2016年10月17日 20時34分

中京テレビ本社移転!さようなら、Bスタジオ。

一寸鉄道から離れます。

中京テレビの本社は来月(11月)21日、名古屋駅地区ささしまライブ24に移転します。今の昭和区高峯町の地で過ごす時間もあと僅か。現本社で一番大きいスタジオ/Bスタジオで制作する番組は既に笹島の新社屋で制作されており、Bスタジオは今はこんな感じになっています。何も無い。

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僕らはここで生きてきた。

DSC_0098もう使わない壁面(ホリゾント)にはスタッフが描いたチュウキョ~くんがいるだけではなく、スタッフや出演者が思い出を書いています。

DSC_0107恩田アナウンサーのデビューは1990年4月25日放送の「ルックルックこんにちは」のアシスタント。入社して直ぐで、テレビ初登場が全国ネットの生放送でした。いつもの「ルックルックこんにちは」なら日本テレビの女性アナウンサーの担当なのですが、名古屋に来られないということで、だったら「うちの新人アナウンサーでどうですか?」と日本テレビのプロデューサーに提案をしたら一発OK。偶然の産物でした。

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その時の台本。私は中京テレビのプロデューサーでした。

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こちらはサブ(サブコントロールルーム・副調整室)。この真ん中がディレクターの座る席で、複数台のカメラの映像の切替を始め、映像・音声・照明に関する全てのコントロールを行うところです。

喜びも悲しみも幾歳月。その映画ほどのことは無かったものの、私にとってはこちらも思い出が一杯です。新人ディレクターの頃は本番前から心臓バクバクで、VTR収録であれ生放送であれ、いつも本番はあっと言う間の出来事でした。

1981.07.02 6時のNews D写真こちらはBスタジオではなくAスタジオ(Aサブ)での本番中。1981年(昭和56年)7月2日の日付けがあるので「6時のNEWS」という夕方ワイドニュースの本番中の写真と思われますが、この写真は数年前に技術スタッフの方から貰ったもので、そもそも写された記憶がありませんでした。参考までに私の左側の方が技術の責任者で、カメラの切替を行うスイッチャー。右側の女性はタイムキーパーで時間の管理を行う担当です。更にこの右側に音声さん(出演者やVTR、音楽等の音関係の担当)の居場所です。

このAスタジオもお別れです。

 

 

 

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!