2012年03月17日 18時46分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(4)。

「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」でお馴染みの『展望席』から撮影した写真です。
上段写真は「塩浜」駅通過中で、下段写真は「江戸橋」駅通過中です。追い抜き風景を見ることは展望席にいる醍醐味(私だけではないですよね)ですが、名古屋線の場合、急行の追い抜き時のみ「江戸橋」のようなホーム有効長一杯に停車する列車の“追い抜き”を堪能できます。

ところでこの場所から見る私の好きな風景は、家族の顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、「伊勢志摩ライナー」に展望席に陣取った経験と今回の経験を合わせ、弥富~益生間です。2つの長大橋梁もさることながらJRとの立体交差や場合によってはJRとの併走も楽しめるからです。実際に今回も併走を楽しめました。ただ相手が普通列車だったのは致し方ありませんでしたが。

とそんな感じで展望席に立っていたら、車掌さんから「記念乗車ですか?」と話しかけられ、「そうです」と答えたところ、『ダイヤ改正』の発表後、“ノンストップ”が無くなると言う事で私のような乗客が結構いるとのことでした。
「ここの展望は如何ですか?」ではなく「記念乗車ですか?」とストレートで、なおかつ“ノンストップ”の言葉すらなかったのが「何をか言わんや」で、私が『鉄』であることをお見通しだったということになります。もっともいい大人が一人でこの場所にいれば“当然”の帰結とはいえそうです。

さてさて車掌さんの話しでは、平日は今回の私のように一人で展望席に陣取ることもできるようでしたが、土・日には何人かの人がこの場所にいることも珍しくないそうでした。この週末は“ノンストップ”の展望席はさぞかし込み合うことでしょう。

2012年03月15日 18時45分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(3)。

私が名阪ノンストップ特急に始めて乗ったのは、手元の記録では昭和55年1月19日。その頃「国鉄」完乗後の「私鉄乗りつぶし」に精を出しており、この日は阪神・神戸市営地下鉄・神戸電鉄に乗っています。
近鉄名古屋を8:00発で鶴橋10:06着の“ノンストップ”でした。それ以降、何度か“ノンストップ”に乗る機会はあったものの2~3度程度しか思い出せません。
※当時の名阪甲特急は1番列車からノンストップでした。もっとも当時の始発は私が乗車した8:00発で、今の甲特急の7:00始発とは若干の違いがあります。

さて、今回私が乗車したのは6号車。大阪難波寄りの先頭車で、車番は『21101』で、単なる偶然なのですが、おかげさまでアーバンライナーのトップナンバーの編成でした。記念乗車の場合、同じ乗るならこれ位のプレミアムがあると嬉しさが倍増ですね。(「鉄」でなければ、きっと興味がないというか、『どうでもいい』こととして嘲笑の的となりそうです。例えば私の・・・。)

で、チケットの席番は「9」。車内は空いており、6号車はガラガラで、車内を撮影するにあたり、上段写真のような“贅沢”なシート配置も出来ました。なお撮影後は、自席ではなく、BOX仕様にした席におとなしく座っていました。これも名古屋を出発してから大阪(鶴橋)まで“ノンストップ”だからこそ出来る芸当ですね。(私と同じ様なBOX席にして足を伸ばしている方が何人かみえました)

ところでその座席ですが、「plus」になった時に更新されたのは知っていたのですが、その席の枕カバーの絵柄が『近鉄特急博物館』状態になっているのには驚きました。(大袈裟でした。「へーっ、」というレベルです)
いつから始まったサービスかの知識を私が持ち合わせていないのは申し訳ないのですが、そんなことはさておき、マニアだけではなく、子供たちにも受けが良いのではないでしょうか?思わず『駄目で元々』とばかりに、貰う事は可能かどうか聞こうかと思ったほどです。もっとも実際には聞いていませんが…。

(近鉄名古屋駅の余談)
私が小学生のころ、三重県の親戚の家に行く足は「近鉄」でした。その当時の『近鉄名古屋』駅の名称は『近畿日本名古屋』駅で、私の心の中では未だにこの『近畿日本名古屋』が息づいています。一体、何年前の話しだといわれても、小さい頃に刷り込まれた記憶は消せず、名鉄電車の『名鉄名古屋』駅を相変わらずと言うか、口から自然に『新名古屋』と出てしまうことと同じですね。

2012年03月14日 18時38分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(2)。

現時点では、近鉄名古屋駅を朝10時に出発するこの大阪難波行きが、『ノンストップ』の“始発”となります。
方向幕の『NONSTOP NAMBA 難波』の写真もこれで見納めかと思えばこそ、こうして撮影してしまった次第です。

ところで私が今回乗車したのは「アーバンライナーplus」21000系。何を今更と思われるかもしれませんが、私は「アーバンライナー」に乗ったことはあってもこの「アーバンライナーplus」も「アーバンライナーnext」も乗ったことはありません。
前にも書いていると思いますが、仕事で大阪に行く時に近鉄を使うことは殆どありませんでした。『殆ど』と書いたのは、その目的地が例外的に「難波」に本社のある“吉本興業”に打ち合わせで行く時で、乗り換えなしでゆったり行けることもあっての利用でしたが、それでもほんの2~3回程度で、一方、プライベートの大阪行きもここ10年ほどは新幹線利用でした。

さて、名阪間の直通特急登場が昭和34年であり、多くの犠牲者を出した「伊勢湾台風」により、1067ミリゲージの名古屋線が甚大な被害を受け、それをきっかけに一気に標準軌した結果であることはよく知られています。
その後、昭和36年に中川の短絡線が完成し、今回の私の名残乗車と相成った「名阪ノンストップ特急」(甲特急)が誕生しました。

私事で恐縮ですが、その伊勢湾台風の襲来時、私の家族が当時住んでいた地域は床上浸水でした。その時、近くにあった4階建てだったと思われる社宅(会社名は覚えていません)が避難する住民に開放され、水嵩が増していく中、平屋の家から父親に背負われて、既に父の腰の高さを超えていた水の中を、避難に向かったことを未だにはっきりと覚えています。5歳の時のことで、それも何故か背中にいる私の視点ではなく、それを更に後ろからかつ俯瞰でついてくる映像です。

そのことを何故かふと思い出し、それが今回、「名阪ノンストップ特急」の乗り納めに出かけようと思った理由の一つです。

2012年03月13日 18時31分

名阪ノンストップ特急へのレクイエム(1)。

今年の3月のダイヤ改正のトピックス(一大事)は、何も新幹線の100系・300系に限りません。皆さんもご存じのようにJR西日本では、紀勢本線の特急列車名が「くろしお」に統一されますし、JR東海・小田急でも「あさぎり」が御殿場止まりになりJR東海車による小田急「新宿」乗り入れが無くなります。(こちらは残念ながら私は未体験で終わりそうです)

そんな中、名古屋に暮す人間にとっての一大事(少々大袈裟ですがご理解はいただけると思っています)は、近鉄のダイヤ改正です。実は知人から、「最後に乗りに行きますか?」と聞かれ、「一寸スケジュールがとれなさなそうです」と答えたものの、やはり気になって最後のお別れ記念乗車を決断。先月(2月)22日、平日だったのですが、お休みを頂き、午前中に個人的な所用をこなし、「近鉄名古屋駅」に急ぎました。

実は、そもそも午前一杯掛かるはずの用事が、私の心がけの良さ(そんなことは誰も思ってもらえそうに無いですね)からか段取り良く片付き、何と10:00発の「大阪難波」行きに間に合いました。
そうっ、もう写真でお察しの通り、私の『お別れ記念乗車』の目的は名阪“ノンストップ”特急 。近鉄名古屋駅5番線ホームの列車案内表示で、次駅が『鶴橋』となっているのを見ることが出来るのも残すところ1週間。
私にとって、ここのところすっかりご無沙汰だった名阪“ノンストップ”特急。久し振りに乗車したこともあって、新鮮な感想も含め、少々書かせていただきます。

ところで『名阪』って、どうして『阪名』ではないのでしょう?「名神高速道路」は東京を起点とする“上り”~“下り”の流れで『名神』だろうと思うものの、『名古屋』を先にする必然性は近鉄には無かったのではと思います。
東京六大学野球等で、俗に「早慶戦」と呼ばれる試合の際、慶應義塾大学の学生は「慶早戦」と呼んでいるはず。比較の対象にすることではありませんが…。

大阪の人から見て、「名古屋」が先にあることに抵抗感があるとは聞いたことは無いのですが・・・。

2012年02月24日 18時45分

閑話休題。いりなか駅の案内表示。

昨年の12月15日に、名古屋市営地下鉄鶴舞線の「LED式案内表示装置」の置き換え工事が始まっていると書きましたが、先週の土曜日にたまたま「いりなか」駅から乗車したところ、既に新しい案内表示が稼働していました。
私はてっきりN3000形の運転開始と同時くらいの切り替えかと思っていましたが、一足早い登場でした。

「川名」駅、「御器所」駅でも使用されていたので、恐らく鶴舞線全駅で切り替わったのではないでしょか?(確かめてはいませんが…)
ところで手前の旧タイプは、今後撤去される運命にあるので、こうしたツーショットが見られるのはそう長い期間ではなさそうですが、「成程」と思ったのは、旧タイプの“時計”がまだ生きていたことです。本当にこの場所から無くなるか、何らかの方法で時計を隠さない限り『今は動かないその時計』として放置しては、乗客サービス上問題があるでしょう。

個人的な感想ですが、『隠す』よりは、こうして2つの時計が並んで時を刻んでいる方が好ましいですね。

今日は閑話休題と言うことで失礼します。

2012年01月06日 21時27分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(12)太田川駅通過。

ところで「豊明」から「金山」までの間の車内では、『ミュースカイクイズ~君は何問答えることができるか?』が行われ、子供たちは全10問のペーパーテストにチャレンジしました。

この写真はその中の、私が不正解だった問題に関するもので、「中部国際空港」発13:07のミュースカイが高架化なった「太田川駅」通過中に撮影した『前方パノラマビュー』です。

この時モニターが『前方パノラマビュー』になっているかどうかは結構賭けだったのですが、私の気持ちが通じたのかこの写真を撮影でき、そして左下に105キロの数字が出ていることから、太田川駅をフルスピードに近い速度で通過することを知りました。

(問題)
3.ミュースカイの太田川駅の上り(名古屋方面行き)通過速度は何キロでしょうか?
①90km/h
②115km/h
③120km/h

(答え)
②115km/h 12/17のダイヤ改正で90キロから変更
(下りは120キロ)

因みに私は「90キロ」と答えてノックアウトされました。
ということで帰りのミュースカイでそれが本当かどうかを確かめた訳ですが、100キロを超えたスピードでの通過はやはり驚きでした。(私だけ???)

全てのクイズをここで紹介できなくて申し訳ありませんが、子供たち(+保護者)の最高得点は9点でした。(私の得点は非公開です・・・)

(トリビア的な問題をもう一つ紹介します)
9.ミュースカイの荷物棚の飾り灯は中部国際空港駅到着時には何色に点灯しますか?
①白色
②青色
③赤色
答えは予測がつくと思うのですが、こうして問題に出されてみて『なるほど』でした。是非「ミュースカイ」に乗車してお確かめ下さい。

最後に。
今回の「たい・けん・がく」には多くの名鉄の方たちが関わっています。参加するには1日乗車券が必要なので、有料イベントの一種と言えばその通りなのでしょうが、私が想像していたより担当の方たちの「鉄道」への愛情を深く感じるものでした。
多分、参加されたご家族連れの方たちも満足されていたことと推察しています。
非日常的な体験ができる楽しさも盛りだくさんであり、これからも子供向けイベントとして継続開催されていくことを願っています。

2012年01月05日 18時06分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(11)ローレル賞受賞車。

ミュースカイ「2000系」は平成17年(2005年)の中部国際空港
(セントレア)開業に合わせてデビューし、その年のグッドデザイン賞を受賞するとともに翌平成18年(2006年)のローレル賞を受賞しました。

下段写真はその受賞記念のエンブレム(プレート)で、前にも書きましたが、受賞した系列の車両に乗ることは有っても「受賞のエンブレム」に出会えることは滅多にありません。

でこの写真を撮影していてふと疑問が???
この車両番号は「2005」。つまり第5編成で初番編成ではありません。
何となく「ローレル賞」だけではなく「ブルーリボン賞」も「第一編成」にそのエンブレムが付いているものと思い込んでいましたが、どうやらそうでも無いようです。
ミュースカイ=中部国際空港開港=2005年=20005号(反対エンドは2105号)という語呂合わせならぬ年度合わせではないかと思ったのですが如何でしょうか?
このエンブレムが何組もあるとは思えないというか、普通は1組だと思うので・・・。

そういえば上段写真のように「中部国際空港」駅で、ミュースカイをホームドア無しで見ることも滅多にない出来事でした。
ここでは今回のイベント参加者ではないと思われる方も、流石にこの3番線ホームで見受けました。

2012年01月04日 9時04分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(10)ミュースカイが・・・。

「堀田」や「神宮前」の定番“撮り鉄”スポットで、何人かの方を見かけましたが、この本線上を行く「ミュースカイ」狙いの人は結構いたのではないかと思っています。

一方、常滑線ではいつもの「ミュースカイ」なので珍しくはないのですが、この「ミュースカイ」が「ミュースカイ」を追い抜く写真は相当に珍しいのではないでしょうか?
名古屋鉄道のこのイベントの担当者から「常滑駅」で「ミュースカイ」に抜かれるというアナウンスが有った時は、参加者から「オーっ」という声が出たほどです。

この団体列車の常滑出発は12:46。
その発車の直前、12:45頃にこの写真の様にミュースカイが通過していったのですが、何せ団体列車の乗降扉が開くことはなく、私達はただ席について、この光景を粛々と眺めるだけでした。
というか、この写真でいえば私が乗っている車両がミュースカイかどうかは判別できません。私の工夫が足りなかっただけですが・・・。

もっとも乗降扉が開けて、ホーム上でこの光景の撮影OKをしようものなら“大混乱”となったことは間違いないでしょうからしょうがないと言えばしょうがないですね。

でもこの「ミュースカイ」による「ミュースカイ」の追い抜きは撮影しようと思ったら常滑駅ホームで撮影できたかも・・・。

実は、この12月24日の午後、私は所用があり、中部国際空港に12:51に到着後、13:07同駅発のミュースカイで直ぐに折り返しました。
と、そのミュースカイの常滑駅通過で「オヤッ?」。
我々が乗車してきた「団体列車」~「回送列車」のミュースカイを追い抜いたのです。
でも・・・、それを撮影しようと思ったら中部国際空港12:52の準急に乗らなければならない訳で、例え事前にダイヤを知っていたとしてもやっぱり撮影は“無理”でした。失礼!

2012年01月03日 9時00分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(9)前方パノラマビュー。

ミュースカイ各車両の客室仕切りドア(という言い方で良かったっけ?)の上部というか妻面上部に、『各種案内』を主として表示する『22インチLCD』モニターがあります。

このモニターには皆さんもご存知の通り、運転台に装備したカメラによる走行中の前方映像も時折、映し出されます。この前方映像は、名古屋鉄道「ミュースカイ」のパンフレットによれば『前方パノラマビュー』というのだそうで、名鉄だけあり『パノラマ』をちゃんと使っている辺りが流石です。

ただこの前方パノラマビュー、定期列車では「ズーっ」と楽しめる訳ではありません。と言うことで、今回は“ファンサービス”として、それこそ「ズーっ」と楽しませてくれました。

まず名古屋本線の「金山」以東を走るミュースカイの定期列車はないので、外の風景は窓からも見ていましたが、一方で、結構このモニターからも見ていました。

上段写真は、私が時折乗降している「桜」駅を29キロで通過中となるのですが、通過列車に乗ったことはこれまであるのでそれ自体は珍しくはないのですが、やはりモニター越しの映像は思わず『かぶりつき』でした。

また中段・下段の写真もそうそう見られる映像ではないというか、そもそも中部国際空港に折り返して向かうため、電車に乗ったまま金山駅を通過し、引き上げ線に直行するなどあり得ないことです。

私にとっての「たい・けん・がく!」のクライマックスがここにあったと言っても過言ではありません。
何せ、てっきり金山駅の3番線で折り返すと思いこんでいたものですから…。

2012年01月02日 10時07分

まるごとミュースカイ「たい・けん・がく!」(8)2000系の運転台。

今回、ミュースカイ「2000系」の運転室に入り、運転台周りが意外とコンパクトなことに気付きました。写真の前面窓の速度計等の直ぐ右側までスイッチ類が迫っていたりで、他形式に比べ、やや狭い印象を受けました。(運転席周りのスペースが狭いということではないので、表現が難しい・・・)

また最近の車両は液晶モニターで車両の様々な管理がされていますが、ミュースカイも同様でした。
下のモニターは写真画面が小さいので少々見づらくて恐縮ですが、目を引いたのは、例えば最上段の列にある赤字に白文字の「μ」であったり、その下の車両番号の「1」「2」「3」「4」の「3」と「4」にちゃんと方向もあっているパンタグラフが可愛らしく付いているところです。
車両管理の観点からすればパンタグラフがあっても当たり前なのですが、私には妙に気になりました。

また、この時間「扉の開閉体験」をしていたからでしょうが、1号車・2号車の扉は『締切』であり、3号車・4号車の“海側”の扉が「開」で、“山側”の扉が「閉」であることもこのモニターで確認できます。

名鉄に“海側”“山側”という言葉があるのは、以前『名鉄“通”』の方から聞いていたのですが、このモニターにその表示があるのを見て、「俗に」使う呼び名ではなく、会社として『通用』する正式な呼び方であることを確認できたのは、大袈裟かも知れませんが収穫でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!