どうでもいい話ですが、車内でカメラの充電。今回はコンデジ×1、デジ一×1を持ち歩いていましたが、あまり撮影しなかったコンデジの充電を先に済ませておくことにしました。いやあ便利な世の中です。
18:13、金沢駅に定時到着。
これで日本全国乗りつぶしが一山越えました。
さて今回私はW7系に乗ってきましたが、ではE7系との差は何でしょう?車内のメロディーが違うのでそれが一番の違いとなりますが、外形的には先頭車のロゴマークの違いが分かりやすいですね。
こちらは「WEST」で、
こちらは「EAST」です。もっともこんなことを気にするのは一部のマニアの方だけかも知れません。でも私は両方撮影出来てご満悦。
※この日のはくたか568号1号車(自由席)の軽井沢からの乗車率は多分3割程度。座れるとは思っていましたが2人がけどころか3人がけでも1人しか座ってないことも多く、意外な印象でした。と、そこで思ったのですがグランクラスはどうなんでしょうね?
軽井沢駅からは北陸新幹線で金沢へ向かいます。その内、長野~金沢間が初乗りで、3月14日の開業以来、私が乗り鉄であると知る人たちからもう何十人にも「北陸新幹線は乗った?」と聞かれ、「まだ」と力なく答えていた日々に終止符を打つ日がついに来ました。
その前に。
そもそも軽井沢駅の改札の外に出たのは生まれて初めてかも?
16:05着で16:06発の567E「はくたか567号」到着。本当ならもう少し線路側に立ちたかったのですが、安全のため黄色い線の内側ではこれが限界でした。それにしてもW7系乗車も初めて。ワクワクします。
右側に停車している568E「はくたか568号」は16:04着の16:05発。ギリギリで2ショットが撮れました。さすが鉄道の定時運行大国ニッポン!
※「ろくもん」で同行した知人は、途中の上田駅で下車していきました。
※因みに東京行きの「はくたか568号」はF13編成ということでE7系。図らずもこの写真はE7系とW7系の両方が写っています。
初乗りの「飯山」~「上越妙高」間で乗券の証拠撮影。一応撮影地点は長野駅を出てから…に拘ったのですが背景が…。
上越妙高駅は17:03着の17:09発。ここで後発の8533E「かがやき533号」に先を譲ります。長野でこれに乗り換えれば16分早く金沢に着くのですが、その差なら(空いている)自由席で十分だろうと思い「はくたか」に乗り続けていました。そしてこの写真を撮るためにわざわざ1号車に乗りました。
富山平野に入り立山連峰があるであろう方向を見てももやっていて何も見えません。
ドイツの鉄道シリーズは暫くお休みします。
2015年6月13日(土)、千種駅に朝7時50分頃到着。
空が青い!
梅雨時とは思えない晴天に恵まれました。もっともこの日から2日間の旅を決断したのは6月9日(火)。週間天気とにらめっこし何とか土・日とも雨降りは無さそうと判断したからです。
この日は
1)上田電鉄
2)しなの鉄道「ろくもん」
3)北陸新館製
こんなところを廻りました。
最初の目的地は長野県の上田市。ということで千種駅8:06発のしなの3号に乗車。まずは篠ノ井を目指します。
見えれば良しとしていた木曽福島駅に保存されているD51775も何とかカメラにも収めることが出来ました。
それにしても振り子電車は速い!上松駅にほど近い浦島太郎伝説の「寝覚ノ床」もあっという間の通過で、かつて列車内で車掌さんが案内放送していた時代があったのを思い出しつつ、もっとも383系「しなの」で放送されても乗客の方でその地を確認することは難しいでしょう。
昭和の時代にディーゼルカーや客車に揺られていた時代は一体何だったのでしょう…と懐かしんでしました。
この善光寺平の絶景もあっと言う間に通り過ぎます。いつかは姨捨の駅に降り立ち、じっくりと味わいたいと思いつつ未だその願いは叶っていません。
この風景を最初に見たのは多分、15歳の時。もう46年も前のことです。夜行急行「きそ」で冠着トンネルを抜けると眼下には白一色の海が広がり、その向こうに山並みが見えていました。それが標高が下がるにつれて霧が晴れ始め、暫くすると幻想的なまでに美しい善光寺平がその姿を現し始めました。列車の速度が遅い時代だったからこそ出来た経験です。
列車から見る風景を覚えていることはどちらかというと少ないのですが、何故かここの風景だけはしっかりと記憶しています。日本三大車窓の面目躍如。
昭和58年(1983年)5月9日。この日は朝一番で弥彦線の「東三条」~「越後長沢」間(昭和60年廃止)に乗り、その後赤谷線を目指しました。(新発田発8:16、東赤谷着8:55)
赤谷線の終点「東赤谷」。昭和59年(1984年)に廃止となったこの線は、鉱山からの貨物輸送のための鉄道で当時の鉄道ファンの間でも1点を除いて地味な存在だったと思います。
その1点とは…。この写真は車内から撮影した東赤谷駅ですが、列車と駅舎の位置関係に注目して下さい。
車内から見た駅の端っこ。駅員さんがポイント操作をしています。
実は国鉄駅にあって唯一のスイッチバックの終着駅で、新発田から来た列車は急勾配を登りつめて一旦引き上げ線に入り、そこからバックで平坦な“駅”に入線する形態となっていました。同様形態の駅としては、長野電鉄のかっての湯田中駅が有名でした。
東赤谷駅は有人駅で、こうして硬券を売っていましたが380円でどこまで乗れたのでしょうか?
一応次の目的地は「新潟」で、この後一昨日にUPした新潟交通に乗車しています。
話しが前後しますが、昭和53年(1978円年)5月7日~10日の乗りつぶしの乗車券です。
周遊券ではなく手書きの普通乗車券です。
この区間は通常であれば名古屋~長野~信越本線経由~新津で、多分これは普通の硬券乗車券があったと思うのですが、飯山線経由だったので手書きになったのでしょう。
そして蒲原鉄道に乗車後、一旦新潟に出て越後線経由で柏崎に向かい、そここら来迎寺まで信越本線で戻り、そして魚沼線に乗りに行きました。そのためか経路を特定するに当たり「亀田」(信越本線)、「東柏崎」(越後線)の記載があるのですが、変則的な経路の乗車券の発行は駅員さんのお手数をおかけしているわけですが、今こうして見てみればなかなか楽しくもあります。
昭和53年(1978年)5月8日、枝線である魚沼線の終点「西小千谷駅」です。(来迎寺発17:06、西小千谷着17:31)
この路線は大河である信濃川を挟んでいるとはいえ上越線と並行していたためか、国鉄再建法による第1次特定地方交通線として昭和59年(1984年)に廃止されたのも頷ける状況でした。
5月10日(土)は、何かと話題の多い北陸の路面電車巡りに出かけたのですが、その前に「ぴたのり」情報にあったキヤ95系(ドクター東海)を見に名古屋駅に早出しました。
情報にあったのは名古屋発「0724発」だけだったのですが、名古屋車両区から出庫した後、尾張一宮に向けて出発していくのだろうと推察し、12:13番線ホームから狙う手堅い手法の選択だけではなく、他のホームからはどう見えるのだろうと、、、欲をかいてしまいました。
7:10頃にその姿が見え始め、7:12にこの写真を12:13番線ホームから撮影したときはもう動き始めており、この後ろ打ちが精一杯でした。
そして名古屋駅を通り過ぎてその姿はどんどん小さくなっていきました。何せ私はこの辺の情報に疎く、このキヤ95系が出庫してから名古屋駅を経由して尾張一宮に向かうのかを恥ずかしながら全く知りませんでした。前日に何か情報が無いかとネットで検索したのですが、お目当ての情報を探しきれておらず、その結果右往左往していました。合わせて「キヤ95系」狙いでこの時間に名古屋駅にいる人(情報通っぽい方)を見つけられなかったことも敗因の一つです。(最終的には2人を確認しましたが…)
結局、引き上げ線から11番線に入線。12番線の桑名行きの普通電車は動き始めるのを待って、顔の並びを狙ってみました。
岐阜シティ・タワー43からの風景、最後は西側の窓からの眺望です。
この日は空気が今一つクリアではありませんでしたが、やはり窓越しと言う条件もありますので、山々がくっきり見える日にこないと「写真」にはならないようです。
東海道本線大垣方面は養老の山々だけではなく、伊吹山も正面に見えるはずなので、冬の晴れ渡った日なら「鉄」写真が撮れそうな気がします。
同じような写真を続けて並べていますが、条件は限られるもののそれなりにアングルの工夫が出来そうです。
多少電車の位置が違う程度の写真の3枚目。やはり感じたのは季節感の無さ。「雪の白」か「山の緑」のどちらかの色がないと鉄道を撮影する意味が無さそうだと改めて思いました。
今回は岐阜シティ・タワー43からどんな風景が見えるのだろうと確認した程度で、「鉄」写真としては撃沈しましたが、東海道本線にあっては電車同士の行き違いのみならず電車と貨物列車の行き違いも狙えます。
高山線もかなりの距離が視野に入ります。
名鉄は本線の加納駅界隈であったり、各務原線も普段は見ない風景が展開されています。ただ三脚を置いてカメラを構えるには憚られるので手持ち撮影のスポットでしょう。
昨年末から岐阜に何度か仕事で通っています。岐阜シティ・タワー43の43階展望室にも岐阜の風景確認ででかけました。
流石にそこからの展望は抜群で、1月18日は軽く「鉄」してみました。まずは名鉄名古屋本線の2連の各駅停車。
続いて上り特急。
高山線の下り列車。画面の一番下の辺りにチラッとみえているのですが、やや霞ががっていてどこに列車がいるのかわからない…。
こちらは東海道本線下り各駅停車「岐阜行き」。
今日の写真は高層ビルからの撮影という事で、まあ私にとってはこれまであまり経験のない出来事だったのですが、挑戦してみていろいろ自分なりに分かったこと(反省点)がありました。
1)撮影できるスペースが限られ、縦にも横にも限界がある展望室にも関わらず、どこでカメラを構えるかという事が、簡単には決められない。
2)広い画角の中に列車がポツンと入る写真を中心にチャレンジしたのですが、そんな中で列車の存在感を感じさせるのが難しい。
3)シャッターを押すタイミングが重要なことはどんな場面でも大切なことであることに変わりはないのですが、ファインダーの中の列車は微妙にタイミングがとりづらい…。
撮り鉄さんたちはやっぱり凄い!と改めて思いました。