本日(11月19日)、近鉄の鮮魚列車が名古屋の街を走りました。
鉄道友の会と近鉄のツアーの臨時列車。近鉄のツアーの集合時間から大体の推測をし、会社に休日出勤。(笑)
今日は「ささしま」の記録写真撮影です。近鉄名古屋への送り込み回送は米野を9:27に通過。
本当はこのツアーに参加したかったのですが、発売して直ぐに完売で、キャンセル待ちも多く断念しました。そりゃ名古屋から鮮魚列車に乗るという体験はあり得ないので、まあ納得の不参加。
そして名古屋発の貸切列車は9:38に通過。
方向幕は「貸切」でしたので、ツアー中の撮影地で「鮮魚」に変えるものと思われます。
皆さん、行ってらっしゃい。
ところでこのツアーの戻りは「観光列車 つどい」。やはり残念というか悔しい。
10:36に八代を出発し、暫くして鹿児島本線をアンダーパス。おっと鹿児島本線ではなく肥薩おれんじ鉄道でした。失敬。平成16年(2004年)にJRから変わったにも関わらず、私の中では時間が止まったまま。とか言いつつ「おれんじ食堂」は乗ってみたい列車の一つ。
山の中に入ったので、再び最後尾の展望ラウンジへ。かつての旧型客車では連結部分に貫通ドアが無い車両があり、この風景は考えようによっては危険と隣り合わせで見ていたことになりますが、今は大きなガラス窓の中。決定的な違いは煙の香りかな?
ところで展望ラウンジはいつも人で一杯と言うほどではないものの、入れ代わり立ち代わり乗客の方がやってきます。ただ適当に人が入れ替わり、私も席が空くのを待つという事はありませんでした。
午前11時過ぎ、絶景の球磨川第一橋梁をゆっくりと渡ります。44秒のこの動画を撮影後、気配を感じて振り向いたら直前まで人がいなかったのにいつの間にか立ち見あり。「失礼しました」とばかりに退散した次第。決して独り占めした訳ではありませんがポリポリ。
そうそうっ、この展望ラウンジではアテンダントさんによる肥薩線の車窓案内があります。思いの他参加者は少なかったのですが、私自身は参加して良かったと思っています。
SL人吉の乗車記念スタンプ。日付は自分で手書き。
出発前の儀式。多くの方がこうして写真撮影されていました。ただ一人でこれをやるにはちょいとこっぱずかしい。
私の席はこの席と同パターン。一見狭い感じですが、座ればそれほどでもありません。ただ窓側に座ると気分的にはやや窮屈ではあります。
SLが牽く客車に相応しい意匠。
最後尾の展望ラウンジでしばしまったり。高架の線路でも煙がたなびき後ろに流れていく様は良いもんです。
熊本を9:45に出発し、八代には10:30着。各駅停車の電車より10分ほど時間をかけたのんびり旅。
ここで特急「かわせみ やませみ2号」と交換。この日(10月8日)は自由席の3号車が付いており、先頭車は「いさぶろう・しんぺい」車(キハ140 2125)。「かわせみ やませみ」も撮影に来た人にとってこの上り列車(人吉発熊本行き)はがっかりだったかも。
ところでこの「かわせみ やませみ2号」は11月3日の午前、坂本~葉木間でトレーラーと衝突し、自由席車の「いさぶろう・しんぺい」車(キハ140 2125)が現在、使用できなくなっています。(事故では11人が軽傷)
そのため自由席車はキハ177 182に変更されていると報道されていますが、事件現場の映像見る限りでは、「いさぶろう・しんぺい」車の再登場は当面難しそうです。
もっとも一報では「かわせみ やませみ」車両が事故に遭遇したのではないかと私は思ったのですが、そうではなかったので、運行するJR九州やこの列車に乗ることを楽しみにしている人たちにはとってはまずは不幸中の幸いだったでしょう。
(余談)ネットでこの事故を検索していたところ、この列車名を「かわせみ・やませみ」と「・」を入れている報道機関がありました。仕事がら固有名詞の正誤には気を付けていますが、この列車名(車両名)は間違えやすい気はするもののちゃんと表記してほしいものですね。
乗車券は10月7日に筑後船小屋で購入。指定席券はネット予約。指定席券のSL人吉の検札印と、人吉駅で両方に押された「乗車記念 使用済 JR九州」の印は良い思い出。筑後船小屋駅で乗車券を購入した理由はひとえに途中下車印のため。分かる人にし分からない楽しみ方。
熊本駅は「くまモン駅」。そこで思い出したクマの思い出。かつて岐阜県の山間部のエリアを取材した際、そこの保育園では「クマはお友達ではありませんよ」と教えていました。昨今のように、クマの出没による被害が多く伝えられるようになる前の時代の話です。もっともくまモンは可愛いですが…。
10月8日(日)9:33に6番線ホームに到着。既にSL人吉は入線していました。それにしても熊本駅は大改修中でなかなか目的地に着けない。乗車するときは少し早めに向かった方が良さそうです。
ホームでは58654に乗務される方が点検中。
話をお聞きしところ、動力部に潤滑油を送る機械とのこと。通常は自動で給油されるそうですが、念のため出発前に点検するそうです。そんな仕事を見ることもこのSL人吉に乗車する楽しみのような気がします。
熊本駅に戻る方向で散歩がてら撮影。
9:06頃。花畑町~辛島町間。右が0802号、左が803号。水戸岡鋭治氏デザインの0803号「COCORO」は乗ってみたかったけど今回は縁がなし。
9:09頃。1356号。辛島町~西辛島町・慶徳校前間。熊本市電の熊本駅前~通町筋間は右折・左折が続くのが撮影する側から見れば楽しい。
1207号とのすれ違い。交差点ならではの楽しみの一つ。
街角の花は一服の清涼剤。8801号。
1203号に乗り、その車内からの撮影。
B系統の1343号。市電が走る街。名古屋でもまた走ってくれないかなあ。
おまけ。
1203号の床は板張り。その床にアールを描いた金属の補強部分。昭和41年(1966年)のワンマン化時に運賃箱を設置した際に取り付けたと思うのですが、ちょいと時代がかって面白いとは私の独り言。
熊本駅前に9:28に戻り撮影終了。
10月8日(日)。この日は9:45発の「SL人吉」に乗る予定でしたので、その前に熊本市電をプチ撮り鉄。
JR熊本駅の目の前の乗り場(「熊本駅前」電停)から乗車。
朝の8:26。1201号。流石に日曜日のこの時間ではお客さんは少ない。ここから町の中心部/通町筋まで乗車。3.2キロの所要時間は20分。
平成28年(2016年)4月に発生した熊本地震で大きな被害が発生した熊本城。
修復工事は進んでいます。今回は記録としての撮影でここまで足を延ばしました。右は9704号(パト電車)で左は9202号。
8:58頃。A系統健軍町行き8503号。
A系統(田崎橋~健軍町)が日曜日の日中6分間隔。
B系統(上熊本駅前~健軍町)が日曜日の日中12分間隔。市民の足はかくあるべしと言いたくなる利便性。
石炭積出港/三池港。閘門(こうもん)があるのが特徴で、閘門の中で潮の干満に影響されないようにして石炭を積んだそうです。
旧長崎税関三池税関支署。
正直言ってあまり下調べをせずにここ大牟田を旅したのですが、石炭産業の機械的なものだけではなく、ここのように文化を感じさせる建物を見たりすると、より往時に思いを馳せることが出来るような気がするのが不思議です。
旧三井港倶楽部。世界遺産ではありませんが、三池港に入港した船舶の船員に対しての休憩所として作られたそうです。
明治41年(1908年)に三池港の開港と同時のオープンで、平成19年(2007年)に経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。
室内は凝った作りになっており、今はレストラン、結婚式場としても利用されています。ディナーは予約制ですが、ランチは予約不要で値段も1200円~3500円と手頃なので、中の見学がてらここを訪れるのも一興だと思いました。あっ、特段何かを飲食しなくても見学は出来ます。
次に訪ねたのは「三川坑跡」。世界遺産ではありませんが、ここに展示されている炭鉱電車を見るため。
15トン級B形5号
明治41年(1908年)のアメリカ製で、主に三池港駅構内の入れ換えに使われました。L型の独特な形から「ガメ電」と呼ばれ、国内に現存する最古級の電気機関車として貴重な存在です。
以上の解説は大牟田市の「広報おおむたweb」(2016年9月1日・15日合併号からの転載。
このZパンタに私の心は撃沈。
20トン級B形1号
明治44年(1911年)のドイツ製で、本線の貨物列車や通勤列車の先頭に立って活躍。鉄道記念物として保存されているドイツ製EC40形電気機関車に匹敵し、国内でも最古の部類に属します。
このマスコンを動かして運転体験がしてみたい。とは夢物語。
宮原坑で今も残っている遺構は。第二竪坑関連施設(竪坑櫓、捲揚機室、デビーポンプ室一部外壁)と呼ばれるもの。
この業務用エレベーターに近いものは、坑内で働く人たちが乗ったりもしましたが、揚炭(地下から地上まで石炭を運び出す)の機能も兼ねていたため、かつては石炭を運ぶ炭函を動かすためのレールが坑口から選炭場まで延びていました。参考までにレールの幅は470mm(18.5in)。
これが巻揚機。今と違い、昔は巻き取られるワイヤーの長さでどの辺りに搬器があるかを判断したりもしていたとのこと。
これは何かの拍子に炭函が間違っても櫓の中に落ちないにしているストッパー。これは炭函が通れる状態。
こちらは炭函が通れない位置。当時の安全設備を知ることも面白い。
今回の大牟田行きの決定打となったのがこのトイレ。宮原坑の駐車場にあります。
三池炭鉱専用鉄道(地元の愛称は炭鉱電車)の電気機関車がモチーフとのことですが、パンタグラフまであるのは凄いと思う。