2013年06月25日 21時28分

祝!富士山の世界文化遺産登録決定。

遅まきながら祝!富士山の世界文化遺産登録決定。

まずは2008年(平成20年)11月5日の富士山。名古屋から仙台に向かう飛行機の中から撮影したものです。

 この日は好天に恵まれ、かなり長時間にわたって富士山を望むことが出来ました。

なお、鉄道が絡んだ富士山の写真を発掘することができませんでした。もっともそもそも撮っていなさそうです。

また今回の世界遺産登録に当たりめでたく三保松原が含まれたいうことで、今はなき国鉄清水港線「三保駅」の駅舎をUPします。1979年(昭和54年)9月16日の撮影で、この日は朝から二俣線、静岡鉄道と乗りつぶしをしていて、「新清水駅」からバスで国鉄「三保駅」にアプローチしました。

何せ清水港線は驚異の1日1往復しかなく、鉄道で往復するのは1日がかりとなってしまうためそれははなから頭にありませんでした。

乗車したのは668レで「三保駅」発16:14、「清水駅」着16:38。

「三保駅」の入場券。 1日1往復(朝:清水発三保行き、夕:三保発清水行き)しか走っていなかった超閑散路線にも関わらず有人駅でした。もっとも当時の清水港線は貨物列車が運転されていたのでそのために駅員さんがいたのかも知れませんが実際のところがどうなのかまでは分かりません。無責任極まりない情報をお許しください。

清水港線乗車後は身延線に向かいました。

2013年05月04日 18時48分

ゴールデンウィークだから…。名鉄のヘッドマーク。

本日(5月4日)は、名古屋レール・アーカイブスの活動日と言うことで、まずは名鉄「桜」駅から乗車。

すっかり葉桜となった写真をまずは一枚。

ここから「栄生」までは20分足らずの乗車。いつもの電車に乗り、いつものように一番後ろに近い席に座りました。

名古屋レール・アーカイブス活動日(第1・第3土曜日)の時に「栄生」駅を利用すると、ホームでたまに駅撮りの 方を見かけます。でも今日は様子がいつもと違い、私が乗ってきた電車の停車中を熱心に撮っていました。

振り返ればそこには「GWを満喫しよう!」の記念系統板が燦然と輝いていました。

油断しており、カバンからカメラを出す余裕はなかったので、とりあえずスマホを取り出して写真を一枚GETしました。が、何せ画素設定を低くしてあるのでこの程度の写真が精一杯。記念系統板の文字もはっきり読めないほどで、恐縮ですが雰囲気と言うことでご勘弁を。

こうして私が桜から乗ってきた岩倉行き普通電車は出発していきました。

残り2日、皆さん、充実したゴールデン・ウィークをお過ごしください。

2013年04月20日 13時21分

今更ですが名古屋市交通局N3000形

昨年の3月に営業運転を開始した名古屋市交通局鶴舞線のN3000形に、本日(4月20日)、やっと乗車できました。

乗車したのは「鶴舞」から「御器所」までのわずか2区間で、この写真は御器所で下車後に撮影しました。

いつもならカバンにデジカメが入っているのですが今日は全くの無防備。止む無く携帯カメラで撮影したのですが、携帯カメラは画素設定を低くしているので、画質としては今一つ。

なおかつ、鶴舞駅では携帯を操作していたためN3000形のホーム進入に全く気付いておらず、電車が停車して「はっ!」としました。 実は、鶴舞線に乗車する可能性がある時は、いつもカバンにデジカメを入れており、なおかつ電車の到着時はカメラを構えていたこともありました。(昨年末までの期間ですが…)

思えばN3000形に初めてあったのは2011年10月9日。JR「木曽川」駅近くの撮り鉄定番スポットでした。実はこの写真、私が生まれて初めて撮影した甲種輸送で、それだけにN3000形に出会える日を心待ちにしており、やっと本日念願がかなった次第です。

「嬉しい」というより「ホッとした」というのが正直な感想です。

最後に、甲種輸送の日の写真を一枚おまけにつけます。

※甲種輸送の写真は、2011年10月12日、13日にUPした写真と同じです。

2013年04月09日 21時13分

飛行機と鉄道の関係(1)。

古い写真を整理していると思わぬものを発見することがあります。そこで今日は飛行機と鉄道の関係のお話し。

まずは懐かしい写真をお楽しみください。

まず名古屋空港に着陸したのは東亜国内航空(TDA)のDC-9型機です。東亜国内航空という会社名はすでに懐かしい部類でしょうしDC-9という飛行機の現役時代を知っているのはそれなりの年代と言うことになりそうです。

撮影時期はネガの前後の写真から推定して昭和56年(1981年)頃と思われます。

東亜国内航空そのものは1988年(昭和63年)に、日本エアシステム(JAS)に名前が変わっています。

こちらは中部国際空港での日本エアシステム(JAS)のMD-90型機。故黒沢明監督デザインのレインボーカラーで話題になったJASのMD-90型機ですが、7種類あったデザインの内、この機体は2番機でした。

中部国際空港の開港は2005年(平成17年)で、JAS便がJAL便になったのはその前年2004年(平成16年)。その後、機体の塗色は順次JALカラーになっていきましたが、中部国際空港になってからもレインボーカラーは残っていたんですね。(だからこの写真を撮影したはず)

ところで「DC-9」と「MD-90」の違いは、私には分かっておらず単に「似ているなあ」とそんなことを感じていました。(余談)

それと中部国際空港の写真ですがフィルムで撮影しています。撮影日は2005年(平成17年)2月26日。この日は名鉄・空港線の初乗りと福岡市営地下鉄(同年2月3日開業)の初乗りをするため、敢えて飛行機で福岡に向かいました。

さて飛行機の話に戻して、本当はJAL塗色のMD-90の写真も探したのですが、それはさすがに見つけられませんでした。そもそも空港で撮影をする習慣がないのですが、デジカメの時代なので、目についたものは撮影しておこうと心に誓いました。デジカメなら撮影日の特定で家探しする必要もありません。(笑)

平成15年にフィルムで撮影したのには理由があります。それはまた明日。

2013年04月08日 19時12分

今更ながら、全国相互利用記念。

一昨日の土曜日は、私が会員となっているNPO法人名古屋名古屋レール・アーカイブスの活動日でした。

そこで会員のAさんから交通系ICカード全国相互利用記念の記念「manaca」「TOICA」を譲り受けました。

※3月23日(土)、私には絶対に抜けられない所用があり、それを気遣ったAさんが私のために買っておいてくれました。

「manaca」は名古屋市交通局と名鉄グループそれぞれ1枚ずつ、「TOICA」と合わせ計3セットが私の手元にやってきました。

各社のロゴを正方向にしていますので、「交通系ICカード全国相互利用 2013.3.23  START!」(名鉄グループ)、「交通系ICカード全国相互利用記念」(JR東海)、「manaca全国相互利用記念」(名古屋市交通局)と書かれた肝心の部分が上下逆となっていますがご容赦ください。

こちらは裏面(?)と言うより中面といった方がいいですね。

さてここで問題です。この写真では右側から名古屋市交通局、JR東海、名鉄グループの順番となっていますが、その理由は何故でしょう?

もったいぶる必要はないのですぐに答!実は台紙の大きさ順です。この写真を撮ろうとして気付いたのですが、ほんの少しずつというより 誤差の範囲程度の大きさの違いがあります。(名古屋市交通局が一番大きい)

だから何なのだと言われればその通りです。

1枚2000円×3=6000円の出費ですが、ICカードの場合、使用しても外見上は変わらないので、実質500円×3=1500円の出費となりました。 これで手持ちののICカードが7枚となりました。

2013年04月06日 16時05分

名残りの桜 名鉄桜駅。

本日(4月6日)の名鉄桜駅の桜。去年は丁度今頃が満開だったのですが、今年は名古屋市内の他の場所同様、やはり先週位が満開だったようで、少々残念な結果となりました。

それでもまだ最後の踏ん張りを見せる花びらもありました。桜駅の桜は、一般の乗降客にはあまり気にされず、はっきり言って私のような地元の「鉄」だけがその姿を愛でているのではないでしょうか。

それにしても名鉄の駅のホームに桜の木があるのは、私の記憶にあり限りではここだけです。この桜駅にしても「桜」駅の「桜」とかけてここに植えられたものとも思えません。

まあでも、一般的には無名でもこの季節にこの駅で乗り降りするのは気持ちが良いです。またこれからの瑞々しい緑の桜も私は好きです。

ところで「桜」駅のすぐ「呼続」駅方には東海通の踏切があり、その東海通は桜本町(名古屋市営地下鉄桜通線「桜本町」駅)の交差点を中心に、桜並木となっており、「桜」駅のホームからも望むことができます。

ず~っと以前、桜本町交差点方面から東海通の桜並木越しに踏切を行く電車を撮れないものかと、一応狙ったことがありますが、東海通は幹線道路だけあって遮断機が下りるとすぐに車が数珠つなぎとなり、10分を待たずに断念したことがあります。

 

2013年04月03日 19時04分

2013 春の大鉄まつり(18)

往路も新幹線でしたが、帰路も掛川から新幹線を利用。掛川発17:42の「こだま669号」に乗車。撮り鉄に挑戦!と思ったもののやはり今一つでした。まあ素直に「夕日が綺麗だ」と思った私の心情をお察しください。

この写真を撮る前、非常に充実した一日を送ることができたと実感していた私は、千頭駅のみならず乗り継ぎの時間を利用して掛川駅南口(新幹線口)にあった売店でもお土産を買い足しており、家に戻った時、家族に「どうしたの?」言われるほどご機嫌でした。

この日の収集品。C5644とDD203の運転体験時のパンフレットやSL運転体験の修了証。

DD運転体験・車両工場見学の参加用ハガキや乗車券等々。

この中で特筆すべきはDD運転体験・車両工場見学の参加用ハガキ。写真では本文のみですが、実は表の宛先は全て手書き。しかも同じ「南アルプスアプトセンター」から送られているにも関わらず字が異なっていることから別の人の手によるもの。しかもその字は二人ともがとても丁寧なだけではなく、『上手い』のです。

「鉄」友からの連絡でDDの運転があることを聞いたのがきっかけの大井川鐵道詣ででしたが、私の宛先を書いてくれた方を始め、今回の『2013 春の大鉄まつり』に関わっていた全ての関係者の心のこもったおもてなしの心があったからこそ私の満足に繋がったのは間違いありません。

最後に一般社団法人日本民営鉄道協会の広報誌「みんてつVol.44 冬号」で「大井川鐵道」が特集されていることを紹介します。

http://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/index.html

是非ご一読いただきたいのですが、代表取締役社長の伊藤秀生氏のインタビューや管理部課長 山本豊福氏・営業部課長伊藤和則氏のリポートだけではなく島田市長桜井勝郎氏・SL運行の礎を作った白井昭氏の話しも掲載されています。

内容は割愛させていただきますが、この「みんてつVol.44 冬号」を紹介させていただくことで私を楽しませてくれた大井川鐵道の方への謝意とさせていただきます。ありがとうござました。

2013年04月02日 20時00分

2013 春の大鉄まつり(17)元京阪3000系の旅。

「かわね路2号」で新金谷まで乗車すると、そこから金谷までの連絡列車は、千頭発15:25となります。

ということで元京阪電車の3000系(京阪的には旧3000系と書くべきでしょうか?)が来ることは「かわね路2号」の発車時に分かっていたので、新金谷駅では到着を今や遅しと待ち構えていました。この電車を撮影したのは構内踏切の上です。ここで上下列車の行き違いがあるため、下り列車が先着し、完全に停車した上で客扱いを始めないと踏切に入ることは出来ないと思われ、ある種この写真も今日の運の良さの象徴でしょう。何せ3月10日にたった一区間とはいえ3000系に乗車できるのですから…。

金谷に16:37到着。お約束の車内写真撮影。全員が下車した後こうして撮影したのですが、実は数人ではありますが順番に並んで撮影でした。それにしてもこのシートの座り心地は破格ですね。

京阪と言えば「鳩」のデザインのヘッドマーク。この日はこのヘッドマークを撮影するために金谷駅ではやはり行列ができました。各駅停車なのに「特急」とはこれ如何に。でもやはりこうでなくっちゃ3000系らしくは無いですね。

と言っても「鳩」のマークは列車の両エンドとも見えている訳ではなく、金谷側の先頭車はご覧のように大型の方向幕に覆われていました。本来はこの形で、今回の様な表示が「特別」だとしたら大井川鐵道に感謝ですね。

もっともこの3000系人気は、平成25年3月10日という記念すべき日だったからかも知れません。

2013年04月01日 21時16分

2013 春の大鉄まつり(16)木村裕子さん登場。

今年の「春の大鉄まつり」には木村裕子さんも登場していました。

新金谷発9:57の「かわね路11号」で車内販売をし、千頭駅ではサイン会他を行った後、鉄道部品オークションを行い、私が乗車した「かわね路2号」ではやはり車内販売をして新金谷まで戻りました。

彼女はJR東海の在来線特急車内販売の経験者であり、乗務していた「南紀」などJR東海の在来線特急列車の車内販売が3月15日をもって終焉を迎える直前、大井川のSL急行の車内販売を行い、帰路で言えば14:50から新金谷到着の16:10までの1時間20分かかっても、客車7両の内、7両目の半分ほどまでしか回れず、新金谷のホームで最後のお客さんの相手をしていました。JR北海道・JR九州同様、観光列車のお土産品の車内販売(旅の思い出を買う)と、そうではなく弁当や飲料を中心とした車内販売(生活の必需品を買う)の差を感じました。

ところで木村裕子さんは半袖での登場でしたが、この日の前日の予報では「暖かかくなる」でした。ところで午後から日が陰り、風が強くなり、そして雨がぱらつき始めると気温が一気に下がり、一応そこはプロですから平気な顔をしてますが、相当に寒かったはずです。

さて新金谷に16:10に到着。ここから千頭発15:25、新金谷発16:32の金谷行きに乗継です。

その間の22分間を利用し、転車台へレッツ!ゴー。(この言い回しは相当に古い)

デフレクター(除煙板)の無いすっきりとスマートな「C108」がクルリと回るところに間に合い、かつ16:30までに新金谷駅に戻りました。(ああっ、忙しい)

2013年03月31日 18時16分

2013 春の大鉄まつり(15)「かわね路2号」に乗車。

一日おいて大井川の続きです。

大井川鐵道というと「のんびりとSLが走るローカル線」というのが私のイメージでしたが、この日の私は殆ど分刻みのスケジュールで、いつもの「鉄」旅に比べ思いっきり忙しい一日でした。『2013 春の大鉄まつり』のこの日の参加者で、恐らく一番楽しんだのは私だ!という自信があります。(笑)

おかげさまで帰路は14:50発のSL「かわね路2号」に乗車することとなり、発車直前のホームに向かったところ14:48着の電車が到着。

奇しくも(くしくも)この3月10日を持って京阪電鉄での通常運行が終わった3000系で、京阪から遠く離れた静岡の地から「さよならテレビカー」とエールを送りました。

列車は定刻に動きだし、その車窓からはまだまだ続く「C5644」号機の運転体験の様子が見えました。

この日の「かわね路2号」の客車は全部で7両。先頭の「C108号機」と最後尾の「ED501号」を足せば何と堂々たる9両編成。大手私鉄でも9両編成は関東・関西圏に限られ、考えようでは日本一のローカル私鉄と言って過言ではないでしょう。

これだけの長大編成ともなれば、最後尾の車両からは窓からカメラを出さずとも、カーブではこんな写真が撮影できます。

おまけの一枚。大井川を渡る鉄橋の、上り列車では右カーブ。いい感じで撮影できました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!