2016年12月31日 15時23分

ミャンマー鉄道旅(3)LCCのビジネスクラス。

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初エアアジア。まずはエコノミークラス。

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そしてビジネスクラス。今回エアアジアを予約した理由にこのビジネスクラスがあります。

旅の目的地に到着するまでも「旅」というのは誰しも思うところでしょうが、私も同じ。

で、どうせならと考えたのがLCCのビジネスクラスを体験すること。興味津々でバンコク/ドンムアン空港行きに乗り込みました。因みにバンコク乗り継ぎでヤンゴンまでの運賃は約6万円強。(バンコクからは通常のエコノミークラス。短距離便のためビジネスクラスの設定なし)

さてエアアジアの特徴としてビジネスクラスのシートがフラットになることがあります。ただ水平ではなく恐らく175度くらいでしょうか?座り心地はいわゆるキャリアのフラットシートと同じで極めて快適です。

大きな違いはアメニティーグッズ、エンターテインメントがなく、なおかつCAさんの呼び出しボタンもシートにはないこと。もっともその分、シート周りはすっきりしています。

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手元灯があるので構わないのですが、CAさんの呼び出しボタンと読書用ライトは、天井のボタンを操作します。

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機内食はエコノミークラスで販売するものと同じものが1食無料(予約時に選択)で配られます。

私は腰に持病があるため、個人的には以前から「席だけビジネス」があればありがたいと思い続けていたのですが、やっと時代が追いついてくれました。(←違)

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快適にバンコク/ドンムアン空港に到着し、ヤンゴン行きの搭乗待合でやって来て成程の事態。

まずはUSBの充電コーナー。

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そしてACの充電コーナー。

さすがに差しっ放しでスマホ等を放置する人はいないようでしたが、これほどの充実ぶりを国内で見かけたことがありません。

観光立国「タイ」の面目躍如。

ということでミャンマーシリーズは始まったばかりですが、本年もこのブログにお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

2016年12月30日 15時17分

ミャンマー鉄道旅(2)エアアジアに搭乗。

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11月24日(木)の関東は朝から雪模様。少々心配はしていたものの鉄道は定時運行。前夜、京成成田駅前のホテル泊だった私は6:51発普通成田空港に乗車。

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電車も無事到着し何より。

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成田空港で今回同行のトラベルライター白川淳さんと合流。そうそうっ、昨年樺太(サハリン)に一緒に行った方です。

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その白川さんに見送られ私は一足先に「バンコク/ドンムアン」空港に向かいます。

えっ?同じ便じゃないの?そうなのです。

(今回の旅の裏、いや表テーマ)

『ヤンゴンで鉄呑みしましょう』

(つまり)

今回のミャンマーへの鉄旅は2人だけではなく、入れ代わり立ち代わり何人かの方々と出会って別れるというスタイル。

全員一緒の行程で動くのではなく、参加メンバーの出発日・帰国日も各人各様で、現地での動きも必ずしも同じではないという個人旅行で、まあ夜だけ集合して「一杯やろうや」という何ともある意味、贅沢な旅です。

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私が選んだのは成田発9:15のエアアジアJX601便。因みに白川さんは10:00発のスクート。

バンコク/ドンムアン空港からの乗り継ぎは、私はバンコクまでと同じエアアジアのFD253便でヤンゴンに向かいますが、白川さんはタイに一度入国し、空港近辺でタイ国鉄の撮影をし、それから私と同じエアアジアではあるものの遅い便に搭乗です。

参考までに白川さんの「成田」~「バンコク」~「ヤンゴン」の運賃は1万5千円を切っているそうです。

2016年12月29日 13時53分

ミャンマー鉄道旅(1)成田へ移動。

平成28年(2016年)11月23日(水)から30日(水)まで(日本の)昭和の鉄道を懐かしむべくミャンマーに行ってきました。

最近は月刊鉄道誌でもミャンマー国鉄の記事を見かけることが珍しくなくなり、地元のJR東海からキハ11形、キハ40系がミャンマーに輸出された際は中京テレビのニュースを始め地元メディアを賑わせたのは記憶に新しいところです。

2016_11_23 名古屋~成田_1

ということで私としては地元から旅立ったキハ11形、40系を求めてまずは中部国際空港へ。

ミューチケットを買うと「旅立ちの時が来た」と、毎度実感します。

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今は変わっているかもしれませんが、11月23日のスカイタウンへの階段はエアアジアになっていました。

就航が待ち遠しいですね。2016_11_23 名古屋~成田_4

またエプロン(駐機場)にはエアアジア機の姿も。LCC時代到来ということで、中部国際空港を発着する便も増えてきましたが、選択肢が増えるのは良いですね。私は、目的地と運行時間に鑑みてキャリアやLCCを使い分けています。と言い切れるほどLCCは使っていませんが、まあ使えるときは使っています。

2016_11_23 名古屋~成田_5

この日はセントレア名物「ドリームリフター」の姿もあり、何だか幸先が良い。

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「く」の字に曲がったその姿はまるで模型の様で、これでよく飛んでいるものだというのが率直な感想。

2016_11_23 名古屋~成田_13

さてどこに飛んだかと言えば「成田空港」。平行滑走路ということで、同時進入。巨大空港では日常風景なのでしょうが、私はこうして並んで飛んでいる姿をあまり見たことがありません。

今回、この日は成田で1泊し、翌24日(木)、タイ/バンコク経由ミャンマー/ヤンゴンに向かいます。

さてその心は?

(答え)朝1番の新幹線に乗っても搭乗予定の便に乗ることが出来ないから。

(参考)この日搭乗したANA340便、名古屋(中部)発東京(成田)行きの運賃は7,150円。

2016年12月28日 10時43分

東海交通事業城北線開業25周年(4)記念乗車券とサイン入り記念写真。

タオル1

城北線開業時のノベルティ。

「育てよう空を走る市民の足 城北線」のタオル。

タオル2

地元の何としてでもこの鉄道を支えるという意気込みの象徴です。

マグネット

マグネットクリップもありました。こちらはNPO法人名古屋レール・アーカイブスの事務所のボードで使っています。

記念乗車券

そして今回の25周年の記念乗車券。「スギテツ×城北線スペシャルトレイン」参加の特典です。

城北線サイン入り記念写真

最後に25周年の思い出となったスギテツさんのサイン入り記念写真。

参加者の方たちに公開の了承を取っていないのでボカシを入れましたが、カメラマンの了解は取っています。

※カメラマンは自費出版写真集「僕はパノラマカー」の古池直之さん。「僕はパノラマカー」は自費出版にして本屋さんに段積みされたことでも話題になりました。

ということでこの写真もこうした形の開業25周年のお祝いの仕方に嬉しくなりUPすることにしました。

2016年12月27日 20時40分

東海交通事業城北線開業25周年(3)降車証明書。

列車内のコンサート。

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限定50名の贅沢な集い。エンジン音がアウェーな環境ですが、ゆったり走ればそれもコンサートの味付けというか気にならない。

スギテツさんのコンサートはいつも楽しい。ということもありますが、今回は「どうやって音出しをするのだろう?」とか。いつもとは少し違う視点でも楽しませていただきました。

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枇杷島駅に16:50の定時到着。

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いつもなら駅名標を撮影することはないのでしょうが、この日は25周年記念の特別な列車に乗車したのでここはやはり1枚撮影。

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この降車証明書は、「スギテツ×城北線スペシャルトレイン」の乗客が勝川に戻らず、ここ枇杷島駅でJR東海道本線に乗り換えるなどする方のためのモノ。

自動改札機に吸い込まれる前に撮影。枇杷島駅で撮影しているところは誰にも見られず、何故かホッとしている。

ところでこんな降車証明書があるのは知りませんでした。やはり出掛けてみるものですね。

2016年12月26日 20時30分

東海交通事業城北線開業25周年(2)「スギテツ×城北線スペシャルトレイン」。

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夕闇迫る勝川駅。車庫を臨む。これまで意識して見たことはありませんでしたというか、そもそも城北線に乗るのは3回目で23年ぶり。

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16:06着の列車が到着。

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ヘッドマークが付いている。折り返し16:13なのですがそれには乗車せず。

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16:11に車庫を出た1台の車両。

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16:13発が出発すると直ぐに入線。

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城北線25周年記念イベントの一つ「スギテツ×城北線スペシャルトレイン」です。

列車はこの日、勝川発16:20と枇杷島発17:00の2本限定。定期列車が16~17分で走るところを30分かけてのんびり走る音楽の旅のスタートです。

2016年12月25日 17時22分

東海交通事業城北線開業25周年(1)12月4日に祝賀乗車。

平成3年(1991年)12月1日、東海交通事業城北線/勝川~尾張星の宮間がまずは開業。

1993_09_28東海交通事業1

私は翌年(平成4年)6月13日に最初の開業区間に乗り、平成5年9月28日、その年の3月18日に開業した尾張星の宮~枇杷島間を乗車しました。

※写真は平成5年9月28日。

1993_09_28東海交通事業4

その時は枇杷島から小田井まで乗車し、その後名鉄に乗り換えました。

思えば城北線が開業してもう25年も経つんですね。もっとも「もう」と思う一方で、「まだ25年しか経っていない」という感想を持っています。

2016_12_05 城北線25周年_1

ということで12月4日(日)に記念乗車をしてまいりました。

その城北線に乗るべく到着したJR勝川駅の案内。南口と北口、一体どちらに行けば良いのだろうと思いつつ北口を出る。

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短い距離だけどJRの駅とは歩き連絡。高架化されたJR勝川駅は城北線の乗り入れができる構造になっており、この城北線勝川駅が移転する日が来てほしい。

2016年12月24日 15時32分

簡易軌道バス見学会(10)《浜中・別海編》まとめ。

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平成28年11月6日(日)。

国鉄奥行臼駅舎のある位置から少し手前に来た右側のところに別海村営軌道の自走客車の乗降場があったはずですが、さすがに何も残っていないこともあって、それを思い描くことは出来ません。

さようなら、道東の簡易軌道。

さてここからは現実との戦い。翌7日(月)は通常勤務で朝の出勤時間に間に合わせるべく移動開始です。

今回のルートは

1)釧路空港発20:10のJAL544便で羽田へ移動。

2)品川駅近くのホテルで1泊。

3)明けて7日の早朝の新幹線で帰名。

バス見学会の釧路市博物館への戻りがあと30分早ければ、釧路空港19:05発のADO74便に搭乗出来、それに間に合えば新幹線で名古屋まで戻れるのですがそれはやはりリスクが大きく断念。

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で、釧路空港に着いたらADO74便は2時間半遅れ。原因は新千歳空港の雪害で、要は機材の遣り繰りによるものですが、この時点で新千歳空港の様子をネットで調べたら、欠航便を出ている状況でした。

まあ結局、日曜日中には名古屋に戻れなかったということです。

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今回の渡道から既に1か月半が経ちました。

こうしてブログの原稿を書きつつ北のナローに改めて思いを馳せています。

最後に今回お世話になった方たちのお名前です。

*釧路市博物館学芸員 石川孝織氏

*釧路製作所 奥山道紀氏

(バス見学会での解説・案内役)

*簡易軌道の研究者/清水一史氏

*簡易軌道の現役時代を撮影していた西村光氏

*浜中町営軌道OB/青田豊氏、井上崎男氏

*別海村営軌道OB/沢田正氏

*浜中町教育委員会の皆さん

*別海町教育委員会の皆さん

*釧路臨港鉄道の会の皆さん

(余談)

釧路に行くと毎回、釧路臨港鉄道の会の方やそのお仲間の方たちと懇親しています。(今回で4回目)

顔馴染みになった方もいれば、今回お初の方や、スケジュールが合わず残念ながらお会いできなかった方もいます。

鉄道だけの旅より人との触れ合いが嬉しい旅。歳のせいかそうした温かみを求めて釧路に出かけているのかもしれません。

2016年12月23日 15時29分

簡易軌道バス見学会(9)《別海編》国鉄標津線奥行臼駅。

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最後の見学地、国鉄標津線奥行臼駅。標津線は平成元年(1989年)の廃止ですが、それにしてもそこまでよく生き延びていたという感想を私は持っています。

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駅舎は今も残されていて外から中を眺めれば往時を偲ぶことが出来ます。懐かしい板張りの腰掛は昭和の時代は寝床代わり。そうっ、駅ネとかステーションホテルとかいう言葉が現実だった時代はすでに遠い昔です。

もっとも私は奥行臼の様な中間駅で寝たことはありません。

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行き交う列車はなくともこの駅は今もそのまま。

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恐らくキハ22形が通った道。DMH17のエンジン音、そして蒸気機関車の汽笛が今にも聞こえてきそうな錯覚を覚えました。

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それにしてもこれほどまでにそのままこの駅が残されているとは知りませんでした。

よくぞ残してくれているというのが実感。

2016年12月22日 20時27分

簡易軌道バス見学会(8)《別海編》奥行臼の自走客車。

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自走客車。

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釧路製作所製。釧路製作所はその名の通り釧路にある主に橋梁のメーカーで、本社には雄別鉄道で使われていた蒸気機関車(8722号)が保存されていることでも知られています。(私も見学したことがあります)

先に書きました釧路市博物館で配布されているペーパークラフトも釧路製作所が作ったもので、本物の走る自走客車から紙の自走客車まで作る日本で唯一のメーカーです。(笑)

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昭和46年(1971年)に廃止となった別海村営軌道ですが、自走客車の車内は思っていた以上に当時の姿を留めていました。

※今回はドアを開けて頂き中を見学していますが、別海町の担当者の方が立ち会わないと中を見ることは出来ないようです。

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貨車。往時のミルク輸送の一端を垣間見ることが出来ます。

釧路市博物館の「釧路・根室の簡易軌道」展にあったジオラマが、自走客車そしてこの貨車を見たこと、そして1日廃線跡巡りで見てきた情景と重なっていく瞬間でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!