2018年09月24日 20時48分

旧名鉄美濃町線美濃駅(5)土鈴のモ593号。

美濃駅舎には懐かしのグッズを販売しているお店があります。

※毎日開店しているわけではありません。

そこには美濃町線で使われていた行先標などが展示されていました。

行き先表示。左側の「新関」“593号専用”ってどういう事だったのでしょう?

一方、右側の「市ノ坪乗換え新岐阜」ですが、市ノ坪駅は名鉄岐阜工場に隣接し、車庫もあったので美濃・新関方面から新岐阜に向かう電車の内、一部の電車が市ノ坪駅で車両を乗り換える形態で運転していたと推察されます。

徹明町行きの方向幕。「岐阜ゆき接続」の文字があります。美濃町線の電車で美濃発徹明町行きの電車の内、途中の電停で新岐阜行きに接続する電車があったのでしょう。その頃の時刻表があればもっと詳しく書けるのですが…。ただ現役時代の美濃町線を知っていても知らなくても、一枚の報告幕からいろいろな事に思いを馳せるのは楽しいのではないでしょうか?私はその現役時代に2回しか乗っておらず、残念ながらあまり語ることは出来ません。

駅構内のお店で手に入れたモ593の土鈴。

カラン、コロンを良い音をしており、つい手を出してしまった。土鈴の鉄道グッズってあまり見たことがないですね。鉄道グッズを買ったというより、お土産を買った気分。たまには良いかな。

でもどうして土鈴なのだろう?郡上市白鳥町には土鈴を集めた展示館があるのでその関係かな?まあ深くは考えず、面白いものを買ったと満足。

2018年09月23日 20時46分

旧名鉄美濃町線美濃駅(4)モ601としあわせの黄色い鐘。

モ601。名鉄の美濃町線はモ512との並びを見ても分かるように面白い電車が走っていたと改めて思った次第。名鉄と言えばクロスシートと言う時代にあって、よくぞこの狭い電車にもそれを並べたものだと感心したことは今も覚えています。ただここの展示ではシートが撤去されており、それは少し残念。もっとも無人の場所での公開展示ですから、きっと管理面で難しいのでしょう。

電車に似合わないと言ったらそんなことはないといわれるかも知れませんが、仰々しい連結器。

ところで電車の前に何かあり。

「しあわせの黄色い鐘」。何々?

鐘の部分は踏切のモノ。鳴らす部分は吊り革。

書いてある通りに3回鳴らしました。「家内安全」「無病息災」「商売繫盛」…、良くあるお願いのパターンですが、商売繫盛はまあないとしてやはり「家内安全」「無病息災」はどこの神社仏閣でも私はお願いしている事です。もっともこれらは個人的な願いなので伊勢神宮の参拝の時にはしていませんし、そして今回はただ「幸せ」を願いました。

この「しあわせの黄色い鐘」は面白いアイデアだと思うし、実際に鳴らしている人は結構いました。決して私だけではありません。

2018年09月22日 20時44分

旧名鉄美濃町線美濃駅(3)モ512。

駅舎側でなく反対側からの一枚。地方私鉄の終点という“昭和の哀愁”が漂っていると書くと、どこからか怒られそうですが、この現役感溢れる佇まい(たたずまい)を見ながらこの駅でのんびり過ごすのは心の贅沢だと思っています。と、ここまで書いてやはりホームの高さがいわゆる電車用ではなく路面電車用であるということに気付く。でも前に書いた感想がそれで変わることはありません。

それにしてもずらりと形式の異なる電車が並んでいるのは壮観。ところで一番左の電車は元札幌市電のモ875(870形)。その形状は今の時代にあっても最先端のデザインと思うのは私だけ?きっとそんなことは無いですよね。ここでは前頭部だけがカットされてホームに置かれています。

さてモ512。(モ510形)

昭和50年前後だと思うのですが、名鉄新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)で下車し、駅を出た目の前の道路上にこの電車を見た衝撃はなかなかでした。

1978年(昭和53年)に谷汲線谷汲駅まで乗り鉄した時、岐阜市内線新岐阜駅前電停からこのステップを使って電車に乗ったはずです。

電車の中は…、きれいではありますががらんどう。クロスシートはどこに行った?

天井を見上げれば、ダブルルーフの様な形状。間違いなく数回はこの電車に乗っているのですが、その時は天井を見ていない。見ていればこの美しさを絶対に記憶しているはず。でも天井の色はピンクではなかったはず。現役時代にピンクだったらもっと印象に残っているはず。

運転台というより正面の形状に惚れ惚れ。

2018年09月21日 20時41分

旧名鉄美濃町線美濃駅(2)モ593。

出札口(切符売り場)、改札口あたりは大正というよりは私にとっては昭和のテイスト。

改札口から一歩足を踏み出す。

こちらも「旧名鉄美濃町線美濃駅プラットホーム及び線路」という名称の登録有形文化財。

文化庁の解説文:駅舎本屋の南面に高0.7m幅3.8mのプラットホーム2本がコ字形に取り付く。ホーム側壁は玉石張で,ホーム上屋はL形鋼で構築される。ホーム間には2線の軌道が残存し,駅舎本屋とともに近代軽便鉄道のターミナル駅の様相をよく留めていて貴重である。

保存されているモ593。「路面電車らしい電車」というのはちょっと変な表現ですが、This is 日本の路面電車はこんな形だと思っています。但し私限定の感想です。もっともおでこの方向幕の場所に「ワンマンカー」の文字があり、行き先表示が「板」というパターンは珍しいかも知れません。

車内は往時のまま。ところで名鉄美濃町線に乗った時の写真は何か残っているはずなのですが発掘できず。この(モ590形)電車に乗って美濃駅まで来たかどうかは不明。

運転台は今でも現役の雰囲気。

今日のおまけ。とさでん交通(土佐電鉄)で今も走る旧名鉄590形(591号)。今も同形式の電車が活躍しているのは地元の一人として嬉しい。

2018年09月20日 20時33分

旧名鉄美濃町線美濃駅(1)登録有形文化財、そして段ボール製のモ512。

2018年(平成30年)8月26日(日)。

岐阜県博物館に出かける前に名鉄美濃町線美濃駅を訪問。

1999年(平成11年)に新関~美濃間が廃止され、駅としての役割を終えて既に19年の歳月が流れています。しかし1923年(大正12年)に建てられた駅舎はその後も保存され、今は登録有形文化財「旧名鉄美濃町線美濃駅本屋」としてその姿をとどめているだけではなく中は公開されています。

参考までに文化庁のHPにある解説文には『美濃電気軌道株式会社新美濃町駅として建設。ターミナル型の駅本屋で,南面にプラットホームが取り付き,東妻面に待合室出入口を開ける。切妻造,下見板張で,正面の東妻は木骨を装飾的に表す。平成11年廃線となったが,今なお地域のランドマーク的存在。』とあります。

私にとっては1978年(昭和53年)11月12日以来の再訪で実に40年ぶり。

ところで駅舎の中に入って直ぐに目についたのは段ボール製のモ512。外に展示されている電車だけではなく駅構内にも“電車”がいるとは知りませんでした。

靴を脱げば車内に入ることが出来ます。

私の体では窮屈ですがそれはそれとしてやはり中を見てみたい!

なんちゃって運転台が微笑ましい。

車輪も段ボール製。もっともこの車輪で電車自体を支えているのではなさそうです。それにしても地元でいかにこの電車が愛されていたかが分かった次第。

因みに私がいた時間に、大人の来訪者は結構いましたが、中に入ったのは恐らく私だけ。(笑)

2018年09月17日 14時47分

祝!瀬戸線栄町乗り入れ40周年(9)栄町駅に戻る。

帰りは急ぐ旅ではないので、ノンビリと先頭車の一番前の席に陣取り…。尾張瀬戸駅ではその場所に先客がいたので大曽根駅で後続の電車に乗り換えてやっと確保。

まずは一枚。逆光ですが、まあこんな写真撮影できるということを確認した次第。

撮影したかったのは栄町駅構内。

車止めが見えると終着駅。

出掛ける時に撮影できなかった絵を撮影。本町駅だったのには意表を突かれました。

こうして台紙が全て埋まりました。達成感あり。家族には理解されない一日の顛末でした。

(おまけ)

駅で配布されている瀬戸線の時刻表はよもやの全列車が掲載されているパターン。知らなんだ。

2018年09月16日 14時45分

祝!瀬戸線栄町乗り入れ40周年(8)尾張瀬戸駅。

15:55尾張瀬戸駅着。何度も来ているのに「やったー!」という気分。栄町駅13:55発の急行で始まった旅が終わりました。

尾張瀬戸駅に着いてやっと出会えたヘッドマークトレイン。(一番左側に停車中)

「地域に支えられて」とはその通りでしょう。栄町乗り入れ前を知る一人として、この線のその後の発展ぶりには目を見張る思いです。2両編成の電車が走っていた時代からは考えられない今の瀬戸線。栄町駅乗り入れ時と比べてここまで乗客が増えるとは、当時の私には想像できませんでした。それにしても誰がデザインしたのか?このヘッドマークの手作り感。個人的には好きです。

尾張瀬戸駅まで乗ってきた電車。折り返しの出発時間まで真ん中のドアだけ開けて他のドアは閉めています。きっと夏場と冬場はこうした運用になっているのでしょう。

尾張瀬戸駅。旧駅舎を含め10回は使っているはず。

この旧駅舎はほど近いところにある瀬戸蔵で見られます。

2018年09月15日 14時43分

祝!瀬戸線栄町乗り入れ40周年(7)新瀬戸駅。

新瀬戸駅に15:38着。乗ってきた電車を撮影。ここも初めての利用。

かつて尾張横山駅を名乗っていました。

新瀬戸駅と名前が変わったのは1971年(昭和46年)ですから47年前。実はというか、旭新居駅が尾張旭駅と改称されたのと同時にここもその名前を変えているのですが、私の記憶では新瀬戸駅となったのが、愛知環状鉄道開業時とまでは言わないものの、昭和50年代のイメージでした。

それにしても駅前がこれほど広くなり、また整備されているとは知りませんでした。

話は変わりますが、隣接の愛知環状鉄道の駅名は「瀬戸市」駅。下車した印象としてはほぼ一体の駅ですが、どうして同じ駅名にしなかったのでしょうね。

15:52発の急行尾張瀬戸行きに乗車。

2018年09月14日 14時40分

祝!瀬戸線栄町乗り入れ40周年(6)三郷駅。

尾張旭駅を15:27発の普通電車尾張瀬戸行きに乗車すること2分。15:29に三郷駅到着。この駅はこれまでに1回使ったような使っていないような…。

そのその昔の瀬戸線栄町駅乗り入れとなる前の時代。瀬戸線(瀬戸電)の特急電車は大曾根駅~三郷駅間はノンストップで、ここ三郷駅が尾張旭市の代表駅というのが私の印象。以前はここで折り返す電車もありました。この尾張旭市は1970年(昭和45年)に東春日井郡旭町が市になったのですが、それを知る人はもう少数派でしょう。それは私が高校生の時で、町が市に“昇格”することがあるという事実を初めて認識した出来事でした。

この駅には改札口が3箇所あり、一瞬どこに駅員さんがいるのだろうかと迷いそうになったのは事実。ネットで調べたら瀬戸線で一番改札口が多い駅だそうです。

この駅舎には記憶あり。愛知県森林公園に出かけた時に車で通っただけですが…。改築されてもう30年以上経つのですね。今回の旅、何となく回顧録になっている。

15:34発の準急尾張瀬戸駅行き。

入場券収集の旅も先が見えてきました。

2018年09月13日 14時38分

祝!瀬戸線栄町乗り入れ40周年(5)尾張旭駅。

尾張旭駅に15:12の到着。ここも初めての下車です。

その尾張旭駅の改札口を出た所の左右2箇所の突き当りにステンドグラス発見!

強烈な夏の光がステンドグラスを通すと少しは優しくなった気分。もっともそのステンドグラスの向こうに太陽がある訳ではないので少々というより大分話を盛った感あり。でも私の気持ちは伝わってほしい。

駅前には水野又太郎良春の像。

案内の看板を思わず読んでしまった。こうしたモニュメントとなった地元の偉人は、私が知らないだけで名古屋エリアにももっともっといるんでしょうね。

ところでこの駅に来て、駅の窓口にこんな絵があったのに気付きました。これまで入場券を買った駅にもあったのをここで思い出す。何でかと言えばここ尾張旭駅の旧駅名「旭新居」の名があったから。

自分でも情けない気分でしたが、この駅からこれの撮影を開始。

尾張旭駅を起終点にする電車は中線での発着。栄町駅行きを後ろ追いでパチリ。

中線はご覧のように行き止まり式で、その先に線路があれば本線に真っすぐ繋がる位置関係。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!