2012年05月08日 18時54分

高山本線ローカル列車の旅(5)。

列車は“誘導信号機”に導かれゆっくりと動き始めました。が、それからがとにかくスピードが遅い!構内運転扱いのためなのでしょうが、時速は15キロがMAX。
暫くしてやっと「神岡」駅が見え始め、上り本線上に停車する855D(「猪谷」発9:06の「富山」行き)が確認できました。(上段写真)
※855Dは、848D(「富山」発7:21、「猪谷」着8:20)の折り返し列車。

そしてその上り本線に入るのではなく、下り本線に向けてポイントが開かれているのを確認。(下段写真)
下り本線には、これから私が乗り継ぐ1826D(「猪谷」発9:11、「美濃太田」行き)が停まっています。

この後、同一ホームの同一番線上に2つの列車が縦に並ぶことになるのですが、これまで“併結”のためにこうした状態となった経験は何度もあるのですが、併結をしない、しかも“別会社”の車両同士が、同一線路上で出会う経験は今回が初めてでした。JRならではでしょうか。

それにしても“誘導信号機”で誘導される距離がとにかく長いのです。それが最大で6分の所要時間差となっていることが理解できたのですが、「鉄」ではなく、しかもいつも利用している地元の人以外には、この時速15キロはきっと永遠の謎でしょう。もっとも850Dの車内で、『血相』を変えていた(?)のは私だけと見受けましたので、そもそも誰も気にしていなかったのでしょう。

2012年05月07日 19時53分

高山本線ローカル列車の旅(4)。

850Dに乗ることを決めた時、時刻表を見ていて不思議なことに気付きました。それは「楡原」~「猪谷」間の所要時間が12分であること。
下り列車の所要時間は8~9分なのですが、850Dの様な上り列車は8分で走る列車もあれば何と14分も掛かる列車があるのです。

この区間に交換の出来る「信号所」の存在はありません。

頭の中に「???」が渦巻き、取りあえず「車内お立ち台」に立ちました。列車は極めて順調に走り続け、やがて「猪谷」駅の場内信号機のある場所に差し掛かって停車しました。それが上段写真で、見事に「上本」「下本」「上1」の入線できる3つの線路が全て『赤』となっていました。

暫くして「下本」の下にある「下本(誘)」が点灯。(下段写真参照)
つまりここでやっと“誘導信号機”で駅構内に入線することが分かりました。その時点では、何で“誘導信号機”何だろうと思ったのですが、その直後にあまりにも簡単に謎が解け、私の経験不足(これまであまりにも周りに目を配っていなかった事実!)が如実に出てしまう結果が待ち受けていました。

2012年05月06日 19時51分

高山本線ローカル列車の旅(3)。

笹津駅を出るとトンネルが登場します。
『平野から何の前触れもなく“突入”』というのが富山側から乗車した場合の私の印象です。

それにしても『キハ120-318』(「318」という番号にはあまり意味はありませんが…)の運転士席の横は、ご覧の写真でもご納得いただけると思いますが、まるでパノラマ展望室のようです。もっとも運転士さんの仕事に差し支えるような行動は出来ませんので、『極めて遠慮がち』に、私は私なりに気を使っての撮影ではあります。まあっ、アクティブに行動するような年齢ではないこともありますが…。

さてトンネルを抜けて更に「楡原」駅に向かう線路を、『キハ120-318』は思いの他、軽快に走っていきます。
農村風景がまだ続いているのですが、やはり平野のそれではなく、山里の雰囲気が漂い始めています。

(一言)
今日でゴールデンウィークも終わりです。
皆様の期間中の「鉄」活動は如何でしたでしょうか?私の知人は、家族との時間の過ごし方に相当に配慮したというか苦労し、それでも時間を作り、充実したひと時を送っていたようです。
一方、私はこの高山本線の旅だけではなく、地下鉄桜通線の全駅下車を4日(金)に達成しました。たった1路線ではありますが、何とか『「全駅下車」の第一歩を踏み出した』というのは言い過ぎで、「全駅下車」は単に『時間』とその『使い方の工夫』だけでは到底出来ないことを、当たり前すぎてここに書くのも恥ずかしくなるほど思い知らされました。それに比べれば『全線完乗』は、その一里塚程度の気楽な楽しみであると感じた次第で、まあ「全駅下車」の世界の(気が遠くなるような)凄さを知ったのがこのゴールデンウィークの最大の成果かも知れません。(結構、本音です)

2012年05月05日 18時20分

高山本線ローカル列車の旅(2)。

高山本線の「富山」~「猪谷」間を普通列車に乗ったのは私が記憶する限り、初めてのことで、最初に乗ったのは昭和46年(1971年)8月17日で、急行「北アルプス」号でした。その後も特急「ひだ」で通過したことはありますが、“普通列車”の良さは流石にノンビリと風景が楽しめ、窓からゆったりした気分で写真も撮影できることです。

上段写真は、米どころ富山平野の春らしい風景。田植えを前にして水をはったのでしょうか、水面が鏡のようになり、家々を映していました。
またその向こうには山々が聳えて(そびえて)いるのですが、ガスっていてあまりはっきりは見えません。

高山本線の旅の魅力は、何と言っても風景の素晴らしさにあります。海には縁がありませんが、平野から山に分け入り、その山が作る渓谷美も半端な存在ではなく、最後にまた平野に戻っていく如何にも『山国日本』を感じさせてくれるのが私が高ポイントを付ける理由です。

そんなことを考えていたら「笹津」駅に到着。私の眼の前に如何にも古めかしい駅名標が飛び込んできました。JR西日本の定番ではなく、こんな駅名標も残されているんですね。こんな発見も“普通列車の旅”ならではでないでしょうか?それにしてもこの駅名標は昭和4年(1929年)の開業時の名残ということもあり得るのでしょうか?

2012年05月04日 18時10分

高山本線ローカル列車の旅(1)。

今年のゴールデンウィークは5月1日(火)と2日(水)の2日間も休みをもらっていました。その5月1日の天気予報で富山方面が比較的安定していそうだったので、思いつきで富山ライトレールと富山地方鉄道富山市内軌道線に乗りに出かけました。

その帰りの2日は、富山県高岡市の万葉線に乗ってから帰るか、それとも高山本線の普通列車で本州を縦断するか迷いましたが、結局万葉線は次回に譲り、高山本線の旅を選びました。昨日の「臥龍桜」の写真もその道すがら撮影したものです。どちらにしても2日は、丸栄百貨店の「鉄道模型展」の準備のため、夕方には名古屋にいる必要があり、久しぶりの『ノンビリ鉄旅』を楽しむことにしました。

上段写真は高架工事真っ盛りの富山駅。(1日に宿泊した『富山エクセルホテル東急』の部屋から撮影)
下段写真は富山駅に停車中の8:14発の850D「猪谷」行きです。一見3両編成に見えますが、実際は前の2両の編成で、「速星」まで通学する高校生で満席どころか立っている人も多く、私は何とか座れた状況でした。それにしても男子高校生の大人しさに比べ、女子高生たちの元気さには圧倒されました。ただ通路に座りこんで喋っている姿はあまり褒められたものではありませんでしたが…。それでも通学で乗車する人がいるから『鉄道』が存在するのかもしれないと思っていたら、平成20年開業の「婦中鵜坂」で下車する通勤客も結構いて少々驚きでした。

(余談)
富山駅の現在の駅舎は、上段写真の真ん中左にありますが、元は右端の場所にありました。そのため改札からホームまでは少々距離があり、遅くとも10分前には改札口を通ることをお勧めします。私は7~8分前の通過でしたが結構あせりました。

2012年05月03日 21時19分

「臥龍桜」(がりゅうざくら)をご存知ですか?

岐阜県高山市一之宮町に『国指定天然記念物』の一本桜「臥龍桜」があります。臥龍とは龍が横たわっているという意味でしょうが、枝振りは正にその通りのイメージですね。ただ樹齢1100年の老木だけあり、枝の支え無しには姿は保てないようです。(この桜の説明は「飛騨一之宮観光協会」のHP等を参考にしています)

この写真を撮影したのは昨日(5月2日)の10時32分頃で、文字通りの『満開!!』。今年も見事に咲き誇っています。桜の花は本当に『日本の春』を感じさせてくれます。ただゴールデンウィークの最後の日まで、私たちがこの美しさに魅了されることができるかどうかは、ギリギリ大丈夫ではないかと期待しつつ、少なくとも散りゆく花は楽しめるのではと思っています。

ところでこの「臥龍桜」は下段写真でホームが写っていることでも分かっていただけると思いますが、何と高山本線「飛騨一ノ宮」駅から“天然記念物”を愛でる(めでる)ことが出来るのです。しかもこの2枚の写真は、「猪谷」発「美濃太田」行きの普通列車の車内から撮影したもので、列車から降りてはいません。「鉄ちゃん」の間でも知る人ぞ知る存在なのか、誰でも知っている存在なのかはともかく、実際に満開の「臥龍桜」をご覧になった「鉄」の方はそれほど多くは無いのでは?
※下段写真には花がいっぱい写っており、どれが「臥龍桜」かと言うと、ホームに咲いている花の左奥にあります。上段写真と枝振りで確認してください。

なお、特急の車内からでは「あっ」と言う間過ぎて、その存在を確認することすら困難という表現もあながち大袈裟ではないと個人的には思っています。

今日から暫く「桜通線の壁画」の話しをお休みし、高山本線ローカル列車の旅を綴ります。

2012年04月22日 17時38分

TOICA・manaca相互利用スタート(2)

今日のタイトルは、『TOICA・manaca』とそのカード名を入れ替えました。一応、バランスをとっています。

そして写真はタイトルの並びに同じく、左から記念『TOICA』・記念『manaca』です。良く見ると「名古屋」の街がテレビ塔を境目に2枚のカードに分けて描かれており、つまりそれが2枚で1つの意味合い“相互利用”であると感じ、なかなかお洒落な表現方法であると思いました。等と私の私見の様に書いていますが、『テレビ塔を境目に2つのデザインが繋がっている』と教えてくれたのは、このカードを実際に購入されたNさんです。

(名古屋市交通局の『整理券』異聞)
今回記念カードを販売した3者の中で、一番ご苦労だったのは名古屋市交通局のスタッフの皆さんでしょう。

朝6時から“整理券”を配布し、その引き換え時間を11時までと設定したのですが、1人5枚まで購入が出来るようにしたため、例えば購入申請を5枚したものの実際の購入時には2~3枚と言うこともあり得、そんなこともあって“キャンセル待ち”を設定しました。で、実際にキャンセルが発生し、そのため交通局のスタッフは“キャンセル待ち”の方への販売もあって恐らく11時半頃まで売り場におられたものと思われます。
一方、JR東海・名古屋鉄道では“整理券”は無く、通常の販売で、大行列は当然あったのでしょうが、それでも9時半には終了だったはず。

視点を変えて、“整理券”まで辿り着けなかったお客さんにとって、キャンセル待ちで購入できたこと、それ自体は良かったのかも知れませんが、キャンセル待ちの列に並んだ大半の人は恐らく午前8時ころにはその場にいたであろうと推察され、3時間も並ぶ事態は予想していなかったでしょう。一方それは、お客さんのみならず名古屋市交通局にとっても誤算だったような気がしています。
“整理券”の恩恵を受けた方もいるのですが、大行列が予想される記念券の発売方法というのはなかなか難しいものですね。

2012年04月21日 22時54分

manaca・TOICA相互利用スタート(1)

今日(4月21日)からmanaca・TOICAの相互利用がスタートしました。

ということで、JR東海・名古屋市交通局(+あおなみ線)・名古屋鉄道(+豊橋鉄道)の主要駅で、記念カードが発売されました。写真は各社の記念カードの台紙で、ここで改めて書くのも何ですが、左からJR東海、名古屋市交通局、名古屋鉄道の順番です。
(記念カードは明日、UPします)

この3枚の台紙は、私が購入したものではありません。名古屋レール・アーカイブスの会員のNさんが朝一番の6時過ぎ、まずは地下鉄/名古屋駅で購入のための整理券をGETし、続いて8時から販売開始のJR東海/名古屋駅で購入の列につき、そこでTOICA記念カードを入手した後、名鉄名古屋駅に向かい、“名鉄manaca”を購入。その後、名古屋市交通局の購入整理券を『現物』に引き換えた(購入した)そうです。

(解説)
*名古屋市交通局の「記念manaca」の購入整理券は、当然の事ながら8時前には全て無くなったそうです。ただ、名古屋市交通局が6時から整理券を配布したおかげで、JR東海のTOICAの購入の列に並び、2種類の記念カードを手に入れる事が出来たというかたも多かったようです。
*JR東海の名古屋駅等の「記念TOICA」は朝8時の発売開始。当然即、完売。買えなかった方も多いようです。
*名鉄名古屋駅で発売された「記念manaca」は、先に書いたとおり、JR東海の記念カードを購入した方でも買えています。これは「記念manaca」の台紙のデザインは2者で異なるものの、カードそのもののデザインが同じだったことによるものではないかというのが私の周りの人たちの分析でした。
もっともその名鉄名古屋駅でも9時半頃には売り切れていたようです。

2011年09月02日 18時30分

名古屋駅でキヤ97系と遭遇。

昨日(9月1日)、東京出張のため名古屋駅発14:40の
「のぞみ232号」に乗るべく、名古屋駅新幹線ホームに上がりました。

その時、在来線ホーム(11番線のような気がしている…)に
見慣れない車両を発見!
直ぐにバッグからカメラ(いつもコンデジを持ち歩いています)を
取り出したものの、その車両は直ぐに動き出し、ギリギリ撮影できたのが
本日の写真です。(カメラの時計で14:32でした)

言うまでもなくこの車両は「キヤ97系」。
レールを積んでいたのを確認していますので間違いません。

皆さんの中で「キヤ97系」を見たことがあるかたは結構いらっしゃるのでは
ないかと思いますが、実は私は始めて!

通常、何時頃動いているかを私は知らないのですが、真昼間の時間での
遭遇であったことを考えると、ドクターイエローではないですがダイヤに
組み込まれていると私は思ったのですが如何でしょう?
であれば、運が良ければこの時間に遭遇できるということでしょうか?

それにしても積んでいたレールは、どの線に使われるのでしょうか?
気になるところです。

さて、「キヤ97系」のエンジン音は?
残念ながら新幹線ホームまでは届きませんでした。

そのその昔、でも無いかもしれませんが、機関車がレール運搬車を
牽引しているのを見たことがあるますが、「キヤ97系」は“今時”感が
あってなかなか良いですね。

ところで台風12号の進路や如何に?JR西日本では一部列車の運休等が
発表されていますが、大きな被害が出ないことを祈るばかりです。

2011年07月14日 8時24分

近江鉄道の旅(2)加佐登駅を撮影した訳。

「四日市駅」を出て16分、「加佐登駅」に9:24の到着です。
何でこんな小駅かと思われるかもしれませんが、ちゃんと理由があります。

今の時刻表で三重県鈴鹿市の代表駅は、近鉄鈴鹿線の「鈴鹿市駅」で、
市役所への最寄り駅であり当然として受け止められていますが、
以前、交通公社の時刻表では少なくとも昭和48年10月号までは
ここ「加佐登駅」が鈴鹿市の代表駅でした。(稲見調べ)
※その後、国鉄伊勢線(現在の伊勢鉄道)鈴鹿駅に変わり、
更に今の形になっています。

私の率直な感想として、当時、国鉄監修の時刻表にあっては、
市の代表駅はあくまでも「国鉄駅」であり、私鉄は例外という
扱いだったのではということです。ことの真偽を確かめていないだけに
書きっ放しで恐縮ですが、私がそう感じるほど、実際の町の中心と
“代表駅”との乖離に違和感がありました。
ただ、「加佐登駅」に停車する急行列車もあり、
その体面はかろうじて保たれており、また乗降客は少ないものの、
それでも他の駅よりは少々多かった印象です。
何れにしろ、鈴鹿市を横断する鈴鹿川の北側にあって、
『街』というイメージはありませんでした。

とは言うもののたった1回だけですが、日本を代表するサーキットである
『鈴鹿サーキット』へ仕事で行く際、この駅から『鈴鹿サーキット』へ
向かった記憶があります。
ただ、昭和の時代でも、『鈴鹿サーキット』へ鉄道で向かう際は
近鉄名古屋線の「白子」駅を使うのが一般的で、その時の理由は
「白子駅」から『鈴鹿サーキット』への渋滞回避だったのを思い出しました。

とまあ、そんななんやかやの「加佐登駅」ですが緑の窓口もある駅であることを
紹介しておきます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!