2017年07月26日 22時28分

名古屋港で遊覧船に乗る(4)ミャンマーに行くはずが…。

名古屋港で遊覧船に乗った理由。それはミャンマーに輸出される予定だったにも関わらず、金城ふ頭に1年以上置きっ放しになっている元JR東海のキハ40系、キハ11形の所在確認。

たまたま1週間前、偶然この航路に乗船した知人から「思ったより間近で見る事ができた」との情報をもらい、早速確認に出かけたのです。

総勢15両。

この場所は遊覧船の終点「金城ふ頭」の比較的近くです。もっとも船は近いところを通るといっても航路なのでそこそこ離れています。撮影には望遠レンズが必須です。

今回はこの撮影がメインの目的とは言え、久しぶりに名古屋港を周遊することが出来て充実した20分間でした。

あおなみ線金城ふ頭駅から見た留め置かれている車両たち。知っていれば「おっ!」と気付きますが、知らなければそのまま通り過ぎそうです。いずれにしても一体いつまでこの状態が続くのでしょうか?

2016年11月25日のミャンマー/ヤンゴンで撮影した1枚。こんな日が訪れるのを願うばかり。

2017年07月23日 20時54分

名古屋港で遊覧船に乗る(1)名古屋臨海鉄道の休止線。

昨日(7月22日)は名古屋港の遊覧船・名古屋港トリトンライン(名古屋港水上バス)に乗りに行きました。その心はまた後日ということにしてまず向かったのは「金城ふ頭」行きの起点の「名古屋港」ではなく「ブルーボネット」。市バスでは「ワイルドフラワーガーデン」が最寄りバス停なのですが、因みにここにある施設名は「名古屋港ワイルドフラワーガーデン ブルーボネット」です。

10:25着。「名古屋港」ではなくここにやってきた理由は、名古屋臨海鉄道の汐見町線(現在は休止線)を久しぶりというか数十年ぶりに見ること。

バス停直近の歩道橋から東港駅(笠寺駅)方面を見下ろしてみる。線路は草で覆われ都会の秘境。

橋がそこだけ鉄道を主張している。

西側を見ればヤードが広がっているもののどんどん自然に戻りつつある。ここは本当に名古屋???と思ったりして。寂寞たる都会の別世界。

ほとんど廃線状態。

そう言えばどうして廃止ではなく休止なのだろう?

敢えてこんな写真を撮ったりして。昭和55年ごろにこの汐見町線を仕事で撮影した記憶あり。落差が大き過ぎて感想が出てこない。

2016年12月03日 17時20分

名古屋貨物ターミナル駅(5)JR貨物の記念品(ノベルティー)。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 20

JR貨物さんへの来客への記念品。まずはクリアファイルの数々。現役機関車の大集合。

今の時期、このエリアの注目はやっぱりDF200形式ですね。

2016_10_01 DF200 試運転3

つい先日UPした関西本白鳥信号場の写真の再掲です。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 21

何故か嬉しいEF66。

登場時にその後、特急旅客列車を牽引するようになるとは思っていませんでした。

1970_-3_31呉線&広島機関区 (4)

この写真は1970年(昭和45年)に広島機関区の構内でC59、C62を撮影した時のもので、特急貨物の先頭に立つ雄姿に感動したものです。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 22

最後にEF210のUSBメモリー。最近、貨物を牽く大型機関車にも心を奪われて私です。(あまりに個人的なことですいません。)

2016年12月02日 17時17分

名古屋貨物ターミナル駅(4)3キロポスト。

八幡信号場の近くには2つの3キロポストがあります。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 14

一つは信号場からすぐの場所。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 11

キロポストの下部に黒い帯があるのが特徴です。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 12

そこから数分歩いたところにあるもう一つの3キロポスト。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 13

こちらには黒い帯が入っていません。

この違いはかつて今の笹島駅の地に名古屋駅があった頃の名残だそうで、名古屋駅が今の場所に移転した際に距離が変わったのですが、キロポストはそのままになっているそうです。

知らない歴史をお聞きするのは本当に楽しい。ただこれを見ることは安全上の理由もあって公開されないのが残念です。

2016年12月01日 17時15分

名古屋貨物ターミナル駅(3)100周年の八幡信号所のタブレット。

現在はJR貨物の路線となっている「名古屋港(なごやみなと)線」。私にとっては「東臨港線」の方が馴染みがあります。

その名古屋港線が開通したのは1911年(明治44年)。その途中から白鳥線が分岐する「八幡(やわた)信号所」が設けられたのは今から丁度100年前の1916年(大正5年)の12月8日でした。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 18

ということで今年は八幡信号場の100周年。

こちらもご案内頂きました。1週間に3往復の列車が通るとき以外、普段は施錠されており絶対に足を踏む入れることができない場所です。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 17

古めかしい八幡信号場の看板。開業当時のそのままのようです。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 8

今も現役の通票閉塞式。タブレット式の閉塞と行った方が分かり易いですね。左側にあるタブレットキャリアがそそりますが、これで安全な通行が確保されているのです。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 9

見学させて頂いたのは運行がない日で、これが実際に稼働するところは見ていません。

2016年11月30日 17時11分

名古屋貨物ターミナル駅(2)笹島駅跡から発掘された古レール。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 2

名古屋貨物ターミナル駅の応接室に飾られている古レール。(矢印がレールです)

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 3

キャンメル社の1885年(明治18年)製。この地方で最初に開業した武豊線で使われていたモノとのこと。これが何故特定できたかと言えば、官設鉄道時代はレール一本でも台帳に登録され、それが用途変更、例えばレールから建屋の柱等への転用といった場合もキチンと記録として残されたのだそうです。

2014_01_08中京テレビ新社屋建設現場_1

思い返せば2014年(平成26年)1月に、中京テレビの新社屋工事現場で発掘された古レールを私は初めて見ました。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 23

キャンメル社の名前がそこにあり、

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 24

製造年は1887年(明治20年)。

武豊線の開業は1886年(明治19年)で、名古屋貨物ターミナル駅にあるレールについては開業前の製造なので辻褄があいますが、中京テレビの工事現場から発掘されたレールは開業後の製造。

以前からこの地方で使われたレールの転用だったら…という淡いロマンを持っていたのですが…。

しかしここで松村駅長の解説。笹島駅の3~6番線で使われた古レールは、武豊線からの転用であり、中京テレビのある場所もそこに引っかかっているので、メーカー、製造時期からしても武豊線で使われていたのは間違いないとのこと。

歴史が1本に繋がった瞬間でした。

2016年11月29日 17時01分

名古屋貨物ターミナル駅(1)「笹島」は「ささじま」だった!?

中京テレビの本社が名駅地区「ささしまライブ24」に移転し、その関係で「名古屋駅エリア」の歴史を紐解く番組やコーナー企画が幾つか放送されました。

そのご縁で当社の報道スタッフからJR貨物/名古屋貨物ターミナル駅の松村駅長とのご縁を頂き、旧笹島駅の歴史について伺ってきました。松村駅長は国鉄入社当時から貨物を中心に仕事をされている方で、名古屋界隈の鉄道の歴史についても明るく、今回は私にとって千載一遇のチャンスでした。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 6

さてこの駅からは中京テレビの新社屋も見えるのですがデカい高層ビル群に埋もれてしまい、

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 7

目を凝らさないと良く分からない…。(矢印のところに注目)

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 1

さて名古屋貨物ターミナル駅の入り口には、明治時代が始まった1868年から100年を記念して建立された「明治百年記念」の石碑が、旧笹島駅構内の『ささじま公園』から移されています。注目したいのは「ささしま」ではなく「ささじま」とあること。

笹島公園1

こちらは11月21日放送の「キャッチ!」でご出演いただいた笹島駅の最後の駅長/青木英明さんから提供を受けた当時の笹島公園の写真。矢印のところにその石碑が見えています。

笹島公園2

同じく青木さん提供の構内図では駅長室にほど近いところにその笹島公園はありました。

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 4

話しは「ささじま」に戻り、参考までに「日本国有鉄道貨物局」昭和52年発行の『貨物キロ程表』を見ると

2016_11_09 名古屋貨物ターミナル 5

「笹島」=「ささじま」とあり、どうやら国鉄時代は「ささじま」が正式な呼び方だったようです。

もっとも北海道の旭川市では国鉄の駅名が「あさひがわ」だった時代があったり、国鉄~JRの駅名/米原(まいばら)という駅名に行政がその読み方を「まいはら」から「まいばら」に変えたりとこの手の話はままあります。

余談ですが、この件で調べていたら三菱東京UFJ銀行の笹島支店は「ささじましてん」で、ローマ字表記も「Sasajima Branch」でした。

※三菱東京UFJ銀行の公式HPを参照。今はこの支店は移転しています。

2016年10月19日 20時31分

笹島駅の遺構。

中京テレビの移転先である旧笹島駅。

貨物駅の跡地利用ということで、名古屋駅の貨物駅から独立して正式に「笹島駅」として開業した頃の図面。

名古屋駅010東海道本線と関西本線に挟まれた場所にその威容を誇りました。(図面所蔵:高橋敬子氏)

笹島駅の遺構3

その名残りとも言える線路が今も愛知大学と新幹線の高架との間にひりと残っています。

笹島駅の遺構5この線路は上の図面には記載が無く、一方、Google マップの航空写真ではこの先に転車台らしきものの跡があるのが確認できます。恐らくは貨車をホームからホームに転線させるために使っていたと思われますが、これも廃線跡巡りの妙味と言えそうです。

笹島駅の遺構2こちらは東海道本線・中央本線の高架下にある通路。笹島駅の開業当時、自動車ではなくまだまだ荷馬車が主役だった時代の名残りとのこと。

笹島駅の遺構1

この美しいうろこ状の遺構の存在を知る人は少ないものの、これを見た人は一様に驚きを隠しませんでした。勿論私もその1人です。

1986年(昭和61年)に廃止された笹島駅。11月中旬からこの地に毎日通うようになるので、何かまた発見できたらこのブログで報告したいと思っています。

2016年10月07日 20時51分

DF200ー223の試運転

名古屋地区におけるDF200形の試運転が関西本線で始まりました。

2016_10_01 DF200 試運転1

撮影に行ったのは10月1日(土)の79レ(稲沢~四日市)と返しの72レ(塩浜~稲沢)。

2016_10_01 DF200 試運転2まずは名古屋駅で79レの撮影。時間は正午を少し回ったところ。DF200+DD51重連の3重連なのですが、土曜日ということで貨車は無し。ということもあってか名古屋駅にいたのは私を含め7名。

この日は私が会員となっているNPO法人名古屋レールアーカイブスの活動日ということもあり、昼ご飯を食べるついでの行動でしたのでこの場所での選択となりました。

2016_10_01 DF200 試運転372レの撮影は超有名撮影地である白鳥信号所(永和~弥富間)へ。試運転とは思えない重量感にあふれた編成を見ることができました。

それにしてももの凄い人出で、16:22の通過時間の20分前には三脚が林立し、恐らく50人以上の人がいたと思われます。私は積極的な撮り鉄ではないこともあり、あまりこうした経験が無く「へーっ!」という感じなのですが、私の身長ほどもある脚立の並びは何だか不思議な感じです。

ただ1点残念だったのは、そうした三脚・脚立を運ぶことや恐らく1本の列車を追いかけて撮影するためもあってか車で来ている人も多く、路上駐車で地元の人が「迷惑だ」と怒っていたこと。もっとも手馴れた人は撮影地から少々離れても、地元の人の車の通行に支障の無さそうな場所を選んでいるようにも見受けられたので、狭い道での駐車は地元の人から温かく迎えられる範囲に留めたいですね。

2016_06_12 JR北海道_21

一方こちらは北海道函館本線の野田生駅。DF200を初めて見たのはもう何年も前なのですが、駅撮りとはいえこうした“らしい”写真を撮影したのは今年の6月12日がお初。これまでのDD51とはまた違った重量感は良いですね。

2016年09月30日 20時17分

EF652139+14系+12系 甲種輸送。東海道を行く最後の客車列車?

2016_09_29 甲種輸送 5ということで(何が?)笠寺駅に移動。

ここでは10:05着の10:11発。

2016_09_29 甲種輸送 6最初からヘッドマークをメインに撮影するつもりでした。それにしても特急色、赤色ナンバープレートの2139を、14系・12系客車のこの列車に当てるとはJR貨物もやるなあ。人が集まるのも納得!

2016_09_29 甲種輸送 7最後尾の客車にもヘッドマーク付き。気合が入っている。前後ヘッドマーク付きの甲種輸送ってこれまでも走ったことがあるのかな?私が知らないだけかもしれません。

2016_09_29 甲種輸送 8笠寺駅で待避する列車は、ホームから遠く離れて出発信号機の手前での停車となります。

この後姿を見て思ったこと。そもそも客車列車を名古屋市内で見たのはいつ以来なのだろう?それより客車列車をこれから見ることってあるのかな?厳密には客車列車では無いのですが、しばし感傷に浸る。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!