2016年11月18日 20時15分

旧北陸本線廃線跡を歩く(15)謎のDD51。

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今回、今庄駅の中には入りませんでしたが、北陸トンネル開通前は、この駅で今回の旅のルートである旧北陸本線の峠超えの機関車の連結・開放を行っていたので構内は思ったより広いです。

給水タンクの遺構と思える施設が残っていました。

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国鉄色のDD511193。

DD51の北陸本線での定期運用はないのですが、何故か留置中。多分レール運搬の臨時だと思うのですが、エンジンは切られており謎???

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JR今庄駅は只今リニューアル工事中。完成するとどうなるのでしょう。

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今庄の町を散策。こんな宿場町の街並みが残っているとは知りませんでした。

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ツアーに参加したおかげで楽しめた福井県南越前町今庄(今庄宿)の「羽根曽(はねそ)踊り」。

こんな地元との触れ合いもありました。

2万歩

さてこの日は10キロ弱を歩いて、何と2万歩を越えました。帰りのバスで足がつりそうになり日頃の運動不足が図らずも露呈。考えてみれば撮り鉄さん達は結構、これ位の距離を歩くと聞いています。同年代、そして目上の撮り鉄さんたちは歩くことだけでも尊敬に値すると改めて感じた1日でした。

(後日談)

何と同じ日に私の知人がここを歩いていたと知りビックリ。以前はマイナーだった廃線跡巡りも、今は鉄道趣味にあってメジャーになりつつある気がしています。

2016年11月17日 20時13分

旧北陸本線廃線跡を歩く(14)今庄駅のD51481。

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JR今庄駅の裏手にD51481が保存されています。

看板を見るとまるでD51を売っているようですが決してそんなことはありません。(こんなことを書くまでも無いですね。失礼!)

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1940年(昭和15年)生まれで、概略を書いた看板によれば岡山機関区、浜田機関区に在籍し、D51が活躍した旧北陸本線に因み、1980年(昭和50年)にこの地で保存されることになったようです。

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蒸気機関車の保存は各地で行われていますが、こうしてみる限りまずまずの状態に見えました。赤いナンバープイレートも良いですね。

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今にも動き出しそう。

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屋根のあるところでの保存ですので、形式写真のような感じでの撮影は出来ませんが、今回のツアーの参加者の方たちはこのD51を背景に皆さん、記念写真を撮影していました。

このD51481との出会いで、今回の旅の目的は全て達成です。

2016年11月16日 20時12分

旧北陸本線廃線跡を歩く(13)北陸本線大桐駅跡。

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大桐駅跡。1908年(明治41年)3月1日に信号所としてスタートし、同年6月1日に旅客・貨物の取扱い始まり、1962年(昭和37年)、北陸トンネルの開通に伴いその役目を終えました。

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機関車の動輪が残されています。

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刻印があり、機関車に詳しい方が見れば機関車の形式、車体番号は分かるのかも知れませんが、私にはその力が無いのが残念。

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実は周りには人が一杯います。しかし人が一瞬いなくなった時にシャッターを押した一枚。

好きだなあ、こんな風景。それにしてもよくこの状態で残っていたものだと驚き。

2016年11月15日 20時10分

旧北陸本線廃線跡を歩く(12)大桐(おおぎり)集落。

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午後2時過ぎ、2時間半ほど歩いてやっと人家がありました。

南越前町住民利用バス【大桐線】のバス停。

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時刻が書かれていますが、今は前日までの事前予約制となっており、またダイヤも変わりこの時刻にバスが来ることは無いようです。

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柿のある風景。というより、屋根の瓦の形状に惹かれてシャッターを押した一枚。下のほうにある丸い突起状の用途は何なのでしょうか?

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集落の入り口にあった「緑と水のきれいな大桐」と「万葉の道べ」。「道べ」は「道辺」で「道のほとり」といった意味だそうです。

その木の看板の横にある「今庄町大桐案内板」。この地図には集落の各戸の名前が書かれてあり、訪ねたい家があってこの地を訪れた人には親切なのですが、都会ではきっともうこうした案内は無いでしょうね。

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そしてやっと終点が見え始めました。奥の方に観光バスが並んでいます。それにしても壮観です。

2016年11月14日 20時09分

旧北陸本線廃線跡を歩く(11)北陸新幹線のトンネル工事。

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山の中にいかにも似つかわしくない工事現場の事務所を発見!

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少し近づけば不思議な建物。

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北陸新幹線「新北陸トンネル」の工事現場。

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こちらから見れば工事現場っぽく見えますね。この下をトンネルが通るとのこと。

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「明日を拓く北陸新幹線」の大看板。

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アーチ上の鉄骨はどこに使われるのでしょうか?

工事期間が平成31年までとなっていましたから3年後にはトンネルが完成の見込みです。

明治のトンネルのあとは平成のトンネルを味わう。

2016年11月13日 17時06分

旧北陸本線廃線跡を歩く(10)土木学会選奨土木遺産「旧北陸本線トンネル群」。

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「旧北陸本線廃線跡のトンネル群は登録有形文化財(第18-0152号)となっています。」と先に書きましたがここのプレートは「第18-0153号」です。

旧北陸線トンネル群では11のトンネルと1つの暗渠(あんきょ)、1つのロックシェッドが文化財となっており、調べたところそれぞれに個別の番号が付けられており、これは何だか新鮮な発見でした。

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文化庁のプレートの反対側にもう一枚のプレートを発見。登録有形文化財と同様ながら、その内の11のトンネルが「旧北陸本線トンネル群」として2014年(平成26年度)に土木学会選奨土木遺産となりました。

選奨理由…

旧北陸本線トンネル群は「旧北陸本線の最大の隘路であった敦賀・今庄間で建設されたトンネル群であり、現在も道路として機能する貴重な土木遺産」であります。

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旧山中信号所のあった場所に置かれたトラック。積まれているのは蒸気機関車/D51の汽笛。私も遊ばせて貰いましたが、紐を引くと音だけではありましたがかつてここを行き来したD51の機関士気分が味わえます。ツアーの特典とのことでした。

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私達は『本線』を歩いていくのですが、左側には側線の跡が今も残されています。

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少し先になりますが側線のロックシェッド(落石防護柵)が見えますが、気が生い茂り殆どトンネル。

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一方こちらは旧北陸線山中ロックシェッド。これも国指定登録有形文化財です。

そしてこれが今回の「文化財の旅」の最後の目的地となりました。

2016年11月12日 17時05分

旧北陸本線廃線跡を歩く(9)山中信号所。

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山中隧道を抜けたところが「山中信号所」。かつてここでは上下線の列車が行き違っていました。

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待避する列車用に掘られたトンネル。

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なかは行き止まり。

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緑を滑り落ちる水滴がまぶしい。

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廃線跡巡りの醍醐味を感じる瞬間。

2016年11月11日 20時56分

旧北陸本線廃線跡を歩く(8)山中隧道

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山中隧道は1896年(明治29年)竣工で全長1170メートル。ここ旧北陸本線の登録有形文化財に指定されているトンネルでは最長です。

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今回は懐中電灯持参のツアーでしたが、トンネル内は照明があり、何とか使わずに済むことができました。

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ただこの山中隧道は、天井から水がかなり滴り落ちており、私は使いませんでしたが傘をさしている方もおられました。

もっとも路上の水溜りに天井の蛍光灯の光が反射し、幽玄というか神秘的な光景を作り出していたのは事実です。

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1キロを越すトンネルを15分ほどかかり通り抜け。

13:03に地元・南越前町のキャラクター、「タッピー君」と「はす坊」の出迎えを受けましたが、それも相まってここが何だかウォーキングの終点気分。

11:25に歩き始めてから既に1時間40分ほどが経っているものの、ここからまだ4キロ残っています。

2016年11月10日 20時22分

旧北陸本線廃線跡を歩く(7)山中隧道の石碑。

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6本目。この日最後のトンネルの手前が少し広場になっており目を向ける。

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「南無阿弥陀佛」「明治29年7月」。

山中隧道の建設中に亡くなった方の慰霊碑。

難工事であったことがこの石碑からもうかがうことが出来ます。

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しかし、この碑に気付く人は少なかった。合掌。

2016年11月09日 20時18分

旧北陸本線廃線跡を歩く(6)伊良谷(イラダニ)隧道。

久しぶりに携帯の電波が届かないところをひたすら歩いている。

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旧北陸本線廃線跡のトンネル群は登録有形文化財(第18-0152号)となっています。

文化庁のホームページでは「明治期官営鉄道施設のトンネル群」とあり、昨年(平成27年)11月20日に登録されました。

登録理由(文化庁の発表から転載)

『北陸線は鉄道庁の手によって明治26 年に着工し,同29 年に敦賀―福井間が開業した。急こう配の岩石地帯であったため,難工事を乗り越えて多数のトンネルを設けた。

樫曲トンネルは明治26 年に完成しており,もとは第一号隧道と呼ばれた。長さ87m で,東西出入り口はイギリス積の煉瓦造とする。

昭和37 年に北陸トンネルが開通すると廃線となり,県道に転用されている。これらのトンネル群をまとめて登録する。』

以上です。

納得。

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登録有形文化財の中をひたすら歩く。

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歴史あるトンネルを通り抜ける。

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出たところで信号を撮影。時刻は12:41。

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!