2016年03月11日 20時36分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(1)HB-E210系気動車。

平成23年(2011年)3月11日金曜日。正に5年前の今日、東日本大震災が発生しました。その被害についてであったり復興についてはなかなか語りつくせるものではありませんが、5年という節目に辺り私としては3度目となる被災地訪問をしました。

最初は平成25年(2013年)9月に東松島市~南三陸町~石巻市~女川町~常磐線を訪ね、2度目は平成26年(2014年)5月末に久慈市~宮古市~釜石市~大船渡市と廻りました。平成25年の時はメディアの一員として地元新聞社の協力の下、実際に被害に会われた方達の生の声を聞く機会もあり、東日本大震災を「忘れない」、そして私が見聞きした経験をどう役立てていくかを考えていくことは、個人の趣味のブログとはいえ会社の公式サイトで書いている者としての役割と思っています。今回行けたのは時間の関係で仙石東北ライン~石巻線だけではありますが暫しお付き合い下さい。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_1

平成28年(2016年)2月19日。昨年の5月30日に開通した仙石東北ラインからスタートです。震災の復興事業として東北本線と仙石線を短絡線で結び、仙台と石巻方面の速達化で注目されたこの線ですが、写真のハイブリッド気動車が誕生時に比べ格段の進歩を遂げたことがこの線の実現に大きな後押しとなったと聞いています。

*仙台駅発10:14

*野蒜着10:53

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_23

電車に乗って直ぐに目に飛び込んできた「津波警報が発表された場合のお願い」「津波警報発表時に車外に出る場合」。思わず目を凝らして読んでしまいました。今は日本語だけですが、将来的には英語等の他言語での表記もあると良いですね。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_8

10:40頃上りの仙石東北ラインの快速5526Dとすれ違い。

今から6年前の平成22年(2010年)12月6日に「HB-E300系」の『リゾートしらかみ2号』、昨年の6月14日に同じく『リゾートビューふるさと』に乗っているのでハイブリッド気動車に乗る“感覚”は掴んでいつもりでしたが、交流~直流区間という異なる方式の電化区間を直通するのにこの気動車を使うということは、発想の展開という意味で良い選択肢が増えたと感じました。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_10

塩釜駅を出て直ぐに分岐があるのかと思いきや結構走って松島駅まであと一歩という地点で仙石線に入ります。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_12

実にゆっくりと転線。

2016_02_19 仙石東北ライン・女川_13

直ぐに仙石線が近づいてきました。たったこれだけというのは簡単ですが、大きな意味のある新線区間です。

2016年03月10日 20時32分

惜別!夜行急行「はまなす」(10)あおおり倉石牛VS海鮮御三家対決弁当。

新青森駅7:43発「はやぶさ120号」が入線。

2016_02_18~19 はまなす_143

あと少しで北海道新幹線開業ということで、その後もこの駅の賑わいが続くことを祈るばかり。私がいた朝7時代は盛岡からの始発の到着前の時間なので、純粋に青森から仙台・東京方面へのお客さんしかいないのですが、この時間以降の昼間帯は影響を受けるでしょうね。

2016_02_18~19 はまなす_175

「はやぶさ」のエンブレムはやはりカッコいい。

2016_02_18~19 はまなす_176

朝食はあおもり倉石牛VS海鮮御三家対決弁当。1250円と少々値段は張りますが、そこはそれささやかですが「はまなす」完乗祝い。

2016_02_18~19 はまなす_177

牛肉、うに、かに、いくらと朝から豪快だ!

2016_02_18~19 はまなす_179

好天に恵まれたこの日、1号車6番E席から窓外を見ていたら鼻の長いE5系を象徴するような影が防護壁に映っていました。で、1枚。シャッタースピードの関係で影よりも壁が凄いことになっていました。

2016年03月09日 20時30分

惜別!夜行急行「はまなす」(9)485系のラスト乗車。

青森からは仙台に移動。

2016_02_18~19 はまなす_169

ひょっとしたら人生最後の青森駅。

2016_02_18~19 はまなす_170

7時15分発の新青森行きは485系!!!

新青森から折り返し「白鳥93号」となる列車で得した気分というか485系も姿を消すのですね。

カメラを向けていたのは私ともう1人だけ。「はまなす」に乗ってきた乗客は新青森発6:49に乗るべく6:28発の新青森行きに乗り換えた人が結構いたのは覚えていますが、青森駅からの回送を見送った人も少なからずいました。皆さんどこに行ったのでしょう?青森駅界隈でゆったりして在来線としての青函トンネルの名残乗車でしょうか?それなら485系「白鳥」に乗車ということで合点がいきます。

2016_02_18~19 はまなす_171

新青森駅では7:43発の「はやぶさ120号」まで20分強の時間があったので構内を一巡り。青森らしい演出が出迎えてくれます。

2016_02_18~19 はまなす_172

「青森ねぶた祭」は一度は本物のお祭りを見てみたいものだと思いつつ未だ実現しておらず、こうした展示を見ていると興味をそそられます。

2016_02_18~19 はまなす_173

棟方志功もやはり青森の象徴ですね。「鉄」と「鉄」の間の旅気分。

2016年03月08日 20時28分

惜別!夜行急行「はまなす」(8)青森駅到着。

昭和が去っていく。

2016_02_18~19 はまなす_110

終着青森駅構内。

昭和48年(1973年)9月6日、上野駅から青森まで乗った急行「津軽1号」の最後尾のデッキで去り行く風景を見ながら感慨に耽っていたことを思い出しつつ、私の夜行急行「はまなす」の旅が終わろうとしていました。

2016_02_18~19 はまなす_111

青森駅到着後の回送用のDE10 1761もスタンバイしています。ところでこの写真を撮ろうとした時、この場所にいた人たちが私に気付いてカメラを入れる場所を作ってくれました。完全にふさがっていた場所に空間が出来たときの感動は語り尽くせません。乗り合わせた皆さんに多謝。

2016_02_18~19 はまなす_118

3番線に到着して直ぐにDE10を連結。

2016_02_18~19 はまなす_132

まだ暫く停車しているようだったので撮影位置を移動。

2016_02_18~19 はまなす_142

6時39分に回送「はまなす」は出発。私にとっての昭和の夜行列車とのお別れです。短い時間でしたがいい旅でした。

2016_02_18~19 はまなす_130

で、終わらない。階段で見つけた「増21号車」の注意書き。確かにこれが無いと乗れない人もいるのかな?最後に思い出が「増し」ました。

2016年03月07日 20時27分

惜別!夜行急行「はまなす」(7)函館駅を間もなく出発。

夜中の函館駅で動き回っていますが、これは全て出遅れた分を取り戻すため。

2016_02_18~19 はまなす_104

午前3時33分頃。既に静まり返った函館駅。こうして撮影していて、まだ出発までには時間があると分かっていても何か落ち着かない。

2016_02_18~19 はまなす_105

よくよく見るとホームの柱の影に数人いるのですがそれはさておき私の夜行列車の『心象風景』。

2016_02_18~19 はまなす_107

自分の座席から見た函館駅の駅名標。

さて私の夜行列車体験ですが、直角シートに座って3連泊とかは学生時代にしていましたが、社会人になって回数は激減し、特に国私鉄全線完乗後はそもそも夜行列車に乗ることが無くなりました。更にいえば国内の夜行列車の寝台で横になったのは生まれてから昨年の「北斗星」までの間に学生時代の「からまつ」、社会人になってから「さくら」の計2回だけ。

別に理由があったり夜行列車を嫌っていたわけでもないのですが、数少ない経験から言っても「トワイライトエクスプレス」だけはどうして無くなると決まるまで「乗る」ということを考えなかったのだろうと今も思っています。惜別。夜行客車列車。

2016年03月06日 20時25分

惜別!夜行急行「はまなす」(6)ゼロキロポスト。

函館駅の外観を撮影するにあたり色々バラエティーに飛んだ撮り方があるなあと思い、そこから選ぶのも難しかったので取敢えず羅列。

2016_02_18~19 はまなす_88

オブジェ。

2016_02_18~19 はまなす_90

少し離れてオブジェ込み。

2016_02_18~19 はまなす_92

北海道新幹線開業まであと36日。札幌駅のコンコースのモニュメントの日数から1日減っている。

2016_02_18~19 はまなす_99

函館駅の巨大ゼロキロポスト。

2016_02_18~19 はまなす_101

一歩近づいてみました。さて駅の雰囲気はどちらが伝わるのでしょうか?

2016年03月05日 20時23分

惜別!夜行急行「はまなす」(5)のびのびカーペット。

7号車(自由席)は札幌出発時には結構乗っていた覚えがありますが函館ではガラガラ。

2016_02_18~19 はまなす_64

皆さん下車して撮影に飛び回っているということではなく、それは網棚の荷物等で判断したのですが、東室蘭辺りまでで下車された方が多かったのではと推察しています。

2016_02_18~19 はまなす_69

4号車ののびのびカーペット車を見ているとナンだか犬かネコといった動物の顔みたいに見えました。

2016_02_18~19 はまなす_77

2:52に到着して3:56の出発。到着から20分ほどするとホームに降りて立った人たちもベッドに戻り、減光されていない通路の灯りを除き『夜行列車』の雰囲気を取り戻していました。

2016_02_18~19 はまなす_71

「増21号車」などという表示は「はまなす」以降も生き残るのでしょうか?と思わず感傷に耽る。

2016年03月04日 20時20分

惜別!夜行急行「はまなす」(4)函館駅到着。

鉄ちゃんには知られている「桑園駅」と「苗穂駅」近くにあるスーパー銭湯。私がどちらに行ったかはともかく札幌市電撮影後に早々に入り、のんびりお風呂に入った後はそこで晩御飯。それでもまだ時間があったので広間でゴロンと横になって鋭気を養っていました。

そうそうそのお客さんたちの中には“お仲間”と見られる方たちもおられ、皆同じことを考えるものだと自分の事を棚上げして勝手に思っていました。

2016_02_18~19 はまなす_40

気力十分で札幌駅を旅立ったはずがいつの間にか爆睡。気付いた時は函館駅停車中で既にDD51の姿は無し。

 

2016_02_18~19 はまなす_57ED79 13も既に連結されていてまったくもって何てこったい。もっとも14系客車のエンジン音が無かったらそのまま青森までスルーだったかも。

2016_02_18~19 はまなす_45

一応お約束の1枚。

2016_02_18~19 はまなす_61

ED79のヘッドマークを車内から。これもお約束のショットですね。

2016年03月03日 20時16分

惜別!夜行急行「はまなす」(3)JR印のゆかた。

2016_02_18~19 はまなす_32

4番線ホームでは、DD51の前で記念撮影する人たちがなかなか途切れず、その隙間を縫っての一枚。本当は私も誰かに記念写真を撮って貰おうかと思ったのですが、人が多かったので時間がかかるであろうことは潔くギブアップ。

2016_02_18~19 はまなす_24

最後部の7号車のヘッドマーク。

2016_02_18~19 はまなす_35

1号車の連結部から見たDD51のヘッドマーク。客車の行灯が写り込んでいます。

2016_02_18~19 はまなす_34

ここが私の今日の宿。

2016_02_18~19 はまなす_113

ゆかたの記念撮影。実は「北斗星」「トワイライトエクスプレス」に続いてこの「はまなす」でも袖を通していません。まあ記念写真用に一度着ても良かったかなと思っても後の祭り。

もっとも私だけではなく「はまなす」では着替えていた人は見かけなかったような…。

2016年03月02日 20時13分

惜別!夜行急行「はまなす」(2)札幌駅4番線入線。

「はまなす」の入線を最初は4番線で撮影しようかと思っていたのですが、駅員さんから21:38入線と聞いたので、それならばと5番線で待つことにしました。

2016_02_18~19 はまなす_7

ゆっくりと定時に入線。4番線ホームも賑わっていますが、5番線にも多分、2~30人はいたはず。

2016_02_18~19 はまなす_9

到着!

2016_02_18~19 はまなす_11

なんだかこれを撮影しただけで結構満足している自分、

2016_02_18~19 はまなす_19

北斗星色のDD511148。前にも書いたことがありますが、昭和の時代にはよもやDD51がこれほど注目を浴びる時代が来ようとは思ってもみませんでした。もっともそんな私も今では国鉄色のDD51に心惹かれ、北斗星色に現(うつつ)を抜かしている訳で、人のことを言える筋合いではありません。

2016_02_18~19 はまなす_20

「SLLEPING CAR HAMANASU」のエンブレム。終焉を控えて少し色あせているように見受けましたが、それでも私には十分な輝きを持っているように見えました。

2016_02_18~19 はまなす_22

スハネフ14 552が今夜のお供。停車中はディーゼルエンジンの音が響く14系を体験できるのもこれが最後と思わばその“轟音”も子守唄の如くです。とあたかも14系に何度も乗っているように聞こえますが、寝台車・座席車とも多分今回が『お初』のはずです。トホホ。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2016年3月
« 2月   4月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!