2017年07月31日 20時01分

土佐電(1)高知駅のアンパンマン。

平成29年5月28日(日)。高知駅に到着。これから日没まで土佐電鉄三昧の予定。

※土佐電=土佐電気鉄道は現在、「とさでん交通」となっていますが、今回は私にとって馴染み深い「土佐電」と書かせて頂きます。ご了解ください。

その前にアンパンマン。

ホームから下りてきた2階にある場所にある「アンパンマン列車ひろば」。

JR四国のアンパンマン列車尽くし。

階段もアンパンマン。小さなお子さん連れの方にとっては、これはこれで遊び始めた子供相手に時間読みが出来ず恐怖かも。

午後4時半過ぎに取り敢えず駅前のホテルにチェックイン。特にお願いした訳ではありませんが、いい感じのトレインビュー。

土佐電鉄に乗るため駅に戻りつつ、高知駅で下車した人を迎えるはりまや橋を後ろから撮影。ところではりまや橋の前に立っているのは誰?確認漏れ。

駅前にすっくと立つ「土佐三志士像」。左から武市半平太」「坂本龍馬」「中岡慎太郎」。これを見ないと高知じゃない。

2017年07月30日 20時57分

笹島駅(4)愛知の鉄道 100年フェア。

昭和61年(1986年)4月29日から5月5日のゴールデンウィークの7日間、廃止を目前に控えた笹島駅で「愛知の鉄道 100年フェア」が開催されました。

※愛知の鉄道が開通したのは明治19年(1886年)。

私も取材で行った会場。とにかく人で溢れていた思い出だけが今も残っています。

左からEF661(現在、広島車両所にて保存されている)、EF6466、クモヤ193(電気計測試験車)、DE10(清流ながら号/車番は読み取れず)。

それにしても今なら大騒ぎになりそうな車両たち。

笹島駅の信号扱所。の右側はC56160。

「1世紀号」が走った武豊線は当時大騒ぎで、平成25年2月に運転された「SLあおなみ号」と匹敵する人気ぶりでした。とかいいつつ私は撮影していません。仕事のローテーションで休みが取れなかったと記憶しています。

「愛知の鉄道 100年フェア」の印のある駅弁の掛け紙。4月1日の発売ですからその時期にはもう売られていたのですね。

愛知の鉄道100年と言えば名古屋駅開業100周年でもあります。

それにしてもこれほど大掛かりな鉄道イベントは名古屋ではもう開かれないかもしれません。

何せ本線と繋がっている線路のある広大なスペースは、もう名古屋エリアにはなさそうです。

2017年07月29日 20時54分

笹島駅(3)名古屋駅改築笹島駅開業15周年の冊子から。

名古屋駅改築笹島駅開業15周年の冊子。15周年ですから昭和27年(1952年)の発行と思われます。

明治20年頃の名古屋駅は、開業時の唯一とされている写真。

一方「名古屋駅の威容」で「あれっ」と思ったのが「青年の像」が無いこと。考えてみれば「青年の像」の完成は昭和33年(1958年)で、それが無くとも当然ですが、私にとってというか昭和の時代に名古屋で育ち生活していた者にとって名古屋駅前のシンボルがないのは何か不思議な感じがします。

つばめの展望車。当時は高嶺の花だったでしょうから、今ならば「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の展望車でしょうか?もっともこれから新型オハ35系の『マイテ49形』復刻版が運転を開始するので、少しは庶民の手に届くようになるかもしれません。

名古屋駅(3代目)前を走るD51の写真も、当時を語る際には必ずと言っていいほど出てきます。JR東海が出したオレンジカード「思い出の名古屋駅ビル。 心から消えないみんなの駅」の写真もこれです。

笹島駅の写真ですが真ん中のメインで使われている写真には荷馬車が一杯写っています。昭和27年ならさすがにトラックがいてもおかしくはないと思うのですが…。

2017年07月28日 20時51分

笹島駅(2)馬車が荷役の主役だった頃。

今回、笹島駅の第21代そして最後の駅長であった青木英明氏からお手持ちの笹島駅に関する資料を多数お借りしております。

青木氏は中京テレビの笹島移転にあたり、平成28年11月21日放送の「キャッチ!」にご出演頂いており、そのご縁で今回もご協力頂きました。

木造時代の笹島駅舎。各事務所から出ている煙突の1本から煙が出ており、暖房がストーブであったことを窺わせます。

最後の笹島駅舎。「くらしを運ぶ・・・国鉄コンテナ」の看板がありますが、当時、笹島駅は旅客の取り扱いが無かったこともあり私自身、一度も足を運んだことがなく、こんな大きな看板を含め、今回お借りした写真で初めて駅舎を見ることになりました。もちろんこの広大な駅の存在は知っていましたが、国鉄笹島駅の正式な駅名が「ささじま」と「し」ではなく「じ」であったことを知ったのもつい最近の事です。

馬車が運搬の主役だったころの貴重な写真。今も東海道・中央本線高架下に残る石畳があった理由がこれで納得できました。

「笹島駅鉄道倉庫」とある写真。列車は私の単なる想像の域を出ませんが、9600形の牽く名古屋港線の貨物ではないでしょうか?根拠としては名古屋駅付近の高架化に伴い中央本線の線路は東海道本線の東側から西側に移っており、その線路を名古屋港線の列車も走っていたことによるのですが…。

笹島駅の空撮。昭和28年(1953年)の撮影で、丁度私が生まれた頃ですが、東海道本線が稲沢まで電化されたのがこの年です。

笹島駅でのコンテナ扱いが全盛期の頃の1枚。新幹線の0系も目を引きますが、ここの場所が今やささしまライブ24として高層ビルが立ち並ぶ景色となるなんて、当時は誰も思わなかったでしょう。

2017年07月27日 15時31分

笹島駅(1)昭和に生きた貨物駅。

四国シリーズはしばし中断中。

この6月8日まで連載していた「名古屋の古地図」シリーズの続編。笹島駅の変遷について書き留めます。笹島駅は昭和12年(1937年)2月1日に開業し、昭和61年(1986年)10月31日に廃止。その前身を含め昭和に生まれそして昭和の終わりとともにその役割を終えた駅です。

この図(名古屋付近鉄道路線略図)は笹島駅の開業前ではあるものの「名古屋駅」の貨物駅として既に営業を始めていた時代のモノ。笹島駅の名前はまだありません。

昭和3年(1928年)開業の「名古屋港(なごやみなと)線」が堀川口まで開通している一方、昭和25年(1950年)6月1日開業の西臨港線(今のあおなみ線)が計画線という時代が見て取れます。

こちらは絵葉書で、「名古屋貨物駅構内」とあり昭和5年(1930年)に完成した中川運河がその存在感を見せています。

上下逆さまの昭和30年(1955年頃)の笹島駅の配線図。ピンクの○がほぼ今の中京テレビの場所。そこはもともとホームがあった場所で、現本社の建築時、笹島駅で使われた古レールが発見されたのもむべなるかなといったところです。

昭和57年(1982年)の笹島駅略図。

以前の図面と大きく異なるのはコンテナホームがあること。貨物の輸送方法も時代によって進化しているのですが、駅の配線図からもそれが読み取れます。

2017年07月26日 22時28分

名古屋港で遊覧船に乗る(4)ミャンマーに行くはずが…。

名古屋港で遊覧船に乗った理由。それはミャンマーに輸出される予定だったにも関わらず、金城ふ頭に1年以上置きっ放しになっている元JR東海のキハ40系、キハ11形の所在確認。

たまたま1週間前、偶然この航路に乗船した知人から「思ったより間近で見る事ができた」との情報をもらい、早速確認に出かけたのです。

総勢15両。

この場所は遊覧船の終点「金城ふ頭」の比較的近くです。もっとも船は近いところを通るといっても航路なのでそこそこ離れています。撮影には望遠レンズが必須です。

今回はこの撮影がメインの目的とは言え、久しぶりに名古屋港を周遊することが出来て充実した20分間でした。

あおなみ線金城ふ頭駅から見た留め置かれている車両たち。知っていれば「おっ!」と気付きますが、知らなければそのまま通り過ぎそうです。いずれにしても一体いつまでこの状態が続くのでしょうか?

2016年11月25日のミャンマー/ヤンゴンで撮影した1枚。こんな日が訪れるのを願うばかり。

2017年07月25日 22時16分

名古屋港で遊覧船に乗る(3)あおなみ線を船から撮影。

いよいよ本題。ブルーボネットから名古屋港トリトンライン(名古屋港水上バス)に乗船します。

名古屋港で遊覧線に乗るのは少なくとも20年ぶり位だと思う。

11:00に出航。船がただ停泊しているという、港らしいとは思うもののごくありふれた風景に何故か心躍る時間を過ごす。

本来なら無機質な工場だったり道路だったりなのに、港というだけでそれぞれが特別な意味があるように思える。

あおなみ線金城ふ頭駅発11:14の電車。

船に乗っているからこそ見える風景があることを改めて知った。

2017年07月24日 20時02分

名古屋港で遊覧船に乗る(2)潮見橋。

9号地(潮見ふ頭)は埋立地の島です。

潮見橋の下を潜ってみた。

橋の線路の間からつる草が見えるとは思ってもみなかった。

夏の太陽が眩しい。

トボトボと歩く戻り路。港の風景に少し気を取り直す。

(注)冒頭の『潮見ふ頭』の表記について。

名古屋臨海鉄道の公式HPの“沿革”では「9号地(汐見ふ頭)」となっていますが、同じく公式HPの名古屋臨海鉄道路線図には「潮見ふ頭」とあります。また町名が「潮見町」であることからここでは「潮見ふ頭」としました。

2017年07月23日 20時54分

名古屋港で遊覧船に乗る(1)名古屋臨海鉄道の休止線。

昨日(7月22日)は名古屋港の遊覧船・名古屋港トリトンライン(名古屋港水上バス)に乗りに行きました。その心はまた後日ということにしてまず向かったのは「金城ふ頭」行きの起点の「名古屋港」ではなく「ブルーボネット」。市バスでは「ワイルドフラワーガーデン」が最寄りバス停なのですが、因みにここにある施設名は「名古屋港ワイルドフラワーガーデン ブルーボネット」です。

10:25着。「名古屋港」ではなくここにやってきた理由は、名古屋臨海鉄道の汐見町線(現在は休止線)を久しぶりというか数十年ぶりに見ること。

バス停直近の歩道橋から東港駅(笠寺駅)方面を見下ろしてみる。線路は草で覆われ都会の秘境。

橋がそこだけ鉄道を主張している。

西側を見ればヤードが広がっているもののどんどん自然に戻りつつある。ここは本当に名古屋???と思ったりして。寂寞たる都会の別世界。

ほとんど廃線状態。

そう言えばどうして廃止ではなく休止なのだろう?

敢えてこんな写真を撮ったりして。昭和55年ごろにこの汐見町線を仕事で撮影した記憶あり。落差が大き過ぎて感想が出てこない。

2017年07月22日 11時21分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(11)安芸駅点描。

モネの庭から土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅に戻ります。その途中に津波避難タワーを数か所で見かけました。周りに高い建物がないこともあり、初めてこの地を訪れた人でも分かります。

※ごめん・なはり線は愛称で、正式名称は阿佐線です。

安芸駅。前日は取り急ぎ魚梁瀬に向かいたいという気持ちが強く、駅舎の写真を撮る心の余裕がありませんでした。

15:24発の快速高知行き(高知着16:22)に乗るべくホームへ。オープンデッキ式通路の9640形2S。

9640形1Sと普通の9640形。トロッコ列車は乗れないにしても1Sか2Sに乗りたかった。

快速高知行きの入線。こうして見ると安芸駅構内は広々しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!