2012年09月10日 19時57分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(16)。

高架貯水槽を背景に、中通路の両側に木造の建物が並んでいます。映画のセットでもこれほど美しい情緒を醸し出すことは難しいでしょう。と書いていて気付きました。本物だから『美しさ』を感じているのですね。(産業遺産的な)登録有形文化財という先入観が、私自身ややもすると「情緒」とは離れた存在に思いがちです。でも、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」ですから『心』に沁みて当たり前ですね。

運転区の浴場は内部が公開されています。今、現役ではないこともあってこうして見られるのですが、昭和15年頃の建設とのことですが、私が子供の頃、銭湯でこんな感じの浴槽&洗い場を見た記憶があります。

もっとも浴槽より展示されているヘッドマークの方につい目が行ってしまいます。「祝 開業」は、昭和62年(1987年)の時のものでしょう。それも含め恐らく20枚を超える枚数があると思われました。

2012年09月09日 23時20分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(15)。

「俺が乗り鉄だった頃、友達は撮り鉄だった。先輩は模型鉄で、後輩は収集鉄だった。わかるかな~ わかんねぇだろうなぁ~」。『松鶴家千とせ』さんのギャグをもじってみようと思いつつこの程度しか思いつきませんでした。

そもそも「わかるかな~ わかんねぇだろうなぁ~」で一世を風靡した漫談家のことを知っているのは一定の世代以上でしょう。私はそのシュールさが好きでした。(失礼な書き方をしましたが、『松鶴家千とせ』さんは現役で活躍されています)

何でこんなことを書いているかと言えば元はと言えば『天浜線が二俣線だったころ、天竜二俣は遠江二俣だった。運転区は機関区で、DCはSLだった』てな感じはどうかな?と思いつつ、ギャグになっていないということに当然のように帰結し、冒頭の部分を考ええみたのですが、結局恥の上塗りでした。

さてこの高架貯水槽も文化財です。ところで素朴な疑問です。天竜浜名湖鉄道では「高架貯水槽」として登録されていますが、同様のものが若桜鉄道の若桜駅では「給水塔」として登録されています。その違いは何?

ところでこの給水塔は、いやっ高架貯水槽は・・・、私には“給水塔”の方が馴染んでいるのですが、ここは正しく登録名で表記します。さてさてこうして下から見るとまるで巨大ロボットにも見え、このアングルで見上げてみたとき「本格科学冒険漫画20世紀少年」(作者;浦沢直樹)に出てくる正に東京を破壊しつくすあの“ロボット”を思い浮かべていました。ビッグコミックスピリッツか単行本を読まれた方、もしくは映画を見た方には「わかるかな~」(わかってもらえるかなぁ~)、読んでいても見ていても「わっかんねぇだろうなぁ~」(わかてもらえないだろうなぁ~)という落ちが先にあった今回の話しでした。すいません。何を書いているのか怪しくなってきました。

ようするに『足』の部分が面白いと言いたかったのです。参考までにこの貯水槽は“現役”だそうです。『車両洗車装置』にも水を送っているそうです。

2012年09月08日 21時32分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(14)。

天竜浜名湖鉄道「天竜二俣」駅では、毎週金・土・日・月曜日+祝日の10:50~、13:50~に『転車台・鉄道歴史館 見学ツアー』が開催されています。

予約不要ということで、この日の最大のイベントは、列車を下車して12分後にスタートしました。

入場料金は100円で、見学記念硬券が発行されます。

表紙もなかなかGOODですが、硬券もなかなか味があります。ただ唯一惜しかったのは“番号”が振られていないこと。まあっ、贅沢ですね、これは。

出札窓口で100円払い、「待合室」といっても出札窓口の目の前で集合し、早速「目指せ!転車台」です。

この写真は目的地への道すがら(やや大袈裟な表現ですね)撮影したもので、いよいよ“禁断”(普通では入れないという意味です)の場所に突入です。だんだん気持ちが盛り上がっていきます。

2012年09月07日 20時54分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(13)。

一週間ぶりの「天竜浜名湖鉄道」です。シリーズが断続的になることが多くて恐縮です。

いよいよこの日(平成24年7月28日)のハイライト、天竜浜名湖鉄道の中心駅「天竜二俣」駅に到着です。13:38の定時に到着。乗ってきたのは左側のTH2107号。右側のホームに停車中のTH2113号は、ここ「天竜二俣」始発の新所原行き(13:46発)です。「西気賀」で行き違ったTH3501の列車が遅れていましたが、取り敢えずこの時点での下り列車は定時のようでした。

その「天竜二俣」で私を出迎えてくれたのはこの恐ろしく錆びついた駅名標です。またこのほぼ正方形の形には違和感がありますが、決して横方向を短く変形させたものではなく、これが本来のものです。馴染みが無いモノを見ると人間は何がしか反応してしまうものですが、私はこの駅名標に思わず写真を撮るという行動に出てしまいました。私の知識力の無さの証左かもしれませんが、こんな形をした駅名標を少なくとも私は見たことがありません。

てな具合で改札を出て駅舎をパチリ。この「天竜二俣駅本屋」も登録有形文化財で、そして・・・という繋がりは日本語的にはあまりよろしくないですが、この駅舎内には「ホームラン軒」というラーメン屋さんがあり、この日の昼食は「西気賀」にするか「天竜二俣」にするかは、私にとって実は究極の選択だったりしました。

2012年09月01日 21時46分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(12)。

「西鹿島」多分着発13:33。ここは遠州鉄道とのジャンクションです。どのタイミングで「シャッターを押そう」等と考えるまでもなく、取り敢えず1枚。というか今回の遠州鉄道の写真はこれだけです。天浜線の「西鹿島」駅からは駅の構造上、『遠州鉄道』側の風景は見えませんでした。それ故かなり必死だった結果がこの写真です。

 

“国鉄”二俣線に最初に乗車したのは、昭和51年(1976年)6月27日で、区間は「西鹿島」~「新所原」間です。この日、東京から一時帰宅する途中で遠州鉄道全線「新浜松」~「西鹿島」間を乗っており、その終点「西鹿島」から二俣線に乗ったのです。そして二俣線の残りの区間「西鹿島」~「掛川」間は結局、昭和54年9月16日に乗りました。この時の遠州鉄道の乗車は相当に思いつきだったようで、実は短期間の帰省にはカメラを持っておらず、今現在、写真が見つかっていないという状況ではなく、そもそも写真を撮った覚えがありません。その代わり車内補充券を購入しています。

注目は「新浜松」の下にある「馬込」「遠鉄浜松」の駅名。遠州鉄道は昭和60年に浜松市の中心部の路線を高架化されており、その時に無くなった駅名です。私はその後、昭和61年(1986年)10月5日に「新浜松」~「曳馬」間を乗り直しています。私の「乗りつぶし」ルールでは、通常“線路の付け替え”による乗り直しはしないのですが、流石にこの区間は『新線扱い』で乗りに行きました。

因みにと言うほどでもないのですが、遠州鉄道に最初に乗った昭和51年当時は、“鉄道全線完乗”等と言う野望はまだ持っていませんでした。だからカメラを持ち歩いていなかったとも言えます。

(注)

「馬込」駅は、始発駅を出た次の駅がスイッチバックというのが珍しく、当時、毎度新幹線で「東京」~「名古屋」を往復する経済的な余裕が無かった私は、在来線の車窓からその風景をいつも興味深く見ていました。今思うと写真が無いのが残念です。

2012年08月31日 20時41分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(11)。

13:04に「金指」駅に到着。ここでは8分停車で13:12に出発です。

この駅はまずプラットホームが文化財です。特に三角形を組み合わせて作られた屋根を支える構造体は芸術的とも言えます。これほどの美しい柱を私は見たことがありません。天浜線の一押しと言っても過言ではありません。以上は個人的な感想ではありますが、乗った列車の停車時間が短ければ、是非、せめて車窓からでもご覧(ご確認)下さい。

一方、駅舎で私の目を惹いたのは自動販売機の左側にある柱です。良いアクセントになっています。

もう一つの文化財がこの貯水槽です。改札を抜けて取り敢えずその存在だけ確認してきました。蒸気機関車の全盛時代、こうした貯水槽は日本全国、どこでも見られたものですが、それがこうして“文化財”となる時代が来るとは思ってもみませんでした。ところで先日、若い方と話しをしていて驚いたのですが、蒸気機関車では「石炭」よりも「水」を大量に積む必要があり、その「水」のために一定の区間で給水停車を行っていたことを「最近まで知らなかった」と話していたことです。

ところで天竜浜名湖鉄道では登録有形文化財を巡る「天浜線文化財列車」というツアーを定期的に行っています。以前から私はそのツアーに参加したいものだと思いつつ、この日(7月28日)を迎えていました。正直言って、“解説”付きで回れるので、次回の開催を待とうかと思いはしたものの、スケジュールが合うかどうかは『賭け』みたいなものでもあり、今回思い切って出かけることにしました。定期列車にただ乗っているだけでは、全ての文化財をちゃんと見て回れるわけではありませんが、それでも登録有形文化財のある駅での交換待ち(でなくとも必ず停車はする!)は何度かあるはずで、ある程度は体感できることが出来ます。また私のように「西気賀」駅で昼食にすることで、見学場所を増やすことも可能です。

2012年08月30日 20時48分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(10)。

「西気賀」駅にレトロ色のTH3501が入線してきました。時間は12:50。私の乗車予定の掛川行きが12:55発ですのでここで交換・・・のように見えますが・・・。実はこの列車、定刻ではこの駅を12:21発で、30分以上遅れての運転でした。

掛川を10:57に出た列車が車両故障のため「天竜二俣」駅で車両交換したとか聞きましたが、それ以上遅れの理由を突っ込んでは聞きませんでした。私の乗る予定だった列車とは本来なら「三ヶ日」駅で交換だったので、ひょっとしてTH3501は「三ヶ日」までとりあえず向かうかと思いきや、その後もこのまま停車しており、こうして更に遅れの時間が広がることになったのですが、「新所原」の停車時間が20分近くあるのと、この天浜線の列車は列車交換する場合は、結構停車時間もあるので他の列車への影響を考えれば、ここ「西気賀」駅での交換にもちゃんとした理由がありそうです。

この写真は上の写真をトリミングしたもので、出発信号機の高さを見てもらうためにUPしました。昨年の7月3日、いすみ鉄道「国吉」駅の信号機の話しをUPしましたが、天浜線の方が若干高い位置にあるように見えましたが、いすみ鉄道の出発信号機の話しを書いた時に、「他にもありますよ!」とは「鉄」友から聞いてはいたものの、その時はあまり気が無く、天浜線に乗ってからその言葉を思い出しました。

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(6)で「新所原」駅の出発信号機を“覚えておいて…”と書きましたが、ここ「西気賀」駅の出発信号機と『高さ』を比較してみてください。

そうこうしている内に上り「掛川」行きが定時で顔を見せました。私の写真は説明的な場合が多いのですが、この写真は私なりに旅情を心象的に撮ったつもりです。単なる自己満足です。ハイッ!

 

2012年08月29日 20時24分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(9)。

8月23日からほぼ1週間ぶりの「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅です。続きでお読みください。

散歩から戻り、12:55の列車到着まで再度登録有形文化財のチェックです。まずは「登録有形文化財」のプレートです。

ここには登録番号が記載されており、そこには『第22-0146号 この建造物は貴重な国民的財産です 文化庁』の文字がしっかりと読めました。またこのプレートの上には「西気賀駅本屋」「西気賀駅待合所」の表示もあり、登録されているのが今シリーズ(7)で紹介した本屋と待合所であることがちゃんと分かります。

ところで「待合所」という言葉は、正直言ってあまりピンと来ていませんでした。Wikipediaには「何かを待つ間に雨雪、風や寒さ、日差し、排気ガスなどをしのぐために設けられた、一般的には簡易な建物。建物内にある場合には待合室と呼ばれるが…」との記述がありましたが、何となく私のイメージではバス停であり、鉄道駅には???ちょっと???という気がしないでもありません。

もっともこうして「西気賀」駅の待合所を見てみればまあ“待合所”という表現が合っているとは思ってはみたものの、これまで私はこの場所をどんな風に呼んでいたのでしょう?ホーム待合室?だったような・・・。やっぱり「待合所」だったっけ?まあこのブログに改めて書こうとして、“正式名称”って何だったのだろうと立ち止まることはよくあることです。

それにしても、例え地元の人であろうと、ただ通り過ぎる旅の人であろうと恐らくこの建物を『文化財』と思う人は少ないでしょう。この表現はその価値を貶めるつもりで書いているのではなく、日常の中にこそ「文化財」として価値のあるものが存在しうる…、また日常の中に潜む歴史的価値のあるものに気付く心を持ちたいと思うからです。

写真に写っているベンチで列車を待ちながらしばし文化財について考えてみるのも良いのではないでしょうか?

2012年08月28日 21時25分

「シキ」矢田川を渡る。

昨日(8月27日)、南田裕介さん撮影の「シキ」をUPしたところ、南田さんの撮影場所の相談を一緒にした古池直之さんから1枚の写真が届きましたので今日はそれを紹介します。

中央本線の「大曽根」~「新守山」間にある矢田川橋梁で、逆光なおかつバックショット狙いで撮影したとのことでした。(9:56頃撮影)

この写真について撮り鉄ではない私が感想を述べるのも如何なものかとは思いつつ、それでも少し書かせていただきます。

まず列車がシルエットで、それにより青空がより強調された感じがし、どこかのんびりというかまったりとした空気感を感じました。逆光撮影というのはこういう効果もあるんですね。またバックショットであることがよりそう感じさせるのかもしれません。

昨日の南田さんの写真もそうですし、古池さんの写真も同様ですが、私の写真との決定的な違いは電柱の配置です。例えば電化路線の場合、列車編成のどこに電柱を“配置”(という表現でお許しください)するかがポイントとなってくると思っていますが古池さんの写真でいえば、機関車と積荷に電柱がかかっていません。南田さんの写真にも当てはまります。(私のレベルとは全く異なります)

「シキ」の積荷の位置は、実際に走っているところを見ることが極端に少ないので、事前に感を働かせることも難しいでしょうからある種偶然かも知れませんが、それでも絶妙のタイミングのシャッターであったと思います。

実は名古屋の撮り鉄さんたちのグループが共同で写真をUPしているブログがあり、それをよく見に行くのですが、私(乗り鉄)のコンデジ写真とは全く異なり、隅々まで計算されたその構図には毎度唸っています。『餅は餅屋』というか、『撮り鉄』は『撮り鉄』であり、『乗り鉄』とは異なる世界がそこにあることを改めて感じた今回の「シキ」でした。

鉄道趣味は奥が深いですね。

2012年08月27日 21時25分

大物車「シキ」走る!

土曜日(8月25日)に行われた24時間テレビのイベント「芸能界鉄道研究会 鉄研」のトークショーで、南田裕介さんが「明日の日曜日(8月26日)は、大物車「シキ」を追いかけています!」と発表したところ、日産名古屋ギャラリーの会場に集まった観客の方から「写真が見たい!」という声があがり、その際、南田さんの代わりに私のこのブログで写真をUPすることになりました。

で、そのお約束の「シキ」がこの写真です。撮影は当然ですが南田裕介さんです。

「本当に良い天気ですねぇ。」と言った感想はともかく場所はJR東海道本線「木曽川」駅から「岐阜」方面に暫く歩いて行った定番の撮影スポットです。

ところで「シキ」の撮影場所の選定は、私が思うに鉄道写真のジャンルにあっても他の車両とは少々事情が異なっていると考えます。まず「シキ」が「シキ」たるゆえに、絶景ポイントで風景に溶け込むような列車の美しさよりは、やはり積荷が何であるかがわかることが肝心でしょう。また正面から狙いすぎても積荷がわかりません。

ということで、名古屋にお住いの「鉄」の方ならご存知の方も多いと思う写真集『僕はパノラマカー』を出版された鉄道写真家・古池直之さんにも撮影場所選びに入って頂き、吹田~東海道本線~中央本線~春日井と走る列車ならややどころか定番すぎるかも知れないがここは無難にこの場所を勧めた次第です。

※朝の時間帯で『順光』であることも前提の一つでした。

撮影した時間は8:50過ぎとのことで、この後は稲沢で20分停車の後、春日井に10:04到着でした。さて南田さんのこの写真を撮影た後のスケジュールですが、「木曽川」駅に急ぎ戻ったものの、結局「稲沢」では追い付けず、是非にと願っていた「名古屋」駅“通過”する「シキ」も見ることができず、結局「春日井」でやっと巡り合ったそうです。

それにしても見慣れない光景ではありましたが、面白さへの興味を惹くには十分でした。

 

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!