2012年01月19日 21時03分

筑波観光鉄道(2)。

筑波観光鉄道「筑波山鋼索鉄道線」は全線で1.6キロ。高低差495メートルをおよそ8分で繋いでいます。

さて私がこのケーブルカーに乗っていた8分間、珍しく座席に座ってジッとしていました。普段ではありえないことです。
その理由は100%私と同じ趣味と思われる方が偶然乗り合わせており、その方が私より先に車内で積極的に「鉄」活動(スチール+ビデオ)を始められたので、他の乗客の方々の手前、ケーブルカーの狭い車内で2人が動き続けるのは少々憚られたからです。(というかスペース的にほぼ無理)

「筑波山頂」駅は標高800メートル、そこから『男体山』の山頂(標高871メートル)までは15分ほどの道のりだったと思います。
その山頂には「筑波山神社男体山御本殿」があり、私はそこにお参りしたのち、山頂からの絶景を堪能していました。(下段写真)

ケーブルカーは、その路線乗車時に絶景が楽しめる路線も多いのですが、やはりその『先』に絶景が待っていることが多いです。
ただ、終点からもうひと手間というか、もうひと努力した先に“絶景”が待っていることが多いのが私の様な無精者と言うかモノグサには難点です。(贅沢な悩みです)

さて、絶景を楽しんだ後は路線バスでJR常磐線「土浦駅」に出て、そこから「上野」~「東京」~「名古屋」のルートで家路に着きました。

ケーブルカーの乗りつぶしは一筋縄ではいきません。

2012年01月18日 21時20分

筑波観光鉄道(1)。

「筑波観光鉄道」という会社名より「筑波山ケーブルカー」の方が通りが良いですね。

私はこのケーブルカーに、平成14年1月19日(土)に乗車しました。
その前日の1月18日(金)、東京で会議があり1泊したので、その余勢を駆ってこの日、筑波を目指しました。

当時は『つくばエクスプレス』の開業前だったこともあり、取りあえず「東京駅八重洲口」から「筑波山」行きの高速バス(関東鉄道ではなくJRバス)に乗り込みました。

「東京駅八重洲口」からの発車は09:10、「筑波山」到着は10:50でした。
バスの終着は「筑波山」と名乗っていても、ケーブルカーの乗り場に近い訳ではなく、廃線となった「筑波鉄道(関東鉄道)筑波駅」のあったところで、現在は紛らわしいということでその場所は「筑波山口」と名称変更となったようです。
何れにしろ私は、その「(旧)筑波山」停留所からケーブルカーの始点である「宮脇駅」(上段写真)までタクシーで移動し、11:20発のケーブルカー(下段写真)で「筑波山頂駅」を目指しました。
余談ですが、最初は高速バス「筑波山」(路線バスでは『筑波駅』停留所)からバスを乗り継ごうと考えていたのですが11:25発まで35分待たねばならず時間の都合で諦めました。

またケーブルカーの「筑波山頂駅」は、当時、私が現地で入手した観光パンフレットには単に「山頂」と記載されており、今回の話題を書くために自身の記録帳を見直していて、単に「山頂」とだけ書いてあるのに気付きました。あるまじき失態です。

ところで車両の愛称名は写真にあるのが「もみじ」で、もう一両は私の乗車当時は「つつじ」でした。
2両とも今は塗装が変更され、「つつじ」の方は今は「わかば」を名乗っています。

2012年01月17日 21時08分

高尾登山電鉄(2)。

高尾山ケーブルは、その公式HPによれば全長1キロ。
高低差が271メートルで、最急勾配は31度18分。この31度18分はケーブルカーで『日本一』の急勾配で、と言うことは、日本の“鉄道”の営業路線での最急勾配となるでしょう。
確かこの上段写真の辺りが『最急勾配通過中』で、良く見ると「行き違い箇所」を通り過ぎた所から、グッと坂がきつくなっているのが見て取れます。

一方、車窓に目を向ければ、目の前に広がっているのは、冬の寒々しい景色ながら、それはそれは雄大なものでした。この時、私が何を考えていたかと言うと『ケーブルカーは“麓(ふもと)”側が特等席』というごくごく当たり前のことでした。

そして到着した下段写真の「高尾山駅」(駅舎の「驛」の表示に時代を感じます)は山小屋風で、しかも堂々と佇んでいました。
写真ではあまり人が写っていませんが、この瞬間を結構、この位置で待った記憶が蘇りました。

ここから高尾山薬王院まで暫く歩き、ちゃんとお参りしてから帰路につきました。
さてこの高尾山で私は何をお願いしたのでしょうか?
決して「今年も鉄道の旅が楽しめますように」といったことではなく、「家族と自身の健康」だったと思います。初詣に限らず、神社仏閣での参拝時、私はいつもこう願いを込めており、やはり家族と自身の健康が無ければ、“趣味”を楽しむなどということは到底あり得ません。おっと危ない!結局は自分が“鉄道”を楽しむための『家族の健康祈願ですか?』と言われてしまいそうです。

ところで1月も半ばになってから言うのも何ですが、このブログを読んでくださっている皆さんにとって、今年が良い1年であることを祈っています。

2012年01月16日 21時05分

高尾登山電鉄(1)。

昨年の2月9日の『立山黒部アルペンルート(5)黒部ケーブル「黒部湖駅」』の話題以来の「ケーブルカー」の登場です。
暫く「ケーブルカー」にご乗車ください。

まずは高尾登山電鉄。「高尾山ケーブル」と呼んだ方が、通りが良いかも知れませんね。

この高尾山ケーブルに、私は平成14年1月21日に乗っています。
私の手元の記録帳ではこの日、中央本線高尾駅からの足取りが残っています。
まず中央本線高尾発10:20、高尾山には向かわず、四方津着10:40。ここで「鉄道」の範疇ではないコモア・ブリッジ(このブログでは平成22年10月31日にUP)に乗り、この後、四方津発11:16で高尾着11:45。
京王電鉄高尾線に乗り換え、高尾発11:48で高尾山口着11:50。
(着発時刻は私の手元の時計によるもので、実際のダイヤと異なる場合もあります)

数分歩いて高尾山ケーブル「清滝駅」発12:00。
「高尾山駅」着12:05頃。

この日は天候に恵まれ、1月も下旬でしたが高尾山薬王院への初詣で客もまだまだ多く、『高尾山ケーブルカー』は真冬の閑散期と思い込んでいた私の予想は見事に覆されました。
※ケーブルカーは平成20年に新しい車両となりましたが、私はまだ見ていません。

2011年02月10日 8時01分

立山黒部アルペンルート(7)関電トロリー「扇沢駅」

私が立山黒部アルペンルートを踏破した平成6年(1994年)は、
関電トロリーが開業して30周年にあたり、
扇沢の駅にはその記念横断幕が掛けられていました。
ところでこのルート、
昭和29年…「立山ケーブル」
昭和30年…「高原バス」(全通は昭和39年)
昭和39年…「関電トロリー」
昭和44年…「黒部ケーブル」
昭和45年…「立山ロープウェイ」
昭和46年…「立山トンネルバス」が開通して全線開業。
となっており、この一枚の横断幕は
結構意味合いがあるものと思っております。

そんな歴史はさておき、「関電トロリー」(立山トンネルバスも同じ)で
思い出したことが1点。
狭いトンネルを突っ走るバスの運転手さんの運転技術には
驚かされました。
本当はそんなにスピードは出ていないのでしょうが、
何せ壁が近く圧迫感があり、もしも私が運転したら間違いなく、
間違いなく壁にぶつけていると思いました。
それと、トンネルの真ん中の信号所で対向車と行き違ったのですが、
何台も連なったバスが“交換”する光景は「鉄道」と違って
車両が連結されていないだけに不思議な感じでした。

(皆さんの感想をお聞きしたいこと)
それは「立山トンネルバス」のこと。
平成8年に“電化”され「立山トンネルトロリーバス」となっています。
トロリーバス化された後に私は乗っていませんが、
これを乗った路線としてカウントしておいて
良いものかどうかについてです。
非電化の路線が電化されても、当然の事ながら元々線路があるため、
それは全く気にしていなかったのですが、こうした場合は想定外。記録ホルダーの立場では、やはり乗りに行くべきなのでしょうね?

2011年02月09日 18時20分

立山黒部アルペンルート(6)関電トロリー「黒部ダム駅」

昨年の6月14日、このブログでも
この「関電トロリー」をUPしていますが、
その時は、平成6年当時の話しはUPしていないので
2度目の登場をお許し下さい。

「立山黒部アルペンルート」もしくは「黒部ダム」の公式HPの
車両写真と見比べていただければ良いのですが
この車両、実は今は走っていない旧車両200型です。
如何にも昭和を感じさせるデザインは、
まるで『ブリキおもちゃ』の様な愛らしさです。
(そう思うのは、私だけ?)
ところで先回UPした300型は、
200型から車体デザインの変更だけではなく、
VVVFインバータ制御方式など当時の最新技術が取り入れられています。

「黒部ダム」~「扇沢」間、6.1キロを16分で結ぶこのトロリー、
私が生まれて初めて乗ったトロリーではなく、
以前、ヨーロッパで乗ってはいるのですが、
それが日本で初めてとなればやはり感慨はありました。

乗ってみての感想は、正直、覚えていません。
乗客が多かったのと、同行者もいて落ち着いて『堪能』できるような
状況ではなかったかと思います。
※「ディーゼルエンジンのバスと形は同じでも
走行音の静けさには驚かされました」と
想像で書くのは簡単ですが、やはりここは正直に…。

「黒部ダム」公式HP内のコンテンツ「日本唯一のトロリーバス」は、
私のようなメカ初心者には分かりやすい内容と思います。
お勧めです。

2011年02月09日 9時08分

立山黒部アルペンルート(5)黒部ケーブル「黒部湖駅」

全線で0.8キロ、駅間標高差373メートル、
最大勾配31度の黒部ケーブル「黒部湖駅」です。
起点から乗車して、下っていく感覚はちょっと不思議な感じです。

「黒部平駅」発13:00のケーブルは、
何もない(当たり前ですが)コンクリートの筒の中を
ひたすら「黒部湖駅」目指し「黒部湖駅」には13:05到着。

そう言えば思い出したことが一つ。
乗客の方達が、このケーブルの中だけはあまり会話を
されていませんでした。
分かるような気もしますが何故だったんでしょう?
ところでこの話し、覚えていてもしょうがないことを時々思い出す
“年配者”の習性でしょうか?

俗に言われている“「地下鉄」のようなケーブルカー”という表現が
ピッタリ過ぎて『恐れ入谷の鬼子母神』(おそれいりやのきしもじん)と
思わず若い人には辞書を引いても理解不能な言葉が
思わず頭に浮かんでしまいました。

そんなことはどうでも良くて、
間違いなく『絶景』の真っ只中を走るケーブルが
全線地下はあまりにも勿体無いのですが
“自然保護”“雪害防止”の観点からの選択なので致し方ないですね。
せめて珍しい「地下ケーブルカー」ということだけを
ひたすら楽しみましょう。

2011年02月05日 18時00分

立山黒部アルペンルート(4)黒部ケーブル「黒部平駅」

写真は、日本では“唯一”の「全線地下」を走るケーブルカー
『黒部ケーブル』の「黒部平駅」です。

(参考)
青森県の「青函トンネル竜飛斜坑線」は全線地下とは言えないそうです。
何故なら「青函トンネル記念館駅」は一見、地下駅に見えますが、
実際には建物の中にあって“地下”ではないからとのこと。
よって「全線地下」は『黒部ケーブル』だけだそうです。

さて、平成6年7月6日、「弥陀ヶ原ホテル」を出発した私は、
バスで「室堂」に向かい、暫し散策(取材の下見です…)。
昼食後に、「室堂」発12:15の“立山トンネルバス”で「大観峰」へ。
※当時“立山トンネルバス”は、現在の様なトロリーバスではなく、
普通のディーゼルエンジンのバスが走っていた。

「大観峰」発12:40のロープウェイで「黒部平」へ。
そしてこの写真の「黒部平駅」に至るということですね。ふうっ。

余談ですが、この訪問時、このルートの『広報担当者』から、
そのロープウェイが輸送能力の問題から「立山黒部アルペンルート」の
ボトルネックとなっており、
ハイシーズンともなると乗客の行列が出来る“名所”だと聞きました。
この『待ち』があるかどうかでこのルートの
所要時間が変わるとも仰っており、
今もそんなに状況が変わっているとも思えないので
“ケーブルカー”&“トロリーバス”の『乗り鉄』の方は
訪問時にはその辺りのことも考えてスケジュールを
組立てたることをお勧めします。

2011年02月05日 8時03分

立山黒部アルペンルート(3)立山ケーブル「美女平駅」からの眺め。

「美女平駅」からは絶景が望め、思わずこんな写真を撮っていました。

ところで仕事で「鉄」をしておいて何ですが、
このケーブルの乗車日である平成7年7月5日から、
私はケーブルカーの乗車記録をつけ始めました。
昨年の10月8日にUPした「丹後海陸交通」や
そのうちUPしようかと思っている「箱根登山鉄道」のケーブルは
大学生の頃に乗ってはいるのですが、記録をとっておらず
改めて乗り直しています。
この「立山ケーブル」、実は私にとって「ケーブルカー」完乗への
『第一歩』という記念すべき路線でした。

さて、私はこのブログで「立山ケーブル」という名称を使っていますが、
『鉄道要覧』では、後日ここでUPする予定の
「黒部ケーブル」も含め線名は“鋼索線”となっています。
正式名称となれば“鋼索線”を使用すべきでしょう。
一方、「立山黒部アルペンルート」の公式HPでは
それぞれ『立山ケーブルカー』『黒部ケーブルカー』となっており、
この線名を使うことも考えたのですが、
好みの問題と言う事でお許し下さい。

また「立山黒部アルペンルート」と言えば、
その知名度は高いと思いますが、この名称は昭和45年からで、
意外なこと(と言えるかどうかはわかりませんが)に、
このルートの全通は翌昭和46年で、
一足早い“名称”のお披露目でした。

(余談)
社名の「立山黒部貫光」にある「貫光」って一体なんでしょうか?
少なくとも辞書には無い言葉です。
今回のブログを書くにあたり公式HPを見てみました。
それによれば「貫」とは時間のことで、
「光」は宇宙空間、大自然を意味し…、
思いのほか壮大で高邁な理念に基づく
「造語」であることはわかりました。
以前、取材時に聞いているはずなのですが思い出せないので
調べ直した次第です。
人間は忘れる動物である・・・。

2011年02月04日 18時17分

立山黒部アルペンルート(2)立山ケーブル「美女平駅」。

平成6年7月5日、富山地方鉄道の「電鉄富山駅」発12:51に乗車。
「立山駅」着13:53.
立山開発鉄道「立山駅」発14:00に乗車。
写真の「美女平駅」には14:07に到着しました。
わずか7分間の出来事でしたが、風景の良さはじっくり楽しめました。

『立山黒部貫光』のHPによれば、
この立山ケーブルの開業は昭和29年(私の生まれた年。
それだけでも親近感が湧くと言うものです)ですが、
今の「立山駅」は開通当時「千寿ヶ原」という駅名で、
昭和45年に「立山駅」と改称されています。
※富山地方鉄道立山線の現「立山駅」も同じタイミングで
「千寿ヶ原駅」から改称されています。

そうっ、「千寿ヶ原」と言えば昨年8月21日にUPした
『立山砂防軌道』の「千寿ヶ原連絡所」を思い出します。
ケーブルの開業時は、同じ名前だったんですね。

(余談)
写真に写っている男性ですが、ちゃんとブログ掲載の「承諾」を取っています。
私が連絡しなかったら、多分、本人が見ても自分とは気付かなかったかも。何せ16年の年月が流れています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!