2017年05月23日 20時00分

1894年(明治27年)2月9日発行 尋常小学 愛知県地理歴史/沢辺慶作

明治27年発行の「愛知県地理歴史」は小学校の社会科の教科書といったところでしょう。

そこにある「名古屋は熱田の北にあり…」がまさしく当時の“日本国内”における名古屋の地位を如実に物語っています。

「市街縦横に通じ、家並み正しく、商工業頗る(すこぶる)盛(さかん)にして…」とあるのですが、碁盤の目の「名古屋の街並み」は当時から知られていたようです。余談ですが、名古屋の人は道を聞かれると、「そこの交差点を北に…」といったように東西南北で教えたりしますが、これは全国的には珍しい部類です。(東京では「右」「左」です)

大きな2重丸の名古屋と直下の小さな2重丸の「アツタ」を見れば「なるほど、ふむふむ」と相成ります。

個人的には「天パク川」に馴染みがありますが、驚きなのは「アツタ湾」の名前。当時はまだ「名古屋港」が無かったとはいえ、こんな時代があったのですね。

最後に尾張全体の地図。こちらも興味津々。明治から現代までのあまりの変化に驚くばかりです。

    

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    プロフィール

    稲見部長稲見眞一
    <自己紹介>
    昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!