2017年07月28日 20時51分
今回、笹島駅の第21代そして最後の駅長であった青木英明氏からお手持ちの笹島駅に関する資料を多数お借りしております。
青木氏は中京テレビの笹島移転にあたり、平成28年11月21日放送の「キャッチ!」にご出演頂いており、そのご縁で今回もご協力頂きました。
木造時代の笹島駅舎。各事務所から出ている煙突の1本から煙が出ており、暖房がストーブであったことを窺わせます。
最後の笹島駅舎。「くらしを運ぶ・・・国鉄コンテナ」の看板がありますが、当時、笹島駅は旅客の取り扱いが無かったこともあり私自身、一度も足を運んだことがなく、こんな大きな看板を含め、今回お借りした写真で初めて駅舎を見ることになりました。もちろんこの広大な駅の存在は知っていましたが、国鉄笹島駅の正式な駅名が「ささじま」と「し」ではなく「じ」であったことを知ったのもつい最近の事です。
馬車が運搬の主役だったころの貴重な写真。今も東海道・中央本線高架下に残る石畳があった理由がこれで納得できました。
「笹島駅鉄道倉庫」とある写真。列車は私の単なる想像の域を出ませんが、9600形の牽く名古屋港線の貨物ではないでしょうか?根拠としては名古屋駅付近の高架化に伴い中央本線の線路は東海道本線の東側から西側に移っており、その線路を名古屋港線の列車も走っていたことによるのですが…。
笹島駅の空撮。昭和28年(1953年)の撮影で、丁度私が生まれた頃ですが、東海道本線が稲沢まで電化されたのがこの年です。
笹島駅でのコンテナ扱いが全盛期の頃の1枚。新幹線の0系も目を引きますが、ここの場所が今やささしまライブ24として高層ビルが立ち並ぶ景色となるなんて、当時は誰も思わなかったでしょう。