2017年05月22日 20時56分

1887年(明治20年)6月15日発行 名古屋明細全図/川瀬善一

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

明治20年発行の名古屋明細全図。

そのエリアを現在のグーグルマップで当てはめるとこんな感じ。今の名古屋市と比べるべくもありません。

明治19年5月1日に「名護屋駅」(明治20年に「名古屋」に改称)が開業しているので、地図には「ステーション」があります。

よく見れば広小路通りが開通しており、他の道路に比べて格段の広さで東西を走っているのが見て取れます。

矢印で「愛知県庁」とした場所が今の栄に当たります。

熱田神宮の近くには蒸気機関車が牽く列車も描かれていますが、その南にあるはずの「熱田駅」がありません。

そこからはるか南の地、今の新堀川の南に当時の「熱田駅」はありました。図の右下に「蒸気船」の絵があるのが分かりますでしょうか?当時、名古屋の水運の玄関口は熱田にあり、その熱田港から近いところに鉄道との荷物の積み替え拠点としての駅を設置することは必然だったようです。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!