2016年10月21日 20時40分

仏生山温泉。(ぶっしょうざんおんせん)

仏生山に出掛けたのは、車庫見学が目的ではありません。

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駅から徒歩10分弱のところにある仏生山温泉。6月11日~12日の北海道の旅で同行だった「温泉通」さんから、高松に行くのなら日帰り温泉「仏生山温泉」があるよと聞き、その言葉に従ったのです。夕方とあってか地元のお客さんで一杯。流行っていました。夏場だからでしょうか源泉そのままというぬるめのお湯。これがまたよし。

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今回の高松の宿。久しぶりの畳。こうした和室の良い点は荷物を広げられることと部屋が明るいこと。寛げます。日本人だねえ。

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でも時代は今や電気なくして旅は出来ない時代。ということでこんな延長コードあり。ありがたいサービスでした。

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夕食は宿の近くの居酒屋さんで日替わり定食。私のような1人で旅する者にとってはビールを一杯飲んで丁度良い感じ。但し、地元色はありません。私のようにそれほど郷土料理に拘らない人もいるでしょうからきっと需要はあると思います。

これも旅の思い出。

2016年10月20日 20時36分

高松琴平電気鉄道(通称ことでん)に乗る。

少し間が開いてしまいましたが、9月10日~11日の旅の続き。

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高松琴平電気鉄道(通称ことでん)にプチ乗り鉄。宿にチェックインして一休みした後、車庫のある仏生山まで出掛けました。乗ったのは高松築港を18:30発の琴電琴平行き/元京急車。学生時代には時々乗っていた懐かしい電車。

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仏生山駅に留置されている120。確か動態保存車です。

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駅のホームの椅子。昭和っぽい。座布団に温かみを感じます。

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夜の車庫。

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19:41発の高松築港行きで宿に戻ります。

2016年10月19日 20時31分

笹島駅の遺構。

中京テレビの移転先である旧笹島駅。

貨物駅の跡地利用ということで、名古屋駅の貨物駅から独立して正式に「笹島駅」として開業した頃の図面。

名古屋駅010東海道本線と関西本線に挟まれた場所にその威容を誇りました。(図面所蔵:高橋敬子氏)

笹島駅の遺構3

その名残りとも言える線路が今も愛知大学と新幹線の高架との間にひりと残っています。

笹島駅の遺構5この線路は上の図面には記載が無く、一方、Google マップの航空写真ではこの先に転車台らしきものの跡があるのが確認できます。恐らくは貨車をホームからホームに転線させるために使っていたと思われますが、これも廃線跡巡りの妙味と言えそうです。

笹島駅の遺構2こちらは東海道本線・中央本線の高架下にある通路。笹島駅の開業当時、自動車ではなくまだまだ荷馬車が主役だった時代の名残りとのこと。

笹島駅の遺構1

この美しいうろこ状の遺構の存在を知る人は少ないものの、これを見た人は一様に驚きを隠しませんでした。勿論私もその1人です。

1986年(昭和61年)に廃止された笹島駅。11月中旬からこの地に毎日通うようになるので、何かまた発見できたらこのブログで報告したいと思っています。

2016年10月18日 20時56分

中京テレビ本社移転!フィルムカメラ。

DSC_0099本社移転もあって、以前使っていたフィルムカメラもお出ましです。

主にニュースの取材用に使っていたもので、これらのカメラでは16ミリのフィルムで100フィート(約30メートル)の長さのポジフィルムを使っており、ASA100のものが主で、時々比較的暗い現場に出る時はASA400のフィルムを使っていました。

1秒24コマで撮影できる時間は3分弱。この2つの機種では音が入らず、隔世の感ありですね。

DSC_0103

キャノンスクーピック。扱いやすいカメラで事件・事故の現場等で、機動性を重視して三脚を使わない時はほぼこのカメラを持ち出しました。私が左目を開けているのは、現場で周りの様子を見るために、時々は左目を開けて確認していたことを再現しているものです。

sÿ

 

こちらはベルハウエルDR。ズームレンズではなく3本のレンズをくるくる廻して使うタイプ。しかもぜんまい駆動でバッテリー不要です。

また1眼レフではないため、レンズに書いてある1mとかそういう距離を感覚的に合わせて撮影しており、使い始めた頃は何度か「ピンボケ」で使い物にならない映像を撮影していました。(恥)

※正確に言うと、レンズを通してピントを合わせる機能は付いているのですが、それを使うには結構な時間がかかり、現場ではそれをしている余裕もなく、使い方は知っているが殆ど使うことに無い機能で、三脚を使いきっちりした絵を撮る時限定でした。

さて左目でファインダーを覗いていますが、これがDRの流儀。おでこにカメラ本体をつけ、安定させて手ブレを防ぐための手段です。

この2種類のカメラは確か昭和50年代まででその役目を終えており、今回は久しぶりにその感覚を味わいました。

2016年10月17日 20時34分

中京テレビ本社移転!さようなら、Bスタジオ。

一寸鉄道から離れます。

中京テレビの本社は来月(11月)21日、名古屋駅地区ささしまライブ24に移転します。今の昭和区高峯町の地で過ごす時間もあと僅か。現本社で一番大きいスタジオ/Bスタジオで制作する番組は既に笹島の新社屋で制作されており、Bスタジオは今はこんな感じになっています。何も無い。

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僕らはここで生きてきた。

DSC_0098もう使わない壁面(ホリゾント)にはスタッフが描いたチュウキョ~くんがいるだけではなく、スタッフや出演者が思い出を書いています。

DSC_0107恩田アナウンサーのデビューは1990年4月25日放送の「ルックルックこんにちは」のアシスタント。入社して直ぐで、テレビ初登場が全国ネットの生放送でした。いつもの「ルックルックこんにちは」なら日本テレビの女性アナウンサーの担当なのですが、名古屋に来られないということで、だったら「うちの新人アナウンサーでどうですか?」と日本テレビのプロデューサーに提案をしたら一発OK。偶然の産物でした。

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その時の台本。私は中京テレビのプロデューサーでした。

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こちらはサブ(サブコントロールルーム・副調整室)。この真ん中がディレクターの座る席で、複数台のカメラの映像の切替を始め、映像・音声・照明に関する全てのコントロールを行うところです。

喜びも悲しみも幾歳月。その映画ほどのことは無かったものの、私にとってはこちらも思い出が一杯です。新人ディレクターの頃は本番前から心臓バクバクで、VTR収録であれ生放送であれ、いつも本番はあっと言う間の出来事でした。

1981.07.02 6時のNews D写真こちらはBスタジオではなくAスタジオ(Aサブ)での本番中。1981年(昭和56年)7月2日の日付けがあるので「6時のNEWS」という夕方ワイドニュースの本番中の写真と思われますが、この写真は数年前に技術スタッフの方から貰ったもので、そもそも写された記憶がありませんでした。参考までに私の左側の方が技術の責任者で、カメラの切替を行うスイッチャー。右側の女性はタイムキーパーで時間の管理を行う担当です。更にこの右側に音声さん(出演者やVTR、音楽等の音関係の担当)の居場所です。

このAスタジオもお別れです。

 

 

 

 

2016年10月16日 15時54分

アンパンマントロッコ(9)記念乗車証。

2016_09_10 アンパンマントロッコ号_73

17:19の高松駅到着後はしばしホームにてJR四国を楽しむ。頭端式のホームにずらりと列車が並ぶ様はやはり四国の代表駅です。

アンパンマントロッコ

さてアンパンマントロッコの記念乗車証。売店・記念さつえいベンチはともかくベビーカーおきばのある列車は相当にインパクトあり。子連れに優しい列車です。

アンパンマン3

指定券の検札印もアンパンマン。

こうして9月10日の充実した1日が終わりました。

2016年10月15日 15時52分

アンパンマントロッコ(8)とことんアンパンマン。

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この連なるおむすび山のある風景を見ると讃岐・香川に来た気がします。

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高松駅の2駅手前の「鬼無」駅のオブジェ。何でここにあるかを調べていませんが、何かの伝説があるのかも?

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高松駅到着!

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乗客が全員降りるのを見計らってキロの車内を撮影。考えようですが、たったの2両編成でしかも定員はこの1両分の48席のみ。実に贅沢な列車です。終わってみれば楽しい時間を過ごすことができました。

2016_09_11 瀬戸大橋塔頂体験&〕クルーズ_283

アンパンマントロッコの〆は高松駅の自動販売機。とことんアンパンマン。

2016年10月14日 20時49分

アンパンマントロッコ(7)鴨川駅。

今日は「鉄道の日」ですが、私的には何のイベントも無く、通常運行です。

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鴨川駅は16;39着の16:57発。乗降するお客さんが多いわけではないので、運転停車という取り扱いをせずにドアを開けるというお客さんへのサービスの一環というのが私の感想。

まずは特急「いしづち22号」に道を譲ります。

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快速「サンポート」も通過。

そして113系の観音寺行きがやって来た。アンパンマントロッコの乗客は誰もカメラを向けていない。そりゃそうだね。納得。

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この駅の停車時間が最後のノンビリ撮影タイム。

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申し訳ありませんがこの日のこの時まで「コキンちゃん」の顔は知っていても名前は知りませんでした。それにしてもアンパンマンのキャラクターって本当に多いんですね。しかもそれぞれに個性があり、だからこそこれだけ多くのストーリーが生まれ、時代を超えて長く愛され続けてきた訳で、この日、アンパンマントロッコに乗ったおかげでその理由が少しですが分かった気がしました。

ところで中京テレビでもアンパンマンミュージアムを運営していることから、知人の1人から「アンパンマントロッコはホームでしょう」との突っ込みがあったのも事実で、終点が近づくに連れて乗車時のアウェー感は確かに減っていました。

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最後にトロッコ車両の足元の高さにある小窓を外から除いてみました。そこにもアンパンマンの素敵な世界感が広がっています。

2016年10月13日 20時47分

アンパンマントロッコ(6)坂出駅の発車案内。

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瀬戸大橋ともお別れし、讃岐路をひた走ります。

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イベントは終わったのでゆっくり車内を見回すと、非常用ハシゴの置き場所のベースもアンパンマン。期待を裏切らない徹底ぶりです。

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坂出16:33着。ふと発車案内を見上げればそこにもアンパンマン。そうか!ここはJR四国の駅。

JR西日本の駅では権利の関係で使えないのでしょうね、きっと。

そしてこの坂出でトロッコは締め切り。ここから先は中には入れません。

2016年10月12日 20時42分

アンパンマントロッコ(5)いざ!高松へ。

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16:25頃、高速道路と離れ、頭の上がスッキリしました。

2016_09_10 アンパンマントロッコ号_45

今回、改めて知ったこと。松山・高知方面へ向かう線路が直線で、列車本数の多い高松方面への線路が分岐されているということ。

ではこれを動画で確認します。音はやはり絞って下さい。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!