2017年05月22日 20時56分
※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。
明治20年発行の名古屋明細全図。
そのエリアを現在のグーグルマップで当てはめるとこんな感じ。今の名古屋市と比べるべくもありません。
明治19年5月1日に「名護屋駅」(明治20年に「名古屋」に改称)が開業しているので、地図には「ステーション」があります。
よく見れば広小路通りが開通しており、他の道路に比べて格段の広さで東西を走っているのが見て取れます。
矢印で「愛知県庁」とした場所が今の栄に当たります。
熱田神宮の近くには蒸気機関車が牽く列車も描かれていますが、その南にあるはずの「熱田駅」がありません。
そこからはるか南の地、今の新堀川の南に当時の「熱田駅」はありました。図の右下に「蒸気船」の絵があるのが分かりますでしょうか?当時、名古屋の水運の玄関口は熱田にあり、その熱田港から近いところに鉄道との荷物の積み替え拠点としての駅を設置することは必然だったようです。