第一観音寺隧道を出たところ。左側の側壁を見る限りひょっとして「崩れたので補修した?」という気がしました。本当のところはどうでしょうか。
第一観音寺隧道と第二観音寺隧道の間に少しスペースがあり、歩き始めてまだ30分ほどだったのですが。そこで昼食。ツアーの特製弁当で、地元今庄の名物である「茶飯」が主役。その他にも地元の名物があったのですが忘れてしまった。解説できないのが残念。時刻は11:59。
お腹が膨れ再び歩く。
第二観音寺隧道は全長310メートル。竣工は1895年(明治28年)頃とされています。
トンネルの入り口に立つ。だから何なのだ。ですね。2つ目にして少々長い距離となることもあり、ワクワク感があります。
緩いカーブ。
トンネルは直線の方が作りやすいは思うもののそれを許さない地形ということでしょうが、それにしても日本の大動脈はこうして作られていったのだと改めて実感。先達の努力の賜物ですね。
1896年(明治29年)7月15日の敦賀~福井間の開業後、今の北陸トンネル(敦賀~南今庄間の13870メートル)が1962年(昭和37年)6月10日に開通するまでの66年の永きに渡り、この線形で『本線』だったとは本当に驚きです。これは廃線跡巡りの醍醐味の一つを私は思っています。
トンネルの中の待避所。こうしてじっくり見ることはなかなかありませんね。こうした遺構にも時代の重みを感じます。
福井県道207号、今庄杉津線。この日は旧北陸本線の跡を利用して作られたこの道路を、旧杉津駅のあった所から6つのトンネルを抜けて旧大桐(おおぎり)駅までの間、約9キロを歩きます。
※敦賀・米原側から福井・金沢方面に向かっての行程。
※隧道とトンネルの使い分けについて…今回のこのブログではトンネル名については「隧道」で統一します。
ところでこのツアー。いわゆる鉄道ファンがターゲットではなく「ウォーキング」を楽しむ方向け。驚く無かれ東海・近畿圏からバス23台、参加者900名という大ツアー。まあ普段あまり行かない?行けない?ところを歩くのが楽しいのでしょう。
もっともその参加人数を聞いた私は一瞬どんな状況になるのだろうかと心配したものの、各地からのバスの到着が一気ではないこともありノンビリと楽しみことが出来ました。それにしても私より年配の方達の元気の良さが感服。
敦賀湾。時々左側に顔を出します。別につらい歩きではないので「一服の清涼剤」ということにはないのですが、蒸気機関車が全盛の時代にあっては、機関士さんもお客さんにとっても正に「一服の清涼剤」の瞬間だったでしょう。
最初のトンネル「第一観音寺隧道」が見えて来ました。
82メートルの短いトンネル。写真ではよくわかりませんが25パーミルという明治の蒸気機関車では限界の急勾配です。1893年(明治26年)着工で翌年竣工。
それにしても今のような土木技術が無い時代によく作ったものだと感心しながら歩く。
レンガ造りが時代を感じさせますが、その造形美に圧倒されていたというのが本当のところです。
中京テレビの移転先である旧笹島駅。
貨物駅の跡地利用ということで、名古屋駅の貨物駅から独立して正式に「笹島駅」として開業した頃の図面。
東海道本線と関西本線に挟まれた場所にその威容を誇りました。(図面所蔵:高橋敬子氏)
その名残りとも言える線路が今も愛知大学と新幹線の高架との間にひりと残っています。
この線路は上の図面には記載が無く、一方、Google マップの航空写真ではこの先に転車台らしきものの跡があるのが確認できます。恐らくは貨車をホームからホームに転線させるために使っていたと思われますが、これも廃線跡巡りの妙味と言えそうです。
こちらは東海道本線・中央本線の高架下にある通路。笹島駅の開業当時、自動車ではなくまだまだ荷馬車が主役だった時代の名残りとのこと。
この美しいうろこ状の遺構の存在を知る人は少ないものの、これを見た人は一様に驚きを隠しませんでした。勿論私もその1人です。
1986年(昭和61年)に廃止された笹島駅。11月中旬からこの地に毎日通うようになるので、何かまた発見できたらこのブログで報告したいと思っています。
名古屋地区におけるDF200形の試運転が関西本線で始まりました。
撮影に行ったのは10月1日(土)の79レ(稲沢~四日市)と返しの72レ(塩浜~稲沢)。
まずは名古屋駅で79レの撮影。時間は正午を少し回ったところ。DF200+DD51重連の3重連なのですが、土曜日ということで貨車は無し。ということもあってか名古屋駅にいたのは私を含め7名。
この日は私が会員となっているNPO法人名古屋レールアーカイブスの活動日ということもあり、昼ご飯を食べるついでの行動でしたのでこの場所での選択となりました。
72レの撮影は超有名撮影地である白鳥信号所(永和~弥富間)へ。試運転とは思えない重量感にあふれた編成を見ることができました。
それにしてももの凄い人出で、16:22の通過時間の20分前には三脚が林立し、恐らく50人以上の人がいたと思われます。私は積極的な撮り鉄ではないこともあり、あまりこうした経験が無く「へーっ!」という感じなのですが、私の身長ほどもある脚立の並びは何だか不思議な感じです。
ただ1点残念だったのは、そうした三脚・脚立を運ぶことや恐らく1本の列車を追いかけて撮影するためもあってか車で来ている人も多く、路上駐車で地元の人が「迷惑だ」と怒っていたこと。もっとも手馴れた人は撮影地から少々離れても、地元の人の車の通行に支障の無さそうな場所を選んでいるようにも見受けられたので、狭い道での駐車は地元の人から温かく迎えられる範囲に留めたいですね。
一方こちらは北海道函館本線の野田生駅。DF200を初めて見たのはもう何年も前なのですが、駅撮りとはいえこうした“らしい”写真を撮影したのは今年の6月12日がお初。これまでのDD51とはまた違った重量感は良いですね。
ここでは10:05着の10:11発。
最初からヘッドマークをメインに撮影するつもりでした。それにしても特急色、赤色ナンバープレートの2139を、14系・12系客車のこの列車に当てるとはJR貨物もやるなあ。人が集まるのも納得!
最後尾の客車にもヘッドマーク付き。気合が入っている。前後ヘッドマーク付きの甲種輸送ってこれまでも走ったことがあるのかな?私が知らないだけかもしれません。
笠寺駅で待避する列車は、ホームから遠く離れて出発信号機の手前での停車となります。
この後姿を見て思ったこと。そもそも客車列車を名古屋市内で見たのはいつ以来なのだろう?それより客車列車をこれから見ることってあるのかな?厳密には客車列車では無いのですが、しばし感傷に浸る。
本日(9月29日)、EF652139+東武鉄道に譲渡される客車(14系+12系)の甲種輸送が行われました。
実は昨夜、知人から「ネットで、明日の甲種輸送が話題になっているよ」と連絡が入り、そうした情報に疎い私は早速行動を開始(検索)。
そこに「8862レのスジ」との記述があったので、次に「8862レ」を検索。そうすると出るんですね、その列車のダイヤ!
それを参考にして撮影ポイントを一考。ある程度列車編成が分かるほうが良かろうと考え、東海道本線木曽川駅から北へ15分ほど歩いた定番中の定番スポットに決定。朝6時過ぎに起きて列車を乗り継ぎ8:20に木曽川駅到着。
8:46に狙いの列車がその姿を現しました。それにしてもよもやのヘッドマーク付き。昨晩からネットで話題になっていましたが、かつての特急を彷彿(ほうふつ)させるには十分。
頭(こうべ)を垂れる稲穂の中を行くPFと青色の客車は、ここだけ見れば昭和の情景。これだけで私はしびれまくり。
この場所を選んだ理由は2つ。万が一にも下り列車と被るのを嫌ったのと、キャパがあるので時間ギリギリに着いても多分、私1人分くらいの撮影スペースはあるだろうということ。
それにしても私がここに着いたのは8:40頃で、その直前で雨は上がったのですが、それまでは結構な本降り。長時間待った方たちは大変だったと思います。もっとも私も朝起きた時は、「どこかの駅撮り」という甘い誘惑に負けそうになったのですが、天気は回復方向という予報を信じてここまで来ました。
名古屋市の敬老パスのICカード化がこの9月から始まりました。この敬老パスは知人のものを撮影させていただいたのですが、金色なのは名古屋らしいと言えば名古屋らしい。ここは敢えて「まっきんきんだがね」と言いたい!
で、予想通り自動改札機に「入れないで」の表示が出されました。実はユリカからマナカに切り替わった時にも、マナカを自動改札機に入れてしまう人が後を絶たなかったことがありましたが、暫くしてそれは無くなりました。まあ一時のことでしょう。
ところで私・個人の感想ですが、このIC化によって敬老パスを使って地下鉄・バスを利用する方の数が正確に分かるのではと思っています。これまでの磁気券の敬老パスは、バスは見せての乗車、地下鉄は改札機に投入となっており、バスについては運転士さんが数えているもののお客さんが多い時は漏れもあったのではと思います。一方、地下鉄では改札機の横を見せて通っている人を時に見かけたりもしていました。結果は誤差の範囲かも知れませんが、公共交通の利用者数の捕捉は重要です。
名古屋への戻りは鳥羽13:02発の伊勢志摩ライナー。ちゃんとデラックスシートを押さえていました。
夏休み中の日曜日とあってかなかなかの乗車率。車内の写真を撮影するのは断念しました。
14:37、どうしても撮影したかった近鉄名古屋駅の風景。アーバンライナーか伊勢志摩ライナーでしか撮影できないアングルです。
細かいところですが乗務員室の仕切りのガラスにある「ISE SHIMA LINER」の文字も込みで狙っていました。
ところで先頭車/展望お立ち台からの乗車中の写真がない理由。それは往路のビールの影響でお昼寝タイムだったということではありません。いつもなら、例え私の家族が同乗していたとして、冷たい視線を浴びつつも先頭車でかぶりつきの時間を過ごすのですが、今回は子ども達が入れ替わり立ち代りその場にいたため、夏休み限定の大人の対応として私はその方たちに譲ったのです。まあ長く鉄道趣味を続けていればそんなこともあります。
名古屋駅を出て戻るまでのおよそ5時間のミニトリップ。持つべきものは友ですね。Fさんに多謝。
(余談)
今回の写真は(1)と(2)の一部は一眼レフで撮影していますが、それ以外は携帯カメラで撮影しています。恐らく数年前ならコンデジで撮影していたでしょう。自分の“記憶”用として、またA4サイズより大きい写真用紙に印刷することを想定しなければ画質としてはこれで十分かと思っています。
ただ撮影時の気構えは1眼レフの方がシャキッとするのは確かです。