2012年08月12日 18時37分

名古屋・鉄道散歩(13)地下鉄桜通線桜本町駅。

「桜本町」駅の壁画は「Japanesque Sakura-hommachi Wall」というタイトルです。

駅名が『タイトル』に入っているのは、桜通線では「桜山物語」(桜山駅)とここ「桜本町」だけです。

文字通り“Japanesque”なデザインとなっており、欲動間の中に落ち着きを感じるのはそのせいでしょうか?

 

話しはずれますが、ここ「桜本町」駅と名鉄「桜」駅は歩いて5分ほどの距離です。路面電車時代の「桜本町1丁目」は本当に至近な距離だったのですが、地下鉄はここに90度のカーブがあるため、「桜本町」は随分「新瑞橋」駅よりに設置されることになりました。それでもその距離ならここで「名鉄」⇔「地下鉄」の乗り換えがあっても良さそうですが、あまりなさそうです。路面電車があった時代、名鉄「本笠寺」駅から今池方面や南部の工業地帯に向かって乗り換える人は多かったと聞いた記憶(確証はありませんが…)があります。ところで名鉄「堀田」と地下鉄名城線「堀田」を乗り継ぐ人はいるのでしょうか?本題の『壁画』より乗り換え話しが長くなってしまいました。

2012年08月11日 20時38分

名古屋・鉄道散歩(12)地下鉄桜通線新瑞橋駅。

桜通線と名城線との結節点、「新瑞橋」駅の壁画です。

タイトルは「コンポジション“街”」。コンポジション=compositionは「組立て」「組成」というような意味ですが、解説には「ターミナル駅としての賑わいと街のきらめき、人が集い、ビルが立ち並び、車が行き交う新瑞橋を表現したもの…」とあります。寄贈者名の銘板はなく、交通局が設置したものと思われます。

直線と円の組み合わせのデザインはシンプルな感じですが何か不思議な感じです。

この壁画の設置場所は、あまり人通りの多い場所ではありません。その分ゆっくりと鑑賞できると言うと、交通局の方に叱られそうですね。

ところで新瑞橋でもう一つ。西改札の駅員さんがいるブースです。一見、何の変哲もありませんが、白をベースに、シルバーグレーの帯のアクセントが素敵です。他の駅の改札でこのシルバーグレーの帯を見かけた記憶がないのですが如何でしょう?

唐突ですが、アメリカに「ダイナー」というレストランの様式(と言ってよいと思うのですが?)があります。その「ダイナー」には鉄道の『食堂車』に模したものがあり、特に1950年代に登場した『食堂車』スタイルは、洒落た外装、ハイレベルな食堂車を模した凝った内装で一時代を画しました。そのダイナーのイメージとこの改札のイメージ(曲線と色合い)が、私の中でも繋がってしまったのです。

50’s(フィフティーズ)とかオールディーズと言ったことばを知っている人は今や少数派かもしれませんが、その時代の音楽(私の中ではアメリカ発限定)は今も愛されており、俳優として有名なミッキー・カーチスさんが歌ったオールディーズを私は生で聞いて痺れた記憶(昭和60年代の話しです)があります。その“50’s”は“ダイナー”であり、そして新瑞橋の改札であるのです。

2012年08月10日 21時14分

名古屋・鉄道散歩(11)地下鉄桜通線瑞穂区役所駅。

「瑞穂区役所」駅の壁画は学校法人越原学園の寄贈です。名古屋の方なら「名古屋女子大学」と言えばどなたでも分かっていただけるでしょう。

タイトルは「四季の旅“Journey Through The Seasons”」。学校法人越原学園のHPにこの壁画についての説明が記載されており、そこには『ひとつながりの風景の中に、だんだんと移り変わる四季を表現しています。』とあり、正にそれを実感できるものとなっています。

ところで越原学園のHPで思わぬ記述を発見しました。それは「桜通線に何故壁画が整備されたか?」と言うことです。その全文を引用させていただきます。

『壁画美装化の目的 地下鉄桜通線の壁画美装計画は、地下空間が持つ、狭さ・冷たさ・無機質といった面を緩和・解消するために、桜通線全駅に芸術性の高い壁画を設置し、潤いある公共空間を作ることを目的として、名古屋市交通局から発案されました』

 

私が壁画の魅力に惹かれてこのシリーズを書いていることから、名古屋市交通局の狙いは少なくとも私には当たったと言えそうです。また交通局の狙いもさることながら、何より多くの企業・団体の賛同が得られ、その協力により形となって実を結んだことは素晴らしいと思っています。

2012年08月09日 21時43分

名古屋・鉄道散歩(10)地下鉄桜通線桜山駅。

7月28日以来の桜通線の壁画です。「市バス・地下鉄とことんスタンプラリー」をされてる方は是非、桜通線周遊の際は、壁画もお楽しみください。

さて今回の桜山駅は壁画の宝庫です。計5枚の壁画がズラリと並ぶその姿は「圧巻!」という言葉に尽き、その全てをじっくり鑑賞すると、20~30分では足りないでしょう。

まずは1枚の壁画を紹介します。と言ってもこの壁画を“先入観”なしに見ると、写真のようにとてつもない長さにまずは驚かされます。そして手前には美しい桜の姿が!

正面から見るとこんな感じで、まるで日本画を見るが如きです。その美しさに息をのみます。

壁画のタイトルは「桜」(作家は稲垣進一氏)と「桜山物語」(作家は斎藤睦氏)。上段写真部分が「桜」と思われ下段写真が「桜山物語」と思われます。

路面電車のある風景はもう1パターンありますが、それは単なる風景ではなく、結構トラップが仕掛けられており、細かいところで思わず目が留まってしまいました。ここでトラップという表現を思わず使ってしまいましたが、現物を見ていただければきっとご納得いただけるはずです。「鉄」活動に励む身(私も含め)としては、なかなかこうした地下鉄の壁画までテリトリーが広がらないという現実はありますが、でも桜通線の壁画散歩は全駅を1日で十分回れますし、少なくとも「御器所」「桜山」「瑞穂区役所」の3駅は「鉄」心をくすぐり見る価値はあります。ここは敢えて断言させていただきます

 

寄贈者は桜山商店街振興組合、学校法人愛知文化服装専門学校、株式会社エクシング、株式会社大丸、アーバンテクニカ株式会社、乃一塗装工業株式会社となっていました。

さて「桜山」駅の壁画の紹介はこの2枚に留めますが、この他にも「希望の桜」「江戸時代の名古屋 人・まち・風俗」「BIRD’S EYE」があります。

2012年08月08日 21時09分

大井川鐵道「生ビール列車」(10)。

「新金谷」駅に21:09到着。ガランとしたホームに旅愁が漂っています。とはいうものの、「新金谷」から「金谷」への連絡列車(「新金谷」発21:28、「金谷」着21:32)が出る前でしたので、実は奥の方のお座敷車・展望車周辺には人がいます。もっとも酔客が騒いでいる感は無く、しっとりと旅の余韻を楽しんでいる風でした。

そのホームを抜けて駅外からオハフ33を狙ってみました。私の記憶にある昭和40年代、最終列車が終着駅に着き、数えるほどしか乗っていなかった乗客も三々五々に散っていき、取り残された客車の電灯も落とされ、そしてホームの明かりが消される直前、今日一日の喧騒の余韻にしばし浸っているといったところでしょうか。

それは私自身のこの日の心象風景だったのかもしれません。

それにしても、誘ってもらわなければここにやってくることは無かったでしょうし、それが無ければ、ご一緒させて頂いた方達との新たな出会いも無かったでしょう。また「大井川」の川風に吹かれて『生ビール』を飲みたいと思ったのはきっと私だけでは無かったと思っています。

 

2012年08月07日 21時01分

大井川鐵道「生ビール列車」(9)。

列車が動き始めて直ぐにお座敷車から旧型客車の「オハフ33215」に移動。お座敷車と展望車にトイレがないため、この車が連結されている本来の目的は「トイレ」用だそうですが、旧型客車の夜行列車の雰囲気が楽しめるということで往路は「お座敷車」、帰路は「オハフ33」というお客さんが結構いるそうです。

白熱灯の淡い光が本当に旅情を感じさせてくれます。平成から昭和へのタイムスリップ感ありです。

などと落ち着いた時間がゆったりと過ぎていくはずは・・・、そりゃ、ないですよね。この列車は「生ビール列車」です。旧型客車の椅子で「生ビール」が飲める何て、全国でもここでしか経験(これは自信があります)できません。旧型客車が全盛の時代でも、流石に貸切ではない列車内でこうした“宴会”気分は望むべくもありませんでした。というより“禁じ手”です。

因みに飲みかけのビールを置く場所は、ちゃんとあります。窓下というか、椅子の足元にある「暖房用蒸気」の配管のカバーです。冬ならば「生ビール」がホットビールになってしまいますが、夏はそういうことはありません。

 

それはともかく、三等車「オハフ33」の車内で“生”ビールを飲む時代がやってくるとは思いませんでした。そもそもこの車両の全盛時代、車内で飲むアルコールはビールではなく『日本酒』であったり、『ウィスキー』の小瓶だったような覚えがありますが如何でしょう?

(最上段の写真について)

私がコンデジで写真を撮っていることは何度か書いていますが、フルオートでの撮影では白熱灯のやや黄色みがかった雰囲気は上手く撮影できませんでした。マニュアルにすればもう少し本来の色に近づいたはずです…。一眼レフ組がいい味の写真を撮っている横で私は早々に諦めました。久しぶりにデジイチに心が・・・。

2012年08月06日 21時16分

大井川鐵道「生ビール列車」(8)。

平成24年7月28日(土)19:25。『大井川納涼 恒例!!生ビール列車』は「千頭」駅に到着。よもやこの時間に「千頭」駅に降り立つ日がこようとは思いもよりませんでした。

旧西武鉄道のE31形の3両がひっそりと私たちをお出迎え。この電気機関車たちもここに来てもう2年が経つんですね。早いものです。

 

すっかり夜のとばりが下りた「千頭」駅。井川線の最終もすでに出発した後で、本線の到着が残り4本、出発が1本を残すのみの時間です。かって「大井川鐵道」が「大井川鉄道」だった時代に、取材の下見で来た際、ここ「千頭」駅に近い旅館に宿泊したことがありますが、それでも降り立った時間はこれほど遅くはありませんでした。

そんなことを考えつつ、駅前を暫く散策し、33分の休憩時間は終了。19:58の出発を前に19:50頃、列車に戻りました。そして最後尾についた「オハフ33215」をパチリ!残念ながらブレブレでしたが、まあそれをご愛嬌と言うことで…。

私にとっては「ファンタスティック!」の一言で、その昔、山際の小さな乗換駅で夜行列車を待ち、やっと到着した列車に乗り込んだ時の心境でした。

2012年08月05日 18時26分

大井川鐵道「生ビール列車」(7)。

「生ビール列車」の車内に写真が戻りましたので、再び『乾杯!!』です。(隣は、参加者の1/20である私の「鉄」友です)

車内には冷房が無く、その代わり窓は全開です。冷房が無いということも、考えてみれば私が会社に入った35年前の昭和52年(1977年)には優等列車(この言い方も最近聞かないですね)を除けば、決して例外的な存在ではありませんでした。当時、(夏の時期に)雨が降ると窓を開けるに開けられず、蒸し蒸しの車内でじっと耐えるしかなかったことが今は思い出です。

 

ところで窓が開いているということはどういうことかと言えば、一つ顕著な特徴に、会話の声が必然的に大きくなるということ。というより大声で話しをしないと直ぐ隣の人にもなかなか通じません。でもこの大声に意外な効果が!

ビールをガンガン(と言っても、この後、名古屋まで戻ることを考え、一定の節度はありましたが…)いっても、酔いを適度に発散してくれるのです。気分はカラオケで熱唱と言ったところでしょうか?

(個人差があるかもしれません。私個人の感想です)

 

さて、冷房のない車内でも思ったほど蒸し暑さは感じませんでした。

大井川沿いに上っていく道中は、気持ちの良い川風が車内に入ってきて、思いのほか爽やかでした。ところでこの写真は私ではなく、お座敷車で私の向かい側に座っていたこの日が初対面の方の撮影していただきました。厚かましいとは思ったものの、大井川の「生ビール列車」が私の“遠慮”を取り払ってくれ、その方も気楽にOKしてくれたのかもしれません。

私の乗車した7月28日頃は、「新金谷」を出る18:12頃はまだ薄暮で、それから徐々に日が暮れてゆき、19:00頃でも写真の明るさが残っていました。

 

2012年08月04日 22時19分

大井川鐵道「生ビール列車」(6)。

この列車は「大鉄アドバンス 大鉄観光サービス」が旅行企画・実施を行うツアーで、大井川鐵道のHPでは“特選ツアー”のところに掲載されています。

そのツアーの参加者の多くは「金谷」駅発17:32で「新金谷」着17:36。「新金谷」からいよいよ客車に乗り込み、出発は18:12で「千頭」着が19:25となっています。で、我々の乗り込む列車は「新金谷」のホームに17:40頃入線してきました。そして早速ヘッドマークが取り付けられ、準備万端整い乗客を受け入れたのは18:00頃でした。と、さらっと書きましたが、ヘッドマークを付けての入線ではなく、ホームで付けていたのが意外でしたが、「かわね路号」がどうだったかが思い出せません。

このE10形電気機関車(この日の牽引機はE102)が大井川鉄道で走る姿は、さほど不思議には思わないのですが、よくよく考えてみれば昭和24年(1949年)製であり動き始めて半世紀を優に超えるオールドタイマーです。(定年まで2年を切っている私の年齢を軽く上回っています)

そして「生ビール列車」の名物が『展望車』。ヘッドマーク(エンドマーク?)は「かわね路号」でした。この展望車の車両形式・車両番号は「スイテ821」。自重は大井川鐵道HPによれば29.7トン。この重さは『お座敷車の「ナロ801」「ナロ802」と同じですので、車両形式の「スイテ」の“ス”は、きっと車両の重量ではなく、戦前の超特急「燕」の“展望車”の形式をもじっていると思われ、そんなところを見るだけで、結構楽しめる大井川鐵道です。

 

2012年08月03日 22時18分

大井川鐵道「生ビール列車」(5)。

「軌陸両用式作業車」とか「軌陸兼用車」と呼ばれる車両をこれほど間近に見たのはあまりありません。

要するに、軌道と道路の両方走れる車となのですがこの「軌陸車が好き」と言う人は決して少なくないはずです。と、書いておいて何なのですが、私にとっては普段は気にならないものの、見かけると妙に興奮する類(たぐい)のものです。

 

次は是非、線路上で活躍しているところを見てみたい(別に大井川鐵道でなくとも…)とは思うものの、ドクターイエローと同じくらいか、ネットで稼働情報を見かけない分(私の捜し方が悪い?)、希少性があるかもしれません。

この写真は車体の真ん中にある『ターンテーブル』(という名称で良いですよね?)と、軌道用の車輪です。何とも言い難い雰囲気が私に迫ってきます。

ところでこの大井川鐵道の「軌陸車」ですが、その荷台の後ろの方に、青色の塗装で消されてはいましたが、何となく『MEITETSU』の文字が読み取れます。車両区の駐車場に、廃車となったと思しき軌陸車があったので、その置換用にここにやってきたものと思われます。ただ私には名鉄の軌陸車の知識が全くないため、その出自が名鉄かどうかについてこれ以上、書くことが出来ません。

 

そう言えば北海道の釧網本線で乗車した「DMV」は、考えるまでもなく「軌陸車」であり、私は、軌道用の鉄輪と道路用のタイヤの切り替えを車両に乗って体験していることを思い出しました。だから何なのだと言われればそれまでですが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!