2011年02月04日 8時02分

仕事「鉄」で『立山黒部アルペンルート』へ。(1)

立山黒部アルペンルートを仕事「鉄」で踏破したのは、
平成6年の7月5日~6日です。

その年、富山側からですと「室堂」の少し手前、
広大な湿原が広がる弥陀ヶ原高原にある「弥陀ヶ原ホテル」が改築され、
これに伴い旅行代理店やマスコミ関係者の招待宿泊があり、
私も番組の下見を兼ねてそれに参加しました。

写真は、立山ケーブルの富山側の起点「立山駅」で、
今は、この先、黒部湖までの交通機関全てが
『立山黒部貫光』になっていますが、
当時、立山ケーブルは『立山開発鉄道』の路線でした。
(平成17年に『立山黒部貫光』と合併。現在に至る)
また、車両が現在のモノではなく、初代のものである点が
たかだか十数年前であっても時代を感じさせ、また懐かしいですね。

1.3キロの距離、駅間標高差502メートル、
平均勾配24度を7分で結ぶこのケーブル、
写真でも分かるように麓側に“貨車”が連結されていることが
多いのが特徴で、山男達のリュック等を運んでいました。
(「今も、」ですので「運んでいます」が正解ですね)

2011年01月30日 18時09分

妙見ケーブルをご存知ですか?(2)

今回、この妙見ケーブルをこの時期にUPしようと
思ったきっかけは、実のところ冬季休業中であるということ。
「ケーブル山上駅」周辺にはちょっとした公園と
ハイキングコースがあるにも係わらず、
冬季休業期間中は土日でも運転されていません。

そんな話しは少しお休みして、
写真は高低差229メートルを毎日(今は…ですが)行き来している
車両で「ほほえみ号」と言います。
写真より実物の方が、多分、色の感じが良くみえるはずです。
小ぶりな車体ですが、昭和35年の開業時からズーっと使われており
既に齢(よわい)50年を超えています。
ということは1月9日にUPしたオーストラリア/シドニー近郊の
「ジグザグレイルウェイ」の気動車と同い年で
向こうでは保存観光鉄道の『ビンテージカー』、
こちらではバリバリの現役車両という違いがあります。

ところで、神社仏閣への足としての鉄道が開通した事例は
枚挙に遑(いとま)がないですが、所謂鉄道線が旅客の減少により
相当数が廃線となっている一方、
多分、一般の鉄道線に比べ、少人数の乗客でも
経営的にはやっていけるであろう
ケーブルカーはまだまだ踏ん張っていると言っても
過言ではないと思っていましたが…。

とはいうものの、本来、安定した需要とも言える参拝客を運ぶことが主力で、
冬という季節要因のある観光路線ではないはずの妙見ケーブルでさえ
この状況ということは、やはり他の地方私鉄同様、
その将来を悲観的に考えてしまうのは私だけでしょうか?

春から秋にかけての観光客+初詣等の参拝客で
経営的に十分という事であればそれはそれで良いのですが…。

2011年01月30日 9時13分

妙見ケーブルをご存知ですか?(1)

能勢電鉄の「妙見ケーブル」です。
このケーブルの終点から更にリフトを乗り継いだ先にある
「能勢妙見山」への参拝の足として昭和35年から
能勢電鉄の路線として運営されています。
●昨年は、妙見ケーブル再開50周年でした。
※写真では、路線の全景は見えていますが
 ケーブルカーが米粒で申し訳ありません。

ところでこのケーブルの線名は『鉄道要覧』には記載されていません。
一方で、能勢電鉄の公式HPの“会社概要”には『鋼索線』と
記載されているので、線名という意味では「妙見ケーブル」ではなく
やはり『鋼索線』が線名なのでしょう。
この点は「Wikipeia」でも触れられています。

これと言った特徴はあまり感じないケーブルで、
「黒川駅」~「ケーブル山上駅」間、0.6キロを
5分ほど結んでいます。
あっ、一つだけ大きな特徴が…。
軌間が広軌の1,435ミリで、
日本のケーブルカーでは「伊豆箱根鉄道/十国鋼索線」と
ここの2箇所だけの珍しいゲージです。(間違いないはず)

私が乗車したのは、平成15年12月14日(日)で
このケーブルに乗るため、私は能勢電鉄の終点「妙見口駅」から
15分ほどの道程(みちのり)を歩きました。
バスもあるのですが、本数が少なくこの選択をしました。
「黒川駅」発12:00
「ケーブル山上駅」着12:05
話しをややこしくして申し訳ありませんが
この日は、この妙見ケーブルに乗車した後、
摩耶ケーブル~六甲ケーブルの順番で乗車しています。

ところで、乗車日にご注目!
ここで“ピン”と来た方は相当の「ケーブルカー通」です。
実は、今年度は12月6日から3月16日まで、年末年始や
能勢妙見山の行事がある2月11日を除いて冬季休業中なのです。

いつからこの『冬季休業』が始まったのかは知らないのですが
やはり正式名称『無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山』への
冬場の参拝客の減少しているのでしょう。
とにかく、次にこのケーブルに乗れる日は2月11日です。

2011年01月29日 17時38分

風前の灯!摩耶ケーブル(3)

『まやビューライン夢散歩』摩耶ケーブルの終点「虹の駅」から
「摩耶ロープウェー」を乗り継ぎ到着した
「星の駅」下車直ぐ目の前ある
摩耶山掬星台(きくせいだい)からの眺望です。

昼間でもこれだけの絶景ですが、
「手で星を掬(すく)える」という名前の由来の場所だけに
「100万ドル」ならぬ「1000万ドル」の夜景の名所だそうで
観光客もさることながら
市民にとっても昼は遠足、夜(?)はデートの名所であったりで、
“思い出”の多い場所のようです。

話しは脱線しますが、私は「高い所」から「下」を
眺めるのが好きで、戦国時代に武将たちが高い山の上に
お城を構えたのは、単に『守り』のためだったとは思えません。
(見当違い?)
子供達が小さかった頃は私が率先して大観覧車に乗ったり
飛行機だけではなく熱気球なども乗ったことがあります。
また、「鉄道の絶景ポイント」を問われた時には
「篠ノ井線の姨捨」「肥薩線の矢岳越え」を真っ先に挙げるほどで
私だけではなく、多くの方達の賛同は得られると思っています。
また高い所から“広い景色”を眺める観光地は日本だけではなく
世界中にあります。

さて話しがどう繋がっていくかと言うと
昨年の11月8日に、「函館山の夜景」の話しを書いていますが
乗客はとても多く、ロープウェイも最新式のものでした。

ここ「掬星台」からの夜景を、私は写真でしか見ていないのですが
それが『函館の夜景』に大きく見劣りするとは思えません。
勿論、乗り継ぎが必要で、一本で展望台に行けないと言う不利は
ありますが、観光地としての「神戸」の地位は低くは無いはず。
それだけに夜景(絶景)ポイントとしての「掬星台」が
世間にもっと知られ
「摩耶ケーブル」に明るい兆しが見えてくることを
既に手遅れの感が無きにしもあらずですが改めて願うものです。

2011年01月29日 8時36分

風前の灯!摩耶ケーブル(2)

摩耶ケーブルの車両は2両。
写真は1号車(ゆめあじさい)で、
私は2号車(にじあじさい)に乗ってこの写真を撮影しました。

昭和30年製ですので、「そんなに新しくは無い」どころか
半世紀を越えてなお現役の古豪です。
この辺りはやはり鉄道ならではですね。

車体には、動物たちの絵が描かれ、楽しい雰囲気を醸し出しています。
また、車両前面の窓下に、ヘッドマークの様なモノが
確認できると思いますが、1号車・2号車とも
「MAYA2001」の文字があり、
復活した「摩耶ケーブル」を象徴しているようです。

そんな「摩耶ケーブル」ですが、
神戸新聞の昨年10月25日の記事によれば、
昭和31年の年間99万人をピークに乗客は減り続け、
採算ラインが70万人にも係わらず、
一昨年の平成21年の乗客は27万人とのこと。
赤字は年間で1億円を超えているそうです。

このため、神戸市では平成23年度中にも
廃止の手続きにも入るようで、
住民や市議会議員から、存続に向けての要望も出されては
いるものの、見通しは決して明るくはありません。

「乗るなら今の内」等と言う発言は、
あまりにも「鉄」的な見方で、軽々に言うことは憚られますが
この「摩耶ケーブル」とその先にある「摩耶ロープウェイ」を
乗り継いで行った先の“摩耶山”は市民の憩いの場として
『思い出』を持つ方も多いようなので
今後の進展に目が離せない状況となっています。

2011年01月28日 18時32分

風前の灯!摩耶ケーブル(1)

写真は、神戸市にある通称「摩耶ケーブル」の
麓側にある「摩耶ケーブル駅」です。
このケーブルの正式名称は
『財団法人神戸市都市整備公社/摩耶ケーブル線』で
「摩耶ケーブル駅」~「虹の駅」間の0.9キロを結んでいます。
ところで「虹の駅」の名称は、摩耶ケーブルの公式HPや
時刻表で使われているものですが、
国土交通省鉄道局監修の「鉄道要覧」では
「虹の駅」ではなく「虹」の一文字ですので、
こちらが正式名称と思われます。

元々「六甲摩耶鉄道株式会社」が運営していたのですが、
阪神・淡路大震災で被災し、その後神戸市都市整備公社に
無償譲渡され、平成13年に復活を遂げ現在に至っています。

写真の「摩耶ケーブル」駅はその麓側にある駅で、
運転再開時にログハウス風に建て替えられたものです。

私のこの線の乗車日は平成15年12月14日で、
実は、これまでにUPした「六甲ケーブル」と同日で
順番としては、こちらを先に乗っています。
●摩耶ケーブル駅発15:00
●虹の駅着15:05
※「摩耶ケーブル」~「六甲ケーブル」間の移動は、
山側終点の「虹の駅」からロープウェイに乗り継ぎ「星の駅」へ。
そこから「六甲ケーブル/六甲山上駅」行きのバスに乗っています。

ところで、大正14年生まれのこのケーブルが
今、存亡の危機を迎えています。
理由はご他聞にもれず赤字!(続く)

2011年01月27日 18時03分

六甲ケーブル(3)屋根がオープンで良い感じ。

六甲ケーブルの車内です。

2両編成の内、麓側の車両はご覧の通りトロッコ列車の如くで、
屋根がガラス張りということもあり、
まるで貨車の『トラ』(無蓋車)にでも
乗っている気分が味わえます。
JR四国の予土線では、『トラ45000形』改造の
トロッコ列車「清流しまんと号」が走っていますが
屋根の分だけ、それよりも開放的な気分が味わえるかも???
と言っても私は「清流しまんと号」には乗っていないので
無責任な発言をお許し下さい。
もっとも貨車の『トラ』の荷台にも乗ったこともありませんが…。
(そんなことをした経験があったら、それはそれで問題かも?)

話しを戻しますが、麓側・山側の車両とも
このレトロモダンな雰囲気漂う内装のイメージは共通で
とても品が良く、観光鉄道しての要素として
私が重要視している「楽しく乗れなければ観光鉄道じゃない」
(※)をクリアーしています。
※このキャッチコピーは1980年代の「フジテレビ」の
「楽しくなければテレビじゃない」をパクっています。(笑)

ケーブルカーが観光鉄道であることに異論を
唱える方はあまりいないと思いますが、
内外装とも『楽しい乗り物』を感じさせてくれ
「乗ってみたくなるケーブルカー」は
私の個人意見的な意見としては少数派です。

他のケーブル鉄道事業社も、車体の更新時期が来たら
予算の問題はあるのでしょうが、少し“楽しさ”の要素を
付け足していただければと思います。

2011年01月27日 8時00分

六甲ケーブル(2)レトロな六甲山上駅。

昨日の「クラシックタイプ」のケーブルと
同色のバスがいる「六甲山上駅」です。

ここを起点に「六甲巡り」をする観光客も多数います。
だからこそ“2両編成”というケーブルカーでは
珍しい『大量輸送軌間』(と言っても良いと思っています)として
存在しています。

昭和7年3月の開業時からの建物だけあり、
そのどっしりとした風格を感じさせる佇まいは
個人的には、国の「登録有形文化財(建造物)」と同等の
価値があり、もっと評価されるべきと思っています。
※平成12年の第一回「近畿の駅百選」に選ばれています。

ところでこのケーブル、平成7年1月17日発生の
「阪神・淡路大震災」を抜きに語ることは出来ません。
この地のJR・私鉄同様、このケーブルも運休を余儀なくされ
復旧まで半年を有し、その開通は7月でした。
尤もお隣の「摩耶ケーブル」の運休期間が長期に渡ったのに比べ
早い時期の開通ではありました。

私は、「阪神・淡路大震災」の取材で、
平成17年1月20日過ぎから3月中旬まで
断続的に神戸に通っており、
六甲の表側(南側)と裏側(北側)の被害の落差は大きく、
私を含めた取材スタッフは、表側のホテルが稼動していなかったため
“裏六甲”のホテルに本拠地を構えていました。

当時「六甲山上駅」周辺は、あまり被害を感じさせなかったものの
「六甲ケーブル下駅」近辺の被害の甚大さに驚いたことを
今も、昨日のように覚えています。
震災時の取材については、このブログで書くべきかは
逡巡するところですが、
この震災時に、一般の鉄道が日々『復旧区間』を伸ばしていき
地元住民に与えるインパクトの強さをこの目で見た人間として
ケーブルカーの様な“観光鉄道”の復旧も
ある種の“復興への希望”を与える出来事だったのでは
ないでしょうか。

2011年01月26日 17時59分

六甲ケーブル(1)美しい色合いが好きです。

昨年の10月25日以来の「ケーブルカー」話し。
今回は、「六甲ケーブル」です。
正式な会社名は『六甲摩耶鉄道』と言い、
路線名が「六甲ケーブル線」です。
「六甲ケーブル下」~「六甲山上」間、1.7キロを
10分で結んでいます。

この線には平成15年12月14日に乗っており、
写真は、「六甲山上」発16:30、
「六甲ケーブル下」着16:40の乗車時に撮影しました。

写真は、2編成ある内の「クラシックタイプ」の車両で
“フェスティバルカラー”と呼ばれる緑と赤の塗り分けが美しく、
私はもう一編成の「レトロタイプ」よりこちらの編成の色の方が
好きです。(どうでも良いことですが…)

(概要)
高低差…493.3メートル。
最急勾配…26度。
軌間…1067ミリ。

この写真では良く分からないと思いますが、
このケーブルの架線は2本あり…、
と、ここまでは分かっていたのですが
今回、「六甲ケーブル」の公式HPを見ていて驚きの発見!
それぞれ、片方がAC(交流)200ボルト「電灯線」、
もう片方がDC(直流)100ボルト「信号線」の文字が???

何せ私は文系で、技術的なことは“サッパリ”なのですが
一体どういう構造になっているのでしょう?

2010年10月25日 9時08分

青函トンネル記念館からの帰りはバスで。

私のブログでは多分、初登場のバスです。

青函トンネル記念館から函館へは
三厩村の村営バスで津軽線三厩駅へ。
その後、津軽線、海峡線と乗り継ぎました。
そしてこのバスがなかなか良かったです。
※始発の「灯台」出発時の乗客は私一人。
乗車料金は1乗車200円均一で、
それが如何にも『村営』を感じさせました。
また「灯台」を出たバスは「龍飛漁港」バス停経由で
「三厩駅」に向かうのですが、「龍飛漁港」の「龍」に注目!
「竜」では無かったのです。
で、あとで調べたら、地名は「龍」を使っていると知りました。
例えば「龍飛崎」だったりします。
自身の浅学を恥じた次第です。
それはさておき、東北らしい漁村を抜けていったり
風情があり、乗客も地元の人しかおらず、
こんな経験が出来たのも『ケガの功名』だったかもしれません。

(三厩村営バス)
「灯台」発12:05
「三厩駅」着12:42

(津軽線)
三厩駅発13:03
蟹田駅着13:44
●蟹田駅前の“食堂”で遅めの昼食。
 帰る目処もたちやっと食事をする気になった。
 親子丼を食べたことを書きながら思い出した。

(津軽海峡線)
蟹田発14:39
函館着16:46

そしてANAで帰名。

私のブログを見ていただいている方は
「トラブル」「悪天候」が結構あることで、
話しとしては楽しんでもらえているのでは思っていますが
実は「家族」との「トラベル」でも結構トラブルのある私です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!