2017年08月31日 20時03分

伊予鉄道(4)道後温泉駅の坊っちゃん列車展示線。

伊予鉄道道後温泉駅。

小さいながらも風格を感じる駅舎。

坊っちゃん列車展示線ではこの日の運行を前に営業準備中。

平成13年(2001年)から運転を開始した復元されたディーゼル機関の坊っちゃん列車。

元々は762ミリゲージの線路を走っていた坊っちゃん列車。今は1067ミリゲージなのですが、車両の大きさに比べて線路の幅が広く見える。

道後温泉駅の風情。京都からやって来た2000形(2005)も、そもそも松山で走り始めたが如くこの街の風景に溶け込んでいます。

50形(68)と2100形(2107)の並ぶ姿は、この写真を撮影した場所が平成の時代を生きる道後温泉駅だと教えてくれるようです。

2017年08月30日 20時42分

伊予鉄道(3)松山城の城下町。

四国旅行の最終日、平成29年5月31日(水)のスタート。荷物はホテルに預け身軽になって行動。

松山駅近くで見つけた「自虐」ネタ。比較広告の真骨頂!かな?アイデアはありだと思うけど、ひつまぶしは『名古屋めし』の代表格なので、愛知と言うイメージがちょっと弱い気もする。

再び大手町駅。3000系は京王の元3000系。もっとも私が知っている3000系は京王帝都電鉄井の頭線。

お約束の平面交差。

道後温泉行きの電車から見るとこんな感じ。

市役所前で下車し、松山城を背景にした撮影開始。時間は7:50。(2107号)

左が2108号で右が2108号。2100形も10両いるのでこんな風景もある訳ですが、昭和世代の私にとってはまだまだ馴染めない感じ。

2017年08月29日 15時19分

JR東海の軌陸車

今日(8月29日)の昼下がり。12時15分頃。

会社から下の線路を見ていたら、何と軌陸車が走っていく。

毎度様々な車両を見ているので、何が来てもそれほど驚かないがさすがにこれは別格。

クレーン車を挟んだ堂々の3両編成。(クレーン車は台車に乗せられているようでした)

留置線でストップ。

何が始まるかと思いきやいきなりクレーンを延ばし始めた。

そして線路に沿って置いてあった架線ビームを吊り上げ、どうやらそれを設置する模様。

ほぼ毎日見ている風景にも関わらず、ここに架線柱が建っていたとは気付いていなかった。

ここまでで私の時間切れ。昼間に軌陸車が動く(仕事をする)姿を見たのは間違いなく初めて。

ひょっとするとこの留置線を電化するのかな?それにしてはこの場所から名古屋駅方面に架線柱は今のところ見当たらず、詳細は不明。いやあ驚きました。

2017年08月28日 16時50分

昭和53年(1978年)の伊予鉄道市内電車。

昭和53年4月13日の伊予鉄道市内電車。

写真のような感じで乗りつぶし。

何故かこの時の訪問で撮影した1枚目の写真。環状線(城北線)から乗り始めたからでしょうがよりによって電車内からの撮影。当時は「乗った証拠」を手元に残す発想が無かったので、まあこんなところでしょう。

道後温泉駅。国鉄駅前から環状線(大手町線、城北線)、城南線を乗り継ぎ10:18頃に到着。ここでの滞在時間は4分。

その間に留置線も撮影。

当時の路線図。松山城に登城するロープウェイが『駕籠(かご)』風なのがご愛嬌。なお今回のブログの線名はこの路線図に依っています。

多分本町6丁目。

11:05に松山市駅について市内線全線乗車。それから約40年が経ちましたがこの写真に写っている電車が今も現役なのは、ちょっと嬉しい。

2017年08月27日 9時48分

伊予鉄道(2)鉄道の見えるホテル。

24時間テレビのスタッフに入らなくなって早2年。四国の旅を続けます。

5月30日(火)の晩御飯。居酒屋さんか寿司屋さんで瀬戸内三昧!に出撃する余力はなく定食。もっとも内容的には十分。

ホテルの部屋はトレインビュー。シャッター速度は1/40。ISO=6400。デジタルカメラならではですね。

煌々(こうこう)と輝く「電車のりば」の看板。市電の走る街。

このホテルの部屋にはヘルメットが常備されており、これには驚かされました。過去、旅館、ホテル、ユースホステル、民宿等々宿泊施設に何泊したか数え切れませんが、さすがに部屋の中のヘルメットは初めての体験です。意外性もありますが、宿泊者の安全対策としてはユニークな発想であると感心した次第。因みに会社の事務所には人数分のヘルメットの用意があります。

2017年08月26日 16時46分

伊予鉄道(1)大手町に参上。

18:27に松山駅に到着。

駅を出て目の前が伊予鉄道のJR松山駅前。JR以前は「国鉄駅前」。でもこの雰囲気も電車も昭和から変わっていない。多分。

振り向けばJRの松山駅。「松山駅」の「駅」が「驛」だったりしてレトロ感がたっぷりです。

2105号。この2100形もデビューして早15年で、低床電車もすっかり街の風景に溶け込んでいます。

取り敢えずやってきました大手町。松山に来たらまずはここにご挨拶に伺うのは鉄道趣味も持つ者の礼儀かも。

54号と700系(元京王5000系、新塗装)の出会い。

54号と700系(元京王5000系、旧塗装)の出会い。京王5000系は私の大好きなデザインの一つ。

18:50。夕闇が迫りこれにて一旦撮影終了。先の2105号の戻り。

2017年08月25日 16時45分

瀬戸内海に沈む夕日@しおかぜ17号。

1日おいて四国の続編。

実はあまり深く考えずに取った「しおかぜ17号」の指定席。

17:21の入線。

窓外には夕景。旅をしている実感はこういう時に感じたりもする。17:32の出来事。

この後今治駅(17:44着、17:45発)に着いてびっくり。自由席の乗車位置に長蛇の列。私の身近なところで言えば、特急しなので「塩尻」~「松本」~「長野」間のお客さんが多いのと同じなのでしょう。

18時を過ぎ、瀬戸内海沿いにひた走る。もうすぐ伊予北条に停車。そしてそこから10数分で今日の宿泊地、松山到着。この日の旅も間もなく終了です。

心の塵(ちり)が濾(こ)されていきます。3日前にUPした話を力技でここに書くようでは、私の「チリコシ」は機能していないようです。トホホ。でも夕日は本当にきれい。

2017年08月24日 8時49分

名古屋市内でのイベント2題。

《イベント1/鉄道写真展》

来週水曜日(8月30日)までキヤノンギャラリー名古屋にて、鉄道写真家/米屋こうじさんの写真展「Hello Goodbye」が開催されています。

昨日から明日・金曜日まで米屋さんが在廊されているとのことでしたので、ご挨拶かたがた行ってまいりました。

ところで今回の写真展の特徴は“鉄道写真展”なのに“鉄道車両”が写っていないこと。車内から見た窓外の風景だけの写真展で、それも被写体を止めてそれ以外を流すという、流し撮りの世界です。車両はなくとも“鉄道”をしっかり感じることが出来る不思議な世界が広がっていました。

※会場で流し撮りというか逆流し撮りの方法を教えてもらいました。

※この写真の右側の書籍は米屋さんの新刊「ひとたび てつたび」。サインを頂きました。

真ん中の缶バッジ2個は、昨年、米屋さんとご縁を頂いたミャンマーの思い出。多種の缶バッジの中から選びました。(上の缶バッジは新刊本の表紙写真)

左下のオリジナルスタンプもいい味を出しています。

●キヤノンギャラリー…地下鉄東山線・鶴舞線 伏見駅10番出口すぐ、10時~18時(最終日 15時まで)、日曜日はお休み、入場無料

《イベント2/森林鉄道資料展》

名古屋市熱田区にある「熱田白鳥の歴史館」では今月一杯(~8月31日)、「熱田区制80周年記念 山の日 関連事業 森林鉄道資料展」が開催されています。

まず「熱田白鳥の歴史館」って何ですか?ということでしょうが、熱田区の白鳥公園内にある林野庁中部森林管理局名古屋事務所が設置した『木材産業の歴史を分かりやすく解説、展示する資料館』で、小規模ながらなるほどと思わせてくれます。

ところでそもそも何で“白鳥公園”に林野庁の施設があるのかということもありそうですが、この地は木曽、飛騨地方で伐採された木材の一大集積地(白鳥貯木場)で、その跡地を利用したのが白鳥公園であることを知る人は名古屋市民でも今や少数派でしょう。1989年(平成元年)、名古屋市制100周年を記念してこの地をメイン会場にして「世界デザイン博覧会」が開かれたことも鑑みれば、かつてそこにあった貯木場の規模が分るでしょう。また1916年(大正5年)には貨物線/名古屋港(なごやみなと)線からの支線も開業しています。

※拙ブログで2016年12月1日にUPした「名古屋貨物ターミナル駅(3)100周年の八幡信号所のタブレット。」で紹介した八幡信号所がまさに白鳥への支線の分岐点です。

今回はその一角で森林鉄道に関する写真、ジオラマ、資料類が展示されています。

ジオラマは力作で、森林鉄道の往時の輝きを再現しています。

展示を見ていて「林業遺産」というのがあるのを知りました。時間が出来たらゆっくり回ってみようかな。

●熱田白鳥の歴史館…見学時間:平日 9:00~16:00、入場無料

※土・日は開館しておらず、しかも見学時間も限られます。たまたま平日に夏休みを取っていたので運良く見に行くことが出来ました。今回は森林鉄道の歴史だけではなく、常設展示されている産業としての林業とセットで見ることが出来たのが良かったと思っています。

2017年08月23日 16時43分

鉄道歴史パークin SAIJO(3)ぽっぽ橋。

動き始めた電車の後ろの橋が鉄道歴史パークin SAIJOの北館と南館を結ぶ「ぽっぽ橋」。

渡っている時、足元にこんなイラストを発見。

芸が細かい。

こうした小さな積み重ねをしているところがこの施設の愛される理由の一つでしょう。

伊予西条駅でも足元に何かがあった。

見上げればそこにはツバメの雛たちの姿。前々日に高知で見た雛たちより一回り育っている感じ。そう言えば最近、名古屋ではツバメたちを見かけない。いつからそんな状態なのだろう。

2017年08月22日 16時39分

鉄道歴史パークin SAIJO(2)機関車の部品の名称の勉強。

こちらは南館。

C57とキハ65の2ショット。

キハ65には栓抜き(センヌキ)がある。昭和ですね。でも当時、瓶はちゃんとリサイクルされていたのでしょうか?もう一つ、センヌキってどうしてカタカナ表示だったのでしょう?

平成29年にして昭和に疑問を持つ。

DE10もこうした施設で展示されるようになる日が来るとは思わなかったというのが本音の感想。私にとってDE10とはドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」で知られるようになった校閲者と似ている存在だと思う今日この頃。

ここの展示で私のツボにはまった展示が信号機のあれこれ。

そして各部品の名称を教えてくれる表示。「ラジアスロッド」「スライドバー」など初めて知る名前が続出。

「チリコシ」って何?語感で何となくイメージできますが、私の汚れた心の塵(ちり)は濾(こ)してくれないでしょう。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!