大正9年(1916年)から昭和5年(1930年)まで採鉱本部が置かれていた場所、東平(とうなる)。

ペルーのマチュピチュは手に届かないけど、東洋のマチュピチュなら手が届くと思いやってきました。

最盛期には3800人が急峻なこの地で働き、暮らしていたそうです。

ガイド(語り部)さんの話を聞きつつ歩く。

この写真の住居の跡。建物の基礎らしき区画がありますが、その一つが1家族に割り当てられたスペースとのことで、あまりの狭さに驚く。

崖に聳え立つ廃墟を見上げる経験はどこでも出来るものではありません。
日本を支えてきた産業史を学びつつ絶景に遊ぶひと時。