2016年03月21日 20時30分

仙台市営地下鉄(1)祝!!開業!東西線。

平成28年2月19日。

仙台発17:01⇒八木山動物公園着17:13

八木山動物公園発17:26⇒荒井17:52

こんな感じで仙台市営地下鉄東西線を乗りました。

2016_02_19 仙台地下鉄_1

スタートは仙台駅から。JRから地下鉄への乗換えを案内表示通りに行ったのですが、JR仙台駅のどこからスタートするかによっては東西線のホームまで思いの他時間がかかります。私の場合、往路はしっかりと歩き、帰りはこんなもん?という感じ。

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仙台市営地下鉄東西線は鉄輪式リニア。小柄な車体は結構可愛い。

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車体には「祝開業」のステッカー。私も「祝開業」と心の中で呟いて乗車。

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昨年の12月6日の開業なので、私にとっては開業後、比較的速やかに乗った路線になりますが、ただ当初から「札幌市電」「仙石東北ライン」「地下鉄東西線」はセットで考えていたのでこの時期の乗車となりました。などという個人的な説明はともかく先頭車のかぶりつきは意外と面白いです。

因みにそんなことをするのは私だけかと思いきや、私がかぶりつかなかった時は、代わりに非鉄らしき人が前方を注視していたので、やはり面白いのでしょう。

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地下鉄と言っても地下を走り続ける訳ではありません。

2016_02_19 仙台地下鉄_8

この写真では良く分かりませんが、実は坂を駆け上がって行きます!と書ききっていますが、立っているだけでは今一つ分からないかもしれないものの、こうしてかぶりついていると何となくですが実感できます。またカーブも多く、まるで登山電車の地下鉄版というのが私の乗った感想。地下鉄で「前面展望が面白い!」と思った記憶が無いのでこれは画期的なことかも?

流石、標高136.4メートルと日本一標高の高い地下鉄駅を目指して走っているだけのことはあります。

2016年03月20日 20時41分

東日本大震災から5年!震災遺構。

2013_09_27南三陸町 防災庁舎

今、震災の爪痕をどう残すかが地元では話題に上ります。

2013_09_27南三陸町 防災庁舎2

南三陸町防災対策庁舎は取敢えずこのまま残すことが決まっています。

2013_09_27東日本大震災視察_113

石巻市立大川小学校は保存か解体かがまだ決まっていません。大川小学校については現在も遺族訴訟が続いており、その行方はこれからも注目する必要があります。

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最後に野蒜駅前にあった「東日本大震災被災区域ガイドのご案内」。被災地語り部タクシーと奥松島観光ガイドの2コースが用意されているようなので、時間が許される方は一度話を聞くのも良いと思います。

仙台着16:49。東日本大震災を忘れない!

2016年03月19日 20時39分

東日本大震災から5年!石巻線女川駅(4)石巻あゆみ野駅。

私の乗る女川14:59発の石巻行きが到着しました。

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女川駅の展望フロアからはこうした風景も見られます。

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石巻駅に着いたら2本の貨物の競演。活気とは人のことだけでは無いと感じた一瞬です。

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石巻に15:26に到着し、15:50発の仙石東北ライン仙台行きに乗車。今年の3月26日開業予定の新駅「石巻あゆみ野」。石巻から電車に乗ると蛇田駅を出て、陸前赤井駅との間にあります。

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この駅の周辺は東日本大震災の被災者の集団移転先とのことでそれによる新駅整備と聞いています。これから駅周辺が賑わってくることでしょう。

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仙石線の車窓。沈み行く夕日に静かな今を想う。

2016年03月18日 20時38分

東日本大震災から5年!石巻線女川駅(3)石巻日日新聞。

女川に12:49に到着し、出発は14:59。時間的にあまりゆとりを作っていなかったので今回は駅前周辺+女川温泉ゆぽっぽでノンビリしようと最初から予定をしていました。

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そのゆぽっぽの靴箱の鍵。秋刀魚です。長良川沿いの施設だったら鮎となるのでしょうか?地元の秋刀魚愛を感じます。(ここは敢えてサンマを漢字で書いています)

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施設に入ったところにあった手書きの「石巻日日新聞」。このブログでその記事の内容は書きませんが、メディアに携わるものの矜持(きょうじ)を確実に汲み取ることが出来ます。読者(住民)の方たちに活字での新聞が届けられない中、どんな形であれ住民に情報を届けようとする姿勢と、一方で被災者の方たちがこれをどんな気持ちで読んだかを推し量りながら私はこの新聞を読みました。女川に行くチャンスがあれば、是非ゆぽっぽで温泉に入り、そしてこの新聞を読んで欲しいと思っています。

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女川駅に停車中の13:20発小牛田行き。私が乗ってきた列車の折り返しです。駅の周りは復興途上。

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駅を出て少し行ったところ。

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ここ女川トンネルの入り口まで津波の影響があったとは信じられないことですが、海際からここまで歩くと多少の標高があっても津波が思った以上に陸地を駆け上がって行ったことが良く分かります。

2016年03月17日 20時34分

東日本大震災から5年!石巻線女川駅(2)「新」女川駅。

本日(3月17日)、天皇・皇后両陛下が女川町をご訪問され、町民の方たちと触れ合われるご様子をニュースで見ました。後述のシーパルピアを歩かれるお姿には本当に感動し、これをきっかけに女川に多くの人が訪れ、復興が更に進むことを願って止みません。

さて平成25年の9月28日。

浦宿駅から代行バスに乗り女川の町に到着。1時間半ほどの滞在時間の中で、かつては街並みがあった場所を歩きました。

2013_09_28女川3 2015 03 21復旧

女川町地域医療センターから港方面の俯瞰。

2013_09_28女川2 2015 03 21復旧

少し内陸側に目を移すとそこには震災遺構として保存することになった「女川交番」。(⇒の場所にあります)

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_97

この2月19日に撮影した「女川交番」。その隠れ具合から盛土されたこのエリアを感じることが出来ます。

2013_09_28女川4 2015 03 21復旧

平成25年に戻って「新」女川駅のある辺り。今は復興工事が進んでおり、町の様子が変わっています。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_80

さて「新」女川駅に戻ります。駅前は整備が進んでおり、3月26日(土)には「女川町復興祭」が開催されるというとこで、当日は多くの人たちで賑わうことでしょう。また多くの人に是非、足を運んで欲しいという思いもあります。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_107

駅舎3階の展望フロアから見た女川の街。プロムナード(遊歩道)が整備され、今見えているのはテナント型の商業施設「シーパルピア女川」(昨年の12月23日にオープン)。様々な店があり、観光バスが到着すると人が行き交って良い感じ。

幟(のぼり)には「START! ONAGAW」「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」と書かれており、復興への町の意気込みを感じさせます。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_101

女川名物「さんまパン」。さんまの香りはあまりないものの噛んでいると口の中で少しだけ海が広がります。賞味期限が意外と長く、家に持ち帰るつもりで買ったものの、東京に到着する前に私のお腹に納まってしまいました。

2016年03月16日 20時33分

東日本大震災から5年!石巻線女川駅(1)女川駅に到着。

石巻発12:23の女川行きに乗車。

2013_09_28浦宿駅 2013 03 16復旧

女川駅まで石巻線が全線復旧したのは平成27年(2015年)3月21日。それまでの間の終点、浦宿駅。この写真はその当時の平成25年(2013年)9月28日撮影です。

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こちらが今回の平成28年(2016年)2月19日の浦宿駅。ホームの先からが復旧区間です。

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終点間近の女川トンネル。この出口付近まで津波の影響がありました。

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旧女川駅から200メートルほど手前(内陸側)の嵩上げされた場所に作られた新しい女川駅。女川温泉ゆぽっぽも併設された温泉駅でもあります。

2016年03月15日 20時31分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(5)石巻駅。

人口およそ16万人、仙台市に次ぐ宮城県第2の都市である石巻市。

人口は名古屋で言えば名東区や千種区とほぼ同じと言ってもかえって分かりづらいかもしれませんね。ただ宮城県内の立ち位置で言えば岡崎とか豊橋ということかな?などと一人合点。

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11:47、石巻駅到着。

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宮城県出身で石巻市とも縁のある漫画家石ノ森章太郎氏の世界が広がる石巻駅。

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駅舎を見てもそこかしこにオブジェがあります。

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駅の玄関上も注目!

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石巻駅でのもう一つの注目ポイントは貨物列車。日本製紙石巻工場で生産された紙製品を運ぶコンテナ列車が設定されています。

私が着いた時も1本停車中でした。

2016年03月14日 20時22分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(4)鳴瀬川橋梁。

野蒜駅で待つこと暫し。

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11:21発の上り快速仙台行きが先に到着。

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それから下りの11:21発石巻行きが入線です。

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野蒜を出て新線区間を走ります。かつての仙石線はちょうどこの写真の辺りを通っていたと思われます。

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鳴瀬川橋梁が見えてきました。この成瀬川は、津波で建物ごと流されたご夫妻が、川を逆流する津波に7キロも流されつつ九死に一生を得た場所で、その時JRのこの橋にもぶつかったとのことで、そのお話しをご本人の口から聞きつつ津波の力の強さを感じていました。

2013_09_28石巻線・仙石線・常磐線_190

もっとも今は穏やかな風景の中に、2001年土木学会デザイン賞を受賞したフィンバック形式(この形をそう言うそうです)の美しい橋がそこにあるだけです。

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昨年5月まで石巻との間でキハ110形が役目を果たしていた陸前小野。

2013_09_28陸前小野 2012年3月17日復旧

平成25年9月28日時点では、復旧工事は進められていたものの、まだまだ先の見えない状況が続いていました。

2016年03月13日 20時19分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(3)野蒜駅。

陸前大塚~鳴瀬川橋梁(陸前小野の手前にある)の間は高台に移設されています。

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この写真は陸前大塚を出て少し走った先の地点。

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以前は眼下の風景の中に仙石線はあったはずです。

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野蒜で下車。ここで後続の11:21発の石巻行きに乗りかえています。その目的は高台移転で駅前の整備をしているとのことでしたのでそれを見る為。

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ホームから駅舎に向かう階段から見た野蒜の街方面。かつての状況を知らない私が軽々に語るのは憚られますのでここは実景写真ということで。

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現在の野蒜駅。駅前では復興工事が行われています。

2013_09_28旧野蒜駅

かつての野蒜駅(平成25年撮影)。当時は現東松島市の施設「奥松島観光情報センター」と併設されており、今は1階にコンビニが入っているそうです。

2016年03月12日 19時16分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(2)高城町駅。

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信号で一時停止して仙石線に入ります。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_17

ここからは旧宮城電気鉄道が作った路線で電気は東北本線の交流から直流に変わりますが、ハイブリッド気動車は何事も無くそのまま進みます。ただ電化された路線を繋ぐ線路上に架線が無いのは不思議な感じ。

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仙石線に入り高城町を目指します。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_21

高城町駅は東日本大震災の被災後、平成23年の5月28日にあおば通と繋がりました。そしてこの先、陸前小野まで開通したのは去年の5月30日でそれほど以前の話しではありません。

2013_09_28高城町 2011年5月28日復旧

平成25年9月28日の高城町駅。

この頃の代行バスは松島海岸~矢本間で運転されていましたが、石巻から仙石線に乗った私は矢本ではなく、列車の仮終点であった陸前小野で乗り換え、また松島海岸まで行かずに手前の高城町で電車に乗り換えています。その時、右側に停車中である電車の先端の真下まで草が生え、所謂終点の駅でもそこまでも荒れることは無かろうと思いつつ、それを刈るよりもまずは不通区間を減らすことに注力するのは当然の帰結と感じていました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!