2012年08月23日 22時46分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(8)。

一括りで『浜名湖』と言っても、別名のついた“湾”もいくつかあり、「尾奈」駅~「都筑」駅の間で見られる水域は『猪鼻湖』と呼ばれています。そして今回の写真は『細江湖』と呼ばれる所で、撮影したのは昼食を摂った「西気賀」駅から歩いて5分ほどの場所でした。

岸辺に腰を下ろして水面に浮かぶ鳥の群れを眺めつつ、一人何も考えずに「ボーっ」としているのは、「どれ位ぶりであろうか?」などとどうでも良いことを考えていました。正直言って心は穏やかだったものの、その程度のことしか考えられない自分が情けなくもありました。それより、強い日差しの中で一人耐えるように湖岸に佇む男性の姿は他人からはどのように見えたか心配です。

まあそんなことは別にして、食後の散歩を楽しんだのは間違いありません。11:55に到着して次の列車の出発時間は12:55のジャスト1時間は、食事+散歩を楽しむのに丁度よい感じでした。

2012年08月22日 22時56分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(7)。

お昼時にかかる時間帯で『「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅』をする場合、一番の思案のしどころがどこで昼ご飯を食べるかという点です。

選択肢はいくつかあるのですが、ここはやはり「西気賀」駅の“駅ナカレストラン”を選択することにしました。

「西気賀」駅には11:55着。TH2104号の“パノラマ”展望シートならぬ運転席横の特等立席からみた「西気賀」駅は、如何にも昭和の国鉄駅、しかも典型的なローカル線の駅に入線した感じでした。その存在全てが私にとって懐かしくもあり、しかもここには『現役』の存在感があり、感慨無量でした。

この駅にも2つの登録有形文化財が存在します。まずはこの「本屋」です。ホームを切りかけてそこにある階段は、以前はどこでも見られた光景ですが、最近ではあまり見かけません。列車を降りてこの構内踏切を渡り、階段を上り改札の木製ラッチを通り抜けた時「昭和の時代を知っている」自分が妙に愛おしく思えました。まあ、単にそれなりの年齢にただ達しているだけなのですが…。

そしてこの駅舎を正面から見て出入り口の左側、昔は駅員さん達が忙しく働いていた場所が今はレストランになっています。

店の名前は「グリル八雲」。以前がどうであったかは知りませんが、今の営業時間は、平日が(火曜日は定休日)は11:00~14:00のランチタイム営業で、土日祝は11:00~19:00で食事ができます。

昼間の列車のほぼ1時間間隔は、ここで昼食を摂るには丁度良い時間で、いつものひたすら“乗っているだけ”を少し反省し、ゆっくりとレストランの客となりました。

2012年08月21日 20時04分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(6)。

平成24年7月28日の11:22。「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)登録有形文化財めぐりの旅がいよいよ始まりました。

※ここ「新所原」駅の出発信号機を少し覚えておいてください。

 

天竜浜名湖鉄道がHP(駅に置いているパンフレット)で国の登録有形文化財を掲示している順番は、「掛川」が起点となっており、今回私はそれと逆方向での旅をしており、何らかの資料を参照している方にとっては分かりづらいかと思いますがご容赦ください。

さて私のこのブログで最初に登場する文化財がこの駅「三ヶ日」です。この駅舎が正に“文化財”です。と書きつつ、実はこの「三ヶ日」駅が「新所原」駅から最初の“文化財”ではありません。あくまでもHP・パンフレット等での話しで、実際には「知波田」駅~「尾奈」駅の間にある『利木隧道(りきずいどう)』も2011年1月26日に登録されています。参考までに天竜浜名湖鉄道の登録有形文化財は36ありますが、紹介されているのは30です。アプローチのし易さなども考慮されているのでしょうか?

因みに「三ヶ日」駅の選定理由は『国土の歴史的景観に寄与しているもの』であり、「利木隧道」も同じです。

文化財だけではなく、時折進行方向右側に姿を現す浜名湖の風景の旅情も格別です。

2012年08月20日 20時03分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(5)。

JR「新所原」駅の隣に、「天竜浜名湖鉄道 新所原」駅はあります。国鉄時代に乗車している私にとって、かっては通らなかった場所を通ることになりました。

この駅舎には写真でも「うなぎ」の幟(のぼり)が見えることからもお分かりいただけますが駅ナカのうなぎ屋があります。この日が土用の丑の日だったわけではありませんが、まだ昼食には早い時間にも関わらず列ができていました。参考までに写真に写っている列は、「天竜浜名湖鉄道」の乗換のために乗車券を購入する方たちではありません。残念ですが…。

「新所原」発11:22の128レはTH2104号。

車内はクロスシートで、全線乗車すると2時間を超える路線は「やっぱりこれだよね」等と思いつつ写真を撮りました。

2012年08月19日 20時01分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(4)。

さあいよいよ「天竜浜名湖鉄道」天浜線への乗換駅「新所原」に到着です。豊橋発11:04の「掛川」行きは11:14の定時に到着しました。この313系のある風景もいつからごくごく当たり前になったのでしょうか?この辺りを80系が現役で走っていた頃を知る人間にとっては、時代の変貌を感じる瞬間であると共に、変化に乏しくなった列車風景を感じていたりしています。ところでこの列車の「掛川」着は12:06。一方私はこれから「天竜浜名湖鉄道」で同じ「掛川」を目指すのですが、『文化財めぐり』ではどの駅の何を見るかは、この時点でまだキッチリと決めておらず、さて何時になったら「掛川」到着となるのでしょうか?もっとも大井川鐵道「生ビール列車」が控えているので、16:30頃までに到着しなければなりません。

JR東海「新所原」駅では予定通り「マナカ」で『ピッ!』として下車。「Suica」で東京の私鉄や全国のJR駅の改札を通過するのは当然のようにしている私ですが、JR東海とはいえ「マナカ」でJR駅の改札を通るのは少々「ドキドキ」していました。やっぱり慣れなんでしょうねえ。

2012年08月18日 20時58分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(3)。

「豊橋」には定時の10:48に到着。正面に車止めが見えてきました。毎日この風景を見ている人は、恐らく毎日この駅を使っている人でも殆どいないでしょう。ここから先へは一歩も進めない線路は、私の様にたまにしか(稀にしか)使わない者にとっては、“終着駅”への到着した感じがあり、結構ワクワクします。

さて、この日2番目のイベントです。

これも大したことではないのですが、「豊橋」駅の『ICのりかえ改札機』体験です。思わず“体験”という言葉を使いたくなるほど、楽しみにしてやってきました。その使い勝手がどうこうではなく、実はホームにどのように設置されているかが楽しみだったのです。

名鉄「マナカ」を持ってきた私は、まずこの「のりかえ 名鉄線→JR線」のICカードのタッチ部分に触れます。それで「乗換」手続き終了!

参考までに「のりかえJR線→名鉄線」の『ICのりかえ改札機』はこんな感じ。通路上にポンと立っているのが何となく不思議な感じですが、「成程ね!」という気がしました。

2012年08月17日 20時56分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(2)。

「前後」発10:06の急行は快調に走って行きます。そうしている内にこの日の最初の“イベント”(私にとって)が近づいてきました。

まあ、それほど珍しい風景ではなく、私が単にこれまで写真を撮っていなかっただけなのですが、それがこの舞木(まいぎ)信号所です。名古屋本線の「藤川」~「名電山中」の間にあって、単に「舞木検査場」への引き込み線が分岐しているだけなのですが、私の興味はそこに存在する「ホーム」です。

恐らく乗務員用のもので長さにして20メートルもない感じで、もの凄い過疎地の臨時乗降場でももう少しホーム長はあるのではと思ってしまうほどでしたが、それでも2011年1月15日にUPしたオーストラリアの「ZIGZAG」駅のホームよりは存在感がありました。で、なぜ写真を撮ったかと言えば、「いつかはこのホームに立ってみたい」という『だけ』のことで、でも気持ちは分かってほしいと切に願っています。

そんな写真を撮影しつつ「国府」駅で祭礼の提灯を見つけました。こうしたものを駅で見つけるとどんな祭りなのかつい気になってしまうのですが、既に電車は動き始めており、そもそも目的地に向かわなければなりません。

ところで3500系の良さは120キロ走行と「車内案内表示器」を備えているところ。この写真は、実は「118キロ」を指しており、決して「110キロ」ではありません。この「118キロ」の前後には「120キロ」走行もあったのですが、例によって、カメラではちゃんとした数字が撮影できず、「118キロ」でタイミングが合ったのが精一杯でした。

2012年08月16日 20時53分

「天竜浜名湖鉄道」(天浜線)文化財めぐりの旅(1)。

大井川鐵道「生ビール列車」に乗車した7月28日(土)、JR東海/東海道本線「金谷」駅に夕方集合とあって、それまでさてどうしたものだと思案しつつ、「天竜浜名湖鉄道」天浜線にある国登録有形文化財を巡ることにしました。

そんなこともあってまずは「天竜浜名湖鉄道」天浜線の分岐するJR東海/東海道本線「新所原」の駅を目指し、名鉄「桜」駅発9:38の「東岡崎」行きに乗車。名鉄の普通は本当によく優等列車に抜かれており、写真の「前後」駅でも9:57に到着して10分間の停車です。もっともこのまま普通に乗り続けるわけではなく、10:06発の急行に乗り換えです。

「鳩のフン」の被害にあうこともなく無事、急行に乗車。

3500系の車内は座席がほぼ埋まる程度の乗車率で、それでも知立を過ぎるとやや空席が目立つようになり、ました。それにしても「豊橋」まで急行で乗り続けたことなど私のこれまでの記憶にありません。いやっ、きっと乗っているのでしょうが、私が記録していないだけかもしれません。

名古屋市内の名鉄本線の駅で、「呼続」「桜」の2駅から「豊橋」に向かう場合、私が調べた限りですが、「名古屋」まで北上して新幹線に乗るか、それとも「神宮前」まで行って折り返し乗車する方が時間的には早いことが多いはずです。(「神宮前」は普通と特急の接続具合による)

私が大学生の頃でまだ「桜」駅が有人駅だった頃、「桜」~「神宮前」~「豊橋」という、折り返しパターンの乗車券があったはずで、購入した記憶があるような…。当時も今も、普通列車で東に向かうのはハードルが高かったようです・・・。

2012年08月14日 19時44分

名古屋・鉄道散歩(15)地下鉄桜通線野並駅。

名古屋・鉄道散歩、地下鉄桜通線の壁画巡りはここ「野並」駅で終わりです。ここから先、「鳴子北」駅~「徳重」駅までの各駅で、私は壁画を見つけられませんでした。

で「野並」駅に2枚ある壁画の内、鳴海製陶株式会社が寄贈した「WHITE CONCEPTION」です。デザインをされたのは川村秀樹氏。鳴海製陶製品のボーンチャイナの特殊施釉品にて制作されたとの説明があり、恐らく私の理解する言葉として『釉薬(うわぐすり)』がかかっているのではないかと思ったのですが、非常に綺麗な仕上がりとなっています。(専門外の分野について、なんだか偉そうに論評しているようで申し訳ありません)

正面からでは分かりにくいのですが、実際にはこのように立体的に構成されています。またこの写真から「鶴里」駅に続いて生花があるのも見て取れます。

 

で、この壁画の解説にはもう一枚プレートがあり、そこには「当社では、地球環境を守るため、この壁画照明の消灯を行うことにより、省エネルギーに努めています 鳴海製陶株式会社」と書かれていました。

確かに消灯はされているのですが、生地が白いので、鑑賞にあたっての不都合はあまり感じませんでした。それより消灯の影響はこの駅のもう一枚の作品「童里―夢(どりーむ)」の方で、あまり見易くはありません。

 

これはここ「野並」駅だけの事ではなく、他駅でも作品によっては見難いものがあります。もっともそれで、『エキナカ』芸術が左右されるものではないと思っていますが…。よろしければ皆さんもお出かけになっては如何でしょうか?

 

2012年08月13日 19時40分

名古屋・鉄道散歩(14)地下鉄桜通線鶴里駅。

「鶴里」駅の壁画は改札の中にあり、そのタイトルは「人々の肖像」。

解説には『この壁画は、住宅地として駅のイメージシンボルを「この地に住まう人々」とし、深い絆と愛情で結ばれた家族の姿を、表現しています。』とあります。

壁にその殆どが埋め込まれたような金属球が特徴的で、これに行き交う人々(この地に住まう人々)の姿が反射して映されるのが印象に残ります。壁画の場所は改札の真正面にあり、少なくとも電車に乗ろうとする人には必ず目に入るはずなのですが、日々の駅利用者の方に、どれほど認知されているのかが心配です。

 

また壁画ではないのですが、上の写真の左端、壁画の前に何かあるのが見て取れるでしょうか?ここには『生花』が置かれており、どういう経緯でここに置かれているのかまではわかりませんが、常時あるようです。心が安らぎます。

 

ところで地下鉄が『開業する』と言うこと、地下鉄が『延長する』とはどういうことでしょう?一寸言葉足らずな言い方で申し訳ありませんが、「開業するということ」で言えば、ここ「鶴里」や「野並」界隈では、『開業』した平成6年以降、マンションが目に見えて増えて行きました。

一方『延長』はと言えば、昨年3月に「徳重」までの区間が開通し、「桜本町」「鶴里」から「野並」(徳重)方面への乗客が登場しました。それとこれは「野並」駅を利用している方に聞いたのですが、『朝出社の時に座れなくなった』『帰宅時の電車も乗客が増え、前の様に座れなくなった』のだそうです。まあその嘆きは理解できますが、致し方ないですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!