お待たせしました。いやいや誰も待っていないか?
毎年恒例の名鉄桜駅の1本桜。撮影は一昨日(4月2日)。
その前に桜駅の直ぐ北側。東海通の桜並木との絡みをまずはお披露目。
朝一番の天気予報が『晴れ』となっていたので出掛けたのですが、晴れというよりは薄曇り(花曇り?)に近い感じ。それでも日が当たった短い時間にチャレンジ。といいつつ朝の9時頃は太陽が顔を出していたものの昼前から雲が広がり、名古屋市内で“花見”をしていた鉄友さんたちにとっては今一つといったところだったのでしょうか。
歩道から撮っているのですが、今一つ構図の作り方が難しい。
少しだけ場所を移動し撮影。踏台を置くスペースがあればもう少し違うアングルが工夫できたかも…です。
本題の桜駅に移動。
んー。コンデジでの置きピンは自信が無かったのでこんな構図にしてみましたがやはり…、、、。
最後にお約束のショット。駅名標へのナンバリングが始まってお初の撮影。これがこれまでとの最大の違いかな。その駅名標の後ろで絶賛撮影中の方は鉄友です。偶然、ばったり会ったのですが、毎年桜駅の一本桜を撮影されています。
桜の咲き具合ですが、東海通の桜は一昨日より昨日(4月3日)の方が良かったです。天候が今一つだったのでカメラを持たずに車で通り過ぎただけですが、思い通りにことは進みませんね。
昭和58年(1983年)7月5日、中央本線の塩尻~岡谷間を素h-とカットする線(当時は塩嶺ルートと言っていました)が開業し、それまでの辰野廻りに比べ、所要時間が大幅に短くなりました。
その線を乗りに行ったのは7月26日。
名古屋を10時初のしなの7号に乗り、塩尻で急行アルプス4号新宿行きに乗り換えて岡谷には12:22着でした。
折り返し13:26発の429M高尾発松本行きに乗車。真新しい線は気持ちいい!なんて思っていたらみどり湖駅で思わぬ列車?とすれ違い。
保線用のレールバイク(という名称で正しいでしょうか…)の登場には驚き!上り線も既に使用していたはずで、なおかつ特急も走っていたはず。真昼間に何をしていたのでしょうか?
塩尻に13:40着。このサボも今や懐かしい。
昭和57年に移転していた塩尻駅。で、この写真を撮って以降、今に至るまでこの駅は何度も通過していますが下車はありません。もう30年以上経っているのですね。こうして新規開業路線に気楽に出かけていた時代が何だか懐かしい。(←違)
今も気楽に出かけているので前言撤回。
※沖縄・那覇市にゆいレールで開業した時、これに乗るために日帰りで出かけて家族には大顰蹙(ひんしゅく)を買い、知人らからはあり得ない!という賛辞を頂きました。
中央本線というより通称の中央西線の方が通りが良かった名古屋~塩尻間。
昭和45年(1970年)8月1日の宮ノ越駅。夏休みに入っているので多分、友人と一緒に夜行の急行きそで出かけ、各地で撮影をしていたのでしょう。
勾配のきつい中央西線の貨物はD51重連が牽く事で撮り鉄(当時はそんな言い方はしていませんでしたが…)の方が多く集まっていました。
※場所は宮ノ越付近と思われます。
ここからは昭和45年(1970年)これであるのは間違いありませんが、撮影日は不詳。
これは南木曽駅を出発するD51851。
坂下駅付近とメモのあった一枚。
中津川を出て落合川を目指す貨物。この落合峠を上るためにこの1駅区間だけに上り下りとも後補機が付けられていました。
会社の近くの大学で入試が行われています。受験者の皆さんにかける言葉は「頑張れ!」しかありませんが、地下鉄の利用者としてはここ数年、特に今年顕著になったと思ったことがあります。それはICカードの利用者が大半になったこと。
まずmanakaを使っている人が大半。恐らく名古屋市内に住んでいるか通っている人。
次にパラパラとTOICA利用者。
私の出勤時、改札口を通る際の瞬間だけの検証ですので正しい統計とは言えませんが、大外れはしていないと思います。一方、写真のSuicaは見かけていません。やっぱりね。ただ見慣れないカードの方もいて思わずどこのカードだろうと気になりました。
ところでICカードが普及して一番様変わりしたのは切符を買う人をあまり見かけなくなったこと。以前、ターミナル駅と大学最寄り駅の両方で、駅員さんが机を出して臨時の切符売り場を開設し、押し寄せる受験者をさばいていた記憶がある人も多いと思いますが、それも今や過去の風物詩。八事日赤駅でも駅員さんが下車する方に「お帰りの切符をあらかじめお買い求め下さい」と呼びかけているものの、それほど台数があるわけではない自動券売機に行列が出来るまでには至りません。
便利な時代になったものだと思うものの、ふとした時に気付くこうした時代の変化は面白い。
名鉄の電気機関車が好きです。ということで今年はいろいろと動きがあったこの話題で締めくくります。
デキ600が今年の7月に終焉を迎えました。さてどこでお別れをするかが思案の為所(しどころ)でしたが、私は新名古屋(今回は敢えてこう書きます)という場所を選んでみました。
大江駅で最後の旅路に向けて4両がパンタを挙げて勢揃い。奥から601~602~603~604と綺麗な並びで名鉄の担当者の細やかな心遣いが嬉しく感じられました。
デキ400も昭和の私鉄の電気機関車らしさがプンプンしており好ましい存在です。
一方、世代交代で登場したEL120形。ミュージックホーンが付いているので高評価。この撮影時に初めて聞きましたが、「これが名鉄だ!」と主張しているようでした。
最後に名鉄資料館からお借りした3枚のイラスト。それでは良い年をお迎え下さい。
笠寺駅の直ぐ南にあるJRの跨線橋から新幹線との2ショット狙い。プユマ号よりDD13(とここでは書きます)が主役になっています。
たまにはこんな写真もありかな?とか思いながら悔し紛れの一枚。
ゲージが同じなので、この台車は台湾で走る前に日本の幹線をひた走ったわけでそれはそれで感動!
ところで東名古屋港からここ笠寺駅まで、実に多くの台湾から来た方達がカメラを構えておりビックリ!「何故?」という疑問には、台湾の鉄道に詳しく台湾在住の友人も多い舘田達也氏(9月にサハリン鉄旅でご縁を頂いた方です)が、「自分の国で走る列車が製造された国の鉄道を走る姿を見る(撮影する)のはとても楽しみ」と解説してくれました。その気持ちわかるなあと納得。
今回のこの甲種輸送に参戦された台湾からの同業者は恐らく数十人。今回の笠寺駅抑止の件は、東名古屋港で私の近くにいた方には簡単な英語で伝えたのですが、皆さん、本当に残念な顔をされていました。もっとも多くの方は東海道本線での撮影を終えられているとのことでそれが少しですが慰めになりました。
動かなかったとはいえ短い時間ですがプユマ号と過ごすことが出来ました。次回は台湾で出会いたいと思います。
最後に舘田達也氏が14日(月)に撮影された写真をお借りしました。館田氏に多謝。
こんな出会いがしたかったなあ~。