2012年02月08日 19時01分

近鉄・生駒鋼索線(4)生駒山上駅。

「生駒山上」駅には13:16着。
ほんの数人の乗客が去った後は、遊園地の休園も相まってより寒々しく感じる「生駒山上」駅がポツンと侘しげに佇んでいました。

それでも気を取り直して生駒山上からの風景を堪能し、やはりケーブルカー乗車の醍醐味は“絶景” であると一人納得していました。

この後、山を降り、近鉄奈良線「生駒」を14:04発の電車で最後の目的地「京阪・男山ケーブル」を目指しました。
と、ここまで書いて「生駒山上」駅に降りてから48分後の奈良線の電車に乗っている・・・ということを何人の方に不思議と思っていただけたか心配になりました。

山上線の運転間隔ですが今は40分ですが、確か平成15年12月4日当時も同じようなものだった記憶があります。
つまり、「生駒」発14:04乗車は、物理的に無理な相談です。
さて私が選んだ移動の手段は?
答えは『徒歩』で下山!
正確には「転がり落ちる」様に“走る”でした。ケーブルカーで2キロなので「ケーブルカー」利用よりも早く下山できるという『読み』は当たったのですが…。一言、疲れました!

ところで…、昨日の写真を見ていて気付いた(遅い!)のですが、行き違い箇所の分岐器が片開きでした。ケーブルカーのポイントと言えば両開きと思い込んでいたのですが、考えてみれば宝山寺線の行き違い箇所の分岐器は路線の構造上、片開きだったわけで山上線が片開きであっても不思議ではないのですが、それでも不思議な感じです。

2012年02月07日 19時00分

近鉄・生駒鋼索線(3)山上線。

『宝山寺線』「宝山寺」のホームの目の前に『山上線』「宝山寺」のホームがあり、そこから13:09発のコ15型16号車「スイート」に乗車。
参考までに上段写真の手前右下の看板には「生駒山上遊園地 本日休園」とあり、私が驚いたのはそれでもケーブルカーが運転されているということと、それにも増してこのケーブルカーに私以外の乗客がいたことです。
その方達はハイキングを楽しみに来られて感じでしたが、何せ12月に入っており、何よりこの日は決して青天ではなく肌寒かった覚えがあり、「何でこんな日に…」と思ったことを今も覚えています。(決して脚色していません)

途中で行き違ったのがコ15型15号車「ドレミ」で、何れも劣らぬ浮き浮きと楽しそうな明るい装飾をしており、こういうケーブルカーこそ例え私は一人であっても、せめて親子連れの楽しい笑顔に包まれていたかっというのが本心です。もっともいればいたで本当にそう思ったかどうかは定かではありません・・・。

2012年02月06日 18時59分

近鉄・生駒鋼索線(2)宝山寺駅。

「ブル」の「鳥居前」発は13:00で、「宝山寺」着は13:05でした。(上段写真はその到着時)
下段写真は、接続の『山上線』の発車までのほんの数分の時間を利用し撮影した宝山寺駅の外観で、“駅前”のあまりの狭さに驚きました。

途中に「踏切」があることでも知られる宝山寺線ですが、乗ってみてわかったのは、思ったより傾斜が緩やかなことで確かに踏切があっても『さもありなん』というのが私の感想です。
もっともその踏切は車内からボーっと見ていただけで何故か写真を撮っていませんでした。当時、こうしてブログを始めるなど思いもよらぬことで今思えば「記録」を含めて色々な視点で写真をとっておけばと少々後悔しています。(私の個人的なつぶやきです)

ところで「ブル」の顔は名前の通り“ブルドッグ”からとったものだと私は思っています。愛嬌があるその表情は、目の部分に当たる正面の窓によって醸し出されており遊園地への行楽の足としてはOKですが、通勤でこのケーブルで利用する方は、日々少々複雑な心境で乗車されているのでは余計な心配をしています。まあでも、逆に考えれば毎日の通勤が楽しくなるのかもしれません。
※「鳥居前」~「宝山寺」間の運転時間は6:15~23:40で間違いなく日本で一番運転時間の長いケーブルカーです。因みにケーブルカーですので「鳥居前」も「宝山寺」も出発時間は同じです。

大正7年(1918年)8月29日開業で、何と日本で一番歴史のある由緒正しいケーブルカーであるこの宝山寺線。単に乗るだけの対象としてだけではなく、もう少し心して乗るべきであったと反省しています・・・。

2012年02月05日 18時56分

近鉄・生駒鋼索線(1)鳥居前駅。

平成15年12月4日、生駒線「信貴山下」発11:53に乗り、「生駒」着12:17。昼食を駅前のどこかのお店で摂り(何を食べたのかを覚えていません)生駒駅の目の前というか真横にあるといっても良い生駒鋼索線「鳥居前」駅(上段写真がその外観)の構内に入りました。

生駒鋼索線(生駒ケーブル)は、皆さんもご存知のように「鳥居前」~「宝山寺」間(0.9キロ)と、「宝山寺」~「生駒山上」間(1.1キロ)の2つのケーブルカーが1つの線名となっています。今回は、「鳥居前」~「宝山寺」を『宝山寺線』、「宝山寺」~「生駒山上」間を『山上線』として話しを進めます。なおこの線名は近鉄のHPでもそう使われています。

下段写真はそのホームですが、噂には聞いていましたが、1面2線の幅広のホームは存在感抜群で、こう言っては何ですが、ちょっとした“ターミナル”の雰囲気さえあります。停車中の左側のケーブルカーは『宝山寺1号線』のコ11型11号車「ブル」で、右側に停車中のケーブルカーは『宝山寺2号線』のコ3型4号車「ゆめいこま」です。

ひょっとして知らない方は少ないとは思うものの、少し解説するとここ「生駒ケーブル・宝山寺線」は、1号線と2号線の2つのケーブルカーが並走する形態となっており、その線路を見ればまるで“複線”で、上りと下りのケーブルが行き違い場所は、“複々線”となっています。
と言っても普段から1号線と2号線の両方が動くことは無いようで、初詣等の繁忙期のみ2号線も動くようで、この日も私は左側の「ぶる」に乗車しました。

2012年02月04日 19時05分

近鉄・信貴山鋼索線(3)「西信貴ケーブル」で発見。

「信貴山口」で『ずいうん号』に乗った時は気付かなかったのですが、「高安山」で10:57に下車して、車両の山上側に“貨車”が連結されているのを見つけました。「Wikipedia」では『コニ7形』とありましたが、いつも連結されている訳ではないようで、この“貨車”の上の『箱』が気になりましたが、とりあえずそれは深く掘り下げず、「高安山」発11:02のバスで「信貴山門」(11:09着)を目指しました。

下段写真で、平成15年12月4日の見事な紅葉の上にあるのが『信貴山朝護孫子寺』で、西信貴ケーブルがあるのはこのお寺の参拝用の足として作られたためです。
それにしてもこのお寺、下から見上げているだけでも十分絶景です。紅葉シーズンとケーブルカーはお似合いですね。

ところで『信貴山朝護孫子寺』には今回乗車した「西信貴ケーブル」の他に、昭和58年まで「東信貴鋼索線(東信貴ケーブル)」がありました。
その山上側の終点「信貴山駅」は、今はバス停となっておりそこから11:40発のバスに乗り、東信貴ケーブルの終点でかっての近鉄生駒線との連絡駅「信貴山下」に向かいました。
同じ下山するにも、そこにケーブルカーがあったと思うだけで何故かバスに乗りながら『廃線巡り』をしている気分でした。それは何故???

実は高校の修学旅行の目的地の一つがここ『信貴山朝護孫子寺』で、とても名古屋の高校の目的地とは思えないものの何と、この「信貴山駅」から程近い所に宿があった記憶があり、自由時間に数人で「信貴山下」まで駆け下りて東信貴ケーブルで山上に戻っています。
でも、、、写真が、、、無い・・・。

2012年02月03日 19時04分

近鉄・信貴山鋼索線(2)目指せ「高安山駅」。

日本最大の私鉄は、ケーブルカーの総路線長でも日本一です。
ここ「信貴山鋼索線」(西信貴ケーブル)が1.3キロ+「生駒鋼索線」(生駒ケーブル)2.0キロを合わせた総延長3.3キロが日本一で、2位は立山黒部貫光の2路線計2.1キロです。参考までに1路線では坂本ケーブルの2キロです。

そんなことはともあれ、何故か「信貴山口」駅で20分も待ち10:50発に乗車しました。ここで分かったのは近鉄信貴線の電車と西信貴ケーブルは“接続”して運転されている訳ではないということ。というより正確にはケーブルの方が本数が少なく、必ずしも信貴線の全電車がケーブルに接続していなかった記憶があります。

そんな愚痴めいた話はこれ位にして、「信貴山口」を出発したケーブルは木立の中を進んでいきます。その向こうには大阪の町並みが広がっているのですが、写真では少し霞んでいるのが残念です。でも私の眼の前には広がっていたのは間違いなく“絶景”でした。
※ケーブルカーは間違いなく「登山鉄道」ですが、上段写真はパッと見「ラックレール式」鉄道のようです。(私だけ???)
線路の真ん中にあるケーブルの“誘導滑車”がまるで「ラックレール」のよう・・・。まあ同じ『登山鉄道』のジャンルですが。

さて下段写真ですれ違っている電車は「しょううん号」で、この時私が乗っているのは「ずいうん号」です
なおこの2両のケーブル車両、今は塗装変更されています。

ところでケーブルカーの行き先は「高安山」です。信貴山鋼索線(西信貴ケーブル)なのに「高安山」が終点とはこれ如何に。
まあ目的地が『信貴山』であるのは間違いないのですが、『信貴山』に西側からアプローチするのに直接行くルートでの建設が難しかったのであろうと察しています。

2012年02月02日 19時01分

近鉄・信貴山鋼索線(1)近鉄「信貴山口駅」。

いよいよケーブルカー巡りの最終段。平成15年12月4日の足取りです。まず向かったのは近鉄・信貴山鋼索線「西信貴ケーブル」。

名古屋を8:25のひかり301号で新大阪に向かい、新大阪~大阪~鶴橋とJRを乗り継ぎ、鶴橋10:08の近鉄で河内山本着10:24。河内山本発10:25の信貴山口行きに乗車し同着10:30。
はなから話しが脱線して恐縮ですが、名古屋から「のぞみ」ではなく「ひかり」に乗ったのは単に料金の差です。仕事の時に「のぞみ」に乗るか「ひかり」に乗るかの差は単に“時間の都合”ですが、プライベートは時間もさることながら費用も重要視しています。

などと書きつつそろそろバレテいると思いますが、近鉄「信貴山口」駅の写真の日付が『03 12 14』ではなく、『79 10 13』です。
そうっ、この写真の撮影日は昭和54年10月13日。
実は『南海電気鉄道・鋼索線(2)(3)』で紹介したように、その日、南海高野線に完乗した私は、難波から近鉄に乗り、上本町で16:12発の電車に乗り換え、河内山本着16:32。同発16:41で信貴山口着16:46。折り返し同発16:49に乗車したので、この写真は僅か3分の間に撮影したものです。
昭和54年10月13日、近鉄信貴線に乗車した私は山本~布施~西大寺~平端と近鉄を乗り継ぎ、天理を目指しました。
つまりこの時、『西信貴ケーブル』に乗っていません。

ところで今回の文章は、近鉄の路線図が頭に入っている方には別段問題は無いのでしょうが、そうでない方には何処から何処を目指して移動しているかがさっぱり分からないでしょうね。

2012年02月01日 19時54分

南海電気鉄道・鋼索線(4)高野山ケーブル。

「高野山ケーブル」の1編成(2両)の乗車定員はWikipedia等で調べた限りですが、「箱根登山ケーブルカー」よりも多く、日本最大の260名です。
またWikipediaの「南海コ11・21形客車」の記述には特急「こうや号」の1編成分の乗客が乗車できるとあり、それは私自身が体験していました。

ということで平成15年11月1日、「極楽橋」に9:28に到着した私は、上段写真の9:34発のケーブルカーで下段写真の「高野山」駅を目指し、無事9:39に高野山ケーブルを完乗しました。

ここから接続するバスでまずは『金剛峯寺』を目指し、そこから最終的には『奥の院』まで足を延し、ほぼ“高野山”を一巡しました。そして分かったことは高野山が、弘法大師空海が開いた仏教の聖地であるだけではなく、山上に広がる堂々たる(宗教)都市だったことです。

深山を切り裂くように走る南海高野線で周りに何もない「極楽橋」に到着し、そこから黙々と「ケーブルカー」に乗り継ぎ、やはり何もない「高野山」駅からバスに乗りしばらく走ったところから急に視界に入ってくる『人の息吹』は感動すら覚えました。
今は自家用車や観光バスでここを訪れる人も多いのですが、その方達も私と同じような感想を持つのでしょうか?

ここへの足がほぼ鉄道だけだった時代もそんなに遠い時代では無かったわけですが、その前は自分の足で人々はこの高野山を目指しました。いつからここが『都市』を形成していたかは歴史の研究家にお任せすることになりますが、単に“門前町”というには少々違和感を覚えたほどです。

余談:この日、アマチュアカメラマンの姿を至る所で見かけました。いくら標高が高いとはいえ、紅葉の時期には少々早かったのですが、それでも一部は色づいていました。

こうして私はほぼ一日を山上で過ごし、「高野山」駅発16:04で下山し、「極楽橋」着16:09。そして「極楽橋」発16:28の『こうや10号』で難波に戻りました。

この日は天候が良かったこともありますが、折角ここに来るのなら「乗り鉄」だけのタッチアンドゴーでは勿体無いというのが私の感想です。

2012年01月31日 18時29分

南海電気鉄道・鋼索線(3)昭和54年の乗車券。

昭和54年10月13日は「『高野山詣で』に出かけた」と言いたいところですが、目的は南海高野線に乗車し「極楽橋駅」に行くこと。この頃『日本の鉄道全線乗破』に向け、まるで“修業”の如く休みになると鉄道に乗り続けていました。

この日と言うか、この前日の10月12日に家を出て、近江鉄道全線、近鉄伊賀線(今の伊賀鉄道)に乗車し、桜井駅の近くの宿で一泊。この日は近鉄吉野線に乗車した後、南海「橋本」12:59の電車で「極楽橋」を目指しました。(極楽橋着13:44)
その乗車券が最上段で、「橋本」~「極楽橋」間は220円でした。(わざわざ書くことも無いですね)
2段目が難波に抜けるために極楽橋で購入したもので、極楽橋発14:15の急行で難波着は15:54でした。

で、私は極楽橋での31分間の折り返しの間に3段目の極楽橋の入場券を購入し、更に最下段写真の乗車券を使ってケーブルカーで「高野山」との間を往復したのでしょうか?
否!であれば私は、平成15年にわざわざ高野山ケーブルカーまで来ることはありません。ではなぜこの乗車券があるのでしょう?
実は、極楽橋駅の駅員さんが、わざわざ“無効印”を押して私にくれたものです。
「極楽橋」まで来て、高野山に向かわず入場券を買って難波までの乗車券を買うという行動をするのは「鉄道マニア」くらいで、それを察してくれた駅員さんから1枚の乗車券が私の手元にやってきたのです。でも「君はケーブルカーに乗りにもう一度ここ(極楽橋)にやってくるよ。だからこのケーブルーの乗車券を1枚プレゼント」とその駅員さんが思っていたかどうかは定かではありません。

2012年01月30日 18時24分

南海電気鉄道・鋼索線(2)極楽橋駅。

特急「こうや1号」が高野山ケーブルカーへの乗り換え駅「極楽橋」に着いたのは9:28。
名古屋を出て3時間弱での到着は、何ともあっけないというか、思いのほか短いものでした。また高野線の「橋本」を出てからの“山岳”区間は、急勾配と右に左へのカーブの連続と、途中駅でのポイント通過も『楽しい』もので、再訪して「天空」に是非乗ってみたいと思っています。余談ですが…。

ところでこの日の「極楽橋」駅は2回目の訪問で、最初は昭和54年10月13日でした。
下段写真はその際の「極楽橋」駅で、上段と下段の間には24年の歳月が流れています。

色の違いは、下段写真が経年により退色してしまっているためで、恐らく建物の色はそれほどの違いは無かったのではと思っています。なお下段写真は、プリントをデジタルカメラで撮影していますが、色の修正はしていません。(ネガは行方不明です)

時代の異なる2枚の同駅の大きな違いは、下段写真のほぼ中央にある「極楽橋駅」の大きな駅名看板です。平成15年では見当たりませんですが、今はどうなっているのでしょうか?
昭和の時代に、この「極楽橋」に降り立った時、駅の外に出た乗客は一人もいませんでした。でも上段写真では駅外に人が写っています。それは…。
上段写真は、高野山ケーブルを乗車後下山し、難波行きの発車まで少し時間があったので私はホームで待たずに外へ出たいました。
そして私と同じような方が何人かいらっしゃいました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!