2016年04月05日 20時07分

名鉄桜駅の1本桜.2016 第2章。

先週の土曜日の名鉄桜駅の1本桜が今一つに終わったので、本日の天気予報「晴」を信じて再履修。

ところが家を出た時あたりから薄雲が広がり、桜台高校の入学式に向かう親子連れと行き違う頃にはほぼ諦めの境地。

2016_04_05 桜駅の桜_3

これまでUPしていなかったアングルですが、1本桜は桜駅の名鉄名古屋方面のホームの一角にあります。

2016_04_05 桜駅の桜_4位置関係的にはこんな感じ。駅名標の下には散り始めた花びら。

2016_04_05 桜駅の桜_12

ここまで撮って東海通の踏切に移動。出社時間の都合で結構ギリまで粘ったのですがなかなか上手く行きません。

2016_04_05 桜駅の桜_14

さて明日はどうしよう。

2016年04月04日 20時13分

名鉄桜駅の1本桜.2016。

お待たせしました。いやいや誰も待っていないか?

毎年恒例の名鉄桜駅の1本桜。撮影は一昨日(4月2日)。

2016_04_02 桜駅の桜_2その前に桜駅の直ぐ北側。東海通の桜並木との絡みをまずはお披露目。

朝一番の天気予報が『晴れ』となっていたので出掛けたのですが、晴れというよりは薄曇り(花曇り?)に近い感じ。それでも日が当たった短い時間にチャレンジ。といいつつ朝の9時頃は太陽が顔を出していたものの昼前から雲が広がり、名古屋市内で“花見”をしていた鉄友さんたちにとっては今一つといったところだったのでしょうか。

2016_04_02 桜駅の桜_3

歩道から撮っているのですが、今一つ構図の作り方が難しい。

2016_04_02 桜駅の桜_6少しだけ場所を移動し撮影。踏台を置くスペースがあればもう少し違うアングルが工夫できたかも…です。

2016_04_02 桜駅の桜_8

本題の桜駅に移動。

2016_04_02 桜駅の桜_9

んー。コンデジでの置きピンは自信が無かったのでこんな構図にしてみましたがやはり…、、、。

2016_04_02 桜駅の桜_10

最後にお約束のショット。駅名標へのナンバリングが始まってお初の撮影。これがこれまでとの最大の違いかな。その駅名標の後ろで絶賛撮影中の方は鉄友です。偶然、ばったり会ったのですが、毎年桜駅の一本桜を撮影されています。

桜の咲き具合ですが、東海通の桜は一昨日より昨日(4月3日)の方が良かったです。天候が今一つだったのでカメラを持たずに車で通り過ぎただけですが、思い通りにことは進みませんね。

2016年02月15日 20時34分

私的昭和の鉄道/信州(5)中央本塩嶺(えんれい)ルート。

昭和58年(1983年)7月5日、中央本線の塩尻~岡谷間を素h-とカットする線(当時は塩嶺ルートと言っていました)が開業し、それまでの辰野廻りに比べ、所要時間が大幅に短くなりました。

1983_07_26中央本線みどり湖

その線を乗りに行ったのは7月26日。

名古屋を10時初のしなの7号に乗り、塩尻で急行アルプス4号新宿行きに乗り換えて岡谷には12:22着でした。

1983_07_26中央本線みどり湖2

折り返し13:26発の429M高尾発松本行きに乗車。真新しい線は気持ちいい!なんて思っていたらみどり湖駅で思わぬ列車?とすれ違い。

1983_07_26中央本線みどり湖3

保線用のレールバイク(という名称で正しいでしょうか…)の登場には驚き!上り線も既に使用していたはずで、なおかつ特急も走っていたはず。真昼間に何をしていたのでしょうか?

1983_07_26中央本線みどり湖4

塩尻に13:40着。このサボも今や懐かしい。

1983_07_26中央本線みどり湖5

昭和57年に移転していた塩尻駅。で、この写真を撮って以降、今に至るまでこの駅は何度も通過していますが下車はありません。もう30年以上経っているのですね。こうして新規開業路線に気楽に出かけていた時代が何だか懐かしい。(←違)

今も気楽に出かけているので前言撤回。

※沖縄・那覇市にゆいレールで開業した時、これに乗るために日帰りで出かけて家族には大顰蹙(ひんしゅく)を買い、知人らからはあり得ない!という賛辞を頂きました。

2016年02月14日 20時45分

私的昭和の鉄道/信州(3)続・中央西線。

中央本線4贄川

贄川駅から歩いて行った記憶がある第一奈良井川橋梁。電化工事の際に架線柱が立てられないことから独特の張り方をしたことで当時、知られていました。

中央本線1

こちらは場所が不明。

中央本線2

木曽福島~上松の間にある寝覚の床。

中央本線3

貨車が車を運んでいるのは懐かしい思い出です。

1972_05_02中央本線_10

この写真は同じ場所ですが貨物のスジが入っていたのに何故かこんな感じ。D51重連も何だかなあ…。

1972_02_3_13大糸線

おまけの一枚。

昭和47年(1972年)2月13日の大糸線貨物。中学校の同級生と出かけました。

2016年02月13日 20時41分

私的昭和の鉄道/信州(2)中央西線。

中央本線というより通称の中央西線の方が通りが良かった名古屋~塩尻間。

1970_08_01中央本線宮ノ越_3

昭和45年(1970年)8月1日の宮ノ越駅。夏休みに入っているので多分、友人と一緒に夜行の急行きそで出かけ、各地で撮影をしていたのでしょう。

1970_08_01中央本線宮ノ越_7

勾配のきつい中央西線の貨物はD51重連が牽く事で撮り鉄(当時はそんな言い方はしていませんでしたが…)の方が多く集まっていました。

※場所は宮ノ越付近と思われます。

1970頃の中央本線/653レ

ここからは昭和45年(1970年)これであるのは間違いありませんが、撮影日は不詳。

これは南木曽駅を出発するD51851。

1970頃の中央本線/653レ坂下

坂下駅付近とメモのあった一枚。

1970頃の中央本線/669レ125+501

中津川を出て落合川を目指す貨物。この落合峠を上るためにこの1駅区間だけに上り下りとも後補機が付けられていました。

2016年02月12日 20時31分

私的昭和の鉄道/信州(1)篠ノ井駅。

昭和44年(1969年)8月22日。ネガ袋に日付が書いてあったので間違いないと思うのですが、鉄道の乗車記録を残す前の高校1年生の思い出。

1969_08_22篠ノ井駅2篠ノ井駅。D51155+DD51618+C58368。

1969_08_22篠ノ井駅

止まっていてもやっぱり蒸気はいい。篠ノ井線でまだまだ主役として活躍していた時代です。

1969_08_22篠ノ井駅3

時代的にはDD51が最新鋭の機関車だった。

1969_08_22篠ノ井駅4

C58にはデフ(デフレクター、除煙板)が無いので今思えば入替機だったのでしょうか。

それにしても何のためにここまで出かけたのかが謎。今思えばデフ無しのC58は意外と貴重な存在だったとか思ったりしています。

2016年02月11日 20時04分

大学入試と乗車券。

会社の近くの大学で入試が行われています。受験者の皆さんにかける言葉は「頑張れ!」しかありませんが、地下鉄の利用者としてはここ数年、特に今年顕著になったと思ったことがあります。それはICカードの利用者が大半になったこと。

2016_02_10 マナカまずmanakaを使っている人が大半。恐らく名古屋市内に住んでいるか通っている人。

次にパラパラとTOICA利用者。

私の出勤時、改札口を通る際の瞬間だけの検証ですので正しい統計とは言えませんが、大外れはしていないと思います。一方、写真のSuicaは見かけていません。やっぱりね。ただ見慣れないカードの方もいて思わずどこのカードだろうと気になりました。

ところでICカードが普及して一番様変わりしたのは切符を買う人をあまり見かけなくなったこと。以前、ターミナル駅と大学最寄り駅の両方で、駅員さんが机を出して臨時の切符売り場を開設し、押し寄せる受験者をさばいていた記憶がある人も多いと思いますが、それも今や過去の風物詩。八事日赤駅でも駅員さんが下車する方に「お帰りの切符をあらかじめお買い求め下さい」と呼びかけているものの、それほど台数があるわけではない自動券売機に行列が出来るまでには至りません。

便利な時代になったものだと思うものの、ふとした時に気付くこうした時代の変化は面白い。

2016年02月01日 20時54分

名鉄桜駅のベンチ。

昨年末、名鉄桜駅のベンチが変わっていたことに気付きました。

桜駅のベンチ1

名鉄名古屋方面のホームにあるこれがそのベンチです。

桜駅のベンチ2

一方、豊橋方面ホームと名古屋方面の一基は従前からあるこのタイプ。

新しいベンチはこれまでの機能優先型から「座りたくなるベンチ」への大変身。これに座っていれば電車を待つのが楽しくなると言えば言いすぎですが、それでも前のものからすれば随分気持ち良く座っていられる気がします。

2013_02_21~台湾_236これは台湾の台北駅前にあるベンチ。ここまでくれば「座って寛ぐ」というより「座る」こと自体が目的となりそうです。まあこれは例外中の例外。それはさておき一番最初にあげたタイプのベンチが増えていくと良いですね。

2015年12月31日 23時15分

名鉄の電気機関車。

名鉄の電気機関車が好きです。ということで今年はいろいろと動きがあったこの話題で締めくくります。

デキ600-1

デキ600が今年の7月に終焉を迎えました。さてどこでお別れをするかが思案の為所(しどころ)でしたが、私は新名古屋(今回は敢えてこう書きます)という場所を選んでみました。

デキ600-3

大江駅で最後の旅路に向けて4両がパンタを挙げて勢揃い。奥から601~602~603~604と綺麗な並びで名鉄の担当者の細やかな心遣いが嬉しく感じられました。

デキ400

デキ400も昭和の私鉄の電気機関車らしさがプンプンしており好ましい存在です。

EL-2

一方、世代交代で登場したEL120形。ミュージックホーンが付いているので高評価。この撮影時に初めて聞きましたが、「これが名鉄だ!」と主張しているようでした。

最後に名鉄資料館からお借りした3枚のイラスト。それでは良い年をお迎え下さい。

デキ300

デキ400

デキ600

2015年12月21日 20時29分

台湾鉄路管理局プユマ号(普悠瑪列車)の甲種輸送を追う(2)新幹線との饗宴。

2015_12_17 プユマ号甲種輸送_19

笠寺駅の直ぐ南にあるJRの跨線橋から新幹線との2ショット狙い。プユマ号よりDD13(とここでは書きます)が主役になっています。

2015_12_17 プユマ号甲種輸送_66

たまにはこんな写真もありかな?とか思いながら悔し紛れの一枚。

2015_12_17 プユマ号甲種輸送_70ホームから雰囲気ショット。

2015_12_17 プユマ号甲種輸送_79ゲージが同じなので、この台車は台湾で走る前に日本の幹線をひた走ったわけでそれはそれで感動!

ところで東名古屋港からここ笠寺駅まで、実に多くの台湾から来た方達がカメラを構えておりビックリ!「何故?」という疑問には、台湾の鉄道に詳しく台湾在住の友人も多い舘田達也氏(9月にサハリン鉄旅でご縁を頂いた方です)が、「自分の国で走る列車が製造された国の鉄道を走る姿を見る(撮影する)のはとても楽しみ」と解説してくれました。その気持ちわかるなあと納得。

今回のこの甲種輸送に参戦された台湾からの同業者は恐らく数十人。今回の笠寺駅抑止の件は、東名古屋港で私の近くにいた方には簡単な英語で伝えたのですが、皆さん、本当に残念な顔をされていました。もっとも多くの方は東海道本線での撮影を終えられているとのことでそれが少しですが慰めになりました。

2015_12_17 プユマ号甲種輸送_80動かなかったとはいえ短い時間ですがプユマ号と過ごすことが出来ました。次回は台湾で出会いたいと思います。

最後に舘田達也氏が14日(月)に撮影された写真をお借りしました。館田氏に多謝。

名電築港 ダイヤモンドクロス

名古屋港

こんな出会いがしたかったなあ~。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!