2011年12月31日 10時46分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(7)ブレーキシューって?

今日はいよいよ大晦日です。
大晦日だからと言ってそれに向けた話題を考えるようなことはなく、いつも通りに話しを進めます。
上段写真は前回のデキの直ぐそばに今回の参加者見学用に置いてあった新品+使用済みブレーキシュー(制輪子)です。
また下段写真はその近くに置いてあった、これから電車に装着する新品のブレーキシューです。未使用品はこのようにしてストックしているそうです。

ブレーキシューは、鉄道車両を安全に確実に停止させるものとして、なくてはならないものにも関わらず、意外とこうしたパーツで見る機会は少ないと思います。
これまで「運転体験」で伺った鉄道会社で、車両の説明時にブレーキシューの解説を聞いたことがありますが、このようにストックされたブレーキシューの横は、特に説明の無いまま通り過ぎることが多いですね。

上段写真の様に今回はちゃんと並べられ、この写真では写っていないのですが、軍手も用意されていて子供たちが実際にこのブレーキシューの重みを体感できるようになっていました。

ところで上段写真の左端のブレーキシューと他のブレーキシューを見比べて下さい。左端が使用後で、そこから右側に並べられているのが未使用と言うことで、もうその差は一目瞭然ですね。因みに『V』の字形の“溝”が殆ど見えなくなってくると交換だそうです。
車のタイヤの溝が減り具合をタイヤ交換の目安にしているのと似ていますね。

さて、使用済みのブレーキシューはどうなるのでしょうか?産業廃棄物として処分されるのかと思いきや、回収されてリサイクルされるそうです。鉄道車両は廃車になっても捨てるとことがないとは良く聞きますが「成るほどね。」と感じました。

もう一つ余談ですが、下段写真の青い部分が他にも緑色など様々あり、その色の違いは運転時の最高速度の違いのよるものだそうです。一度、電車の足元にも注目してみてください。
※今回、ストックされたブレーキシューに私が引っかかったのがこの説明でした。

最後に、今年一年このブログにお付き合いいただきありがとうございました。また来年もよろしくお願い申し上げます。

2011年12月30日 17時14分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(6)電気機関車を見学!

今回は子供たちにとって馴染みの少ない「電気機関車」の見学です。
ということもあるのですが、実のところは、検車区から「デキ」と参加者越しに、パノラマスーパーの「豊明」通過を撮影したかっただけかもしれません・・・。
ただ、このシャッターチャンスは、そんなに何回も有るわけではないので、そういった意味では“狙っていた”ことにはなるですが、果たしてパノラマスーパーの場合、先頭車を写すべきか、中間車だけを切り取るべきか、それとも「最後尾」車両をよく『分かる』形で見せるべきか・・・等と考えているうちに結局“俺の一枚”は何とも中途半端になってしまいました。

それでも本線と、参加者が見学していた場所の関係は分かっていただけるのではないでしょうか?

ところで「けん・がく」対象のデキ401+ホキ85+ホキ84+ホキ8?(番号不明)+デキ402のいつもの保線で使われているこの編成をこれだけ近くを見るのは私にとっては当然初めてで、ホキにあった「日本国有鉄道浜松工場昭和36年」のプレートが印象的でした。恐らく浜松工場で作られ国鉄で活躍したのち名鉄にやって来たということなのでしょう。

もちろんそうしたプレートは私が気にしていただけかもしれませんが、それだけではなく、デキの細部などを見て、説明を聞いて楽しい時間が過ぎていきました。

2011年12月29日 16時50分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(5)車掌スイッチ。

上段写真は、座席方向の転換“たい・けん”です。この光景は「中部国際空港」駅等の折り返し駅で、車外からと言うか窓外から眺めることはあっても、こうして車内で見ることは通常はありません。

一方、燦然と輝く「車掌スイッチ」。「鉄」ならば一度はこれを操作し、“本物の電車のドアを開閉したい”のではないでしょうか?(私はそう思う!!!)
でも今回、このスイッチを操作してドアを開閉したのは子供たちだけで、大人というか保護者はビデオに写真にと大忙しでした。
もっとも子供たちの「たい・けん」だから整然とことは進みましたが、大人だったらどうなったでしょう?多分、大人の方が必要以上に興奮し、時間が長くかかるような気もしました。(それは私だけのこと???)

また、この車掌体験と言うか車掌スイッチ体験と言うか『扉開閉体験』を行っている運転室の反対のエンドの運転室では『ミュージックホーン体験』をしており、何度も何度も実に61回(参加の小学生の人数)のミュージックホーンが豊明検車区に響いていました。(はずです)

ミュージックホーンの「たい・けん」は、近くに人家が無い豊明検車区ならではと言えそうで、「茶所」あたりで同じことをしたら苦情がきそうですね。

今回の体験の感想…こんなに短い時間の間に何回も扉の開閉が行われたりミュージックホーンを鳴らすことは通常はないでしょうから、さぞやこのミュースカイはビックリしたことでしょう。

2011年12月28日 21時54分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(4)車体傾斜を実体験!

ミュースカイ「たい・けん・がく」は、乗車直後から本格スタートです。
まずは豊明検車区長さんから「豊明検車区の概要」や後々もっとちゃんとこの説明を聞いておけば良かったと後悔した子供たちもいたと思われる「2000系の車両の説明」(“説明の重要性は”近いうちにUPします)がありました。
そして最初の“たい・けん”がこれ!「車体傾斜制御装置」体験でした。

走行中に片側に約2度、車体を傾斜させてカーブを高速で走りぬける装置ですが、これを連続して“左右に傾斜”させるので、計4度の傾斜を一気に“たい・けん”しました。

(左側写真)私のカメラのある方が下がっている。
(右側写真)私のカメラのある方が上がっている。

と、ここで情けない話ですが・・・、はっきりいってこの写真は分かりやすいのか分かりにくいのか自信がありません。というか、撮影した本人としても本当にこれで良かったのかと思っているほどです。

一応、窓ガラスに写り込んだ荷物棚のLEDや車両の反対側の窓の反射があるので、それでカメラ位置がそんなに変わっていないとは思っていますし、一方で、車体の外にある風景、特に右側の写真にある通路にある“バー”が上から入り込んできていることで、『傾斜』を分かってもらえるであろうとは思うものの、今一つ自信がありません。
ならばUPするなと言われそうですが、今日のところはご容赦ください。

そんな写真の解説はともかく、常滑線を走行中の「ミュースカイ」で“傾斜”を実感したことは、正直にお話ししますとこれまで『全く』ありません。
でも、停車中に今回の様な体験をすると、はっきりと言うか想像以上に「2度」と言う角度に重みがあるのが分かりました。

2011年12月27日 22時07分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(3)豊明検車区の建屋に入線。

「豊明」駅を出発し1分少々。9:37に、豊明検車区の建屋にゆっくりと入線、ミュースカイは無事停車しました。

電車で、それも「ミュースカイ」のリクライニングシートに体を包まれ(大袈裟ですね)、ゆったりとした気分で検車区に乗り入れるのは聊か(いささか)どころか相当に“愉快”“痛快”な出来事でした。
上段写真が正にその建屋内を走行しているところで、いくら“乗り鉄”の私でも、始めてみる風景がそこにはありました。
また下段写真は、電車が停車し、下車後に撮影したものです。(「見れば分かります」と自ら一人突っ込み)

最初はひょっとして『留置線』に入るのかな?とも思いましたが、当然のことながら留置線には、小学生の子供たちが安全に乗り降りできる場所の用意は有りません。もっともこんな回りくどい言い方をしなくとも建屋内のピット線に入るであろうことは皆さんには容易に想像できますね。失礼!

ということで下段写真のミュースカイの右側に人が写っていますが、そこには『ホーム』といっても差支えない程度の通路が設けられており、下段写真の左サイドでもそれが確認できると思いますが、勿論、乗降に注意は必要ではあるものの、そこを『ホーム』代わりに使っていました。

ここで一言お断り。検車区内の私の表現が、まるで初めてその光景を見たかのように書いていますが、実はその通りで、「鉄道の日」の前後に集中して開かれている「検車区」等の公開には一度も行ったことがなく、とはいっても路面電車や非電化私鉄の検車区や工場は見学させていただいたことはあるのですが、大手私鉄の検車区は正真正銘の初入線というか初ピット入りでした。

また名古屋本線の電車から何度もこの検車区は見ているのですが、改めてこのピット線が4両分しかないことを知りました。

2011年12月26日 21時04分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(2)ミュースカイ「豊明」行き。

平成23年12月24日、午前9時26分、「豊明」駅2番線に「ミュースカイ」が入線してきました。
その行先表示(下段写真)に注目!!何と「豊明」となっていました。
普段は絶対に見られないというより、明らかにありえない表示で、そもそも2000系でこの表示は後にも先にも今回限りかもしれません。
流石、『まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」』の『まるごと』のネーミングに恥じないというか、名鉄の担当の方達の意気込みがこれだけでも十分窺い知れました。

実は、以前から『このイベントはどんな内容で実施しているのだろう?』と興味津々だったのですが、いきなりのこの方向幕のパンチには「やられました!」と思った次第です。

ところで名古屋鉄道の「たい・けん・がく」は、小学生の子供たちを対象に、鉄道の仕事を実際に「体験」「見学」してもらい、鉄道(名鉄)をより身近に感じてもらおうと、定期的に開催されており、既に何年も行われている記憶が私にはあり、これまでにも“様々なジャンル”の「たい・けん・がく」が実施されています。

今回のこの「たい・けん・がく!」の参加者は140名。うち61名が選ばれし小学生でした。
(保護者の参加がマストのため、家族連れでの参加者もいて小学生の人数×2より多い人数となっています)
※当初の募集は小学生40名でした。しかしというかやはりというか応募が多かったこともあって定員を増やすことにし、それでも最終的には抽選となったそうです。

さて「豊明」駅にミュースカイが入線したと言うことは・・・、この電車に参加者が『乗車』し・・・、9:35に「豊明」駅を出発しました。さて、行き先?
ご存知の方も多いと思いますが明日に続く・・・。

●中日新聞の昨日(12月25日)の21面にもこのイベントの記事が出ていました。

2011年12月25日 22時22分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(1)目指せ!豊明。

特別番組「こども鉄道博士選手権」を本日ご覧になった方々、如何だったでしょうか?

ところで昨日の土曜日(12月24日)、私は名鉄で「ミュースカイ」三昧をしていました。
このブログをご覧になっている方でご存じの方もおられると思いますが、
昨日、名鉄では『~クリスマス特別企画~まるごとミュースカイ
「たい・けん・がく!」』を開催しており、そのイベントを実施した「名古屋鉄道中部支配人室」の担当者から、本来は小学生の子供連れでしか参加できない「たい・けん・がく!」を“後学”のために「たい・けん・がく!」しませんかと誘われ、思い切って出掛けることにしました。

詳しくは明日からUPしますが、その前に私がその集合場所の「豊明」駅に向かうまでの道中の一コマを紹介します。

写真は、その「豊明」駅の1駅手前「前後」駅です。
受付時間が午前9:00~9:20だったので、私はいつも使っている「桜」駅から8:38発の東岡崎行きの普通に乗車し、「本笠寺」駅で5分停車したのちは「鳴海」駅で退避することはなく「前後」駅には8:57に到着しました。(写真で右側に停車中の電車が東岡崎行き)
ここでは10分停車で、そのまま乗っていても9:09には「豊明」駅に到着するのですが、この駅で“後続”の準急「豊明」行き(写真で左側の電車)に乗り換え、先を急ぐことにし、「前後」駅発8:59、「豊明」に駅は9:02に到着でした。

「・・・」と思いませんか?
「前後」駅で次の駅が終点の「豊明」行きに抜かれているのです。だったら「豊明」駅まで東岡崎行きが先行してもよさそうなものですが、ここからはダイヤ編成上の話しですので私の憶測です。
「豊明」駅についてはご存じの方も多いともいますが、3面6線の大駅で、折り返しの定期列車がある“日本で最大級の無人駅”です。その折り返しの電車の到着ホームが東岡崎行きの電車の到着するホームとは異なることもあって、「前後」駅で接続していると私は思っております。

いくら普通とは言え、他の鉄道会社で退避線のある『隣』の駅が終点の電車に抜かれる電車の存在を私は知りませんが如何でしょうか?

2011年12月18日 20時23分

サクラサク切符と忘年会の関係。

昨日12月17日(土)、私は明日(12月19日)から発売される名古屋鉄道の「合格祈願 サクラサクきっぷ」を、この日13:00~16:00の時間限定で先行発売された「桜駅」で購入しました。

そしてこの“きっぷ”を購入した後、このブログで何度も紹介しているNPO法人「名古屋レール・アーカイブス」(以下、NRAと表記)の定例作業(毎月第1&第3土曜日の10:00~17:00に活動)に少々遅刻して出かけました。

昨日はその年内最後の活動日であったので、名古屋駅近くの居酒屋さんで忘年会となり、そのお開きに当たって下段写真の集合写真をセルフタイマーで撮影しました。

因みに最前列で道路に横たわっている方は、NRAの他にも鉄道趣味の会に入られているのですが、集合写真ではほぼお約束でおこのポーズをとっていらっしゃるのであまり気にしないでください。一応、このブログにUPすることは彼を含めて皆さんの了解済みです。(笑)

ところで私は中段右側にいますが、私の左側に女性がいます。この方はNRAのメンバーではありません。それにしてもよくよく見てみると・・・。
そうっ!「芸能界鉄道研究会 鉄研」でお馴染みの鉄道アイドル木村裕子さんで、昨日はたまたま名古屋におられ、NRAの活動を見学し、アーカイブ化している写真や書籍・資料等をご覧になりたいとのことででわざわざ足を運んでくれ、その流れで“忘年会”にも参加となった次第です。

まあ忘年会の席でどんな「鉄」トークになったかはご想像に任せますが、結構濃い~い話しの連続でした。

さてここからがタイトルの『サクラサク切符と忘年会の関係。』となるのですが、実は木村裕子さんとはNRAの事務所の最寄り駅となる地下鉄「亀島」駅で待ち合わせをしたのですが、いつもならそうした場合、私は素直に地下鉄で出かけるのですが、昨日は天気が良かったこともあり、散歩がてら「桜」駅まで行き、「名鉄名古屋」から「亀島」までも歩くことにしました。

で、「桜」駅についてみたら何やら人だかりが…。
「合格祈願 サクラサクきっぷ」の時間限定先行発売が「桜」駅であるのは知っていたのですが、そんなことは昨日の時点ですっかり忘れており、「ああっ、そうだ!!今日だ!」などと何とも頓珍漢なことではありますが、結果オーライということでした。
さらに言えば、木村裕子さんとの待ち合わせがなければ、名鉄を使ったにしても間違いなく『発売開始時間』前に通過しており、幾つかの偶然の結果が上段写真となりました。

2011年10月03日 8時00分

名鉄の記念乗車券&入場券

10月1日(土)、名古屋鉄道で2つの記念乗車券&入場券(?)が
発売されました。

一つは画面左側の「引退10周年 北アルプス号思い出乗車券」で、
もう一つは画面右側の「思い出のせとでん~“お堀電車”
生誕100年特別台紙~(栄町駅の硬券入場券を購入するとプレゼント
される)」です。

10月1日(土)、「名古屋レール・アーカイブス」の
『第4回所蔵資料展』の反省会を前にまずは「せとでん・・・」を
手に入れるべく瀬戸線栄町駅に向かいました。
時間は朝9時頃で、限定1000枚とはいえ、多分残っているだろうと
目星をつけていましたが、やはりありました。
私が購入した段階で多分、まだ200枚程度は残っている感じでしたが、
私を含め、その時間の購入者は並びこそはしていませんでしたが、
途切れることは無く昼ごろには無くなったのではないでしょうか?
それにしても“お堀”から電車が無くなったのが昭和51年ですから
もはや知っている方が圧倒的に少数派でしょう。

一方「北アルプス号・・・」の方は、栄町駅での発売もあったのですが
多分、「せとでん・・・」とセットで買う人が多かったと思われ、
午前9時には無くなっていました。
そのため名鉄名古屋駅に移動し、限定3000セットの内の3枚を
手に入れました。
これはまあ想定通りでしたが…。

「北アルプス号」は、高山出張の際に多分、1~2度は乗っていますが、
実はある種、身近すぎて写真を撮っていません。
ところでこの写真では写っていませんがこの乗車券は540円です。
どうしてこの運賃なのでしょう?私には謎です。

●この2つの記念乗車券&入場券ですが、どちらも単に“記念”と
いうより、解説も良くできており、資料性もあると思っています。

2011年09月23日 8時07分

名鉄名古屋駅「新聞輸送」のある風景。

名古屋鉄道「名鉄名古屋」駅のとある土曜日の昼下がり
(午後1時半過ぎ)です。

ホームに「新聞(夕刊)」が積まれた台車が1台、取り残されたように
止まっていました。
私は電車待ちだった為、その後の作業を見ることなく
その場を去ってしまったのですが、また日を改めてちゃんとこの“風景”を
見届けたいを思いました。

私が小学生~中学生頃でしたでしょうか、平日の午後2時前後に
『新名古屋駅』を利用すると、“降車”側ホームには
「新聞」を積んだ台車があふれ、電車が到着するたびに慌しい光景が
繰り広げられていました。
今も同様かどうか確認していません(だからもう一度見たい!)が、
名鉄「新名古屋駅」特有のホーム形態のため各電車の停車時間は短く、
そんなこともあってか当時、車掌さんが降車側ドアスイッチを
「閉」にした後も、荷扱い(新聞の積み込みに使う)ドアを駅員さんが
力技(手)で開けたままの状態にし、積み終わると同時にその手を離し、
勢いよくドアが閉まっていました。
その光景は子供心にもその当時、「凄い!」と思っていたことを
思い出しました。

昭和の時代は他の鉄道会社でも「新聞輸送」は行われていた記憶が
あるのですが、今では自動車輸送に押され、きっと数えられるほどの
鉄道でしか残っていないでしょう。
今回はたまたまのタイミングでホームに取り残されたような“台車”が
気になりUPしてみました。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!