2017年11月10日 20時19分
最近、産業遺産を見るのが旅の楽しみの一つになっています。まつ、いわゆるマイブームというやつです。
10月7日(土)は大牟田市で1時間半ほどの時間が取れたので世界遺産をほんの少しだけ回ることにしました。
大牟田市の表玄関「大牟田駅」。今から40年以上前となる昭和49年(1974年)8月3日に降り立って以来。大学の同級生がこの街の出身で、九州旅行の途中で彼の自宅に泊めてもらいました。もっともその頃は「世界遺産」そのものがまだない時代で、また三池炭鉱専用鉄道も今ほど注目される前で、大牟田観光はおろか鉄道巡りもせずに明るいうちからひたすら酒を酌み交わしていた記憶しかありません。当時、鉄道の情報と言えば鉄道雑誌か鉄道趣味の団体等で得るのが一般的で、私自身は一応鉄道ピクトリアル、鉄道ファン、旅と鉄道は定期購読していたものの目を皿にして読み倒すほどでもなく、そもそも大学生の頃は乗り鉄でもなく、ただの旅好きな1個人で、ノンビリと全国を回っていればただ幸せでした。そうそう、今と一番異なる点は旅のスタイルで、当時はちゃんと観光地を回っていました。最近は、国内(世界?)どこに行ってもめったに観光地に足を向けていないトホホな私ですが、間違いなく鉄ちゃんあるあるだと確信しています。
駅名看板の上の時計が、やや古めかしいものの炭鉱都市を象徴するようなデザインで、こうした発見をするのも旅の醍醐味。
そして真っ先に向かったのは三池炭鉱宮原坑(みやのはらこう)。
以下、大牟田市産業経済部観光おもてなし課のホームページ「おおむたの観光」から転載。
『2015年7月8日に大牟田市の三池炭鉱関連資産を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。当地域の構成資産としては、「三池炭鉱宮原坑」「三池炭鉱専用鉄道敷跡」「三池港」「三池炭鉱万田坑」の4つとなっています。』
ということでこの地がその一つ。線路跡も世界遺産となっています。
この地の解説は、書籍やウェブサイトで詳細な情報が出ていますので敢えて書きませんが、それでも一つだけ書けばこの炭鉱は明治31年(1898年)~昭和6年(1931年)に採掘されていた明治時代の主力坑の一つだったということ。
意外と短期間でかつ随分前に閉山されていたことに驚き。何がってそれでも今日までこの施設が残っていたことについてです。
ところで今回はボランティアガイドさんの案内で回っており、この可愛い貨車は「炭函(たんかん)」というそうで、最初「たんかん」って何の事を言っているだろうと思ったら、文字の説明を含めちゃんと教えてもらえました。
この車輪は「HITACHI」製ということもそれで改めて確認(撮影)した一つ。時間にして30分もかかりませんので、ガイドさんと回るのはお勧めです。多分、ガイドさん抜きではここの施設の見所はよく分からない気もします。