2017年06月10日 10時33分

四国まんなか千年ものがたり(2)アンパンマン列車に乗車。

去年の9月10日~11日にも岡山~香川を旅し、アンパンマントロッコに乗って「アンパンマン」は堪能したはずなのですが、今回乗車の「南風3号」もアンパンマン。

旅程作りの段階で、「四国まんなか千年ものがたり」に乗るだけなら「南風3号」でなく、後続の列車でも間に合うと言えば間に合うのですが、そこはそれ時間に追われない旅をしたいと考え、写真の切符を手配しました。

この日程なら、岡山駅でアンパンマン列車をゆっくり撮影して乗車できます。同じ乗るならアンパンマン列車!です。

また多度津駅では駅前に保存されている蒸気機関車を撮影して、出発前の「四国まんなか千年ものがたり」をゆったりした気分で撮影できる…。もっとも難点は朝が早かった。

「南風3号」の車内検札印。先に下の印が押されたのですが、ひょっとしたらと思って車掌さんに聞いたらビンゴ。「アンパンマン」の検札印がありました。折角だからと旅の思い出。

岡山駅8:51発の南風3号は8:38に入線。

アンパンマントロッコは大人の男旅には恐らく日本で一番似合わない列車ですが、こちらはOKです。

アンパンマンのキャラクターで全身を包んだ車両たちはやはり可愛いと思う。

もっとも乗降用ドアの足元にもアンパンマンがいるとは知らなかった。

2017年06月09日 20時13分

四国まんなか千年ものがたり(1)まずは岡山へ。

5月26日(金)から5泊6日で四国へ。その最大の目的はこの4月から運転を始めた「四国まんなか千年ものがたり」に乗ること。

で、まず選んだのは名鉄桜駅発6:00の1日1本限りの「弥冨」行き乗車。重い荷物を持ちながらわざわざ桜駅へ行くとはどうせならと思いつつ我ながらよくやると思う。名鉄名古屋駅着6:15。

名古屋から岡山への移動は「ひかり491号」博多行き。下り列車なのに新大阪方から到着するというのはやはり慣れない。

東海道新幹線の定期列車はN700系に統一されましたが、このN700系も運転開始から既に10年目で、時間が経つのは早いものだと思う。業務用ドアの「X7」の文字を見て、そんなことを考えていた。

岡山着8:24。乗り継ぎの「南風3号」は8:51発なのでしばし“国鉄”ウォッチング。

381系は、私にとってはこれぞ「振子」。中央西線では何度も乗ったけど、383系が「しなの」に投入されて乗り心地が改善され、一時はノスタルジーの彼方へ行った形式と言ったら言い過ぎですね。今も現役の381系「やくも」で山陰への鉄旅をしてみようかな?

そして岡山と言えばキハ40形、47形。

タラコ色が国鉄っぽくてやはりいい感じ。

2017年06月08日 20時22分

1963年(昭和38年)6月10日発行 名古屋観光案内/アルプス社

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

昭和38年発行の「名古屋観光案内」。

鳥瞰図の時代からイラストの時代に入った。などと私の個人的な感想。

地形や縮尺等の正確さはともかく、雰囲気は気持ちよく伝わってきます。

名古屋の西側から名古屋の街を望むスタイルなのは、先に紹介した鳥瞰図と同じなのですが、何か理由でもあるのでしょうか?

それはそれとして名古屋駅を西向きにしているのはご愛嬌(あいきょう)で、やはり正面を描かなければ名古屋の玄関とは言えません。

一方、笹島駅の向こう側を走る東海道本線を走る列車はどこか“おもちゃ”的な感じで、これもなお良し。

2017年06月07日 20時19分

1961年(昭和36年)4月発行 名古屋市街図 /和楽路屋

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

昭和36年発行の「名古屋市街図」。まだ緑区・守山区(昭和38年~)がなく、天白区・名東区がそれぞれ昭和区・千種区に含まれていた時代です。

※天白区・名東区は昭和50年に新設。

名古屋駅界隈は今に通じるものがありますが、国鉄名古屋駅に「鉄道弘済会」「日本交通公社」があり、その北側には「中央郵便局」もあります。

また地図中の名鉄電車のルートは、何となくホームのカーブの具合を見て取れ、興味深いものがあります。

また地下鉄は当時、「名古屋」が終点で、錦通りから名古屋駅への回り込み具合がすさまじい。路面電車顔負け。もっとも多少デフォルメされているかな?

それでもやはり東海道新幹線が開通する前の古き時代。

2017年06月06日 20時18分

1960年(昭和35年)頃の絵葉書/大名古屋

昭和35年頃に売られていたと思われる絵葉書。

題して「大名古屋」。そういえば昭和の頃は「名古屋」ではなく「大名古屋」をよく使っていた記憶あり。

今年50年を迎える名鉄バスセンター(昭和42年竣工)はまだなく、一方で地下街への入り口があることから少なくとも昭和32年以降の撮影であることは間違いありません。

この風景はそろそろ「懐かしい」と思う人が多くなるはず。バスが並んでいるのは、名古屋駅前にあった日本交通公社前の郊外バス乗り場。名鉄バスを中心に各社のバスがここを起点に四通八達しており、私もここからバスに乗って出かけ、そして名古屋に戻ってきていました。

もっともバス好きな方は左に並んでいる名鉄バスの一番奥のバスのフロントガラス上に“ひさし”が付いているのに反応するかも?

地下鉄名古屋駅と地下街。服装に時代を感じるだけではなく、駅名が「伏見町」「栄町」というのもノスタルジー。「栄町」が「栄」になったのは昭和41年。私が中学生の頃です。

2017年06月05日 20時15分

1939年(昭和14年)8月発行 名古屋市電路線図/名古屋市電気局

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

昭和14年の名古屋市電路線図。まだまだ全盛期とまではなりませんが、その路線網の充実ぶりには目を見張ります。

名古屋駅前に市電の系統が集結しており、さすが名古屋の玄関口だけあります。

もう一点。黒色細実線のバス路線の停留所に青色文字で「平池」を発見!

話は変わって「千種駅」。当時、千種駅は広小路通りの南側にあり、その駅前(千種駅前)に市電が乗り入れていました。きっと知らない人が多い。

また千種駅の南側に『千早町』の電停がありますが、これだと直通しているように見えますが、実際には中央本線を間に挟んで、徒歩連絡となっていました。

理由は、鉄道省の旅客列車が走る路線と市電との平面交差が認められていなかったことによります。

※当時、中央本線は高架化されておらず地平を走っていた。

2017年06月04日 20時12分

1938年(昭和13年) 大名古屋新区制地図

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

1938年(昭和13年)発行の大名古屋新区制地図。

名古屋駅界隈の開発が一段落し、私のような昭和世代には馴染みのある姿になりました。

名古屋駅界隈では市電の路線の改修が引き続き行われているのが分かるのを始め、目を少し移せば、今の近鉄名古屋線が登場しています。

※昭和13年6月26日に関西急行電鉄開業

一方、現在の名鉄名古屋本線はまだ開通しておらず、地下予定線となっています。

※名鉄の岐阜方面への開通は1941年(昭和16年)8月12日。豊橋方面に全通したのは1944年(昭和19年)9月1日。

ところで中京テレビの住所は、中村区平池町4-60-11。この地図ではほぼ「南平野町」と書かれた場所に会社があります。

一方、地図の左端に「平池」の地名はあることから、今の所在地住所と関連があるのは間違いなさそうですが、このあたりの話になると郷土史研究家に委ねたいと思います。

2017年06月03日 15時07分

1937年(昭和12年)1月5日発行 名古屋市街全図/武内時雄

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

昭和12年発行の名古屋市街全図。

名古屋駅は現在地に移転し。市電の電停に「名古屋駅前」が見えます。

ただ過渡期なのか市電の線路は、まだ最終的な場所に移っていませんし、笹島駅にも東海道本線から直接入るようになっています。

この時期の名古屋駅・笹島駅の構内配線の研究をされている方に、地図も見つつお話をお聞きしたいと思っているもののまだ実現していません。

因みにという事ではありませんが、笹島駅の場所には「平野町」の表記があります。

2017年06月02日 20時37分

1937年(昭和12年)2月1日 新名古屋駅竣工記念絵葉書/名古屋鉄道局

竣工当時、東洋一の大きな駅舎と言われた“新”「名古屋駅」(三代目)。

その建設中~開業後の写真は、当時としては絵葉書も含め結構残されています。

開業時の写真は先にUPしたものと同一ですが、いろいろ調べてみてもこの写真しか辿り着けず、開業時の様子を伝えるものはどうやらこれ1枚しか無さそうです。

右上の二代目名古屋駅。車の時代が到来したことを感じさせる駅前風景。

新名古屋駅構内の写真には「腕木式信号機」がなく、色灯式信号機が見えます。時代的にはこのあたりが変わり目だったのでしょうか?

2017年06月01日 20時02分

1936年(昭和11年)発行 名古屋市鳥瞰図/吉田初三郎

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

昭和11年に発行された「名古屋市鳥瞰図」。当時、鳥瞰図=初三郎と謂われた鳥瞰図絵師/吉田初三郎氏の作品。

名古屋と言えば金のしゃちほこ。本当にこんな風景をスケッチしたかどうかはともかくデザイン的には素晴らしいと思う。

以前、平成26年7月26日から名古屋市博物館にて「NIPPONパノラマ大紀行~吉田初三郎のえがいた大正・昭和」という展示が行われ、かくいう私もそこで(実質上)初めて初三郎氏の鳥瞰図に出会い、その面白さにはまりました。その魅力の一つが大胆なデフォルメ。

右端に伊勢神宮を配し、その上には富士山。

また左正面でひと際存在感を出しているのが御岳。

そして名古屋の街を見下ろすが如くある名古屋城。

また名古屋駅は、この鳥瞰図が出版された翌年に開業の(三代目)名古屋駅が既に「新名古屋駅」として描かれています。

一方、笹島駅。当時は名古屋駅の貨物駅なのですが、東海道本線から直接入る線路と、その後の関西本線からスイッチバックで構内に入る線路の両方が描かれています。恐らくその当時の姿はかくあったであろうと推察できる貴重な資料であると思います。

前の画像と合わせての話ですが、1932年(昭和7年)に全線開通した中川運河が描かれています。建設当時は「東洋一の大運河」と呼ばれ、名古屋駅と笹島駅を結んだ海運の大動脈も今は昔。それでも中京テレビ本社南側のエリアを含め、その再生に向けての動きが始まっており、変わりゆく様は目が離せない状況となっています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!