2012年04月22日 17時38分

TOICA・manaca相互利用スタート(2)

今日のタイトルは、『TOICA・manaca』とそのカード名を入れ替えました。一応、バランスをとっています。

そして写真はタイトルの並びに同じく、左から記念『TOICA』・記念『manaca』です。良く見ると「名古屋」の街がテレビ塔を境目に2枚のカードに分けて描かれており、つまりそれが2枚で1つの意味合い“相互利用”であると感じ、なかなかお洒落な表現方法であると思いました。等と私の私見の様に書いていますが、『テレビ塔を境目に2つのデザインが繋がっている』と教えてくれたのは、このカードを実際に購入されたNさんです。

(名古屋市交通局の『整理券』異聞)
今回記念カードを販売した3者の中で、一番ご苦労だったのは名古屋市交通局のスタッフの皆さんでしょう。

朝6時から“整理券”を配布し、その引き換え時間を11時までと設定したのですが、1人5枚まで購入が出来るようにしたため、例えば購入申請を5枚したものの実際の購入時には2~3枚と言うこともあり得、そんなこともあって“キャンセル待ち”を設定しました。で、実際にキャンセルが発生し、そのため交通局のスタッフは“キャンセル待ち”の方への販売もあって恐らく11時半頃まで売り場におられたものと思われます。
一方、JR東海・名古屋鉄道では“整理券”は無く、通常の販売で、大行列は当然あったのでしょうが、それでも9時半には終了だったはず。

視点を変えて、“整理券”まで辿り着けなかったお客さんにとって、キャンセル待ちで購入できたこと、それ自体は良かったのかも知れませんが、キャンセル待ちの列に並んだ大半の人は恐らく午前8時ころにはその場にいたであろうと推察され、3時間も並ぶ事態は予想していなかったでしょう。一方それは、お客さんのみならず名古屋市交通局にとっても誤算だったような気がしています。
“整理券”の恩恵を受けた方もいるのですが、大行列が予想される記念券の発売方法というのはなかなか難しいものですね。

2012年04月21日 22時54分

manaca・TOICA相互利用スタート(1)

今日(4月21日)からmanaca・TOICAの相互利用がスタートしました。

ということで、JR東海・名古屋市交通局(+あおなみ線)・名古屋鉄道(+豊橋鉄道)の主要駅で、記念カードが発売されました。写真は各社の記念カードの台紙で、ここで改めて書くのも何ですが、左からJR東海、名古屋市交通局、名古屋鉄道の順番です。
(記念カードは明日、UPします)

この3枚の台紙は、私が購入したものではありません。名古屋レール・アーカイブスの会員のNさんが朝一番の6時過ぎ、まずは地下鉄/名古屋駅で購入のための整理券をGETし、続いて8時から販売開始のJR東海/名古屋駅で購入の列につき、そこでTOICA記念カードを入手した後、名鉄名古屋駅に向かい、“名鉄manaca”を購入。その後、名古屋市交通局の購入整理券を『現物』に引き換えた(購入した)そうです。

(解説)
*名古屋市交通局の「記念manaca」の購入整理券は、当然の事ながら8時前には全て無くなったそうです。ただ、名古屋市交通局が6時から整理券を配布したおかげで、JR東海のTOICAの購入の列に並び、2種類の記念カードを手に入れる事が出来たというかたも多かったようです。
*JR東海の名古屋駅等の「記念TOICA」は朝8時の発売開始。当然即、完売。買えなかった方も多いようです。
*名鉄名古屋駅で発売された「記念manaca」は、先に書いたとおり、JR東海の記念カードを購入した方でも買えています。これは「記念manaca」の台紙のデザインは2者で異なるものの、カードそのもののデザインが同じだったことによるものではないかというのが私の周りの人たちの分析でした。
もっともその名鉄名古屋駅でも9時半頃には売り切れていたようです。

2012年04月07日 20時35分

「桜」駅の“桜”2012満開(3)。

いつもなら1つの画像に纏めるのですが、今日は写真1枚ずつ、2回に分けてみました。
その理由は、、、言葉にしなくても分かって頂けると思っています。

ところでここからは少々興醒めな話しで恐縮ですが、実は今朝、「桜」駅で、名古屋レール・アーカイブス会員のAさんに会いました。地元の方では無いのですが、毎年この時期に、「桜」駅の『桜』を見に来ているそうです。

そして昼から行った「鉄道フェスティバルinなごや」の会場でばったり会った某鉄道会社勤務のUさんからは「今日、行って来たんですよ!」と、「桜」駅の『桜』の写真を見せてもらいました。

青空と桜。“日本晴れ”です。

2012年04月07日 20時17分

「桜」駅の“桜”2012満開(2)。

3月27日にUPした『名鉄「桜」駅の“桜”2012』では蕾固しだった桜が、今日(4月7日)は満開でした。

今日は第一土曜日、名古屋レール・アーカイブスの活動日です。と言うことで、活動日はいつも「桜」駅から「栄生」駅まで名鉄に乗っているのですが、今日は『桜』がきっと見頃だろうと思い、ワクワクしながら駅に向かいました。

決して「世に知られた存在」とは言えない「桜」駅に咲く『一本桜』。今朝は青空を背景にいつも以上に美しく感じました。

(続く)

2012年03月27日 19時06分

「桜」駅の“桜”2012。

平成22年の名鉄「桜」駅の“桜”は、3月24日にはもう咲き始めていました。

平成23年の名鉄「桜」駅の“桜”は、4月に入って見頃を迎えていました。

平成24年3月26日(月)の名鉄「桜」駅の“桜”は、『つぼみかたし』と言ったところでしょうか。

毎年同じ日に定点観測をしていれば、多少は『春の訪れ』の比較の意味がありそうですが、そこまではしておらず、まずはご愛嬌ということで・・・。

さてさて、私はこの駅を日常的に利用するわけではないので、次にこの駅を利用する日にまだ“桜”が咲いていることを祈るばかりです。

2012年03月22日 18時56分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(9)。

「大阪難波」駅には定時の12:05着。

新路線への乗車でもなく、「アーバンライナーplus」初乗車とはいえ、新形式車両でもなく、達成感というものとは種類が違う、何とも言い表せない不思議な感慨がありました。

名阪間をノンストップで繋ぎ始めて半世紀超。新幹線の台頭で一時は2両編成のスナックカーが、敢えて言わせて頂けば『細々』と走っていた時代もあります。それが次第に価格競争力を近鉄が持ち、昭和63年に「アーバンライナー」が登場した時は本当に驚きました。
今風に言えば、低価格で鉄道に勝負する高速バスの鉄道版でしょうか?またデラックスシートのゆとりは、何ものにも替え難い快適さを手頃な価格で買うことができ、大阪のミナミに直結し、新幹線に勝負を挑む“在来線(近鉄魂)”の形を示した気がしていました。

“ノンストップ”というステイタスが無くなることは、新幹線300系の終焉とは異なり、極端に言えば「のぞみ」の全列車が静岡に停車するような例えで如何でしょう?(新横浜・新神戸の「のぞみ」停車とは種類が違う・・・イメージです)

ところで今回、全列車「津」停車となり、所要時間が増えるのかと思いきやそんなことは無く、「ンっ?」とは思うもののその理由は分かりません。
結局は、『全列車「津」駅に停車しますが所要時間は増えません』といった塩梅で、これまでも「津駅」通過時の速度がそんなに早く無かったことや、ひょっとしたら「中川短絡線」の移設効果(?)などと思ったり、ダイヤ改正の規模が大きかったので、時間調整が上手くいったのではないかと勝手に妄想しています。

参考までに近鉄名古屋から出発したノンストップの大阪難波までの所要時間は、昭和55年当時は2時間11分で、その後最高速度が引き上げられたこともあり、ダイヤ改正前で最速列車は2時間5分、3月20日以降も同じく2時間5分です。ただ名古屋発7:00は「津」「大和八木」停車で2時間15分と時間がかかりますがこれは停車駅数というより大阪近郊のラッシュ時間帯に走ることがその要因でしょう。

ともあれ、それが“ノンストップ”が無くなる意味合いを矮小化するものではありません。時代の変節を感じています。

2012年03月21日 18時55分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(8)。

上段写真は「河内山本駅」通過で、昭和54年10月13日、信貴線に乗るべくこの駅に降り立ち、更に西信貴鋼索線に乗るべく平成15年12月4日に降り立つという何とも不条理な経験が私の心を揺さぶり、今回、折角の機会なので、皆さんには何の関係も無いのですがこの駅の通過を撮影し、UPさせて頂きました。ただこうして写真を見て、だから何なのだと自問自答してしまいました。

でも下段の写真には“意味”があります。
“ノンストップ”が“ノンストップ”であった証しとも言える、名古屋を出発して最初の停車駅「鶴橋」入線の直前です。189.7キロを2時間近くかけてひたすら走り続けて来た電車がやっと停車する時間が刻一刻と迫ってきました。そして、大阪線から「大阪難波」に向かうべく奈良線に渡るポイントが開いているのが見えています。
このポイントを渡ると言うのは“ノンストップ”とは全然別の次元の話しですが、「鶴橋」が終着駅では無いにも関わらず、何だか“終着駅”に辿り着いた感があり、通勤電車で転線しても何の感慨もありませんが、やはり『ロングラン』効果と言えそうです。個人的な好み意外に、何の理由もなく、そんな話しにお付き合い頂き申し訳ありません。

さて話しを本題に戻し、こうして名阪間“ノンストップ”の旅は終わりました。
ちゃんと調べた訳ではないのですが、日本の列車で新幹線と夜行列車を除き、平成24年3月19日時点で、停車駅間が一番長いのはこの“ノンストップ”だったはずです。JR北海道の「スーパー北斗15号」の「函館」~「東室蘭」間は189.5キロで、これが2番目だとは思うものの、何せ、近鉄は「中川短絡線」経由で、実際の距離がどれくらい違うのかのデータを持っておらず、悩ましいところです。

2012年03月20日 17時51分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(7)。

今日からは名阪間の“ノンストップ”は無くなってしまいましたが気にせず話しを進めます。

「アーバンライナー」から「アーバンライナーplus」に改造された時に、客室設備に変更があり、その中の一つに、「アーバンライナーnext」と同様に下段写真のCCDカメラによる映像が、車端にある液晶モニター(上段写真)で映し出されるようになりました。“展望室”まで出向かなくても、前面展望が見えるのは一つのサービスと言えます(私にはです)が、乗車中の電車の案内や、ニュースも流れますので、名鉄の「ミュースカイ」同様、いつも風景が見えているわけではありません。

ご存知の方が多数派とも思われますので、何を今更と言う方は、今回は読み飛ばしていただいていただきたいのですが、私が「面白い」と感じたのは、そのモニターを通して見える風景というより、カーブ通過時の『カント』が良く分かる点です。

モニターの水平は撮影した写真をフォトショップで少々加工し、電車とカントの関係を実感できるようにしたつもりで、見たとおり想像以上に車体を傾けてカーブを通過していることが分かります。
このモニター写真は、実は10枚以上撮影しており、結果、気のせいなのかもしれないですが、右カーブより左カーブの方がより傾いてみえたり、架線柱の位置も、ここでUPした位置がベスト(ベター?)であることに気付きました。青山越えの前後の区間はカーブが多く、その路線を100キロ以上のスピードで飛ばしていくのでカントが強くなるのは当たり前といえば当たり前なのですが、ただ座席に座っていたこの映像を見るまでは“これほど”とは気付いていませんでした。
なお、右カーブと左カーブの差は、カメラが車体の右側についていることによるのでしょう。

『うつらうつら』としながら、座席で気持ちよく揺られながら、ふと見上げたモニターを見ての感想を書かせていただきました。

2012年03月19日 18時50分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(6)。

いよいよ本日(平成24年3月19日)は名阪“ノンストップ”特急の最終日です。今日は、“ノンストップ”らしい話しを少々・・・。

「そう言えば聞いた事がある」程度でしたが、名阪ノンストップ特急の乗務員室のカーテンはこれまでの写真通り、通常、昼間は開いています。しかし、それが閉じられてしまう区間があります。(明日からは過去形になるのでしょうか?)
それは『中川短絡線』“通過直前”から“通過直後”までで、長時間をノンストップで運転するために、運転士さんの交代があるためです。写真にも2人の乗務員さんの姿がありますが、お二人とも間違いなく運転士さんです。

走行中の運転士さんの交代方法ですが、最低限度、運転士さんはブレーキハンドル(マスコンも?)から手を離すことは許されないはずです(いやっ、絶対に許されないですね。きっと…。)ので、どうやって変わるかは興味津々(しんしん)でしたが、いざその瞬間は…。きっと、『運転体験』参加時に、ブレーキハンドルを握る私の手に、指導運転士さんが横から手を添えてくれているのと同じような状況から始まり、どちらかの運転士さんが上から覆いかぶさり、もう一方の運転士さんが下から潜って(くぐって)すり替わっていく・・・、、、?
そんなことを想像しつつも、一方で、二人羽織(若い人には分からないかも?)を思い出してしまいました。

さて、上段写真は『中川短絡線』の直前にある「雲出川(くもずがわ)橋梁」通過中で、恐らく私がかぶりつき(相撲なら「砂被り(すなかぶり)」、フィギュアスケートなら「氷被り(こおりかぶり)」)に陣取っていたので時間的には本当のギリギリまでカーテンを開けていてくれたものと思われます。運転士さんたちには感謝です。

下段写真は、カーテンが再び開いたら直ぐに撮影すべく待っていたら『短絡線』区間の速度制限のためにカーテンがゆっくりと揺れ、その瞬間、目の前に隙間ができ、思わずシャッターを押したものです。偶然の産物とはいえ結構運が良かった出来事だったでしょう。
おかげでこの1月に供用開始となったばかりの“新”短絡線の全貌(とは言いすぎですが)と、その向こうに「鳥羽行き」の特急の両方が写っているシーンが撮影できました。

ダイヤ改正後には、この運転士交代は「津駅」停車中に行われ、日本でここだけ(?)の『走行中』の交代は恐らく行われなくなるのでしょうが、『近鉄名物』の一つが無くなったとしても、前面展望は常時、確保されることで「良し」ということでしょうか?
また、「アーバンライナー」名物といっても良い運転士席の隣の『助士席』の役割はその“本来の役目”を終えることになるのでしょうか…。“走行中の運転士交代”が無ければこれほど『らしい』席は設けられなかったとも思っています。

2012年03月18日 18時48分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(5)。

今回、乗車した時に、ここだけは目に焼き付けておこうと思ったのが「津駅」の通過です。
もう余程の事がないと体験できないことでしょう。
もっともこうして写真に撮ってみれば、実際のところ通過なのか停車なのかは判別できないわけで、後から考えれば…、いやっ、考えなくても分かるのですが、やはり『動画』で撮影し、それをこのブログ用に静止画にすべきでした。
などとこれは「反省」ではなく「後悔」の巻でした。
◆私の個人的な用語解説。
*「反省」…次に生かせる。
*「後悔」…次に生かせない。
皆さんにとってはどうでも良いことでした。反省!

戯言(たわごと)なのか戯言(ざれごと)かよくわからないことはさておき、「津」駅を10:43の定時に無事通過。
時刻表に書かれていない「津」駅の通過時間が何故わかるかという点については、「鉄」じゃない方のために少々解説すると、1本1本の列車ごとの時刻表を運転士さんは運転台に置いており、そこには停車する駅だけではなく、途中の通過駅の“通過時間”も書かれています。この21000系の場合、運転席がマルっと見える構造のため、“携行時刻表”も良く見えており「津」駅の通過が定時かどうかも私たちにわかります。参考までに“携行時刻表”はこの写真でも左下にチラッと見えています。前面窓のセンターピラーの下端の白い縦長のモノです。
で、「津」駅通過の所定時刻を正確に記すと『10時43分30秒』で、カメラの撮影時間との誤差は2秒でした。私のカメラの時計は、多数の写真を撮影すると分かっている日は、朝、電波時計を利用して手動で修正しています。カメラの時計の誤差は、あっても1~2秒のはずで、それを加味すると、神業とも思える定時運転であることが分かりますが、これが「日本の鉄道」たる所なのでしょう。こんな当たり前のことを改めて知った瞬間でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!