2010年10月16日 9時00分

屋島ケーブル「屋島山上」駅

写真は朝7:20過ぎの屋島ケーブル「屋島山上」駅。

一匹の犬が出迎えてくれました。
というか、誰もいない駅前に所在なさげな犬が
「お座り」している構図は、ただそれだけで
もの凄く哀愁を感じさせます。

あまりにも侘しい風景なので、
犬が動かないか待っていたのですが全く動く気配が無く、
撮り直しを断念しました。(作り話ではありません)

この「屋島山上」駅から、絶景のビューポイントまでは
少々距離があるとのことで、
折り返しのケーブル(「屋島山上」発7:35)で
早々に引き返しました。

その後、この屋島ケーブル/屋島登山鉄道は
平成16年に休止、平成17年に廃止されました。

屋島山上までの道路の開通・
『屋島』の観光地としての地盤沈下など
乗客激減(半端ではなかったようです)が廃止の原因とは言え、
最終的には親会社の経営難によって
このケーブルの命脈が尽きたと言えます。
(廃止まで確か20分間隔だった。よく頑張ったと思う。)

もしも、四国霊場第84番札所の南面山屋島寺が
このケーブルの『屋島山上』駅からもっと近かったら、
状況は変わったかもしれないと思ってはみたものの
その最終日、「Wikipedia」によれば電気系統の故障で
終日運休だったとのこと。
何だかこのケーブルの最終日を
象徴しているような寂しさを感じました。

2010年10月15日 9時05分

屋島ケーブル「義経」号

(屋島ケーブルの概要:駅にあった表記から抜粋)
全長…860メートル。
最急勾配…24度。
秒速…2.52メートル

車両にはそれぞれ「義経」(1号、写真の車両)、
「弁慶」(2号)という愛称が付けられており、
この写真をご覧頂いたとおり
とてもスマートとはいえない如何にも無骨な
「昭和のケーブルカー」を感じさせます。
ただ、私はこの形(デザイン)は決して嫌いではなく、
好ましくさえ感じています。
●少々懐古趣味的なマニアック(?)な話しになりますが
 今回、改めてこの写真を見てどこか身近なところで
 見ていたというか乗っていたような記憶が???
 思いだしました!昭和の時代に名古屋の街を走っていた
 市電の1500型に似ていると…。多分、私だけ…?
 ※この文章を書くため、
  「名古屋の市電と街並み」(トンボブックス)を
  参照し、型式名を確認しました。

ところで私が屋島ケーブルを訪れた平成14年頃
「高松琴平電気鉄道(琴電)」が
会社存亡の危機にあったことは知っていましたが
地元の住民ではない私には、
このケーブルが琴電の子会社で、親会社の経営問題が
後にこのケーブルの廃止にかかわるとは
思ってもみませんでした。

2010年10月14日 18時00分

屋島ケーブルは廃止の2年前に乗りました。

平成14年5月12日、この日まず向かったのは
通称/屋島ケーブル(屋島登山鉄道)でした。

琴電の「高松築港」発6:30、「瓦町」着6:34
「瓦町」発6:42、「琴電屋島」着6:56

で、屋島ケーブルの「屋島登山口」に着いたのが朝の7時。
ケーブルの始発は7:35でしたので
随分早く着きすぎてしまいました。
※写真をご参照ください。
7:35発も土日祝祭日のみのダイヤです。 

ところが…。
この日の始発は7:15でした。
では、写真の始発7:35とあるのは何故?
ご丁寧に、“次の発車は…”の次に『35』の行燈まで
存在しています。
どうしてこのような事態になったかは
その頃は分かっていたのでしょうが、
廃止され、かつ私の記憶が蘇らない今では
それを探る術(すべ)すらありません。

かくして私は
屋島登山口発7:15
屋島山上着7:20で、
すんなり屋島ケーブルを乗り終えました。
●他にもお客さんがいましたが、何となく同好の士??

2010年10月13日 8時59分

日本一の叡山ケーブルは霧の中

平成13年6月6日、衣替えの時期なのに
とても半そでではいられない寒い日でした。
比叡山は雨が降ったり止んだりで、
ところどころで深い霧に包まれました。
坂本ケーブルと一対の話しです。

写真は、叡山ケーブル(京福電気鉄道鋼索線)の
「ケーブル比叡」駅に停車中の車両です。
車両の後ろが白くつぶれていますが
これは“霧”のせいで単に飛んでいるだけです。
というか、外はそれ位『真っ白』。
そのため、ブログにUPして何が写っているかが
分かる写真はこれ1枚しかありません。

13:41に『ケーブル延暦寺』駅で降り、
比叡山延暦寺を巡り出したら雨が上がったので
バスに乗らずに歩いてロープウェイ乗り場を目指しました。
しかし、人っ子一人いない遊歩道を
しっかりと冷たい雨に打たれガックリ…。
15:12発の叡山ロープウェイに乗り
肝心の叡山ケーブルは
「ケーブル比叡」駅発15:30、
「ケーブル八瀬遊園」駅着15:39。
更に叡山電鉄叡山本線「八瀬遊園」駅発15:50に乗って
這這の体(ほうほうのてい)で出町柳を目指しました。
※叡山ケーブルの「ケーブル八瀬遊園」は、
 私が乗った翌平成14年、「ケーブル八瀬」に改称。
※叡山電鉄の「八瀬遊園」は同じく平成14年に
 「八瀬比叡山口」に改称。
時代の流れを感じずにはいられません。

お題の日本一の話しをし忘れていました。
このケーブルは全長1.3キロなのですが
その高低差561メートルは日本一。
つまり比叡山をケーブルで横断すると
2つの日本一を体験できるのです。これはスゴい!
でも天候を考えて出かけることをお勧めします。

(おまけ)
個人的にですが、“叡山ケーブル”は
『京福』というよりは『叡山電鉄』の
鋼索線の方といった方がしっくりくる気がするのですが…。

2010年10月12日 18時07分

坂本ケーブルは「乗車券」に魅力あり!

比叡山延暦寺への足という最も日本らしい交通機関にも係わらず
ヨーロピアン風の美しいデザインの車両です。

そして「縁」と「福」と書かれた硬券の乗車券。
坂本ケーブルのHPによれば
『第253世天台座主・山田恵諦猊下、白寿の折のご親筆』との
ことで、乗車券の左のところその銘があります。
購入した時に、“流石”と思いました。
いい記念にもなっています。
因みに車両の名前も「縁」と「福」になっており、
写真の1号は「縁」です。

ところでこの写真でもう一つ注目してほしいものが…。
当時はあって、今は無いものがあります。それは架線。
今回、このブログを書くために坂本ケーブルのHPを見て
大ビックリ!!何と、安全運行のために架線レス化との事。
一方で、パンタグラフは工費削減のため残しているとあって
それはそれで今の姿は面白いかも知れません。

今回の坂本ケーブルの写真と話しは以上!です。

実のところこの日は天候が悪く、
ケーブルカーが動き出してからは『五里霧中』。
日本一の長さを堪能するには「窓外の絶景」という
メインディッシュがあってのこと。
ところがその絶景は何と「視界ゼロの白一色」。
同じ白でも雪の方がまだ視界が利くであろうと思うほどの
状況で、ただただ耐えに耐えた11分でした。

終点の「ケーブル延暦寺」は白の絵の具で塗りつぶしたと
言っても過言ではないほどで写真は撮ったのですが
何が写っているか識別できないほどでした。

2010年10月11日 18時54分

坂本ケーブルは日本一

天橋立・鞍馬と京都が続いたので、次はお隣の滋賀県へ。

写真は比叡山鉄道、通称「坂本ケーブル」の
「ケーブル坂本」駅です。
●比叡山鉄道の全長2025メートルは日本一!
 11分乗車します。
●乗車日は平成13年6月6日。
 「ケーブル坂本」駅発13:30に乗車。
●この日は、京阪石山坂本線の終点「坂本」駅から
 バスでこの駅まで来ました。歩ける距離ではありますが
 直ぐにバスが来たので利用しました。

毎度文化財話しで恐縮ですが、この「ケーブル坂本」と
山を登った「ケーブル延暦寺」の駅舎は昭和2年の
開業当時の姿をそのまま残しており、2駅の駅舎とも
国の『登録有形文化財(建造物)』となっています。

勿論、乗った時はそんな事とは露知らず…。

ところでケーブルカー関係の『登録有形文化財(建造物)』は
私が調べた限り、この2駅舎と
南海の高野山ケーブル「高野山駅舎」の全部で
3つしかありません。
ケーブルカーの駅舎は、開業当時から変わらない姿を
今に残しているところも多いと思いますが、
やはり建物の“見た目”の優美さ等も文化財に登録する条件に
あるのでしょうか?

話しを戻してこの駅舎、
「是非、ご自分の目でその良さをご確認してください」と
言いたいところですが、私の記憶からは
スッポリと抜け落ちています。
申し訳ありません。
「乗り鉄」なんてそんなものと自嘲気味に思ったりしています。

2010年10月11日 9時00分

鞍馬山ケーブルの帰りは「きらら」

平成16年1月11日の鞍馬山ケーブルの帰り、
叡山電鉄の鞍馬駅に着いてデナ21の向こうに
見える電車に小躍り。

何とデオ900形パノラミック電車「きらら」が
駅に入ってくるではないか。
折り返し時間は殆ど無いはずと思い
あわてて切符を買ってホームへ。
たった3枚だけ写真を撮って車内に乗り込みました。
(写真は901+902の編成)

その当時と今の時刻が変わっていないとするならば
鞍馬に13:30着で、発が13:33。
「きらら」狙いの人なら事前に調べて出かけるのが
普通なのでしょうが、何せ今回はケーブルが目的。

僅か3分間の偶然で、私は「幸運」を引き寄せました。
「たまにはこんなことも無いとやってられないね。」などと
心の中でその時、思ったかどうかは覚えていません。

ところであれほどケーブルが混雑していたにも関わらず
「きらら」の鞍馬出発時はガラガラ。
乗り込んだ時点で車内の写真も撮っているのですが
はっきり言って誰も写っていません…。

なんだかなあ・・・。

2010年10月10日 18時41分

鞍馬山ケーブルは可愛い

鞍馬山ケーブルは初詣客もまだまだ多い
平成16年1月11日(日)に乗りました。
●「山門」発12:10頃

とにかく人が多く、
この写真が比較的『顔』の写っていない方だったので
こうしてUPしました。
●本当はケーブルカー全体が分かる写真にしたかったのですが
 とてもとても…。
 何で初詣の時期に乗りに来てしまったのだろうと
 後悔先に立たず。

運営者は「宗教法人鞍馬寺」で、「山門」「多宝塔」間の
0.2キロ(要は200メートル)というキロ程は
日本で一番短い鉄道です。(乗車時間約2分)
軌間が800ミリ(日本ではここだけ?)ということでも
有名なこのケーブルですが、
お寺の維持費を寄付することで運賃が無料ということでも
知られていますね。

私は登りでこのケーブルを使い、
帰りは歩いておりましたが、あまりにあっけない距離で
「えっ、たったこれだけ?」と思ったくらいです。
でも、登りはケーブルを使ってよかったとも思いました。

小さな小さなこのケーブル、比較対象にはならないでしょうが
スイスのナローゲージの登山鉄道のような愛らしさを
感じました。
(まあ、このケーブルもナローと言えばナローですね)

ところでこの日、鞍馬寺で何をお願いしたかは
すっかり忘れています。

2010年10月10日 8時00分

天橋立、ケーブルカーのついでのモノレール

再び、天橋立の続き。

天橋立にはモノレールもあります。
と言っても公共の交通機関ではなく
『天橋立ビューランド』という観光施設の乗り物です。
●ここは天橋立の「絶景+遊園地」が楽しめる
 ファミリー向けの施設となっており、
 ふもとから頂上までの“足”として
 このモノレールがあります。
 またモノレールに平行してリフトもあり
 これは天橋立ケーブルカーと同様ですね。

観光施設の乗り物とはいえ、ちゃんとしたダイヤもあり
運転間隔は20分毎。
その時刻も駅(と言うのかな?)に掲示してありました。
1編成の定員は16名。
規模は小さいですがなかなかの優れもので
「鉄」心をそそりました。
この日(平成18年9月24日)乗ったモノレールは
満席だったと記憶しています。

『天橋立ビューランド』は、丁度、天橋立ケーブルカーとは
天橋立を挟んで反対側にあり、
私はここでも「股のぞき」をしました。
ここの宣伝をしても何の得も無いのですが
「モノレール」があるから行った施設ではあるものの
天橋立の俯瞰の絶景を楽しむならここも“あり”だと思います。

(告白)
実は私、このモノレールで往復しておらず
上りはリフトでした。(これが結構気持ち良い)
まあ、片道乗ればOKですよね。

2010年10月08日 18時35分

天橋立ケーブルの運転台

ご存知の方も多いかとは思いますが
「府中」駅の乗り場にはこのケーブルカーの運転台があります。
と言っても今現在使用しているものではなく
昭和34年から平成6年まで使用されていたものを
展示用にここに置いているもので
触ることもできます。
●常識で考えてこんなところに運転台が
 あるはずないだろうと突っ込まないでください。

ここからは私の妄想です。

【もしもこの位置に運転台があったとしたら…】
『私(運転士)は発車ベルを鳴らすとノッチを入れた。
“目の前”に停車していたお客を満載したケーブルカーは
おもむろに動き出し、ゆっくりと私から“離れ始めた”。
そして徐々に速度を上げ、更に角度を増していく線路を
何事も無いように駆け上がって行った。』
どうです?考えるだけでワクワクしませんか?
まるで瀬野八越えを終えて切り離され取り残された
補機に乗っている気分も味わえます。
是非ともどこかのケーブルがこの位置に
運転台を設置し、「パフォーマンス」の如く
ケーブルカーを上下させてほしいものだと
結構本気で思っています。
(「山頂」ではなく、「麓」というのがポイント)
だって、電車や気動車の先頭に陣取って
運転士さんの一部始終を見ているのは
楽しいですよね。
そうっ、この場所に本物の運転台がほしいのです。

筆が滑ったついでですが、
最近、「体験運転」を実施する鉄道会社が増えていますが
ケーブルカーの「体験運転」は絶対に無理だろうなぁ…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!