昨日(7月22日)は名古屋港の遊覧船・名古屋港トリトンライン(名古屋港水上バス)に乗りに行きました。その心はまた後日ということにしてまず向かったのは「金城ふ頭」行きの起点の「名古屋港」ではなく「ブルーボネット」。市バスでは「ワイルドフラワーガーデン」が最寄りバス停なのですが、因みにここにある施設名は「名古屋港ワイルドフラワーガーデン ブルーボネット」です。
10:25着。「名古屋港」ではなくここにやってきた理由は、名古屋臨海鉄道の汐見町線(現在は休止線)を久しぶりというか数十年ぶりに見ること。
バス停直近の歩道橋から東港駅(笠寺駅)方面を見下ろしてみる。線路は草で覆われ都会の秘境。
橋がそこだけ鉄道を主張している。
西側を見ればヤードが広がっているもののどんどん自然に戻りつつある。ここは本当に名古屋???と思ったりして。寂寞たる都会の別世界。
ほとんど廃線状態。
そう言えばどうして廃止ではなく休止なのだろう?
敢えてこんな写真を撮ったりして。昭和55年ごろにこの汐見町線を仕事で撮影した記憶あり。落差が大き過ぎて感想が出てこない。
今日からゴールデンウィーク。
鉄活に励まれる方も多いと思います。ということで今日は、南田裕介さんとのプチ撮り鉄。
4月23日のイベントの帰途は南田さんと名鉄上小田井駅から名鉄名古屋駅までご一緒。
電車が来れば取りあえず撮る。南田さんに限らずまあ一般的行動。
上小田井駅を17:36の準急中部国際空港行きに乗車。「栄生駅の南端は知られた撮影スポットですよ」と話したところ途中下車して撮影タイムとすることにその場の流れで決定。(笑)
大の大人が並んで撮影中。線路を埋める電車群とはなかなかいかない。
夕刻なので私はJR側で流し撮りの練習。もう少しギラリとなるのを期待していましたがそうそう上手く事は進まない。
沈みゆく太陽を入れ込むのはやはり難しい。もう少しシャッター速度を落とすべきだった。
これ以上絞ると電車が真っ黒になるし…とか悩んでいるうちに終了。
栄生駅の乗車位置の関係で、南田さんと名鉄名古屋駅で別れたあとも先頭車の一番前の座席に陣取る。考えてみれば名鉄名古屋駅を越えてこの席に座ったのはいつ以来なのだろう?
これもある意味、南田効果。
今朝(4月10日)の名鉄桜駅の桜。
満開をかろうじて維持。
今日は駅の裏側でお花見。
ホーム側より裏側の方が勢いがあります。
ところで私が子供の頃、当時はこの駅から歩いて10分くらい、大人になった今なら5分強で歩けるところに住んでいました。当時は電車しか見ておらず、桜の記憶はそもそもその当時からこの桜があったとしても記憶にありません。
何せ桜駅を出て少し歩いた桜本町1丁目界隈には、当時もそして今も桜並木があり、その空を覆わんばかりの春の息吹にいつも圧倒されています。桜駅の桜を撮影するようになったのは多分5年前からで、たまたま桜の開花時期にこの駅から電車に乗り、気付きました。今住んでいるところからはちょっと距離があり、特段の理由がなければこの駅はほとんど利用していなかったからです。
そして自分が撮影するようになったのがきっかけで、私の周りの撮り鉄の方がこの桜を撮影しているのを知り、自分も今は「記録」としてこうして撮影をするようにしています。
桜駅の桜の開花に伴い、ここのところ「朝練」というほどではないものの、取り敢えず出勤前に立ち寄っています。
まずは昨日(4月5日)の風景から。
電車をどこまで入れ込むかって難しいですね。通過電車は結構なスピードが出ていますので、思う位置に被写体を置くのは至難の業。
私としてはもう少し、電車が駅名標に近いとイメージ通りなのですが…。
気のせいかも知れませんが、昨年より枝が線路側に出ていない感じ。
1000系の斜めの顔を強調してみました。名鉄らしい電車といえば、個人的にはこの1000系ということで待ち構えていました。
通過電車の窓越しで、駅名標と少しの桜を狙ったものの、肝心の桜が今一つ。
そもそもはこんな感じの咲き具合。
場所が桜駅なので、出来る限りそれが「分かる」ように駅名標を入れたいのですがままならない。
朝しか桜に日が当たらないので、天気予報を見る限り今年はこれで撮り収めになりそうです。
2月27日の中京テレビ「キャッチ!」で熊野市の特集をしていました。その中で紀和町のトロッコ列車が今も活躍する様子が流れ、懐かしく思う気持ちから鉱山鉄道として現役時代だった頃の様子を皆さんに見て頂くことにしました。
実はこのブログでも2010年5月10日から紹介しているのですがその時は写真でした。
(ナローのカテゴリーの一番早い時期のタグで出てきます。)
その時の書き出しは、
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昭和53年4月27日(木)
名古屋発23:58の急行紀州5号に乗り
翌28日(金)新宮着5:17。
三重交通バスに乗り換え
向かった先は三重県紀和町(現在は熊野市)の
石原産業紀州鉱山(銅鉱山)。
その年の(確か…)5月の閉山が決まっており、
それによって“地元の足”にもなっていた
鉱山鉄道も合わせて廃止されることになり
その取材に向かったのです。
趣味は鉄道でも
仕事で鉄道を取材した例は
あまり多くはありません。
その数少ない一つが
この紀和町の鉱山列車でした。
もともとは「鉱山のマチ」が
『閉山でどう変わる?』という
テーマでリサーチを始めたのですが、
そこに、住民も利用する鉱山鉄道があることを知り、
最終的に『閉山の影響は「産業」にとどまらない』
という企画で取材がGOとなりました。
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今日は中京テレビ/映像ライブラリーの秘蔵映像です。(音はありません)
昨日はあま市へ。
既に読売新聞、中日新聞などで既報で、今日の「キャッチ!」でも放送しましたが、これまで大切に保管されていた個人所有のD51827が、鉄道車両輸送のエキスパート「アチハ株式会社」で新しい活躍の場所を得ることになり、その最後の見学会でした。
田園風景の中にあるD51827の居場所。
実際にはこれからアチハさんの手で運べるように準備をし、時期はまだ未定(3か月後位とのこと)ですが大阪へと旅立ちます。そしてその後、圧縮空気で実際に動くように整備されるそうです。
このブログでは、2016年3月30日から5日間この「D51827」を紹介させていただき、その際、「どこかで本当に走ってくれたら良いなあ。」とその時は『夢』をまとめに書いたのですが、よもやその願いが叶う時が来るとは思ってもみませんでした。
中央本線最後の蒸気機関車としてお別れ列車を牽いたこの機関車が息を吹き返すのは本当に嬉しいことで、昨日は有志の手で中央本線の「さよなら運転」時のヘッドマークも再現されました。