー&抽選会」。ざっくり例えると梅團治さんは広田尚敬さんに近く、しん吉さんが中井精也さん風といった感じの写真を撮られています。ちゃんと棲み分けが出来ているのが凄い。(何が…)

それはさておきこれぞ撮り鉄写真と言えるスライドの連続に会場では感嘆の声が上がると共にその解説では爆笑に次ぐ爆笑で、ここでもお二人のプロの話芸が炸裂し、確かに“本気”でした。

落語に馴染みの無い方でもこれはお勧めの「鉄」イベントです。私は次回も必ず参戦すると心に誓って帰路につきました。

とここまで書いて少しだけおまけ。

しん吉さんの「おじいちゃんのトロッコ」は三重県紀和町(今の熊野市)にあった石原産業の鉱山トロッコを題材にしたお話。今も観光客が乗れるこのトロッコを取材している我が身としては、笑いの中にも感慨深いものがありました。

ということで最後に現役時代のトロッコ(客車)の写真を。お後がよろしいようで…。

石原産業紀州鉱山モノクロ_9

石原産業紀州鉱山カラー_24

 

 

2016年01月18日 20時22分

鉄道落語。

もう昨年の話となってしまいましたが、12月13日(日)は大阪まで落語を聞きに行っていました。

DSC_141114時発のアーバンライナー。阪堺電車に行くこともなく、新幹線エヴァンゲリオンを狙うでもなく…。ノンビリとこんな時間の電車に乗りました。

この日の目的は「落語」と言っても「鉄道落語」。こんな新作落語のジャンルがあるとは知らなかったのですが、今年の1月31日に「トワイライトエクスプレス」に乗車した際に落語家の桂しん吉さんとご縁を頂き、鉄道落語のお話しをお聞きしてからいつかは聞いてみたいと思っていました。

DSC_1414ということでアーバンライナーの2時間はその予習時間。この本でいうと桂しん吉さんと桂梅團治さんの高座をこの日に聞くことにあるのでまずお二人のコーナーから拝読。

DSC_1415とはいうもののそこはそれやっぱり近鉄電車に乗っているのでやはりいろいろ気になります。例えばアーバンライナーの大阪側の先頭車である6号車の一番前の席は何故1番から始まるのだろうとか?

あーっ、本が読めない。

DSC_1418とかしている内に鶴橋に到着。ただ開演まで時間があったので上本町まで乗車。

DSC_1419その心は鉄道バー「駅」の確認。日曜日は定休日と分かっていたので当然お店は閉まっていたのですが、どうやらこの日は「鉄道落語」の流れで夜遅くから開店するらしかった。

2016年01月17日 20時54分

サハリン(樺太)鉄道旅(86)利尻富士。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1350

2015年9月8日、日本に戻ってきました。

稚内のスタンプはレアでしょうね。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1351

JR稚内駅前のラーメン屋で塩ラーメン。べたですね。午後3時半にして、サハリンからの船で見かけた人たちで満席。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1354

稚内空港では利尻富士が我々を見送り。空港からこんな風景が見られるとは知りませんでした。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1356

稚内発17:35、NH4844便の乗客の方が教えてくれた奇跡のようなショット。飛行機が大きすぎるのが残念。でも良い思いで。

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18:10頃、新千歳空港への着陸寸前、窓側に座っていた人たちがざわついている。燃えるような夕焼け。

通路側に座っていた私は、飛行機から降りて直ぐに撮影。タイミング的には少し遅かったものの、まずは目に焼き付けることが出来ただけでも気分上々。

2015_09_02~08 サハリン紀行_1361

新千歳空港からは19:45発のJAL3118便で一路名古屋へ。21:45には中部国際空港のターンテーブルで荷物の到着待ち。毎度の事ながら招き猫を見るとそれだけで家に戻ってきた気分になります。

大変長い期間、このサハリン(樺太)鉄道旅にお付き合い頂きありがとうございました。

(完)

2016年01月16日 20時49分

サハリン(樺太)鉄道旅(85)さらばサハリン。

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定刻より少し早く9:50過ぎに出航。ダイヤ通りなら稚内港にはサハリン時間の15:30、日本時間の14:30の到着です。

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大泊港駅があった桟橋が遠ざかっていきます。4艘の船の停泊している場所のどこが亞庭丸・宗谷丸の停泊場所だったのでしょう?最後の最後まで浪漫が広がります。

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この日の宗谷海峡も極めて穏やか。

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13時過ぎ、日本の宗谷岬が見え始めました。携帯電話も日本の電波が届くようになります。

ここからは期待を込めて書きますが、来年以降も“稚泊航路”が続くなら、飛行機ではなく「船で行くサハリン鉄道旅」を多くの方に勧めたいと思います。ただインフラが十分ではない面もあるので、完全な個人旅行よりもツアー利用か現地旅行社での手配(一部を含む)の方が良いかもしれません。

今回の私達の旅は、サハリン2回目という白川さんと、現地で勢力的に情報収集できるお二人との4人旅だったことがナイスな結果に繋がったと思っています。今回の私達のルートをトレースしようとしても個人手配では限界があると思われ、ユジノサハリンスクには日本語の通じる旅行社もあるので、そういうところを通すのも手でしょう。それと私の個人的な感想ではありますが、もしももう一度サハリンに来るチャンスがあったとして、その時も1人旅ではなく2~4人旅をすると思います。時間に余裕がたっぷりあるので話し相手が欲しくなるのと簡単に言えば荷物番がいた方が楽です。

2016年01月15日 20時46分

サハリン(樺太)鉄道旅(84)大泊港駅の廃線跡巡り。

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私達の前にいたオートバイ軍団の乗り込み(積み込む?の関係で、バスの乗客は思わぬ手前で下車することになりました。

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雰囲気的に直ぐに船に乗り込まなくても良さそうだったのでカメラを取り出してみました。ここからは予想に反してということになりますが、私達の様子を見ていた港湾係員、税関職員の方達の誰からも声をかけられず、ゆったりとかつての大泊港駅を撮影することになりました。もっともバスを降りた人が全員船に乗り込んだ後は、早く行動するように促されましたが…。

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日本時代には無かったであろう大型クレーンの存在はとても大きなものがありますが、その足元を抜けていく線路は今も確かにあります。

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今はよれよれなのですが、いつ頃までこの線路が現役だったのかがとても気になります。

サハリンの鉄道旅の最後の最後に「廃線跡巡り」という面白い締めくくりを迎えることになりました。

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いよいよ8:45に乗船。

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私たちを乗せてきてくれたバスもユーターンし、私達に続く乗船客を迎えに行きました。因みにこのバス、普段はコルサコフ市内を走る路線バスのようでした。

2016年01月14日 20時42分

サハリン(樺太)鉄道旅(83)出国。

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コルサコフ港のターミナル。1週間ぶりの出会いです。

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8時15分過ぎから出国審査が始まり、何だか名残惜しい。

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バイクマニアの間では、サハリンをオートバイで旅するのが結構な人気だそうです。ということでバイク軍団が先陣を切って船に向かい、その後を、私たちを乗せたバスが付いて行きます。

ゲートの存在はここが如何にも「埠頭」であることを感じさせてくれます。ここから先の写真撮影は無理かな?

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道路の右側に鉄道の線路が寄り添い始め、旧「大泊港駅」の構内に入ります。

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線路の向こう側に停泊中のアインス宗谷。やはりこの船は稚泊航路の再来です。

2016年01月13日 20時24分

サハリン(樺太)鉄道旅(82)コルサコフ駅。

2015年9月8日(火)。いよいよ帰国です。

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アインス宗谷はコルサコフ港10:00出発ですが、出国審査を早めにしたいという考えから、港に8:00到着を目指し朝7時過ぎにタクシーでホテルを出ました。

この日、ユジノサハリンスクの町は霧の中。

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太陽が顔を見せ始めると何だか幻想的な風景に。ふわっとした不思議な感覚に包まれていました。

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サハリン州の鉄道の「コルサコフ駅」。本シリーズ(55)で列車側から撮影した駅の道路側からの撮影です。ここで停まって欲しいとリクエストした時の運転手さんのちょっと驚いた顔は印象的でした。確かにそんな人は通常はいないですよね。

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重厚な佇まいですが、旅客列車は無いに等しい現状で、そのため貨物輸送のための鉄道員がここで働いているのであろうと思っています。

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コルサコフ港まで私たちを運んでくれたタクシー。9月3日にコルサコフ港からユジノサハリンスクのホテルまで走ってくれた運転手さんもそうなのですが、感じがとても良く、手元に残っていたほんの微々たる金額ではありますが小銭をチップとして受け取ってもらいました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!