2012年06月21日 22時26分

地下鉄「新瑞橋」駅の展示。

展示と言えば、名古屋市の地下鉄では「新瑞橋」駅ですね。

ご存知の方も多いと思いますが、それは 改札外のコンコースで、丁度名城線のホームの上にあります。

御覧の通りの小さなスペースに、パンタグラフ、信号機、車輪、連結器等が一通り賑々しく(にぎにぎしく)展示されています。

連結器はこんな感じですが、さてこれは何でしょう?

まあ見る人が見れば一目瞭然というところですが、左右の縦の板状の部分はパンタグラフの スライダー部分で、真ん中のフックがかかっているのは、パンタグラフが閉じた状態であるのを示しています。そのフックの奥の鎖は恐らく、万が一にでもパンタグラフが上がらないようにしているものと思われます。それにしてもこのようにパンタグラフをこれほどまでに間近で見られる場所はそうはないはずで、とはいうものの私がここを見に行ったのはつい最近で、4月23日から暫くUPしていた『地下鉄桜通線の壁画』シリーズの続きを撮影に行ったついで(撮影日…4月30日)でした。昨日の「新大阪」駅よりももっと使う頻度が高いというか、通勤で毎日利用している駅にも関わらずというか、毎日使っているからこそちゃんと見たことがないといえます。

ただ行ってみて分かったのは、思いのほか“面白い”ということでした。

2012年06月19日 23時17分

北陸鉄道小松線。

この6月10日までUPしていた「富山地方鉄道」「加越能鉄道」は昭和53年9月11日に乗ったのですが、その後北陸本線で「津幡」まで移動し、9月12日は七尾線「津幡」~能登線「蛸島」に乗車。翌13日は七尾線「輪島」から「金沢」に抜け、北陸鉄道浅野川線に乗り、更に北陸本線「小松」駅を起点にしていた北陸鉄道「小松線」(「小松」~「鵜川遊泉寺」)に乗車しました。

写真は「小松線」の終点、「鵜川遊泉寺」駅です。写っているのはモハ3000形のトップナンバー3001号で、写真で見てとれる通りその車両長は短く(Wikipediaによれば全長14.82メートル)、その小さな電車が1時間に1本程度、5.9キロの道程(みちのり)を15分強で往復していていました。

この小松線は、私が乗車した後も何とか8年間踏ん張り続けましたが、昭和61年に刀折れ矢尽きました。

写真では雑草が目立っており、一見、鉄道としては息も絶え絶えといった感がありますが、それでも線路の部分はきれいに整備されているのが見て取れ、北陸鉄道の保線の方の努力が伺えました。(地方鉄道の終焉間近を見てきた私の感想です)

3001号の車内の写真が1枚残っていました。改めて見て、背もたれが木製であることがとても驚きでしたが、昭和53年当時であってもこれは相当に珍しかったので撮影したのではと思っています。

ところで今回の写真は、実はプリントしていないようです。たまたまネガを整理していた時に、3コマだけのものが出てきて、「オヤッ」と思ってスキャンしたらこの写真でした。 手元にプリントで残っている「小松線」の写真は、起点の「小松駅」のもので、それは逆にネガが行方不明です。

2012年05月24日 19時26分

高山本線ローカル列車の旅、富山への道。

さて最後に「名古屋」~「富山」間の足の話しです。
帰路は高山本線に乗車したのですが、往路は高速バスを利用しました。

写真は、東海北陸自動車道「ひるがの高原サービスエリア」での休憩時に撮影した「名鉄バスセンター」発「富山駅前」行きです。

「名古屋」~「富山」間の片道運賃は4500円で、私の乗車した8:40発のバスの所要時間は3時間43分で12:23に富山駅前に到着しました。(定時)

一方、JRの場合、「名古屋」~「富山」間の運賃は高山本線経由で4620円。これが北陸本線経由となれば5250円となります。(特急料金は入れていません)
また所要時間は、私がバスに乗車した時間に近い列車では、「ひだ3号」が「名古屋」発8:43で「富山」着12:26の3時間43分。奇しくもバスと同じです。
「しらさぎ3号」では「名古屋」発8:57の「富山」着12:29で3時間32分。
ということで、今回比較している3つとも似たり寄ったりであることが分かります。

しかし特急料金の差は大きく、鉄道に実質上、競争力が無いと言いたくなる状況で、既に皆さんもよくご存知の通りの厳しい現実です。

ここでこれ以上の解説を行う力量を私は持ち合わせていませんので、これ位にしておきますが、一つだけ。
私がプライベートで「名古屋」~「富山」間の交通機関を利用する際、どういう選択するかと言うと、「旅気分」を味わいたいなら『鉄道』(恐らく高山本線)。移動手段としてなら『バス』でしょう。

もっともプライベートではなく、仕事ならJR(「しらさぎ」もしくは「ひだ」)を選択するでしょう。
理由は、時間読みです。高速バスが路線網を充実させ、交通機関の選択肢が増えるのは良しとしても・・・という気分です。

そう言えば、「名古屋」から「富山」には、以前、飛行機が飛んでいました。出張で何回か利用した事があります。便数はともかく、時間帯が合えば便利でした。

2012年05月23日 18時24分

高山本線ローカル列車の旅(駅弁)。

この日のお昼ご飯は「高山」駅で買った『開運さるぼぼ弁当』(1050円)です。
「さるぼぼ」とは飛騨の縁起物で、その人形は高山のお土産の定番です。

ということで、この駅弁の良さというか面白さでまず気付いたのが「駅弁」にも関わらず、さるぼぼの人形のストラップがおまけについていることです。笑ってもらっても結構ですが、今回購入の決め手になったのは、そのストラップに心惹かれ、買ってみるのも悪くないなあと思ったからです。たまにはこうしたこともありでしょう。まあ他愛もないストラップでしたが、「えきべん」と書かれた“箱”を首から下げた「駅弁」売りのデザインで、なかなか面白かったです。

肝心の中身の方も鶏そぼろご飯に味付け卵+おかずがついていて、OKでしょう。
容器は食べたら終わりの使い捨てではなく、持ち帰ってまた使えるように工夫されているとは思いましたが、どれほどの方が持ち帰っているかが心配になりました。かくいう私は、申し訳ありません。持ち帰らずに処分してしまいました。

2012年05月22日 18時22分

高山本線ローカル列車の旅(18)。

上段写真は、ワンマン運転時の運賃表示器で、これは私にとっては今回の旅の大発見でした。
何かと言えば、732Cは「多治見」発「岐阜」行きです。これは間違いありません。
ところが!(大袈裟ですね。間違いなく…。)
まあ、地元の人は日常的に目にしているのでしょうが、「鵜沼」到着直前にこの運賃表示器を見た時、そこにある『25 高山』のところに輝く“2210”を筆頭に高山本線高山以南の各駅からの運賃表示があるのを見つけました!!
考えるに、この732Cに接続する1714Cの高山以南がワンマン運転であることに対応していると思われたのですが如何でしょう?で、当然の事ながらこの列車で多治見から美濃太田到着までの629Cの運賃表示では高山本線「高山」~「古井(こび/難読駅の一つです)」間の表示は無いはずで、何が言いたいかと言えば、「美濃太田」駅で、高山本線区間の運賃が点灯する(もしくは1つ1つ増えていく???)瞬間を見てみたい(動画で撮りたい)と思ったことを皆さんにお伝えしたいと思った次第です。

で、どうして「鵜沼駅」までの運賃がキーワードになるかというと、私は「岐阜」までの乗車券を持っていたにも関わらず「鵜沼」で下車した(中段写真)からです。
その心は…。
平成21年に「鵜沼」の駅舎が改修され、名鉄「新鵜沼」との連絡通路も『鵜沼空中歩道』と言う名の自由通路に生まれ変わったもののまだ行ってはおらず、『久し振りに「新鵜沼」から名鉄に乗るのも悪くないなあ』と思ったからです。

かくして「鵜沼」駅に13:41頃到着。小雨降る中、駅舎の写真を撮影したのち「新鵜沼」発14:02の特急「豊橋」行きに乗車し、家路を急ぎました。

まあ、三角形の1辺を移動するわけですから時間の節約は結果論で当初からそのつもりでは無かったのですが、こうして高山本線ローカル列車の楽しい旅は終えることになりました。

2012年05月21日 18時16分

高山本線ローカル列車の旅(17)。

5月2日(水)13:07。手元の時計で1分遅れての「美濃太田」到着で、3時間55分の旅はこうして終わりました。新幹線なら…どこまで行ける…などと考えるのは無粋ですね。(上段写真)
久し振りに在来線の普通列車に4時間近く揺られましたが、ボックスのクロスシートを最初から最後まで独り占めでしたので極めて快適で、まだ2~3時間は十分に楽しめそうでした。もっとも国鉄末期もそうでしたが、そんな状況故に、赤字ローカル線ということになる訳です。快適な旅は、単純に喜んではいられるはずもなく、改めてローカル線の現状を見つめ直しました。

私の乗車券は『富山→岐阜 経由:高山線』(4,310円)でしたので、ここで岐阜行きに乗り継ぎです。13:14着13:15発の特急「ひだ8号」を見送り、13:29発の732C「多治見」発「岐阜」行きを待ちました。
そして13:22に下段写真のキハ11形の2連が到着、そそくさと乗り込みました。
ここから「岐阜」までは30分チョイ。(正確には33分)
席も6~7割埋まって、なかなか良い感じでした。
ところで太多線と高山本線の直通列車ですが列車番号はここ美濃太田で変わります。理由は恐らく「多治見」→「美濃太田」が下りで、「美濃太田」→「岐阜」が上りのためで、列車番号を変えざるを得ないということでしょう。
それにしても今、たまたま手にした昭和52年の時刻表には太多線と高山本線の直通列車は1本もありませんでした。隔世の感ありです。

2012年05月20日 18時28分

高山本線ローカル列車の旅(16)。

飛騨川の渓谷は、「白川口」を出たあたりから『飛水峡(ひすいきょう)』と呼ばれています。ここには国の天然記念物「飛水峡の甌穴群(おうけつぐん)」があります。写真では相当に分かりにくいというかわからないと思いますが、川縁の「岩」にある独特の形をした“穴”のことで、以前、特急や急行に乗っていると、この区間で車掌さんがその案内放送をしていた記憶があります。

よってこの日は、一日で2つの「天然記念物」を列車に座りながら見たことになります。これは他線にはない高山本線の旅の魅力ですし、貴重な体験と言えます。もっともそんな情報を事前に調べて上でこの列車に乗ったかと言うと決してそんなことは無く、乗り始めてそれを思い出し、その写真を撮ったというのが本当のところです。ただそのタイミングは少々どころか・・・。

その飛水峡の風景が終わってしばらく行ったところにあるのが「下麻生(しもあそう)」駅。ここで国鉄色のキハ48の2連、『1717C』と交換。(それにしても私には“C”というのはどうもしっくりきません。)
何事にも行き当たりばったりの私の性格が出てしまったのがこの一枚で、ノンビリとボックスシートに一人身をあずけていたら、目の前に見慣れない色のキハ48が到着しました。考えてみればというより考えなくても国鉄色の高山本線のキハは結構話題となっていただけに、どこかで行き違うことは十分に予測できたはずで、油断していた私の落ち度でした。
てなことで慌てて靴を履き、最後尾に走って何とか1枚だけ撮影できたのが下段写真です。(注)実際には他の乗客の迷惑になりそうでしたので走ってはいません。『走って』いたのは私の気持ちです。

2012年05月19日 19時27分

高山本線ローカル列車の旅(15)。

高山本線「下呂」駅を出発すると飛騨川沿いに歩みを進めます。
上段写真は飛騨川の名所の一つ『中山七里』で、車窓からその絶景がこれでもかと言うほど堪能できます。渓谷美を楽しむ路線は全国に数々ありますが、その中でも私のお勧めの場所です。
ここは車(国道41号線)で通ってもその風景が楽しめ、自家用車の場合、運転席にはあまり座っていたくありません。

下段写真は「焼石」~「飛騨金山」間にある『福来信号所』で、ここで富山行き特急「ひだ7号」と交換です。一見単なる交換風景で、正にその通りの“交換”なのですが、私が注目したのは『踏切』です。
ご覧のように遮断機もある「第1種」なのですが、その道路は未舗装で、まるで農道のようであり、なおかつこの踏切を車が通れるような感じはしませんでした。ただそれがここで書いている主たる理由ではありません。
実は乗車していて気付いたのですが、1714Cは踏切のある場所を越えてから停車したのですが、その位置があまりにも踏切に近すぎて踏切の遮断機が上がらないというか、警報機が鳴りっぱなしというかそういう事態が発生していたのです。
これは停車直後に警報機が止まらなかったので、直ぐに列車交換かと思いきや、なかなか「ひだ7号」は到着せず、それで「おやっ」と思って最後尾に出かけ、踏切と「ひだ7号」込みの写真を撮影しました。停車していたのは恐らく3~4分だと思いますが、「ひだ」の通過後も警報機はなっており、1714Cが出発し、踏切から少し離れてからおもむろに音が鳴り止み、遮断機が上がりました。
その間、踏切に人影はなかったのですが、それよりも街中で同様の事があれば“騒音”とされてしまいそうな出来事でした。

(参考)
5月16日のブログで書きました『間違えた写真』は今回の写真です。この写真を2回も見ることになった皆様。改めてお詫び申し上げます。

2012年05月18日 19時24分

高山本線ローカル列車の旅(14)。

「特急」が本当に『特急』だったころ、「高山」~「美濃太田」間の停車駅は「下呂」だけでした。

その下呂駅に到着する直前、飛騨川と言うか、現在の下呂市、旧の益田郡(ましたぐん)界隈では益田川(ましたがわ)と呼ばれている川の鉄橋を渡ります。高山から乗車した場合、この下呂温泉街を望む橋を渡ると「下呂に到着だあーっ」といつも思っていました。

橋を渡ると直ぐに下呂駅到着で、丁度私の座っていた席の目の前に「天下の三名泉 下呂温泉 下呂駅温泉塔」が見えました。

この1714Cは、下呂駅到着時は6分遅れの11:31着だったのですが、そもそも停車時間は16分あり、出発までに10分あることから、車内の方がこぞって温泉の感触を確かめに行くかと思いきや、私を含めほんの数人が楽しんだだけで、折角の温泉をもう少し多くの方に感じてほしいと思いました。

何せ、特急では停車時間が短すぎ、「見る」ことしか出来ませんが、それゆえ普通列車だから可能となる旅を堪能して欲しいと願うのは無理なことなのでしょうか?いささか残念でした。

(追伸)
下呂温泉は私自身、泊まったことがあるのは仕事が1回とプライベートが1回の計2回で、名古屋から近すぎて(?)なかなか行けない場所です。ということはありますがここの温泉は私のお勧めの一つです

2012年05月17日 19時22分

高山本線ローカル列車の旅(13)。

「久々野」を出て、飛騨川沿いの景色の良い区間を走行しているにも関わらず、ここで私は車内を見回していました。

上段写真で窓の下にある4つの台形の『ポツ』。若い方では理解し難い存在とも言える、もともと灰皿が取り付けられていた痕跡です。
キハ48形(40・47を含む)は昭和52年、奇しくも(くしくも)私が働き始めた年に登場しており、その頃は灰皿の付いた車両と言うより、国鉄のクロスシート車両にはほぼ灰皿は付き物だったはず。
また扇風機も同様で、流石に冷房は後で付けられましたが、それでも冷房化後もこうして残されている車両に乗っていると、“昭和の時代”に戻った気分で、人生の半分以上を昭和で過ごした世代としては何か心がホッコリします。

最後に下段写真のベンチレーター(換気装置)ですが、真ん中に丸い輪があるのを確認できますでしょうか?
これはレバーになっており、長いトンネルに入る前とかに、車掌さんがこのレバーを動かしエンジンの排気が車内に入らないようにしていたような記憶があります。ただそんな覚えがあるだけで、確証はありませんが…。
また冬の寒い時にも…、こちらは相当に怪しいです。

3つまとめて“昭和の遺物”なのかも知れません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!