中京テレビ

2013年11月04日 20時19分

10月26日(土)近鉄特急「しまかぜ」に乗車中!

インターネット予約した場合、プリントアウトした紙が指定席券となります。何だか近鉄の特急券(日本の特急券というべきか?)というよりは、6月のドイツ「鉄」旅の時のことを思い出していました。

しまかぜチケット

ところでこの「しまかぜ」は6号車には朝一番の段階で3席の空きがあり、私の座った8Aと、2席並びの席が空いていました。またこの3席は賢島まで空席だったのですが、これは台風の影響で旅行をやめた人がいたのかも知れません。いつもどうせ満席だと諦めずに、当日にかけるのもアリなのだ!とニンマリ。

たかが「四日市まで」というのは如何なものかと思ったものの、まずは『乗車体験』と考えることにしました。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_21

座席はゆったりとしており、すわり心地も良く、10:52までの僅か27分間でしたが取り敢えず堪能させて頂きました。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_29

ところでここで思わぬ事態が…。前から2列なので座っていながら全面展望が楽しめると思ったらそうはいかず、想像以上に背の高いゆったりシートのおかげで座った状態では前は見えません。そのため私は通路に時々立って展望写真を撮影しました。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_33

それと窓ガラスの枠がしっかりあるので、見ている分には良くても写真撮影は・・・。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_32

そんな感想はありますが、それはそれとして座席で記念撮影。(アテンダントさんにお願いしました)

しまかぜ乗車記念

記念乗車証も頂いて一応の目的は達成されました。でもこの記念証には指定席券が挟み込めるようになっているのですが、プリントアウトの指定席券は挟めません。まあ鋏できったりすれば別ですが…と思いきや、定規で大きさを測ったらいわゆる座席指定の印刷部分だけを切り取れば丁度フィットしそうな感じでした。もっともそうはしませんでしたが。

2013年11月03日 23時16分

10月26日(土)近鉄特急「しまかぜ」に初乗車!

10月26日(土)、実はもともと仕事で出勤の予定だったのですが、台風の接近の恐れがあるということでそれが無くなり、25日(金)の夕方に翌土曜日が休みとなりました。

で、朝起きて近鉄のHPのインターネット予約を何気なく確認したら何と「しまかぜ」に空席が!!それも6号車の8A(先頭車の前から2番目)!

午後は明治村に行くつもりだったので、「近鉄四日市」で折り返したとして、「スギテツ」さんのコンサートに間に合うかどうか調べたらこれもクリアできることがわかり、早速予約しました。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_3

近鉄名古屋駅には少々気の早い10時過ぎに到着。10:10発の賢島行きは「伊勢志摩ライナー」で、10:25発の「しまかぜ」と合わせ、人気列車の雁行はなかなか面白いと思いました。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_4

案内表示の「特急 ISE-SHIMA LINER」「特急 しまかぜ」の文字が輝いて見えました。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_10

10:15分頃「しまかぜ」入線。

2013_10_26しまかぜ~明治村(SL&N電)_13

乗る人もいれば撮る人もおり、登場から半年たっても相変わらずの人気ぶりが見てとれました。

2013年09月20日 21時45分

近鉄内部・八王子線存続合意。

今朝の名古屋市内で発行の中日新聞朝刊36面(社会面)の下の方にあった小さな記事。

他の新聞のネット版でも確認しましたが、昨日(19日)、四日市市と近鉄が公有民営方式での存続で合意したそうです。

市が施設・車両を保有し近鉄が運行するスタイルですが、まずは地元の利用者はホッとしたのではないでしょうか?

762ミリゲージのナローという特殊な線路幅の鉄道が、四日市という三重県きっての大都市でこうした形で残っていくのは公共交通のあり方の視点で考えさせられるものがありました。

この写真は昭和53年(1978年)12月1日に内部・八王子線の乗車時に撮影したもの。(内部駅にて)

それ以来この線には乗っていませんが久しぶりに行ってみようかと思っています。

2012年03月22日 18時56分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(9)。

「大阪難波」駅には定時の12:05着。

新路線への乗車でもなく、「アーバンライナーplus」初乗車とはいえ、新形式車両でもなく、達成感というものとは種類が違う、何とも言い表せない不思議な感慨がありました。

名阪間をノンストップで繋ぎ始めて半世紀超。新幹線の台頭で一時は2両編成のスナックカーが、敢えて言わせて頂けば『細々』と走っていた時代もあります。それが次第に価格競争力を近鉄が持ち、昭和63年に「アーバンライナー」が登場した時は本当に驚きました。
今風に言えば、低価格で鉄道に勝負する高速バスの鉄道版でしょうか?またデラックスシートのゆとりは、何ものにも替え難い快適さを手頃な価格で買うことができ、大阪のミナミに直結し、新幹線に勝負を挑む“在来線(近鉄魂)”の形を示した気がしていました。

“ノンストップ”というステイタスが無くなることは、新幹線300系の終焉とは異なり、極端に言えば「のぞみ」の全列車が静岡に停車するような例えで如何でしょう?(新横浜・新神戸の「のぞみ」停車とは種類が違う・・・イメージです)

ところで今回、全列車「津」停車となり、所要時間が増えるのかと思いきやそんなことは無く、「ンっ?」とは思うもののその理由は分かりません。
結局は、『全列車「津」駅に停車しますが所要時間は増えません』といった塩梅で、これまでも「津駅」通過時の速度がそんなに早く無かったことや、ひょっとしたら「中川短絡線」の移設効果(?)などと思ったり、ダイヤ改正の規模が大きかったので、時間調整が上手くいったのではないかと勝手に妄想しています。

参考までに近鉄名古屋から出発したノンストップの大阪難波までの所要時間は、昭和55年当時は2時間11分で、その後最高速度が引き上げられたこともあり、ダイヤ改正前で最速列車は2時間5分、3月20日以降も同じく2時間5分です。ただ名古屋発7:00は「津」「大和八木」停車で2時間15分と時間がかかりますがこれは停車駅数というより大阪近郊のラッシュ時間帯に走ることがその要因でしょう。

ともあれ、それが“ノンストップ”が無くなる意味合いを矮小化するものではありません。時代の変節を感じています。

2012年03月21日 18時55分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(8)。

上段写真は「河内山本駅」通過で、昭和54年10月13日、信貴線に乗るべくこの駅に降り立ち、更に西信貴鋼索線に乗るべく平成15年12月4日に降り立つという何とも不条理な経験が私の心を揺さぶり、今回、折角の機会なので、皆さんには何の関係も無いのですがこの駅の通過を撮影し、UPさせて頂きました。ただこうして写真を見て、だから何なのだと自問自答してしまいました。

でも下段の写真には“意味”があります。
“ノンストップ”が“ノンストップ”であった証しとも言える、名古屋を出発して最初の停車駅「鶴橋」入線の直前です。189.7キロを2時間近くかけてひたすら走り続けて来た電車がやっと停車する時間が刻一刻と迫ってきました。そして、大阪線から「大阪難波」に向かうべく奈良線に渡るポイントが開いているのが見えています。
このポイントを渡ると言うのは“ノンストップ”とは全然別の次元の話しですが、「鶴橋」が終着駅では無いにも関わらず、何だか“終着駅”に辿り着いた感があり、通勤電車で転線しても何の感慨もありませんが、やはり『ロングラン』効果と言えそうです。個人的な好み意外に、何の理由もなく、そんな話しにお付き合い頂き申し訳ありません。

さて話しを本題に戻し、こうして名阪間“ノンストップ”の旅は終わりました。
ちゃんと調べた訳ではないのですが、日本の列車で新幹線と夜行列車を除き、平成24年3月19日時点で、停車駅間が一番長いのはこの“ノンストップ”だったはずです。JR北海道の「スーパー北斗15号」の「函館」~「東室蘭」間は189.5キロで、これが2番目だとは思うものの、何せ、近鉄は「中川短絡線」経由で、実際の距離がどれくらい違うのかのデータを持っておらず、悩ましいところです。

2012年03月20日 17時51分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(7)。

今日からは名阪間の“ノンストップ”は無くなってしまいましたが気にせず話しを進めます。

「アーバンライナー」から「アーバンライナーplus」に改造された時に、客室設備に変更があり、その中の一つに、「アーバンライナーnext」と同様に下段写真のCCDカメラによる映像が、車端にある液晶モニター(上段写真)で映し出されるようになりました。“展望室”まで出向かなくても、前面展望が見えるのは一つのサービスと言えます(私にはです)が、乗車中の電車の案内や、ニュースも流れますので、名鉄の「ミュースカイ」同様、いつも風景が見えているわけではありません。

ご存知の方が多数派とも思われますので、何を今更と言う方は、今回は読み飛ばしていただいていただきたいのですが、私が「面白い」と感じたのは、そのモニターを通して見える風景というより、カーブ通過時の『カント』が良く分かる点です。

モニターの水平は撮影した写真をフォトショップで少々加工し、電車とカントの関係を実感できるようにしたつもりで、見たとおり想像以上に車体を傾けてカーブを通過していることが分かります。
このモニター写真は、実は10枚以上撮影しており、結果、気のせいなのかもしれないですが、右カーブより左カーブの方がより傾いてみえたり、架線柱の位置も、ここでUPした位置がベスト(ベター?)であることに気付きました。青山越えの前後の区間はカーブが多く、その路線を100キロ以上のスピードで飛ばしていくのでカントが強くなるのは当たり前といえば当たり前なのですが、ただ座席に座っていたこの映像を見るまでは“これほど”とは気付いていませんでした。
なお、右カーブと左カーブの差は、カメラが車体の右側についていることによるのでしょう。

『うつらうつら』としながら、座席で気持ちよく揺られながら、ふと見上げたモニターを見ての感想を書かせていただきました。

2012年03月19日 18時50分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(6)。

いよいよ本日(平成24年3月19日)は名阪“ノンストップ”特急の最終日です。今日は、“ノンストップ”らしい話しを少々・・・。

「そう言えば聞いた事がある」程度でしたが、名阪ノンストップ特急の乗務員室のカーテンはこれまでの写真通り、通常、昼間は開いています。しかし、それが閉じられてしまう区間があります。(明日からは過去形になるのでしょうか?)
それは『中川短絡線』“通過直前”から“通過直後”までで、長時間をノンストップで運転するために、運転士さんの交代があるためです。写真にも2人の乗務員さんの姿がありますが、お二人とも間違いなく運転士さんです。

走行中の運転士さんの交代方法ですが、最低限度、運転士さんはブレーキハンドル(マスコンも?)から手を離すことは許されないはずです(いやっ、絶対に許されないですね。きっと…。)ので、どうやって変わるかは興味津々(しんしん)でしたが、いざその瞬間は…。きっと、『運転体験』参加時に、ブレーキハンドルを握る私の手に、指導運転士さんが横から手を添えてくれているのと同じような状況から始まり、どちらかの運転士さんが上から覆いかぶさり、もう一方の運転士さんが下から潜って(くぐって)すり替わっていく・・・、、、?
そんなことを想像しつつも、一方で、二人羽織(若い人には分からないかも?)を思い出してしまいました。

さて、上段写真は『中川短絡線』の直前にある「雲出川(くもずがわ)橋梁」通過中で、恐らく私がかぶりつき(相撲なら「砂被り(すなかぶり)」、フィギュアスケートなら「氷被り(こおりかぶり)」)に陣取っていたので時間的には本当のギリギリまでカーテンを開けていてくれたものと思われます。運転士さんたちには感謝です。

下段写真は、カーテンが再び開いたら直ぐに撮影すべく待っていたら『短絡線』区間の速度制限のためにカーテンがゆっくりと揺れ、その瞬間、目の前に隙間ができ、思わずシャッターを押したものです。偶然の産物とはいえ結構運が良かった出来事だったでしょう。
おかげでこの1月に供用開始となったばかりの“新”短絡線の全貌(とは言いすぎですが)と、その向こうに「鳥羽行き」の特急の両方が写っているシーンが撮影できました。

ダイヤ改正後には、この運転士交代は「津駅」停車中に行われ、日本でここだけ(?)の『走行中』の交代は恐らく行われなくなるのでしょうが、『近鉄名物』の一つが無くなったとしても、前面展望は常時、確保されることで「良し」ということでしょうか?
また、「アーバンライナー」名物といっても良い運転士席の隣の『助士席』の役割はその“本来の役目”を終えることになるのでしょうか…。“走行中の運転士交代”が無ければこれほど『らしい』席は設けられなかったとも思っています。

2012年03月18日 18時48分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(5)。

今回、乗車した時に、ここだけは目に焼き付けておこうと思ったのが「津駅」の通過です。
もう余程の事がないと体験できないことでしょう。
もっともこうして写真に撮ってみれば、実際のところ通過なのか停車なのかは判別できないわけで、後から考えれば…、いやっ、考えなくても分かるのですが、やはり『動画』で撮影し、それをこのブログ用に静止画にすべきでした。
などとこれは「反省」ではなく「後悔」の巻でした。
◆私の個人的な用語解説。
*「反省」…次に生かせる。
*「後悔」…次に生かせない。
皆さんにとってはどうでも良いことでした。反省!

戯言(たわごと)なのか戯言(ざれごと)かよくわからないことはさておき、「津」駅を10:43の定時に無事通過。
時刻表に書かれていない「津」駅の通過時間が何故わかるかという点については、「鉄」じゃない方のために少々解説すると、1本1本の列車ごとの時刻表を運転士さんは運転台に置いており、そこには停車する駅だけではなく、途中の通過駅の“通過時間”も書かれています。この21000系の場合、運転席がマルっと見える構造のため、“携行時刻表”も良く見えており「津」駅の通過が定時かどうかも私たちにわかります。参考までに“携行時刻表”はこの写真でも左下にチラッと見えています。前面窓のセンターピラーの下端の白い縦長のモノです。
で、「津」駅通過の所定時刻を正確に記すと『10時43分30秒』で、カメラの撮影時間との誤差は2秒でした。私のカメラの時計は、多数の写真を撮影すると分かっている日は、朝、電波時計を利用して手動で修正しています。カメラの時計の誤差は、あっても1~2秒のはずで、それを加味すると、神業とも思える定時運転であることが分かりますが、これが「日本の鉄道」たる所なのでしょう。こんな当たり前のことを改めて知った瞬間でした。

2012年03月17日 18時46分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(4)。

「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」でお馴染みの『展望席』から撮影した写真です。
上段写真は「塩浜」駅通過中で、下段写真は「江戸橋」駅通過中です。追い抜き風景を見ることは展望席にいる醍醐味(私だけではないですよね)ですが、名古屋線の場合、急行の追い抜き時のみ「江戸橋」のようなホーム有効長一杯に停車する列車の“追い抜き”を堪能できます。

ところでこの場所から見る私の好きな風景は、家族の顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、「伊勢志摩ライナー」に展望席に陣取った経験と今回の経験を合わせ、弥富~益生間です。2つの長大橋梁もさることながらJRとの立体交差や場合によってはJRとの併走も楽しめるからです。実際に今回も併走を楽しめました。ただ相手が普通列車だったのは致し方ありませんでしたが。

とそんな感じで展望席に立っていたら、車掌さんから「記念乗車ですか?」と話しかけられ、「そうです」と答えたところ、『ダイヤ改正』の発表後、“ノンストップ”が無くなると言う事で私のような乗客が結構いるとのことでした。
「ここの展望は如何ですか?」ではなく「記念乗車ですか?」とストレートで、なおかつ“ノンストップ”の言葉すらなかったのが「何をか言わんや」で、私が『鉄』であることをお見通しだったということになります。もっともいい大人が一人でこの場所にいれば“当然”の帰結とはいえそうです。

さてさて車掌さんの話しでは、平日は今回の私のように一人で展望席に陣取ることもできるようでしたが、土・日には何人かの人がこの場所にいることも珍しくないそうでした。この週末は“ノンストップ”の展望席はさぞかし込み合うことでしょう。

2012年03月15日 18時45分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(3)。

私が名阪ノンストップ特急に始めて乗ったのは、手元の記録では昭和55年1月19日。その頃「国鉄」完乗後の「私鉄乗りつぶし」に精を出しており、この日は阪神・神戸市営地下鉄・神戸電鉄に乗っています。
近鉄名古屋を8:00発で鶴橋10:06着の“ノンストップ”でした。それ以降、何度か“ノンストップ”に乗る機会はあったものの2~3度程度しか思い出せません。
※当時の名阪甲特急は1番列車からノンストップでした。もっとも当時の始発は私が乗車した8:00発で、今の甲特急の7:00始発とは若干の違いがあります。

さて、今回私が乗車したのは6号車。大阪難波寄りの先頭車で、車番は『21101』で、単なる偶然なのですが、おかげさまでアーバンライナーのトップナンバーの編成でした。記念乗車の場合、同じ乗るならこれ位のプレミアムがあると嬉しさが倍増ですね。(「鉄」でなければ、きっと興味がないというか、『どうでもいい』こととして嘲笑の的となりそうです。例えば私の・・・。)

で、チケットの席番は「9」。車内は空いており、6号車はガラガラで、車内を撮影するにあたり、上段写真のような“贅沢”なシート配置も出来ました。なお撮影後は、自席ではなく、BOX仕様にした席におとなしく座っていました。これも名古屋を出発してから大阪(鶴橋)まで“ノンストップ”だからこそ出来る芸当ですね。(私と同じ様なBOX席にして足を伸ばしている方が何人かみえました)

ところでその座席ですが、「plus」になった時に更新されたのは知っていたのですが、その席の枕カバーの絵柄が『近鉄特急博物館』状態になっているのには驚きました。(大袈裟でした。「へーっ、」というレベルです)
いつから始まったサービスかの知識を私が持ち合わせていないのは申し訳ないのですが、そんなことはさておき、マニアだけではなく、子供たちにも受けが良いのではないでしょうか?思わず『駄目で元々』とばかりに、貰う事は可能かどうか聞こうかと思ったほどです。もっとも実際には聞いていませんが…。

(近鉄名古屋駅の余談)
私が小学生のころ、三重県の親戚の家に行く足は「近鉄」でした。その当時の『近鉄名古屋』駅の名称は『近畿日本名古屋』駅で、私の心の中では未だにこの『近畿日本名古屋』が息づいています。一体、何年前の話しだといわれても、小さい頃に刷り込まれた記憶は消せず、名鉄電車の『名鉄名古屋』駅を相変わらずと言うか、口から自然に『新名古屋』と出てしまうことと同じですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!