2012年09月21日 21時02分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(25)。

最後に昭和54年(1979年)9月16日の2枚の写真です。

まずは「新所原」駅で、2番線に停車する「掛川」行きは懐かしのバス窓キハ17形ですが、それよりも注目は車両の右奥に見える分岐線です。「新所原」駅を掛川方面から右方向も分岐していく鉄道路線は今も昔もありません。では何でしょうか?ヒントは一旦右に分岐しつつ高度を上げて左にカーブしていることです。ご存知の方には何の不思議もないのですが、当時の国鉄「二俣線」は、東海道本線上り線を立体交差でオーバークロスし、そして下り線に繋がっていました。二俣線から「豊橋」までの直通列車も設定されていましたが、そうでなくともそもそもこの「二俣線」を建設した理由は『海際を走る東海道本線を国防上の理由から海岸線から離す』ことであったことから、当初からこの立体交差は建設されていたものと思われます。(すいません。ちゃんと調べているわけではありませんがそのように推察されるとご理解ください)なお、この写真は「乗車の証拠写真として撮影したもので、決して“オーバークロス”を意識したものではありません。

こちらは「掛川」駅で、今も全く同じ姿を保っています。Wikipediaによれば『新幹線停車駅では唯一、木造駅舎』とありますが、決して装飾的に優れた駅とは思わないものの、シンプルなデザインで如何にも『木造』を感じさせるその“風合い”は天浜線の「有形文化財」に決して引けを取らないというのが私の感想です。“東海道本線”の駅らしいその威風堂々(この表現が大袈裟とは思っていません)とした建築物を天浜線への“乗り換え”だけで通り過ぎるにはあまりにも勿体ない存在です。是非、ご堪能ください。

2012年09月20日 21時00分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(24)。

天竜浜名湖鉄道HPのキャッチフレーズ「日本の原風景に出逢う旅」は定時の15:39に終わりました。途中「遠州森」でも8分ほどの停車があり、『登録有形文化財』を楽しみました。

「掛川」駅には写真の看板が出迎えてくれ、だからなんなのだと言われそうですが、やはりこうした「天浜線の鉄道施設36箇所は国の有形文化財に登録されています」の文字は、起点駅に似合っている感じがします。

昭和の時代の国鉄二俣線「掛川」駅の時代には当然のことながらこの駅舎は無く、木造の国鉄「掛川」駅を私は利用しました。ところで今回、私は「天竜浜名湖鉄道」の天浜線内全線『1日フリーきっぷ』を使っています。「新所原」~「西気賀」間510円、「西気賀」~「天竜二俣」間560円、「天竜二俣」~「掛川」間610円の合計1680円に対し、1500円であり、元は取れているという言い方をここではしますが、ただ全線を乗るだけなら1280円ですので、途中下車をすらなら『フリーきっぷ』をお勧めします。また私のように、交換待ちの時間に駅の改札を出て、“文化財”の写真撮影する際にも何の説明も不要というメリットもあります。

2012年09月19日 20時36分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(23)。

7月28日の14:38。30分以上遅れていた下り「新所原」行き列車の折り返し「掛川」行き『TH3501』号は定時で「天竜二俣」駅に到着しました。

「新所原」の折り返し時間の17分や交換待ちの時間、停車時間の余裕を調整したのだろうと思われましたが、私のような「金指」駅見学は無理だったでしょう。

さてこの『TH3501』。私がここ「天竜二俣」に来る途中、「西気賀」駅で出会っていますので、『見学ツアー』が終わったらこの車両に乗って「掛川」に向かうことは承知していました。

ただこの車両は1形式1両という珍しさがあり、天浜線を乗るにあたって、体感したい車両ではありました。全線で67.7キロという距離があっても一つの路線ゆえ出会う(見る)ことは絶対に出来ますが、実際に乗車するのは16両を所有する天竜浜名湖鉄道ゆえ偶然に左右されます。もっとも乗車して「得した」気分になれるのは、多分にそのカラーリングにあり、もしもこの車両が他の車両と同じ塗装であれば、私のような乗り鉄の場合、これほど『ラッキー』とは思わなかったかもしれません。

かくして14:47、「天竜二俣」駅を定時に出発しました。

2012年09月18日 20時56分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(22)。

「転車台・鉄道歴史館 見学ツアー」を終えた帰りがけに、案内の係りの方から古レールで面白いものがホームにあると説明がありました。その場所等を突っ込んで聞いたのは、7月28日13:30~のツアーでは私だけでしたが、最近は古レールに興味を持つ方が多いのかその場所に案内するのもしばしばとのことでした。

その一つがこのホーム屋根の柱になっているこの古レール。「CARNEGIE」の文字がはっきり読み取れます。1911年のアメリカ・カーネギー製鋼製とのことで、1911年と言うのは明治44年ですからその古さが筋金入りだということがわかります。この他にも八幡製鉄所製もあり、“見学ツアー”を終えて帰りの列車を待つ間の短い時間を過ごすにはうってつけの存在です。なおその場所については、自分で探すよりも聞いた方が早いと思います。やはり「自力で探したい」という方は時間に余裕をもってチャレンジしてください。運が良ければ直ぐに見つけられますが、相当な根気が必要です。

それとは別に、、、

「天竜二俣」駅の側線に2両の塗装途中の車両を発見しました。説明によればこの「20系寝台車」と「キハ20形気動車」はボランティアの手で修復中とのことで、この写真をよく見れば、寝台車の外装の補修をされている方の姿が見えます。あまり深く話しを聞いたのではないのですが、将来的には恐らく公開されるのではないかと思われます。

2012年09月17日 19時30分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(21)。

「機関車扇形車庫」の隣に『鉄道歴史館』があります。ここは「転車台・鉄道歴史館 見学ツアー」に参加すれば見学できます。

中には国鉄二俣線時代に実際に使われた様々な“道具”類が展示されています。

ここを訪れたのが7月28日ですから既に1か月以上と言うか間もなく2か月が経とうとしていますが、まだ十分記憶の中にあり、それだけインパクトがあったと言えます。腕木式信号機やタブレットもさることながら「新所原」駅の駅名標や「遠江森」駅の運賃表もありました。この運賃表は実際に見ていただきたいので写真はUPしないという不親切さはお許しいただきたいのですが、その面白さは「豊橋」駅から名鉄名古屋本線の運賃も掲示されており、そこには当然と言えば当然なのですが、「新名古屋」「新岐阜」の駅名もあり、国鉄「名古屋」「岐阜」と並んでいるのが何か不思議な感じでした。これもやはり時代なのでしょう。

その他にも一般的な興味はさておくのでしょうが文部科学大臣名による「登録有形文化財登録証」もあり、“成程”と思いました。見学にそれほど時間がかかる施設ではありませんが、『大人』の“鉄”にとって飽きることはありませんでした。

2012年09月16日 23時08分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(20)。

登録有形文化財「機関車扇形車庫」です。

※全景は今シリーズ(17)をご参照ください。

パッと目につくのが木製の観音開きの扉で、何とも『昭和』です。遠目ではさほどでもなかったのですが、近づけば近づくほど…、等と書くほど私は「扇形庫」を知っているわけではなく、真面に見たのは北海道小樽市にある『小樽市総合博物館』の扇形庫(国の重要文化財「旧手宮鉄道施設 機関車庫一号、三号」)位です。

他の扇形庫も行ったことはあるのですが、そもそもこのブログを始めるまではあまり観察することはありませんでした。またこの写真のように車庫の中を覗くことはあっても写真を撮影することはあまりありませんでした。もっともブログだけが理由ではなく、もう一つNPO法人「名古屋レール・アーカイブス」の会員になったこともあります。アーカイブとしての映像を数多く見るようになり、「撮り鉄」写真だけではなく日常の光景というか何気ない風景もあって始めてアーカイブという気がしています。これはテレビのアーカイブも同じです。

2012年09月14日 21時44分

新瑞橋駅のレール交換。

毎日見慣れた風景というより、慣れ過ぎていてそもそも能動的に見ることのないモノがあります。例えば、それが線路だったりします。写真は名古屋市営地下鉄名城線「新瑞橋」駅の「八事」・「本山」方面の線路で9月10日(月)に撮影しました。「このレールはいつ交換されるのだろう?」とこれを見て思ったのですが、地上を走る鉄道なら否応なくレールは目に入るものの地下鉄の場合、私だけかもしくは並ばなくともゆったり乗れる時間に通勤しているせいかもしれませんが、いつもなら線路を見下ろせる場所で電車を待つことは殆どなく、かつ電車が入線してから移動するのでレールを見下ろすことはあまりありません。

ということで交換用のレールがいつからここに置かれていたかは私にはわかりません。もっと情けないことに、交換用のレールを見ておきながら、先頭車もしくは最後尾の電車に乗ってこれがどこまで続いているかを確認することもしていません。あくまでも通勤時の一コマであって、いつものドアから乗っていつものドアから降りるという何も変わらない日常の日々が続いていました。

もう一つ言えば、「新瑞橋」駅の「金山」方面の線路は、この状況にあっても確認していません。

そして今日(9月14日)、「新瑞橋」駅で「そういえば」と思ってレールを確認したらすっかり取り換えられていました。

そしてこれまで大勢の人を運んでいたレールのボルトで固定されていた部分が確認できたとき、抒情的に書けば「ご苦労さんと声をかけました」となるのでしょうが、今回の私はそうはならず、「成程、こんな風になっているのだ」と構造的な興味を満たした次第です。

ところで今回は名城線だったからそれでも気づいたのですが、桜通線のようなホーム柵のある駅でわざわざ線路を覗きこみことをしません。きっと人知れず交換工事は行われているのでしょう。

 

2012年09月13日 20時16分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(19)。

ふと見上げれば夏の空に、腕木式信号機が…。

この信号機は転車台に寄り添うように展示されており、“実用”品ではないものの結構気になる存在です。展示されている場所も良いですね。

腕木式信号機に並んで、『C58 200』のナンバープレート付きの煙室扉と動輪が展示されています。煙室扉は間違いなく『200』ですが、動輪が『200』かどうかは刻印を見つけられず、パッと見では私には分かりませんでしたが、まあこの組み合わせで展示されていれば『200』なのでしょう…と素直に受け止めています。

見学ツアーの所要時間は1回45分ですので、ここであまり時間を取ることは出来ませんが、それでもこの写真を撮影するくらいの余裕はありました。

 

(お詫び)

9月8日にUPした「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(14)の中で、見学ツアーの開催日が「毎週金・土・日・月曜日+祝日」で開催時間は10:50~、13:50~と書きましたが、「天竜浜名湖鉄道」のHPで確認したところ、今は毎日開催で、火・水・木は13:50~の1回開催です。見学ツアー情報は、私が随分前にHPをプリントアウトしており、それをすっかり今もそうだと思い込んでおり、新しい情報を確認していませんでした。申し訳ありませんでした。

2012年09月12日 20時38分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(18)。

さて今回は私の「転車台萌え」のパーツを紹介しましょう。等と勿体をつけるほどの事ではないのですが、2つの線路が1つになり、車両が行き来できるようになる部分です。(リベットも結構GOODですが…)

線路が回転方向にずれが起きないように“本線”と青色の短いブロックの間の「かすがい」のような存在が、地味ながら「私がいなければ転車台は役に立たない」と主張しているようで結構好きです。最初、形状的には「楔(くさび)」のイメージもあったのですが、形よりは役割を考え、「かすがい」と表現してみました。

次に転車台を支え、スムースに回転されるレールと車輪の部分です。踏面が平らな車輪は、まるでケーブルカーの対の一方のようですが、それはそれとしてこれだけで「鉄」心を擽(くすぐ)ります。

 

転車台のこの“橋”の部分の銘板には旧字体の『鉄道省』の文字、『横河橋梁製作所』『昭和十二年』の文字が見えます。ただ資料にはこの転車台が建設されたのは昭和15年とありましたが、“橋”の部分が先に作られ、遅れて本体も含めて完成したということでしょうか?この辺りは推測です。ご容赦ください。

 

文化財としても登録名は「天竜浜名湖鉄道機関車転車台」ですが、今、機関車がこの場を通ることはありません。(…ですよね。)

2012年09月11日 20時43分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(17)。

『転車台・鉄道歴史館 見学ツアー』と銘うっているだけあり、登録有形文化財「転車台」の見学は参加する第一の動機!です。

ということで早速、我々ツアー参加者の到着を待って“回転ショー”が始まりました。“ショー”というのはいささか失礼な感が無いわけではありませんが、まあ皆様にご理解頂ける範囲と思っています。「転車台」が周回するのを何度か見ていますが、何度見ても心がウキウキします。楽しいです。それにしても北海道から九州まで、全国には意外なほど転車台がありますが、ツアーとはいえ、時間のロスなくその動くところを見られる場所はそれほど多くはありません。

まあ蒸気機関車の方が良いという声が聞こえてきそうですが、私は文化財である『転車台』に価値を感じています。

こうしてTH2108は扇形車庫の右側の線に入り、車体正面の部分が手作業で水洗いされていました

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!